脚本通り率と、余計な観客ー[2]
俺は一人で街を歩きながら、《万象観劇》を起動した。
ヘルマン・ブラウトの因果の糸を探す。市の役所の方角に——見つけた。灰色の糸。疲弊と罪悪感の色。エリザベッタの脚本通りだ。この男は、自分の罪に疲れている。
そして——妻の糸。
ブラウトの灰色の糸から、もう一本の糸が伸びている。細いが、消えていない。色は——白に近い金。愛情と後悔が混じった色。妻への感情が、まだ生きている。
エリザベッタの脚本の前提は——成立する。この男の物語の核心は妻だ。妻の墓前で自分と向き合わせるという第三幕は、成立する。
手帳にメモ。
『ブラウトの因果の糸:灰色(罪悪感・疲弊)。妻への糸:白金色(愛情・後悔)、残存。エリザベッタの脚本は成立する。——なお、この糸の色は〝救いがたい悪人〟の色ではない。この男は元は善人だ。善人が、恐怖に負けて堕ちた。……《喜劇》のマルチェロと、構造が似ている。要注意。今回は——救える方に持っていきたい。脚本通りに。脚本通りに。頼むから脚本通りにいってくれ』
三回書いた。念じるように。
手帳を閉じて——ふと、視界の端に人影を感じた。
何気なく振り向く。
三十メートルほど後方の角に、ルカ・ヴァレンティが立っていた。こちらを見ている。目が合うと——軽く会釈した。にこりと笑って。
……堂々と尾行するな。
会釈を返して、歩き続けた。無視するのも不自然だ。だが——あいつが見ている前で手帳にメモするのは、ちょっと気が引ける。〝照明効果として満点〟みたいなことを書いていると思われたくない。
書いてるけど。
◇◇◇
夕方。全員の調査結果が揃った。
フィーネの報告。
「お師匠様! ブラウトさんの顔、見てきました!」
「顔だけか?」
「顔だけです! だって、照明の修行ですから! で、この人——すごく疲れてます。目の下のクマが真っ黒で、頬がこけてて。横領で私腹を肥やしてる人の顔じゃないです。むしろ——追い詰められてる人の顔です」
「追い詰められている、か。……エリザベッタの脚本と一致するな」
「あと、警備隊長のゲオルグって人も見ました。こっちは——真っ黒です。影が濃い。嘘つきの影。しかもブラウトさんの前では態度がでかいのに、他の人の前では——」
「他の人の前では?」
「びくびくしてるんです。誰かを怖がってるみたいな」
「……誰かを、か。ブラウト以外の誰かに怯えている?」
「はい。照明的に言うと、ゲオルグの影は二つある感じ。一つはブラウトとの癒着の影。もう一つは——もっと上の、別の人間への恐怖の影」
……ゲオルグの上にもう一人いる? 依頼書にはブラウトとゲオルグの癒着としか書かれていなかったが——構造がもう一段階深い可能性がある。
「よく見たな、フィーネ。……照明の修行の成果だ」
「えへへ!」
リゼットの報告。
「ブラウトの公務スケジュールを入手しました。毎朝八時に登庁、夕方五時に退庁。ただし——毎週火曜日の夕方だけ、一時間早く退庁しています」
「火曜日だけ早い?」
「はい。そして火曜の夕方に向かう先は——妻の墓地です」
「墓参りを、毎週……」
「そうです。しかも墓参りの間だけ、護衛の警備兵をつけない。一人で行く」
エリザベッタの脚本が——ますます現実とかみ合ってきた。妻の墓前が最終幕の舞台。毎週火曜に一人で訪れる。これは——脚本通りにいくかもしれない。
セレスティーヌの報告。
「ブラウトの奥さん——カティア・ブラウトさんについて、街の人から聞いてきました。とても優しい人だったそうです。病弱で、十年間闘病していて……治療費が膨大で、ブラウトさんが公金に手を出した最初の理由は、その治療費だったと」
「エリザベッタの脚本通りだな」
「はい。でも——もう一つ。カティアさんが生前、よく言っていたことがあるそうです。〝あの人は真面目すぎるの。自分を追い詰めてしまう人なの〟って」
「…………」
「カティアさんが亡くなった後、ブラウトさんは〝妻の治療費のためにやったことが、妻の死で無意味になった〟ことに耐えられなくて——止められなくなった、のかもしれません」
「止められなくなった……」
善人が堕ちる構造。恐怖に飲まれて止まれなくなる。マルチェロと同じだ。
だが——今回は救える。
ニーカの報告。
「ブラウトの横領規模は、帳簿上で確認できる範囲で約二千万ラーン。ですが——」
「ですが?」
「横領された資金の流れを追うと、ブラウト個人の口座には二割程度しか入っていません。残りの八割は——別の口座に流れています」
「……別の口座」
「口座の名義は匿名化されていますが、わたしの調査では——王都の上位官僚に繋がる可能性があります」
「つまり……ブラウトは、自分の意志で横領しているんじゃなく——上から命じられている?」
「その可能性があります。フィーネが報告した〝警備隊長ゲオルグが誰かを怖がっている〟という情報と合わせると——ゲオルグもブラウトも、さらに上の人間に操られている末端かもしれません」
「…………」
依頼書にはCランクとあった。単なる地方の横領役人。しかし裏を覗けば——もっと大きな構造が見える。
王都の上位官僚。横領資金の八割が流れる先。
……これは——《終幕庁》の内部問題と繋がっているのか?
「ニーカ。その上位官僚の名前は特定できたか」
「まだです。ですが——安全管理の一環として、引き続き追います」
「……ああ。頼んだ」
エリザベッタが口を開いた。
「レヴィアン。脚本の修正が必要かもしれません。ブラウトが単なる横領犯ではなく、上からの命令で動いている末端だとしたら——〝恐怖と向き合わせる〟だけでは不充分です」
「なぜだ」
「恐怖の対象が変わるからです。ブラウトが恐れているのは〝妻を裏切った自分〟だと脚本に書きました。でも、もしブラウトが〝上からの命令に逆らえない恐怖〟も同時に抱えているなら——妻の墓前で自分と向き合っても、〝でも上に逆らえば殺される〟という恐怖が残ります。そこを解決しないと、物語が完結しない」
「…………」
……なるほど。
俺の《万象観劇》では〝今〟の糸しか視えない。ブラウトの灰色の糸と妻への白金色の糸は視えたが、〝上への恐怖〟の構造は——エリザベッタに指摘されるまで、脚本に組み込めていなかった。
内心、「そこは気づいていなかった」と言いたい。だが言わない。演出家が「見落としていました」と脚本家の前で言うのは——美学に反する。
「……いい指摘だ。俺の演出プランにも、その要素は織り込み済みだったが——脚本側から明示してもらえると、チーム全体の認識が揃う。修正しろ」
嘘である。織り込み済みではなかった。だが今の台詞で、エリザベッタは「レヴィアンは気づいていたけど、脚本側にも書かせたかったんだ」と解釈してくれるだろう。
……こういうところで格好つけるのは、芸術家の生存戦略だ。たぶん。
「エリザベッタ。脚本を修正しろ。第三幕に——〝上からの恐怖の解放〟を加えてくれ」
「はい。ですが……〝上〟が誰なのか分からない以上、脚本では〝ブラウト自身に告発させる〟方向しか書けません」
「ブラウトに告発させる?」
「はい。墓前で妻と向き合い、自分の罪を認めた上で——〝自分を操っていた上の人間〟の存在も告白させる。ブラウトの恐怖を二つとも解消するには、〝全てを白状する〟しかありません」
「……なるほど。マルチェロの時と同じだな。自主出頭——いや、自主告発」
「はい。ただし今回は——告発した後の安全を、事前に確保します。前回の二の舞は踏みません」
エリザベッタが、力強い目で言った。
……この子は、マルチェロの件を知っている。俺の失敗を。劇団の全員から聞いたのだろう。だから——「告発後の安全確保」を脚本に組み込む。
脚本家が、演出家の失敗を学習している。
「……いい脚本家だ。お前」
「あ、ありがとうございます……!」
「褒めすぎないでください。エリザベッタが照れて仕事ができなくなります」
「ふっ……劇団員を褒めるのも、演出家の仕事なのでな」
「仕事は他にもあるでしょう。ほら、やるべきことをやってください」
リゼットがツッコんだ。余計なお世話だが、ぐうの音も出ない。
ぐう……。




