脚本家が来た日ー[3]
ヴァイスハイム市への出発準備を進めている最中——もう一つ、予想外の出来事があった。
拠点の扉を叩く音。開けると——《終幕庁》の紋章が入った制服を着た男が立っていた。三十代半ば。鋭い目。口元に薄い笑みを浮かべている。
「レヴィアン・グラース殿ですか。——《終幕庁》監察部のルカ・ヴァレンティと申します」
「監察部?」
「はい。ヴィットリオ・フィナーレの供述に基づく内部調査の一環で、あなたの活動記録を確認させていただきたい」
「……俺の活動記録を?」
「ええ。《黒幕連》幹部の排除作戦における、レヴィアン殿の判断と手法について。——特に、標的を〝殺さずに〟解決したケースが複数あることについて、上層部から〝暗殺としての妥当性〟を検証するよう指示を受けています」
……来たか。
評価書に毎回書かれていた〝暗殺と呼べるのかどうか議論が分かれている〟。あれが——正式な調査として動き出した。
「レヴィアン様」
ニーカが俺の隣に——文字通り壁のように立った。
「この方の身元を確認してもよろしいですか。安全管理の一環として」
「ニーカ。落ち着け。《終幕庁》の監察部だ。味方だ」
「味方かどうかは、確認してから判断します」
ルカ・ヴァレンティは、ニーカの威圧にも動じず、薄い笑みを崩さなかった。
「ご安心ください。わたくしは中立の立場です。調査の結果が白であれば、それで終わりです。——ただ、一つだけ」
「何だ」
「レヴィアン殿。あなたの〝芸術〟は、上層部の一部から——危険視されています。暗殺者が標的を殺さないのは、制度の根幹を揺るがしかねない、と」
「…………」
「殺さない暗殺が認められれば、《終幕庁》の存在意義——〝合法的な処刑代行業〟としての正当性が、崩れる。あなたの手法は——暗殺制度そのものへの挑戦と見なされています」
「俺は制度に挑戦した覚えはない。芸術を追求しているだけだ」
「ええ。そうでしょうね。——だからこそ、厄介なのです」
ルカが一礼して去っていった。
残された俺たちは、しばらく沈黙していた。
「……お師匠様。今の人、何だったんですか?」
フィーネが不安そうに聞いた。
「《終幕庁》の内部調査だ。……俺の活動が、問題視されている」
「問題って——お師匠様は悪いことしてないじゃないですか!」
「悪いことはしていない。だが——〝暗殺者が標的を殺さない〟というのは、暗殺者ギルドにとっては確かに問題なんだ。制度の前提が〝殺す〟ことにある以上」
「そんなの——!」
「フィーネ。落ち着け。今すぐどうこうなる話じゃない。調査は調査だ。——それより、目の前の依頼に集中するぞ」
「…………はい」
フィーネは納得していない顔だったが、俺の言葉に従った。いい子だ。
「レヴィアン」
リゼットが腕を組んで言った。
「あの監察官、副長官ガルシア・モンターニュの部下よね。内部調査を指揮しているのがガルシアで、その監察部がわたしたちを調べに来た。——つまり、ガルシアはわたしたちを〝味方〟とは見ていない」
「……そうかもしれない。あるいは、単に全てを調べているだけかもしれない」
「甘いですね、レヴィアン様」
ニーカが断言した。珍しく厳しい口調だ。
「あの監察官の目は——査定者の目でした。〝結果を見てから判断する〟目ではなく、〝結論を持って確認しに来た〟目です」
「結論を持って?」
「はい。おそらく——ガルシア副長官は、レヴィアン様を排除したいのです。《黒幕連》を壊滅させた英雄であると同時に、暗殺制度を根底から揺るがす存在。——功績が大きすぎて正面から潰せない。だから〝調査〟という形で、合法的に排除しようとしている」
「…………」
味方の中に、敵がいるかもしれない。
《黒幕連》とは違う。こいつらは〝悪〟ではない。暗殺の秩序を守ろうとする〝信念〟で動いている。だからこそ——倒し方が、見えない。
「……面倒なことになったな」
「レヴィアン。ここは、わたしから一つ」
エリザベッタが手を挙げた。
「お父様が《終幕庁》の制度設計に関わった時——協力者がいたはずです。お父様一人であの制度は作れない。ガルシア副長官が二十年前の入庁なら、制度設計の時期には間に合いません。もっと前から——お父様の理念に共感していた人物がいるはずです」
「もっと前から……」
「お父様が出頭した時、全てを供述したと言っていました。でも——わたし、あの時のお父様の目を覚えています。全てを語り終えた後も——一つだけ、言えなかったことがあるような目をしていた」
「言えなかったこと……」
一つだけ語らなかった事実。
それが——何なのか。
「…………エリザベッタ。お前の父親に、面会できるか」
「出頭後、《終幕庁》の施設に収容されています。面会の申請は——肩書きが多いレヴィアンなら、通ると思います」
「肩書きの多さを利用するのは初めてだな……」
「聖者で悪霊祓いで名誉劇場長でカルチェラータ報告書の著者が面会を求めたら、誰だって断れないでしょう」
「やめてくれ。《終幕庁》の《一番手》として申請する。それだけで充分だ」
「あの……わたしからも、一つ」
セレスティーヌが控えめに手を挙げた。
「今の話を聞いていて……思ったことがあるんですけど」
「何だ」
「レヴィアン様が暗殺を〝芸術〟って呼ぶようになったのって——いつからですか?」
「…………」
不意を突かれた。
「わたし、レヴィアン様と一緒にいて——ずっと不思議だったんです。暗殺を芸術って呼ぶ人、他に見たことがない。レヴィアン様だけです。……なぜ、そう思うようになったのか。何かきっかけがあったんじゃないか、って」
全員が——俺を見た。
セレスティーヌの観察眼は、相変わらず鋭い。歌えなくても音を聴ける子。見えないものを感じ取る子。
この質問に——答えるべきか。
今まで一度も、劇団の誰にも話したことがない。俺がなぜ暗殺者になったのか。なぜ暗殺を〝芸術〟と呼ぶのか。
《幕引きの栞》を——なぜ持っているのか。
「…………」
コートの内ポケットに手を入れた。栞に指が触れる。いつもそこにある。手帳の隣に。
「……昔の話だ」
「え?」
「俺には——師匠がいた」
全員が息を止めた。
「暗殺者の師匠ではない。演出家の師匠だ。俺は元々——演劇を志していた。舞台を作りたかった。物語を完成させたかった。……暗殺者になるつもりはなかった」
「お師匠様が……演劇志望だった……?」
「ああ。師匠は小さな劇場を持っていた。俺はそこで助手をしながら、演出を学んでいた。照明の当て方、舞台装置の配置、役者への指示——全部、あの人から教わった」
「…………」
「そしてある日——師匠が、殺された」
静かな空気の中で、俺は続けた。
「殺され方が——最悪だった。路地裏で、背後から一突き。三秒で終了。物語もない。演出もない。意味もない。——ただの、作業のような殺し方だった」
この劇団を作る前――朝食がてら見かけた路地裏の暗殺。あれと——同じだ。あの時俺が立ち上がって心の中で叫んだ〝物語はどこだ〟は、師匠の死を思い出していたからだ。
「師匠は——何か悪いことをした人間じゃなかった。小さな劇場で、誰かに物語を届けることだけが生きがいだった人だ。なのに——物語のない死に方をさせられた」
「…………レヴィアン様」
「俺はあの日、誓った。死には物語が必要だ。命の終わりには、相応しい結末がなければならない。——暗殺は芸術だ。師匠の死が芸術ではなかったから——俺は、全ての死を芸術にすると決めた」
「…………」
「《幕引きの栞》は——師匠の遺品だ。あの人が唯一残してくれたもの」
コートから栞を取り出した。使い込まれた、古い栞。端が少し欠けている。
「師匠は固有スキルを持たないただの演出家だった。この栞がなぜあの人の手にあったのか、どういう経緯で手に入れたのか——俺は知らない。師匠は何も教えてくれなかった。〝いずれ分かる〟とだけ言って」
「いずれ分かる……」
「いまだに分かっていない。この栞が何なのか。なぜニーカの呪印を解除できたのか。なぜ《即興劇》の自己認識を復元できたのか。——理屈が分からないまま使っている」
全員が黙っていた。
フィーネが泣いていた。
リゼットが唇を噛んでいた。
セレスティーヌが竪琴を握りしめていた。
エリザベッタが——目を見開いていた。何かに気づいたような顔。
ニーカは——俺の隣で、手を握ってきた。何も言わず。ただ——そこにいた。
「……すまん。湿っぽい話をした。——忘れてくれ」
「忘れません」
ニーカが即答した。
「忘れてくれと言っている」
「忘れません。レヴィアン様の物語は——わたしたちの物語でもあります」
「…………」
「お師匠様。わたしも忘れないです。お師匠様のお師匠様の話……絶対に覚えておきます」
フィーネが涙を拭きながら言った。
「レヴィアン様。その師匠を殺した犯人は——見つかったの?」
リゼットが聞いた。
「……見つかっていない。当時は俺も若かったし、暗殺者の技術もなかった。調べる手段がなかった」
「でも今は——ある。わたしたちが」
「…………」
「衣装係として、潜入調査ならいくらでもやります。レヴィアンの師匠を殺した犯人を——見つけましょう」
「リゼット……」
「わたしも歌って情報を集めます。レヴィアン様の師匠のこと——知りたいです」
セレスティーヌが言った。
「レヴィアン」
エリザベッタが——真剣な目で言った。
「さっきのお父様の話。〝一つだけ言えなかったこと〟。それと、あなたの師匠の話。——繋がっているかもしれない」
「……何?」
「お父様は《終幕庁》の制度設計に関わった。その時期に、暗殺の〝芸術〟を説く演出家がいた。そして、その演出家が殺された。——もし、お父様が〝言えなかったこと〟が、その演出家の死に関わることだったら」
俺の思考が——止まった。
ヴィットリオが語らなかった一つの事実。俺の師匠の死。《終幕庁》の設立時期。
——繋がる、のか?
「……エリザベッタ。お前の父親に会いに行く。できるだけ早く」
「はい。手配します」
「その前に——ヴァイスハイムの依頼を片付ける。目の前の仕事を疎かにはしない。それが芸術家だ」
「…………はい」




