叙事詩は、一人では書けないー[5]
《叙事詩》は、自ら《終幕庁》に出頭した。
アルテア公国とベルガルド侯国の紛争は——開戦することなく終結した。操作を解かれたバロッソ大佐とディアマンテ卿が正気に戻り、両国の緊急会談で紛争の撤回が宣言された。
誰も死ななかった。三度連続。
——だが、問題が一つ発生した。
いや、問題と呼んでいいのかどうか分からない事態が。
「お師匠様。大変です」
フィーネが走ってきた。この展開に慣れてきた自分が怖い。
「何だ」
「お師匠様の報告書が——両国で出回ってます!!」
「……は?」
「バロッソ大佐とディアマンテ卿が、報告書の内容を軍の中で公開したんです。〝我々は外部の力に操られていた。この報告書がそれを証明している〟って」
「いや、あれは大佐と卿の二人に向けた——」
「それが兵士から兵士に広まって、今や両国の兵営地で——全員が読んでます」
「全員!?」
「はい! で、報告書の末尾の一行——〝酒場で共に飲んだ間柄です〟のところが、両陣営の兵士の間で〝合言葉〟になってるんです」
「……合言葉?」
「アルテア側の兵士がベルガルド側の兵士に会った時、〝酒場で飲んだか?〟って聞くんです。答えが〝ああ、飲んだ〟なら——それで〝お前は敵じゃない〟って確認する合図になってて。……なんか、感動的な光景みたいですよ」
「…………」
俺の手帳のメモが——和平の合言葉になっている。フィーネが集めた酒場の話が——兵士たちの絆を繋ぐ暗号になっている。
何だこれは……こんなこと、脚本にないぞ。完全に、脚本にないぞ!
「レヴィアン様……もう一つ」
リゼットが気まずそうに言った。
「両国の上層部が、報告書の作成者を突き止めたようです。〝中立都市の商人〟の正体が《破滅の芸術家》だと」
「なぜ、バレたんだ!?」
「バロッソ大佐の息子——あの酒場で飲んだ若い兵士です——が〝自分の父の目を覚まさせてくれた恩人を探したい〟と動いて、伝令兵の情報網から辿ったみたいです」
「…………」
「で、両国が共同で——〝外交顧問〟の就任をレヴィアンに要請しています」
「…………は?」
「〝両国に公平な立場で、唯一信頼できる第三者〟として」
「俺は暗殺者だ! 外交顧問じゃない!」
「レヴィアン様」
ニーカが真顔で言った。
ああ、来る……この空気、来るぞ……来ちゃううううううううう!!!!
「報告書が出回ることも、合言葉になることも——全て、レヴィアン様の計算の内だったのですよね」
ほら、来た。
俺はもう、それっぽい顔で立ち尽くすことしかできなかった。
「大佐と卿に報告書を渡せば、二人は必ず軍内で公開する。軍人は〝自分が操られていた〟という不名誉を一人で背負えない。だから公開して〝全員が操られていた〟と共有する。そうすれば報告書が全軍に行き渡り、兵士一人一人が〝真実〟を知る。——そして末尾の一行が〝合言葉〟になることで、両陣営の兵士が自発的に和解する。報告書は〝武器〟ではなく〝種〟だった。レヴィアン様はあの報告書で——和平の種を蒔いたんですね」
…………。
いやいやいやいや。
俺はただ、手帳のメモを清書して二人に渡しただけだ。出回ることなんか想定していない。合言葉になることなんか想像もしていない。「和平の種」なんて詩的な表現、俺の手帳のどこにも書いていない。
だが。
結果だけ並べると——確かにニーカの言う通りに見える。報告書→公開→全軍周知→合言葉→自発的和解。一本の因果の線で繋がっている。完璧な脚本に見える。
もしかして俺、天才なのでは??
——いやいや、何度目だこの思考パターン。そろそろ学習しろよ、俺。
だが。
「ニーカ」
「はい」
「今回だけは——はっきり言わせてくれ」
「…………」
「全部偶然だ」
ニーカが俺の顔をじっと見た。
「……はい。偶然、ですね」
「ああ」
「偶然にしては、毎回出来すぎですけど」
「…………」
この子は絶対に——俺のことを偶然だとは信じてくれない。
だが——まあいい。信じてくれないならくれないで、それはそれで。
……悪くない。
「外交顧問の件は丁重にお断りしろ。俺は芸術家であって外交官ではない。ニーカ、断りの文面を——」
「すでに起草しています。ただし両国との関係は維持する方向で」
「……仕事が早いな」
「安全管理の一環です。国家レベルの協力関係は、今後の活動で——」
「はいはい。好きにしろ」
ニーカの安全管理が、ついに国際外交にまで手を伸ばした。もう何も驚かない。
……嘘だ。めちゃくちゃ驚いている。
◇◇◇
《終幕庁》からの評価書。
『レヴィアン・グラース。対象:《叙事詩》。遂行完了。対象は自主出頭。スキルの完全喪失を確認。付随成果——アルテア公国とベルガルド侯国の国境紛争を未然に防止。推定数千名の死傷者を回避。手法は前例のない〝情報文書による認知解放〟と記録。なおレヴィアン・グラースが作成した文書は両国で〝カルチェラータ報告書〟と呼ばれ、今後の国際紛争調停の参考文献として保管される見通し。残存〝演目〟:二名(《終幕劇》および身元未確認の一名)。——上層部所感:「レヴィアン・グラースの活動をいかなる既存の枠組みで評価すべきか、引き続き検討中」』
「〝参考文献〟って……レヴィアン様の手帳メモが、国際文献になったんですけど」
リゼットがからかうように言った。
「やめてくれ。〝カルチェラータ報告書〟って何だ。あれは俺の手帳のメモを清書しただけだぞ。〝照明効果として満点〟の隣のページに書いたやつだぞ」
「だからそっちのページは削ったでしょう」
「削ったけど! 元は同じ手帳だ! 国際文献の元が暗殺芸術家の手帳って、歴史的にどうなんだ!」
「歴史に名を残しましたね、お師匠様!」
「そういう残り方は望んでいない!」
「レヴィアン様。肩書き、また増えましたよ。〝カルチェラータ報告書の著者〟」
セレスティーヌが困ったように微笑んでいる。
「……今いくつだ、肩書き」
「《終幕庁》の《一番手》、《破滅の芸術家》、聖者、悪霊祓い、嘆きの塔の英雄、名誉劇場長、和平仲介人——辞退済み——、カルチェラータ報告書の著者。八つです」
ニーカが指折り数えた。数えないでほしかった。
「暗殺者としてのアイデンティティが全体の八分の一になってしまったな……」
「レヴィアン様。暗殺者は肩書きの一つに過ぎません。あなたの本質は——」
「言うな。俺の本質が何かは、俺が決める。——俺は芸術家だ」
「……はい。そうですね。あなたは芸術家です」
ニーカが——微笑んだ。
……何度目だろう、この笑顔。数えていないと言ったが、嘘だ。数えている。今ので五度目。
芸術的感動だ。きっとそうだ。きっと。
◇◇◇
手帳に書いた。
『第九作「糸の切れた人形遣い」。結末:《叙事詩》の自主出頭。死者ゼロ。戦争回避。脚本通り率:体感45%。報告書を二人に届けるところまでは計画通り。だがフィーネの光が廃砦から漏れて両陣営で糸が可視化されたのは完全に想定外。報告書が出回ったのも合言葉になったのも外交顧問を頼まれたのも想定外。想定外が多すぎる。だが全て良い方向に転んでいる。なぜだ。本当になぜだ。俺が天才だからか? いや、違う。……違うと言い切れないのが、最近一番怖い』
「レヴィアン様。覗いてもいいですか」
「ダメだ」
「…………」
ニーカが残念そうな顔をした。隣にいるからって、何でも見ていいわけではないぞ。
「さて」
俺はコートを翻した。
「次の作品に取り掛かるぞ。——まだ、最高傑作は生まれていない」
「「「「はいっ!」」」」
四つの声と——
「——はい」
五つ目の、俺の声。当たり前に、出る。
残り二つ。《終幕劇》と、もう一人。
物語は——終章に向かっている。
手帳の端っこに、こっそり書いた。
『終わりが近い。正直、少し——寂しい。この劇団で、ずっとこうしていたい気もする。……読むな。ここは検閲対象だ。特にニーカは読むな。隣にいるからって読むな』
隣で、ニーカが微かに笑った気がした。
……読まれている。絶対に読まれている。




