叙事詩は、一人では書けないー[3]
ニーカの報告は、その夜に届いた。
「レヴィアン様。ベルガルド侯国側も、状況はアルテア側と鏡写しです」
「鏡写し?」
「はい。ベルガルド側にも一人、偽情報の発信源がいます。外交顧問のディアマンテ卿。この人物が〝アルテア公国が先制攻撃を準備している〟と上層部に報告し続けています」
「アルテア側は〝ベルガルドが奇襲する〟。ベルガルド側は〝アルテアが先制攻撃する〟。——互いに相手が先に攻めてくると信じ込まされている」
「はい。そしてリゼットの報告と同様——ディアマンテ卿も自分で自分を疑っています。報告の度に顔色が悪くなり、夜も眠れていないようです。操作されていることへの——漠然とした違和感を感じているのに、止められない」
全体像が見えた。
《叙事詩》は、両陣営に一人ずつ〝中核の操り人形〟を配置している。バロッソ大佐とディアマンテ卿。この二人が偽の軍事情報を流すことで、両国は〝相手が攻めてくる〟と信じ込み、防衛のための先制攻撃——つまり戦争に突き進んでいる。
誰も戦争を望んでいないのに。末端の兵士は酒場で敵国の兵士と酒を飲んだ仲なのに。大佐も卿も本心では自分の報告を疑っているのに。
——全員が、見えない糸に操られている。
「レヴィアン様。《叙事詩》の本体の位置も特定しました。国境地帯の廃砦。山の中腹にある小さな要塞の跡です。一人でいます。護衛はなし」
「護衛なし?」
「操作中は本体が動けないのだと思います。何百本もの糸を同時に操作しているため、身体を動かす余裕がない。——ただし」
「ただし?」
「砦の半径三百メートルほどが、《英雄譚の筆》の影響範囲と推測されます。近づいた者は——〝脚本の登場人物〟として操作される可能性があります」
「無防備だが近づけない、か。……舞台そのものが要塞になっているな」
◇◇◇
セレスティーヌの報告も重要だった。
「市民の間では、今回の紛争の原因について——〝よく分からない〟という声が圧倒的です」
「よく分からない?」
「はい。〝気がついたら軍が動いていた〟〝どっちが先に仕掛けたのかも分からない〟って。去年まで国境の交易市で普通に商売していた相手と、なぜ戦争になりかけているのか——誰も説明できないんです」
「……原因のない戦争。いや、原因は作られたものだ。偽情報が上層部を動かし、上層部の命令が末端を動かし、末端が動くことで〝やっぱり戦争だ〟と全体が信じ込む。——壮大な虚構だ」
「それと、もう一つ」
「何だ?」
「この街の人たちに、わたしの歌を聴いてもらいました。平和を祈る歌を。そしたら——泣く人が多くて。〝戦争なんて嫌だ〟〝あっちの国の人たちだって同じ人間だ〟って。……みんな、分かっているんです。分かっているのに、止められない」
「…………」
全ての情報が揃った。
俺は手帳を広げ、全体像を書き出した。
一、《叙事詩》は廃砦から操作糸を伸ばし、両陣営の要人を操っている。
二、操作されているのはバロッソ大佐(アルテア側)とディアマンテ卿(ベルガルド側)の二人が中核。
三、この二人が偽情報を流すことで、両国は互いに〝相手が攻めてくる〟と信じ込んでいる。
四、両陣営の末端兵士は戦争を望んでいない。操作されているのは上層部だけ。
五、操作されている本人たち(大佐と卿)も、漠然と違和感を感じているが確信が持てない。
そして、俺の《万象観劇》で視えた情報。
六、金色の操作糸は大佐と卿だけでなく、末端の伝令や斥候にも伸びている。ただし末端の糸は細く、〝疑念〟を増幅させる程度の効果。
七、両陣営の兵士たちの〝本来の因果の糸〟は灰色——疲弊と困惑。戦意はほぼゼロ。
八、フィーネの報告——両陣営の兵士に交流がある。酒場で飲んだ相手を殺したくない。
全部、手帳に書いてある。
……さて。どうする。
◇◇◇
夜。宿の一室。全員を集めた。
「全体像は掴めた。《叙事詩》の〝戦争の脚本〟は、偽情報による相互不信の構築だ。この脚本を壊すには——二つのアプローチがある」
壁に貼った地図を指しながら話す。
「一つ目。廃砦の《叙事詩》本体を直接叩く。操り人形遣いを倒せば、糸は全て切れる」
「でもレヴィアン様。砦に近づいたら操作されるんですよね」
「ああ、だからこのアプローチはリスクが高い。単独での突入は自殺行為だ」
「二つ目は?」
「操り糸を〝切る〟のではなく、操られている側が〝自分で切る〟。……ニーカ」
「はい」
「《英雄譚の筆》の操作は——操作されている本人が〝自分が操られている〟と確信した場合、どうなるか分かるか」
「前例がないので断言はできませんが……心理操作系のスキルは、自覚が最大の対抗手段です。〝操られている〟と完全に自覚すれば——少なくとも抵抗はできるはず」
「リゼットの報告で分かった。バロッソ大佐も、ニーカの報告ではディアマンテ卿も——漠然とは疑っている。あと足りないのは〝確信〟だけだ」
「確信を、どうやって与えるんですか?」
リゼットの質問に——俺は手帳を持ち上げた。
「これで」
「……手帳?」
「俺の手帳には、《万象観劇》で視た全てが書いてある。金色の操作糸の配置。誰が操作されているか。操作元の位置。そして——両陣営の兵士たちの〝本音〟」
「それを……大佐と卿に見せるんですか?」
「見せる。正確には、手帳の情報を元に〝報告書〟を作成して、二人に同時に届ける。内容は三つ。〝あなたは操られている〟という事実。〝相手国も同じように操られている〟という事実。そして——双方の兵士たちが戦争を望んでいないという真実」
「あの……一つ確認ですが」
リゼットが俺の手帳をちらりと見た。
「あの手帳、〝照明効果として満点〟とか〝即興として採用〟とか、独特な……その……メモも書いてありますよね。まさか……そのまま渡すわけじゃ……」
「……必要な情報だけ書き写す」
「そうしてください。そのまま渡したら、信用以前に〝この人大丈夫かな?〟ってなりますから」
リゼットの指摘が正しすぎて反論できない。……芸術家の手帳はプライベートなものだ。
「しかし——報告書だけで、本当に〝確信〟まで至りますか?」
ニーカが問うた。
「頭では理解しても、〝自分が操られている〟ということを実感するのは別の問題です。文字を読んだだけで、何十年も軍人をやってきた大佐の自己認識が覆るかどうか——」
「……確かにそうだ。頭で分かっても、目で見なければ信じられないかもしれない」
目で見る。操り糸を、目で見る。
俺は《万象観劇》でしか視えない金色の糸を——全員の目に見えるようにする方法を考えた。
「フィーネ」
「はいっ」
「お前の《陽だまりの残像》。あの光で——《無言の帳》の透明化を破ったこと、覚えているか」
「はい! 《黙劇》の時ですよね。わたしの光で、見えないはずの敵が見えるようになった」
「あれは〝スキルで隠されたものを光で暴く〟効果だった。同じ原理で——《英雄譚の筆》の金色の操作糸を、お前の光で可視化できないか」
フィーネの目が大きくなった。
「操り糸が——光に照らされて見えるようになる……。そしたら、操られてる人が自分に糸がついてるのが分かる!」
「そうだ。報告書を読んで〝頭〟で理解し、お前の光で糸を見て〝目〟で確信する。二段階だ。——できるか」
「できます! やります! ……でもお師匠様、操作糸が集中しているのは廃砦ですよね。あの近づいたら操られるっていう——」
「ああ。だから手順が重要だ。まず報告書を届けて揺さぶる。操作糸が弱まった隙に、お前が廃砦に突入して光を灯す。廃砦から伸びる糸の束を照らせば——そこから両陣営に伸びる全ての糸が可視化される」
「……ニーカと一緒に行けますか?」
「もちろんだ。ニーカ、フィーネの護衛を頼む」
「承知しました」
「セレスティーヌ」
「はい」
「お前は中立都市に残ってくれ。今回は歌わなくていい」
「え……わたし、何もしないんですか?」
「違う。一番大事な仕事がある。——作戦が失敗して戦争が始まった場合、中立都市の住民がパニックを起こす。その時にお前の歌で人々を落ち着かせてくれ」
「保険……ですね」
「ああ。前回の教訓だ。最悪の事態に備えることを怠って、マルチェロを死なせた。今回は——全ての場合に備える」
セレスティーヌが竪琴を握り直した。
「分かりました。わたしは、ここで守ります」
「頼んだ」




