叙事詩は、一人では書けないー[2]
アルテア公国とベルガルド侯国の国境地帯。中立都市カルチェラータ。
両国の軍勢が国境を挟んで対峙している。空気は一触即発だ。街の住民は怯えている。市場は閑散とし、子供の姿が少ない。戦争が始まれば、国境の中立都市は真っ先に戦場になる。皆、それを知っているのだろう。
俺たちは、中立都市に宿を取った。
まずは何が起きているのか、全容を掴まなければならない。指令書には「裏から操作中と推測」とあるが、具体的にどう操作しているのかは分からない。俺たちが知っているのは「両国が対峙している」「《叙事詩》が裏にいる」ということだけだ。
「全員、この街と周辺の情報を集めてきてくれ。何が原因で紛争になりかけているのか。両国の兵士がどんな空気なのか。街の人間はどう思っているのか。——まずはそこからだ」
「はいっ!」
「了解」
「分かりました」
「承知しました」
「フィーネ。お前はこの街と両陣営の兵営地を回って、兵士たちの〝表情〟を読んでくれ。照明の目で——本音と建前を見分けろ」
「はいっ、お師匠様!」
「リゼット。アルテア公国側の軍の様子を探ってくれ。上層部が何を根拠に開戦の準備をしているのか、内側から情報を取りたい」
「軍に潜入ですね。何に変装しましょうか」
「伝令兵がいい。陣営内を自由に動き回れる立場だ。将校たちの会話を拾ってきてくれ」
「了解です。衣装の準備に、半日ください」
「セレスティーヌ。街で歌いながら、両国の市民から紛争の〝原因〟について聞いてくれ。公式発表じゃなく、庶民が何を信じているかを」
「分かりました」
「ニーカ。お前には二つ頼みたい。一つは《叙事詩》の本体の居場所の特定。もう一つは——ベルガルド侯国側の情報収集だ。リゼットがアルテア側に入る以上、ベルガルド側はお前が担当してくれ」
「承知しました」
一人になった俺は、宿の窓辺から《万象観劇》を起動した。
国境地帯全体を俯瞰する。
——見えた。
巨大な因果の糸の網。両国の軍勢から無数の糸が伸び、互いに絡み合い、引っ張り合っている。赤い糸——敵意と恐怖。
だが、その網の中に——金色の糸が混じっている。
自然に発生した糸ではない。外部から注入された糸だ。何十本もの金色の糸が、両陣営の要所に入り込み、赤い糸を煽っている。
《英雄譚の筆》の操作糸。これが——人を操り、戦争を演出する糸か。
金色の糸を辿ると、全てが一点に集束していた。国境地帯のとある山の中腹。小さな砦の跡。そこに一人の人間がいる。因果の糸が異常に太い。何百本もの糸を束ね、両国の軍勢を〝脚本通り〟に動かしている。
まるで——人形劇の人形遣いだ。
俺は手帳を開き、見えたものを全て書き留め始めた。
金色の糸が繋がっている人物の位置。軍の階級章の形から推測される階級。糸の太さから推測される操作の強度。糸が繋がっている人物の、因果の糸に現れている〝本来の感情〟。
いつもの癖だ。《万象観劇》で視えたものは全て手帳に記録する。「舞台設定資料」として。
両陣営の要所に太い金色の糸が刺さっている。特に太い糸は二本。一本はアルテア側の高位の人物に、もう一本はベルガルド側の高位の人物に。この二人が——「中核の操り人形」だ。
そして印象的だったのは、金色の糸が繋がっている人物たちの〝本来の感情〟だ。操作糸の下に、元の因果の糸が見える。それらは——灰色だった。疲弊。困惑。そして——操作されていることへの、漠然とした違和感。
自分がおかしいと、うっすら気づいている。だが確信が持てない。だから抵抗できない。
……これは、使える。
何に使えるかはまだ分からない。だが、記録しておく。芸術家の直感が告げている。この〝違和感〟が、脚本の鍵になる——と。
手帳のメモが後でとんでもないことになるとは、この時の俺は知るよしもなかった。
◇◇◇
五日間、全員が情報を集めた。
最初に戻ってきたのはフィーネだった。
「お師匠様! 両方の陣営を回ってきました!」
「どうだった」
「まず、アルテア側。兵士たちの顔は——〝疲れてる〟です。怒ってるんじゃなくて、疲れてる。〝なんでこんなことに〟って顔してる人がすごく多い。特に若い兵士はほとんど全員が戦いたくない顔してます」
「根拠は?」
「目です。怒りの目と疲弊の目は影の付き方が違うんです。怒ってる人は眉間に影が集中しますけど、疲れてる人は目の下全体に影が広がる。——照明的に言うと」
「照明的に言わなくていいが、続けてくれ」
「はい! で、ベルガルド側もほぼ同じです。兵士たちは疲れていて、困惑していて、戦いたくない。……それと、面白いことが分かりました」
「面白いこと?」
「アルテア側の若い兵士何人かに話を聞いたんです。そしたら——〝ベルガルドの兵士と、中立都市の酒場で飲んだことがある〟って。国境の交易市で知り合って、一緒に酒を飲んで、家族の話をしたって。……〝あいつらを殺したくない〟って、泣いてる人もいました」
「…………」
「ベルガルド側でも同じ話を聞きました。〝アルテアの兵士と酒を飲んだ。いいやつだった。なのになんで戦争なんか〟って」
俺は手帳にメモした。
『両陣営の末端兵士の大半は戦争を望んでいない。国境の中立都市で交流があり、相手国の兵士を〝人間〟として認識している。——戦争を望んでいるのは上層部だけ。いや、上層部ですら本心では……?』
「よく調べたな、フィーネ。……この情報は、後で使う」
「はい! 照明リスト、完成してます!」
照明リスト……まあいい。フィーネがそう呼ぶなら、それでいい。
◇◇◇
次に報告が来たのはリゼットだ。アルテア公国側の軍に伝令兵として三日間潜入した。
「レヴィアン。核心に触れる情報を掴みました」
「聞かせてくれ」
「アルテア軍が開戦準備を進めている根拠。それは——参謀将校のバロッソ大佐が上層部に報告している軍事情報です。〝ベルガルド侯国が大規模な奇襲攻撃を計画している〟という内容。具体的な部隊編成、進軍ルート、攻撃時期まで記載された、詳細な報告書です」
「なるほど。その報告書を根拠に、アルテアは防衛のための先制攻撃を検討していると」
「はい。ですが——」
リゼットが声を落とした。
「あの報告書、怪しいんです」
「怪しい?」
「わたしは伝令兵として陣営内を動き回りましたが、バロッソ大佐の報告書に書かれているような〝ベルガルドの奇襲計画〟を裏付ける証拠が、一切見つからない。斥候の報告にも、情報部の記録にも、そんな情報はない。——バロッソ大佐の報告書だけが、〝奇襲計画がある〟と断言しているんです」
「情報のソースが一人だけ。しかも裏付けがない」
「はい。そしてもう一つ気になったことが。わたし、バロッソ大佐を直接観察しました。この人——自分の報告書の内容を信じていないんです」
「信じていない?」
「はい。報告書を上層部に提出する時、手が震えていました。目が泳いでいました。〝報告しなければならない〟という衝動に突き動かされているのに、本人の理性は抵抗している。……あれは、操られている人間の顔です」
「…………」
パズルのピースが嵌まり始めた。
俺の《万象観劇》で視えたアルテア側の〝太い金色の糸〟。あれは——バロッソ大佐に繋がっていたのだ。《英雄譚の筆》で操作され、偽の軍事情報を上層部に報告させられている。
「リゼット。バロッソ大佐は操られている。自分がおかしいことに気づいているのに——止められない状態だ」
「やっぱり……レヴィアン様、どうしますか?」
「まだだ。ベルガルド側の情報を待つ。——ニーカの報告が揃えば、全体像が見える」




