叙事詩は、一人では書けないー[1]
手帳は芸術家の命だ。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、本当だ。俺の手帳には全作品の舞台設計図、人物相関図、演出メモ、反省点——芸術家としての全てが詰まっている。
だから俺は、手帳を肌身離さず持ち歩く。風呂にも持って入る。寝る時も枕元に置く。
この癖が、まさか暗殺の武器になるとは——この時点では、まだ知らなかった。
◇◇◇
「レヴィアン様。次の指令書です」
ニーカが封書を差し出した。最近は二歩後ろではなく、隣に立っている。隣に立たれると手帳を書く時にちらちら覗き込まれる気がして落ち着かないのだが、「隣にいる」と本人が宣言した以上、文句は言えない。
黒い封蝋を切る。
標的:《叙事詩》。
所属:《黒幕連》幹部。
罪状:複数の国家・都市間の紛争を裏から操作し、紛争に乗じた大規模暗殺を実行。過去五年で三つの地方戦争を引き起こしたとされる。
固有スキル:《英雄譚の筆》——複数の人間を〝物語の登場人物〟として操作し、大規模な事件を〝脚本通り〟に進行させる。
推定危険度:S+。
推奨遂行期限:設定なし。
備考:現在、アルテア公国とベルガルド侯国の国境紛争を裏から操作中と推測される。両国の開戦が迫っており、早急な対処が必要。
指令書を読み終えて——俺は三回読み直した。
「……地方戦争を引き起こした?」
「はい。《叙事詩》の手法は、これまでの〝演目〟とは根本的に異なります。個人を暗殺するのではなく——戦争そのものを演出する」
「戦争を、演出する……」
「紛争の両陣営に工作員を送り込み、互いの不信感を煽り、開戦に追い込む。そして戦争の混乱の中で〝本当の標的〟を殺す。——標的の死は、戦死に偽装されます」
「つまり——戦争全体が〝暗殺の舞台装置〟か」
「はい」
……スケールが違う。
俺がやってきたのは、一人の標的に対して「舞台装置」を設計することだった。商会の前で、舞踏会で、聖堂で。せいぜい一つの街、一つの建物の中の話だ。
こいつは——国と国の戦争を「舞台装置」にしている。
「レヴィアン様。これ、わたしたちの手に負えるんですか」
リゼットが率直に聞いた。ツッコミではなく、本気の質問だ。
「……正直に言えば、分からない」
「お師匠様が〝分からない〟って言うの、珍しいです……」
「フィーネ。師匠だって分からないことはある。分からないが——やらない選択肢はない。こいつを放置すれば、二つの国が戦争になる。何千人もの人間が死ぬ」
手帳を開いた。何も書けない。いつもなら『第○作——テーマ:○○。ジャンル:○○』と書き始めるのだが。
……戦争を止める脚本。そんなもの、どうやって書くんだ。
「レヴィアン様」
ニーカが——俺の隣で、静かに言った。
「一つ、気づいたことがあります」
「何だ」
「《叙事詩》のスキル、《英雄譚の筆》。——これは、レヴィアン様の《万象観劇》と対になるスキルではないでしょうか」
「……対?」
「《万象観劇》は、人間関係や因果の流れを〝読み取る〟スキル。《英雄譚の筆》は、人間を〝操作して物語を書く〟スキル。——読む力と、書く力。表と裏です」
「…………」
……なるほど。
俺は因果の糸を〝視る〟。こいつは因果の糸を〝操る〟。
俺が物語を読み取る者なら、こいつは物語を書き換える者。
「つまり——今までで最も、俺に〝近い〟敵だ」
「はい。そして——最も危険な敵です。レヴィアン様の手法を、逆の方向から使っている人物ですから」
「……面白い、と言いたいところだが。今回ばかりは面白がっている余裕がないな」
手帳に、やっと一行書いた。
『第九作。対象:《叙事詩》。テーマ:戦争を止めること。ジャンル:叙事詩。規模:過去最大。……怖い。書いておく。怖い。だがやる』
「レヴィアン様」
ニーカが隣で言った。
「今回も危険な敵ですが、レヴィアン様の敵ではありませんよね」
ニーカが少しだけ微笑んだ。
いや……めちゃくちゃ怖いけど。全然戦いたくないけど、俺は不敵に微笑んでおいた。
「ふっ……当然だ。俺は世界最高の芸術家、なのだからな。もう手は打ってある」
「……っ! 流石レヴィアン様……手を打ってあるとは、あのことですね……!」
全然何のことか分からないけど、手を打ってあることにしておこう。
うーん……今回は、国を操る規模の相手かあ……。
ハッキリ言って、めちゃくちゃ戦いたくない。
えーん。もうお家に帰りたいよ~。




