悲劇を知る者だけが、悲劇を終わらせるー[3]
三日間の調査で、《悲劇》の過去が明らかになった。
ニーカとフィーネが街の古い住人から聞き出した情報。リゼットが市の記録保管所から掘り出した文献。セレスティーヌが歌いながら集めた断片的な噂。
全てを繋ぎ合わせると——一つの物語が浮かび上がった。
名前は、エレナ・ラクリモーサ。
十五年前、ラメント市で最も才能ある劇作家だった女性。彼女の悲劇は街中で愛され、劇場は常に満員だった。
彼女には家族がいた。夫と、幼い娘。
ある日——劇場で火災が起きた。公演中の火災。エレナの夫と娘は、観客席にいた。
火災で——劇場は崩壊。夫と娘を含む三十七名が死亡した。
自分の書いた悲劇の上演中に、自分の家族が死んだ。
エレナは生き残った。だが——〝壊れた〟。
固有スキル《悲嘆の舞台》は、火災の後に覚醒したとされる。彼女の悲しみがあまりにも深く、スキルとして発現してしまった。周囲の人間に絶望を伝播させる——制御できない力として。
《黒幕連》は、壊れたエレナを拾った。彼女の制御不能な〝絶望〟を、暗殺の道具として利用した。
「…………」
俺は手帳を閉じた。
また、か。
《即興劇》。ニーカ。ルナ。——そしてエレナ。
《黒幕連》は、壊れた人間を拾って、暗殺の道具にする。物語を打ち切られた者を、打ち切る側に変える。
——許せないな。
芸術家としても。人間としても。
「レヴィアン様。エレナの〝悲劇〟は——本物の悲劇です。彼女は被害者です」
ニーカが静かに言った。
「分かっている」
「では……どうしますか。殺しますか」
「殺さない」
即答した。
「こいつの物語は〝打ち切り〟じゃない。中断だ。途中で壊れて、止まっている。——それを、もう一度動かす」
「……はい。レヴィアン様なら、そう言うと思いました」
「言うだけじゃない。やるぞ。——ただし、前回の二の舞はごめんだ。今回は慎重にいく」
全員が頷いた。
◇◇◇
計画は——今までで最もシンプルなものになった。
一、セレスティーヌが《心奏曲》で全員の精神防壁を維持しながら、嘆きの塔に接近する。
二、ニーカとフィーネが先行して塔の周辺を偵察。罠や刺客の有無を確認する。
三、リゼットが湖畔の街側で待機。万が一《黒幕連》の増援が来た場合に備える。同時に、街の人々への対処も担当する。
四、俺が、エレナと話す。
「レヴィアン様。〝話す〟だけですか」
「ああ。今回は——それしか、できない」
「…………」
「《悲嘆の舞台》は感情のスキルだ。力で制圧しても意味がない。こいつの悲しみを力で抑え込んでも、根本は変わらない。——必要なのは、こいつの〝物語〟を読み解いて、続きを書く手伝いをすることだ」
「……前回と、同じですか。対話で」
ニーカの声に、わずかな不安が混じっていた。前回の対話は——成功したと思った直後に、最悪の結末を招いた。
「同じじゃない。前回は〝一人で話した〟。今回は——お前が隣にいる」
「…………はい。わたしが、隣にいます」
「それと——今回は、話した後の安全を確保してから動く。《黒幕連》の残存幹部が刺客を送ってくる可能性がある。リゼットには街側の監視を任せ、ニーカが塔の周囲を警戒する。——前回の失敗は、二度と繰り返さない」
全員の目が、変わった。
「「「「はい」」」」
力強い声だった。
◇◇◇
夜明け前。湖。
小舟に乗って、嘆きの塔に向かった。
舟に乗っているのは俺、ニーカ、セレスティーヌ、フィーネの四人。リゼットは湖畔で待機中。
セレスティーヌが歌い続けている。声は小さいが、《心奏曲》の光が俺たちを包んでいる。防壁が——なければ、この湖の上で俺は発狂しているだろう。
塔に近づくほど、〝絶望〟の圧が増す。
マルチェロの顔が浮かぶ。あの笑顔が。最後の笑顔が。
——違う。これはスキルだ。俺の後悔を増幅させている。
「レヴィアン様、大丈夫ですか」
ニーカが俺の手を握った。
「……ああ。大丈夫だ」
嘆きの塔の入口に着いた。
扉は開いていた。むしろ——扉がなかった。壊れたまま放置されている。
中に入る。螺旋階段を登る。
紫の霧が濃くなっていく。セレスティーヌの歌声が、霧を押し返すように響いている。
塔の頂上。
円形の部屋。かつて灯台の灯りがあった場所。今は——紫の光が渦巻いている。
その中心に、一人の女性が座っていた。
長い黒髪。痩せた体。白い服。——目は開いているが、何も見ていない。虚ろだ。
壁一面に——原稿用紙が貼り付けられていた。全て、戯曲の原稿だ。書きかけで放棄されたもの。何百枚も。何千枚も。
途中で止まった物語が、壁を埋め尽くしていた。
「……エレナ・ラクリモーサ」
俺が名前を呼ぶと、女性が——わずかに反応した。虚ろな目が、俺の方を向いた。
「……だれ?」
声が、枯れていた。何年も声を出していないのだろう。
「レヴィアン・グラースだ。《終幕庁》の《執行者》。——いや、そんなことはどうでもいい」
「…………」
「俺は、劇作家に会いに来た」
エレナの目が——ほんの一瞬だけ、焦点を結んだ。
「劇作家……わたしは、もう……」
「書けなくなったのは知っている。壁の原稿が全て書きかけなのも知っている。——家族を失った後、一本も書き上げられなくなったんだろう」
紫の霧が、揺れた。エレナの感情が動いている。
「……やめて。思い出させないで」
「思い出させるつもりはない。俺が聞きたいのは一つだけだ。——最後に書いていた物語は、どんな話だった」
「…………え?」
「火事の日。お前は新作の悲劇を上演していた。その物語は——どんな結末を迎えるはずだった」
エレナの目が、大きく開いた。
「…………」
「壁の原稿を見た。全部途中で止まっているが——一番古い原稿だけ、紙が違う。あれが火事の日の戯曲だな。最終幕の手前で止まっている。……結末が、書かれていない」
「…………あの、話は」
「教えてくれ。どんな結末を書くつもりだったんだ。——劇作家として」
紫の霧が、激しく揺れた。
セレスティーヌの歌が、必死に防壁を維持している。
エレナの口が震えた。
「……あの物語は……ある女が、全てを失う話。家族も、家も、何もかも。……でも最後に——最後に、彼女は」
「彼女は?」
「——書くの。物語を。全てを失っても、物語だけは書ける。それだけが、彼女に残されたもの。……だから——書いて、書いて、書き続けて。そうやって、生きていく」
エレナの頬を、涙が伝った。
「……でも、わたしは書けなかった。あの日から——一本も、書き上げられなかった。始まりは書ける。途中まではいける。でも……結末が書けない。物語を終わらせるのが——怖いの。終わらせたら、本当に終わってしまう気がして——」
「…………」
「だから——止まったまま。全部、途中で。わたしの物語も。この街の人たちも。全部——」
紫の霧が——急速に薄れていった。
エレナが、自分の悲しみの正体に——たった今、気づいた。
結末を書くのが怖い。終わらせるのが怖い。だから全てを「悲劇の途中」で止めていた。自分も。周囲の人間も。街全体を。
「エレナ」
「…………」
「お前は——結末を書ける人間だ」
「……書け、ない……」
「書ける。お前がさっき話した結末——〝全てを失っても物語を書き続ける女〟。その結末を知っている人間は、この世にお前しかいない。——その物語を完成させられるのは、お前だけだ」
「…………」
「俺は演出家であって、劇作家じゃない。脚本は書くが、それは暗殺の台本だ。本物の物語を書くことは、俺にはできない。——だから、お前に書いてほしい」
エレナが、壁の原稿を見た。何百枚もの、途中で止まった物語。
「……こわい」
「怖くていい。怖いまま書け。——結末は、書いてみないと分からない。俺だって毎回そうだ。脚本通りにいったことなんて、一度もない」
……最後の一言は、完全に自虐だ。脚本通り率15%の男が何を偉そうにって、自分でも思う。
なのに……なんだかエレナは、かっと目を見開いていた。
「……あなたも……結末が、分からないの?」
「ああ。毎回分からない。書いた通りにいったことがない。即興と偶然とスタッフの独断で、どうにか形になっているだけだ。実に……情けない話だが」
「情けなくなんか——」
エレナの声に、初めて熱が混じった。
「情けなくなんか、ない。結末が分からないのに書き続けるのは——一番、勇気がいることだから」
…………。
あれ。なんか逆に励まされた。
後ろでニーカが「……あえて自分の弱さを晒すことで、相手の心を開かせた。レヴィアン様の対人技術は、もはや芸術の域に……」とぶつぶつ言っている。
違うぞニーカ。本当にただの自虐だ。ただ情けない本音を漏らしただけだ。
だが——結果的に、エレナの心が動いた。
偶然だ。偶然だが——悪くない偶然だ。
「あの……レヴィアン様」
ニーカが隣で囁いた。
「ご覧下さい。紫の霧が——消えていきます」
本当だった。塔の頂上を満たしていた紫の光が、潮が引くように薄れていく。エレナの悲嘆が——溶けている。
セレスティーヌの歌が変わった。防壁の歌から——もっと穏やかな旋律に。
朝の光が、窓から差し込んだ。
灯台の頂上に、十年ぶりの朝日が入ってきた。
「…………あ」
エレナが、光に目を細めた。
「……明るい」
「ああ。朝だ」
フィーネが、塔の窓際に立っていた。《陽だまりの残像》を、窓の外に一つだけ浮かべていた。朝日と残像の金色の光が、混ざり合っている。
「お師匠様。……照明、つけておきました」
「……ああ。いい照明だ」
エレナが、壁の一番古い原稿を——手に取った。
火事の日の戯曲。最終幕の手前で止まったままの物語。
「…………書いて、みる」
「ああ」
「書いてみる。結末を。……怖いけど」
「怖くていい」
エレナの手が震えていた。だが——ペンを、握った。
エレナと離れた後、ニーカはじっと俺をみつめていた。
なんだろう……怖いんだけど、何か言ってくれないかな。
そう思っていると、ちょうどニーカが俺の耳元で囁いた。
「レヴィアン様。……先ほどの、対話は」
「む……どうした?」
「あれは——あれは、本当に、完璧でした」
「えっ? あれって……何のことだ?」
「《悲嘆の舞台》は感情に起因するスキルです。悲しみの感情がスキルを駆動させている。——それを解除するには、悲しみの根源に触れなければならない」
「それはまあ……俺も、分かってはいたが——」
「レヴィアン様は、暗殺者としてではなく〝劇作家として〟エレナに話しかけました。〝結末はどうなるはずだったのか〟と。あれは——暗殺者の質問ではなく、同じ物語の作り手としての質問です」
「いや、それは単に気になっただけでだな——」
「だからこそ、エレナの防壁が崩れたんです。暗殺者が来たなら身構える。《終幕庁》の《執行者》が来たなら、戦うか逃げるかを選ぶ。でも——〝物語の結末を聞きたい〟と言われたら、劇作家は答えずにはいられない」
「…………」
「レヴィアン様は、エレナの〝暗殺者〟の面ではなく〝劇作家〟の面に話しかけた。それによって、十年間の悲嘆で凍りついた彼女の〝劇作家としての心〟が動き出し、スキルの駆動源である悲しみが——溶けた。あれは偶然ではなく、感情起因スキルに対する最高度の対処法です。……レヴィアン様。あなたは——」
「ニーカ」
「はい」
「……ただ気になっただけだ。劇作家が書きかけで止めた物語の結末。それが知りたかっただけだ。芸術家としての——ただの好奇心だ」
本心だ。本当にただの好奇心だった。壁に貼られた何百枚もの書きかけ原稿を見て、「こいつの最後の物語はどう終わるはずだったんだ」と思っただけだ。戦術でも、ましてや心理戦なんかじゃない。
だが——
結果だけ見ると、確かにニーカの言う通りに見える。「暗殺者」ではなく「劇作家」として接触したことで、エレナの心の核に触れ、スキルを解体した。
……もしかして俺、天才なのでは?
いやいやいや……だから、どうしてこうなるんだ?
でも——ここで否定したら、ニーカの目が曇るだろう。この、キラっキラなお目目が。
「……最も優れた対話とは、相手が〝聞かれたかったこと〟を聞くことだ」
「……! レヴィアン様……やはり、全ては——!」
「ふっ」
不敵に微笑んだ。久しぶりだ、この顔。前回の作品では一度もできなかったから。
……ちなみに「相手が聞かれたかったことを聞く」なんて技術は持っていない。たまたまだ。本当にたまたまだ。
でも——格好いいことを言った後の、ニーカの顔を見るのは、悪くない。
芸術的感動だ。たぶん。




