悲劇を知る者だけが、悲劇を終わらせるー[1]
芸術家は立ち直りが早い。
——と、以前の俺なら言っていただろう。だが今は、正直に言う。
立ち直れていない。
マルチェロの笑顔がまだ頭にこびりついている。仲間を守って、笑いながら死んだ男の顔。俺がもっと慎重に動いていれば、あいつは生きていた。明日には出頭して、新しい物語を始められたはずだった。
手帳の最後のページを開く。
『次こそ、意味のある作品を書く』
自分で書いた言葉だ、三日前の俺が。
……書くのは簡単だ。実行するのが難しい。うーむ。
「レヴィアン様。朝食を持ってきました」
ニーカが部屋の扉を叩いた。
「……ああ。入れ」
部屋に入ってきたニーカは、トレイにパンとスープと——リンゴを載せていた。
「リンゴ?」
「フィーネが〝お師匠様にはリンゴがいい〟と。理由は分かりませんが」
「……あの子の照明的な判断は、たまに意味が分からないな」
だが、リンゴをかじった。甘酸っぱい……悪くない。
「レヴィアン様」
「何だ?」
「……昨日、《終幕庁》から新しい指令書が届いています。封を切らずにお持ちしましたが……今、開きますか」
「…………」
正直、今は次の依頼のことなど考えたくない。
だが——立ち止まっている場合でもない。《黒幕連》はクラーレ市で刺客を送ってきた。つまり、こちらが動かなくても、向こうは動く。立ち止まれば——今度は俺の劇団が狙われる。
「……開けてくれ」
ニーカが封蝋を切った。黒い封蝋。《一番手》専用の特別指令書。
中身を読む。
——読み終えて、手が止まった。
標的:《悲劇》。
所属:《黒幕連》幹部。
罪状:要人暗殺を多数請負。特に、対象の周囲の人間を〝巻き添え〟にすることで知られ、暗殺一件あたりの死者数が最も多い〝演目〟。
固有スキル:《悲嘆の舞台》——対象の周囲に〝絶望〟を伝播させる。効果範囲内の人間は、過去の悲しみ・後悔・喪失感が増幅され、戦意を喪失し、最悪の場合自ら命を絶つ。
推定危険度:S。
推奨遂行期限:設定なし。
備考:《悲劇》は先日のクラーレ市の件で《喜劇》を〝処分〟した張本人と推定される。刺客八名の派遣を指示したのは、この人物である可能性が高い。
——手帳を握る手に、力が入った。
こいつが。
こいつが、マルチェロを殺させた。
「レヴィアン様……?」
ニーカが俺の顔を見て、息を呑んだ。
「……大丈夫だ。大丈夫だが——」
手帳を開いた。ペンを取った。
震える字で、書いた。
『第八作。対象:《悲劇》。テーマ:——報い。ジャンル:……分からない。分からないが、これだけは決めた。今回は——絶対に誰も死なせない』
ペンを置いた。
「ニーカ。全員を集めてくれ」
「……はい」
◇◇◇
全員が揃った。
俺は指令書の内容を読み上げた。そして——マルチェロを殺した刺客の派遣元が、今回の標的であることも伝えた。
空気が変わった。
フィーネの目から、涙が消えていた。代わりに——怒りが灯っていた。
リゼットが腕を組み直した。表情が引き締まっている。
セレスティーヌが竪琴を握りしめた。指が白くなるほど。
ニーカは——いつもの無表情だが、拳が震えていた。
「お師匠様」
フィーネが口を開いた。
「マルチェロさんを——殺させた人、ですよね」
「ああ」
「……わたし、絶対に許さないです」
この子がこんな声を出すのを、初めて聞いた。
「フィーネ。気持ちは分かる。だが——」
「分かってます。怒りに任せて動いちゃダメなのは、分かってます。でも——」
「今回も、俺の脚本に従ってくれるか」
「…………はい。お師匠様の脚本なら、従います」
「ありがとう。——ただし」
俺は全員を見渡した。
「今回の脚本は、前回の反省を踏まえて作る。俺一人で全部決めるんじゃなく——お前たちの意見も聞きたい」
全員が目を丸くした。
「お、お師匠様が、意見を聞く……!?」
「何だその反応は? 俺は、演出家だぞ。演出家は独裁者じゃない。スタッフの意見を聞くのは当然のことだ」
「い、今まで一回も聞いてくれたことなかったですけど……!」
フィーネの指摘がぐさりと刺さった。……確かに、今まで全部俺が勝手に決めていた。反省点だ。
「レヴィアン様、わたしから一つ」
リゼットが手を挙げた。
「前回の失敗は〝監視されていた〟ことに気づかなかったこと。今回は、わたしたちが監視する側に回りましょう」
「監視する側に?」
「《悲劇》のスキルは〝絶望の伝播〟。近づけば心を折られる。なら——近づかずに追い込む。わたしが変装して標的の周囲に入り込み、内側から情報を流す。ニーカが外から監視する。二重の目で、相手の動きを完全に把握した上で動く」
「……いい提案だ。衣装係としてだけでなく、参謀としても一流だな」
「褒めても何も出ませんけど。……えっと、ありがとう、ございます」
リゼットが照れた。珍しい。
「わたしからも!」
フィーネが手を挙げた。
「前回、残像で照明はできたけど、偵察には使えませんでした。でもわたし、修行で〝嘘の看破〟ができるようになってます! 今回は照明だけじゃなく、人の裏を読む担当もやりたいです!」
「フィーネ……お前、成長したな」
「お師匠様の修行のおかげです!」
照明の修行だったはずが、いつの間にか対人情報分析の修行になっていた。……結果オーライだ。
「あの……わたしからも、いいですか」
セレスティーヌが控えめに手を挙げた。
「相手のスキルは〝絶望の伝播〟ですよね。過去の悲しみが増幅される。……それって、わたしの《心奏曲》で打ち消せるかもしれません」
「打ち消す?」
「はい。わたしの歌は感情に作用します。〝絶望〟に染まった人の心に、別の感情を——希望とか、温かさとか——上書きできるかもしれない。……やったことはないですけど」
「感情操作スキル同士のぶつかり合い、か。——面白い」
「で、でも……失敗したら……」
「失敗は俺が引き受ける。お前は自分の歌を信じろ。——音響係」
「……はい!」
セレスティーヌの目に、決意が宿った。
「レヴィアン様」
ニーカが最後に口を開いた。
「わたしからは一つだけ。——今回は、一人で行動しないでください」
「…………」
「前回、丘の上でマルチェロと一対一で会った時。レヴィアン様は一人でした。わたしは百メートル離れた位置にいた。——あの距離が、命取りでした」
「……ああ」
「今回は、常にわたしが隣にいます。二歩後ろではなく——隣に」
ニーカの銀灰色の瞳が、真っ直ぐに俺を見ていた。
「……分かった。今回は——お前を隣に置く」
「ありがとうございます」
ニーカが微かに頬を緩めた。笑顔とまでは言えないが——安堵の表情。
……芸術的感動、ということにしておこう。たぶん違うが。




