笑われる芸術家と、笑えない道化ー[5]
その夜。
俺は宿で手帳を広げていた。今日の出来事を整理し、明日のマルチェロの自首の段取りを考えていた。
脚本通り率……今回はまあ、七割くらい、過去最高だ。商会長の事前排除、マルチェロとの対話、自主出頭の説得——全て、ほぼ計画通りに進んだ。
……珍しいな。いつもなら何かしら予想外のことが起きるのに。
——と、思った瞬間。
通信魔具が鳴った。ニーカからだ。
「レヴィアン様! 《笑いの泉座》の宿営地に——刺客です」
「何……!?」
「《黒幕連》の構成員、少なくとも八名。一座の宿営地を包囲しています。——マルチェロだけでなく、一座全員が標的です!」
俺の顔から、さあっと血の気が引いたのが分かった。
《黒幕連》。残存幹部が動いた。マルチェロが俺と接触したことを——見られていた。
裏切り者と、判断したのだ。マルチェロだけではない。一座全員を——口封じのために。
俺の判断ミスだ。
丘の上でマルチェロと一対一で会った。その場面を、《黒幕連》の監視が捉えていた可能性を——俺は考慮していなかった。
「ニーカ! 一座の場所は——」
「街の東外れ、川沿いの野営地です。わたしは今向かっています。ですが、八名は——」
「フィーネとリゼットとセレスティーヌにも連絡しろ! 全員で向かう!」
俺はコートを掴んで宿を飛び出した。
走りながら、頭の中で計算する。宿から野営地まで、走って十五分。ニーカの方が近いが、八人相手は——たとえニーカでも厳しい。
間に合うか。
間に合ってくれ。
◇◇◇
間に合わなかった。
野営地に駆けつけた時——全てが終わっていた。
テントが倒れ、荷車がひっくり返り、野営地は滅茶苦茶だ。
だが——一座の芸人たちは、全員生きていた。
怯えた顔で、互いにしがみつきながら——だが、生きている。
刺客たちは——八人全員が地面に倒れていた。泡を吹き、痙攣し、意識を失っている。死んではいないが……戦闘不能だ。
いったい……何が起きた?
ニーカが、野営地の中央で立ち尽くしていた。
「ニーカ。何が——」
「マルチェロが……やりました」
ニーカは震えた声のまま、続けた。
「刺客が来た時、マルチェロは——一座の仲間たちを自分の後ろに庇って、刺客全員に《万人笑殺》を発動しました、全力で。……自分の命を燃料にして」
「…………」
「スキルの過剰発動です。八人に同時に掛けるために、自分の生命力を全て注ぎ込んだ。刺客たちは全員、笑いの発作で意識を失いました。……でも、マルチェロは」
ニーカが、テントの影を指さした。
マルチェロ・ブッフォーネが——仰向けに横たわっていた。
目を閉じている。呼吸は——ない。
そして、その顔には——笑みが浮かんでいた。
武器としての笑いではない。
芸人としての笑いでもない。
義賊としての笑いでもない。
仲間を守れた男の——安堵の、笑み。
「マルチェロ……」
俺は膝をついた。
間に合わなかった。
俺が——丘の上でこいつと話したから。俺が接触したから、《黒幕連》がこいつを「裏切り者」と判断した。俺がもっと慎重に動いていれば。監視の可能性を考慮していれば。
こいつは……死ななくてよかった。
明日、一座のみんなに全部話して、出頭するはずだった。笑いを止めて、泣いて、人間に戻って——新しい物語を始めるはずだった。
なのに。
「レヴィアン様……」
ニーカが近づいてきた。
「これは……レヴィアン様の責任では——」
「いいや、俺の失敗だ」
「…………」
「監視の可能性を考慮しなかった。接触のタイミングを誤った。こいつを守る配置を組まなかった。——全部、俺の脚本の欠陥だ」
ニーカが口を開きかけた。いつもなら「レヴィアン様はこうなることも計算に——」と言うところだ。
だが——
言わなかった。俺の顔を見て、何も言わなかった。
フィーネが駆けつけてきた。リゼットとセレスティーヌも。
「お師匠様……! マルチェロさんが……」
フィーネが、マルチェロの遺体を見て、泣いた。
「あんなに面白い人だったのに……あんなに、みんなを笑わせてたのに……」
リゼットは拳を握りしめて、何も言わなかった。一座に潜入して、マルチェロの人柄を知っていたから。
セレスティーヌが、竪琴を手にした。
「レヴィアン様……歌っても、いいですか」
「…………ああ」
セレスティーヌが歌い始めた。
綺麗な歌だった。《心奏曲》は使っていない。ただの、弔いの歌だ。
旅芸人の男が、人を笑わせ続けた話。
笑いの裏で泣いていた話。
最後の最後で、笑いを武器ではなく盾にして、仲間を守った話。
一座の芸人たちが、泣きながら聴いていた。
俺は手帳を開いた。
ペンを持った。
——書けなかった。
いつもなら「最終幕——予定変更」とか「想定を超える結末」とか、芸術家ぶったことを書くのだが。
今回は、何も書けなかった。
しばらくして——一行だけ、書いた。
『笑いを止めろと言った俺が、間違っていた。この男の最後の笑いは——俺が今まで見た中で、最も美しい芸術だった』
ペンを置いた。
手帳を閉じた。
不敵な微笑みは——今日は、できなかった。
◇◇◇
翌日。
一座の芸人たちは、全てを知った。マルチェロが暗殺者だったこと。《黒幕連》のこと。そして——刺客から自分たちを守るために、命を懸けたこと。
一座の最年長の男が、俺に言った。
「マルチェロは……悪い人だったのかもしれない。でも、俺たちにとっては——座長だった。一番面白くて、一番優しくて、一番——笑顔が好きだった人だ」
「……ああ」
「あんたを恨んだりはしない。マルチェロが最後にあんたと話して泣いたって——ニーカさんから聞いた。あいつが泣けたのは、たぶん何十年ぶりだよ。……ありがとう、あいつを人間に戻してくれて」
「…………」
返す言葉がなかった。
◇◇◇
《終幕庁》からの評価書。
『レヴィアン・グラース。対象:《喜劇》。対象は《黒幕連》刺客との戦闘で死亡。手法は間接的かつ結果的なものであり、遂行完了と認定する。付随成果——商会長バルドー・ゲッツァの不正を排除。《黒幕連》構成員八名を拘束。《喜劇》より内部情報を間接的に入手(一座経由)。残存〝演目〟:四名。——なお暗殺成功率の記録は継続される』
暗殺成功率100%——継続。
……笑えない冗談だ。
こいつの死は、俺の「成功」にカウントされる。俺が接触したことで《黒幕連》が動き、結果として標的が死んだ。因果関係で言えば、俺の行動が引き金だ。
だが——これは俺が望んだ結末ではない。
「レヴィアン様」
ニーカが、いつもの二歩後ろに立っていた。
「……何だ」
「今回の件は……わたしも、防げたかもしれません。監視の可能性に気づくべきでした。レヴィアン様だけの失敗ではありません」
「…………」
「それと……一つだけ。マルチェロの最後の笑顔は——わたしにも、見えました。あれは……幸せな顔でした」
「……ああ、そうだな」
「レヴィアン様の言葉が、あの人を救ったのは事実です。結果が——追いつかなかっただけで」
「……ニーカ」
「はい」
「今回は——〝流石です〟は、言わないでくれ」
「…………はい」
ニーカが、黙って頷いた。
◇◇◇
夜、拠点にて。
全員揃っているが、いつもの空気ではない。
フィーネは膝を抱えている。リゼットは腕を組んで壁にもたれている。セレスティーヌは竪琴を抱えて俯いている。ニーカは——いつもの位置にいるが、表情が硬い。
俺は手帳を開いた。新しいページ。
いつもなら——ここで次の作品の構想を書き始める。『第八作——テーマ:○○。ジャンル:○○。演出方針——』と。
だが今は、別のことを書いた。
『反省。第七作「道化の涙」。マルチェロ・ブッフォーネの死は、俺の判断ミスに起因する。以下、二度と繰り返さないための教訓を記す。一、標的との接触時には、第三者による監視の可能性を常に想定すること。二、標的を〝説得〟した後、その安全を確保する体制を組むこと。三、——俺の芸術は、人を救うためにある。だが、救い損なうこともある。その時に〝芸術家ぶった言い訳〟で誤魔化さないこと。手帳に格好いいことを書いて終わりにしないこと。ちゃんと悔やむこと。ちゃんと覚えていること。——マルチェロ・ブッフォーネの笑顔を、忘れるな。俺』
書き終えて、ペンを置いた。
「……お師匠様」
フィーネが、小さな声で言った。
「お師匠様は……次も、やるんですよね」
「…………」
「次の作品も……やるんですよね。やめたり、しないですよね」
フィーネの目が、不安そうだった。
……ああ。そうだ。この子たちは——俺の顔を見ている。演出家が折れたら、劇団は終わりだ。
……格好つけろ。今こそ、格好つけろ。本当に辛い時こそ——芸術家でいろ。
「当たり前だ」
俺はコートを翻しながら立ち上がった。
「次の作品に取り掛かるぞ。——まだ、最高傑作は生まれていない」
いつもの台詞だ。いつもの声だ。
だが——今回は、少しだけ声が掠れていたかもしれない。
「……はいっ!」
フィーネが立ち上がった。目が赤いが——笑顔だった。
「やります。衣装係、準備できてます!」
同じように、リゼットも。
「わたしも……歌います!」
セレスティーヌが竪琴を握り直した。
「レヴィアン様。お供します」
ニーカが一歩前に出た。いつもの二歩後ろではなく。
「なら行くぞ、お前たち」
「「「「——はい」」」」
四人の声が揃った。
俺は五人目の声を——出さなかった。
代わりに、手帳の最後に一行だけ書いた。
『残り四つの演目。悲劇。叙事詩。終幕劇。——そして、《喜劇》の分まで。次こそ、意味のある作品を書く』
書けるかどうかは、分からない。
でも——書くと決めた。
芸術家は、決めたことをやる生き物だ。
たぶん。
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