第五節.減速
「変速は制御が難しいから、加速じゃなくて減速からやっていこうか。減速は簡単だから、術式の制御を身に付けるにはいちばん丁度いいと思う。」
「わかりました、でも自分の速度を遅くしても意味が無い気がします。」
腕を組みながらうんうんと頷く御門さん。まるで、俺の質問を全て想定しているかのような表情だった。
「減速は、言ってしまえば止める技術なんだ。速くするのは簡単。でもね、遅くするには“止める力”が必要になる。魔力の流れを細かく制御できないと出来ないんだよ。」
「……なるほど。」
「だからまずは減速。ここが出来れば、加速もちゃんと扱えるようになる。」
「わかりました、それでどうしたら減速は発動できるんですか?さっきは魔力流しただけで加速しちゃいましたけど。」
「変速っていうのはね、流す魔力の速さで決まるんだ。さっき楓がやったのは、魔力を一気に流しすぎた状態。だから加速した。減速はその逆。魔力を押し出すんじゃなくて、内側に留めるイメージ。流れを限りなく遅く、重くしていく感じかな。自転車とか、車とかのブレーキを踏むイメージ。要するに、抵抗を作るんだよ。」
「ブレーキを踏むイメージ……」
意識を内側へと向ける。自身の中で確固たるイメージが出来てからは、魔力強化は回数を重ねる毎にスムーズになっていく。
全身に満たされた熱を、背中の術印へと移していく。ゆっくりと、ゆっくりと、流れを細くし速度を抑えていく。
だが、背中に集めた熱が微かに揺らぐ。揺らいだ熱は制御を失い、再び加速していく。
「……っ!?」
視界はぶれ、地面との繋がりは刻々と薄れていく。咄嗟に魔力の流れを断ち切り、御門さんの方を向いた。
「楓、今のは抑えつけすぎだ。無理に抑えつけたら魔力の流れはどこかで弾ける。流れにブレーキをかけるイメージだよ。」
「わかりました、もう一度やってみます。」
今度は抑え込まない。流れにそっとブレーキをかける。優しく包むようにゆっくりと。魔力の流れは先程とは全く違う。暴れることなく、ゆっくりと一定の速度で背中に刻まれた術印を循環している。
「そう、その調子。そのまま、魔力を外側に向けることできる?熱が広がっていくイメージで。」
自身の身体を中心として、循環した魔力の指向性を内側から外側へと変える。
空気の流れが変わった。周囲の風の音、風が頬をなぞる感触の全て遅延し、空間は自身の魔力で満たされるのを感じる。
「楓、目を開けて。」
御門さんの言葉を聞き、目を開ける。すると、自身を中心として円形の光陣が展開されていた。
その時、御門さんは思いっきり石を投げつける。
「……!」
思わず両手で顔を塞ぐ。だが、投げられた石は俺に到達することがなかった。塞いだ手を退け前を見ると光陣の中に石が浮いていた。
「……止まって、る。」
「いや、止まってるんじゃないよ。遅くなってるだけ。」
確かに、止まってはいない。ゆっくりではあるが微かに前へと進んでいる。
「それが減速だよ。そして、楓の周りにある光陣は結界術と呼ばれる技術。今楓がやっているのは応用なんだけどね。でも、楓は良くも悪くも先入観がないからね。型に縛られないぶん、こういう応用に辿り着くのが早い。」
「それと、結界内にいる全ての人に術式が作用するから減速を使う時は気をつけてね。」
先入観。確かに魔術は今まで全く触れたことも関わったことがなかったから、漠然と魔術なんて無いものだと勝手に思っていた。
しかし、目の前で息を吸うように魔術を行使する手本がいる。それだけじゃない、この身をもって体験することで、自分も出来るかもという実感が日に日に強くなっていった。
「減速は、もうこれで扱えるんですか?」
「そうだね、結界も覚えられたから十分だよ。あとは私が見てるから、何度もさっきの手順を繰り返して体で覚えていこうか。」
「はい!」
その後は、減速を何度も繰り返した。
成功と失敗を何度も経験し日が落ちる頃には成功する回数の方が多くなっていった。術式を用いて制御の感覚を覚えたことで魔力強化も自然と体に定着していく。
「楓、そろそろ終わろうか。」
腕時計の針は午後五時を指している。昼飯も食わずにずっと熱中していた。息は上がっていないのに、身体の奥が熱い。全身水を被ったかのように汗をかいていた。
「……わかりました。」
額の汗を拭い、御門さんの元へと歩み出す。その時、自身の腹部から震えるような低音が鳴り出した。
「お昼ご飯食べてなかったもんね、ご飯食べに行こうか。今日は奢ってあげるよ、一旦家帰ってシャワー浴びておいで。そしたら、またここに戻ってきて。」
「ありがとうございます!」
◇
坂の上の西区からバスに揺られて約十五分。御門さんと共に霞坂市東区へと到着する。東区の飲食街通りに降り立つ。夜の飲食街は人で賑わい、どこか食欲をそそるような香りで満たれている。
夜の喧騒を抜け、御門さんが事前に調べていてくれた定食屋へと足を運んだ。
「何名様ですかー?」
御門さんは口では言わず、右手でピースサインを作る。店員も手馴れた動きで座席へと案内をした。
促されるまま席に着きメニューを受け取る。席は窓の近くで飲食街を二階から眺めることのできる場所だった。
「楓、何食べる?」
「えっと、それじゃあこの唐揚げ定食で。」
「おっけー、じゃあ店員さん呼ぶね。」
御門さんは軽く指先で呼び出しボタンを押す。ほどなくして、店員は注文を聞きにやってきた。
「唐揚げ定食一つと、麻婆豆腐定食を一つお願いします。」
「かしこまりました。」
店員は愛想良く頭を下げ、厨房へと去っていく。
「御門さん、今日はありがとうございます。ずっと練習に付きっきりで。しかも、ご飯まで頂いちゃって。」
「全然大丈夫だよ、気にしないで。師匠としてこのくらいするのは当然だよ。」
そう言い、御門さんはどこか楽しそうに笑う。
その後は、到着した料理をそれぞれ口にした。時折お互いに他愛ない会話をして、定食屋を後にする。店を出たのは午後八時丁度。時間が少々中途半端な為、飲食街で軽く食べ歩きをした。
俺は屋台で焼き串を、御門さんはソフトクリームを購入し、歩きながら頬張る。
夜の飲食街は、相変わらず賑やかだった。
夜も更け、飲食街から離れ西区へと戻る。戻る際は来た時と違い、徒歩で戻る事にした。東区から西区の住宅街は徒歩で二十五分、食事をした後の運動としては丁度いい距離だ。
「やっぱ、夜は冷えますね。」
「そうだね、しかもここは海にも近いし尚更だよ。」
冷えた風が二人の間を静かに抜けていく。風は、微かに鉄の香りがした。何気ない路地に広がる異空間、僅かな歪みが夜風とともに日常を侵食していく。
歪みの中心には一つの現実が広がっていた。
「え……」
「まじか……また一般人が!」
今までの軽く、しかしどこか冷静で掴みどころの無い御門さんとはまるで違う。その目には、怒りと焦りが宿っていた。血溜まりの奥、確かに動く二つの影。血を啜り、死肉を食らう獣。
――霊獣だ。
体が勝手に動いていた。
「楓!」
恐怖よりも焦燥が、怒りよりも不安が俺の体を支配していく。助けないといけないという感情を起点に自身の体の魔力を循環させていく。
「やめろっ!」
魔力流れと声に反応し霊獣は新たな獲物を視界に捉える。
あの時とは違う、今は俺にもこいつと戦える力がある。という錯覚。
瞬間、衝撃が俺の体を弾き飛ばす。
「楓、一人で突っ走らない!」
衝撃が脳を揺らす。痛みと流れる血。獣の爪が腕を切り裂いた。
「楓、今は治せない。あの霊獣は人を食った、今までのとは比べ物にならないくらい強いよ。減速、できる?」
「……はい、やれます!」
左手で、右腕の傷口を抑える。幸い傷は深くない。強く抑えることで流れる血は少なくなっていく。息を吐き、意識を内側へと向ける。再び魔力は全身を満たした。
「――来るよ。」
全身を満たした魔力を術印へ、自身の中で完結していた意識を外側へ転換する。術式より早く、光陣が展開された。
「術式展開、変速―減速!」
光陣に術式が付与され、減速の結界は完成する。それと同時に、霊獣は駆け出した。結界に触れ、その場に停滞する。
それを獣が自覚するよりも早く、御門さんの光矢が獣の身体を貫く。しかし、もう一体は結界を避け一直線に御門さんの元へと駆け出していく。結界内で倒れる獣もまだ死んでいない。
「楓、そいつは任せる。これ使って!弱点は光ってる心臓!」
御門さんはそう言い、短刀を投げ渡す。
結界に入ったそれは減速し、ゆっくりと俺の手に収まる。光を吸うように黒い刀身の短刀だった。
短刀を持つ手が僅かに震える。
――やるしかない。
立ち上がる霊獣に、短刀を構え狙いを定める。吐き出す息は白く、震えていた。
光っている心臓部、霊獣の右前足のすぐそこ。青白く発光している急所へと踏み込む。
「変速――減速。」
もう一度、術式を展開する。獣の振りあげられた爪は引き伸ばされたかのように遅くなる。術式を解き、強く一歩を踏み出す。刃の切っ先は硬い皮膚を突き破り、霊獣の心臓を貫いた。
霊獣は、苦しそうにのたうち回った後に体の末端から灰になって消えていった。
「御門さん、こっちは大丈夫です!」
「うん、楓こっちも大丈夫だ。」
「被害者は一人……ですかね、御門さん。」
路地裏の奥に横たわっている死体。それは、もう人の形を留めていなかった。胴体にかろうじて繋がっている頭と右手がソレが人間であったことを示している。死体の周囲には血が飛び散り、辺り一帯は鼻腔を突き刺す血の匂い。
直視することの出来ない悽惨な現場だった。
視界に焼き付いた光景が、頭から離れない。
潰れた肉片。裂けた骨。血の匂いが、肺の奥にまで入り込んでくる。
「……っ、」
喉の奥がひきつり、呼吸が浅くなる。
次の瞬間、込み上げてきたものを抑えきれなかった。
「うっ……ぼぇっ、あぁ……。」
その場に膝をつき、胃の中のものを吐き出す。吐き終えた後も、胃の奥が痙攣するように波打っていた。口を軽く拭い、麻痺する足で立ち上がる。
「御門さん、ごめんなさい。直視できない。」
「楓、あまり無理しないで。」
「――おい、御門。それはなんだ……」
冷たい声が聞こえ振り向いたが、誰もいない。
「上だ。」
住宅の屋根の上。黒いロングコートの様な物に身を包む青年が一人、佇んでいた。
「赤城、大変だ。霊獣に一般人がやられてしまった。」
「えっと、誰ですか。知り合い?」
「前話した、公安ってところに所属している魔術師だよ。」
「御門、横のヤツは何だ。」
俺の方を静かに、そして何かを探るかのように睨みつける。
「最近、この街に来た魔術師だ。訳あって、協力してもらってる。」
青年は、そうかと頷き屋根から俺の横へと飛び降りた。
「はじめまして、俺は赤城晃一。公安所属の特等執行官だ。」
「執行官……?って、なんですか御門さん。」
「お前、執行官を知らないのか……」
「赤城、こいつ随分前まで山奥で暮らしてたんだ。俗世を嫌う家系だったらしくて、まだこの世界に疎いんだよ。」
「今はそんなことはいい。被害者は、一人だけか。」
「そうだよ、ごめん。私たちがもっと早く駆けつけられたら、こんな事にはならなかった。」
「いや、もしもの事を話しても意味が無い。この後、時間あるか調査の話がしたいが時間あるか。そこのガキ、お前も聞け。今は圧倒的に戦力が足りない。」
「は、はい赤城さん……」
赤城さんは、少々苛ついた様な口調で吐き捨てた後死体の回収へと移った。俺と御門さんは、黙々と作業をする赤城さんを背に廃ビルへと続く長い道を進んだ。
◇
ついに、二人目だ。一般人に被害が出てしまったのは。幸い近くに御門達が居たからこれ以上の被害は出なかったのは良かった。しかし、依然として事態は深刻だ。
辺り一帯を浄化し、血に霊獣が引き寄せられないよう処理する。その後、遺体を格納魔導具に収め最後に現場を確認する。
いくらやっても、慣れない作業だ。執行官として公安に所属してから数々の遺体と向き合った。それでもこの行き場の無い怒りと無力感は拭えない。
御門と共に居たあの少年。どこかで、見覚えがあるような気がした。
浄化、遺体の回収を済ませ現場を後にする。廃ビルへの道のりは長い。
◇
赤城さんが廃ビルへと到着したのは俺と御門さんが廃ビルに到着してから約一時間後の出来事だった。御門さんに手を引かれ、廃ビルの二階。鍵がかかった部屋へと通される。
俺と御門さん、大きな机を挟んで反対側に赤城さんが座る。廃ビルなのに、何故か天井に吊るされたライトは光っていた。
「さて、まず何から話そうか。」
「ごめんなさい、まず執行官について知りたいです。俺、まだこの世界に疎くて……」
「わかった、まずそこから説明する。時間はまあまああるからな。」
少し、面倒くさそうに赤城さんは話し始めた。
「公安は、言ってしまえば魔術を秘匿する国家機関だ。日本に本部を置き、アメリカ、中国、オーストラリア、フランスの四カ国に支部が設置されている。
そして、この公安に所属している魔術師は執行官として国内外の魔術犯罪、そして今回のような霊獣の後始末にあたる。」
ここまでは、御門さんの説明である程度知っていた。
「そして、執行官にはそれぞれ階級が存在する。下から、初等、中等、高等、上等、特等、准特務、特務と計七つの階級だ。俺は上から三番目の階級で、特等だ。説明することは、これで十分か……?」
「……はい、ありがとうございます。」
階級が多すぎる。覚えられる気がしないが、漠然と赤城さんは高い階級にいることはわかった。
「それで、赤城くん。調査の結果って言ってたけど何か分かったの。」
「結論から言う。この件は……」
――人為的に発生させられている。
はじめまして、水月と申します。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
本作『アカシックテイル』は、全四部構成の物語となっています。
もともとは第三部のみの構想でしたが、世界観や設定が複雑になったため、
第一部・第二部を通して基礎となる部分を描く形にしました。
そのため、物語が大きく動き出すのはここからになります。
少しでも楽しんでいただけたなら、これからも見守っていただけると嬉しいです。
第三部の公開までは時間がかかってしまうと思いますが、
気長にお待ちいただければ幸いです。
個人的には、第三部が最も面白い内容になる予定です。
最後に、数ある作品の中から本作をここまで読んでいただき、
改めて感謝申し上げます。
今後は五話ごとに、このような後書きを挟んでいく予定です。
それでは、また第十話でお会いしましょう。




