第十八節.言語化できない感情
問題なく実務演習は終わった。
慎也たちは、授業を終えた後に帰ったが俺は外傷が酷すぎて少しだけ保健室のお世話になっている。
橘教諭曰く、『酷すぎて、すぐに全部は治せな胃から分けて治すね。とりあえず、次の治癒までしばらくベッドの上で休んでて!』と少し怒り気味だった。
今日が初の実務演習だった。これからは、週一くらいのペースで今日のような任務形式の授業を進めていくそうだ。
先が思いやられることばかりだけれど、頑張らなくてはいけない。もう、あの時みたいな悔しい思いはしたくない。
任務をクリアした班は、俺達の班を含めても三班。西園寺たちの七班と、湊さんという人たちの五班だ。クリアした時間も、俺たちの班は制限時間ギリギリだったのに対し七班は三十分、五班は五十二分という早さだ。
「……はぁ」
ため息をつき、寝返りをうつ。
白かったはずの視界が急に黒くな——
「え……」
黒い、スカート。顔を少し上げて、確認する。
「あ、楓くん。や、やほー……?」
雨が、立っていた。
小さく手を振りながら、俺を見下ろす形だ。後ろには、カーテンを開け壁に寄りかかっている橘教諭もいる。
せめて、声くらいかけてほしい。
「え、っと。どうしたの、雨?」
「どうしたもこうしたもない、結城ちゃんがアンタに会いたがっていたから入れたのよ」
「そんなんじゃ!いや、そんなことも……?」
顔を真っ赤にし、橘教諭を叩いている雨。それを意に返さない橘教諭。
「ご、ごめんね楓くん。その、私あまり治癒魔術を使ったことないから橘先生に教えてもらおうと思って」
雨は呼吸を整えながら、手をぱたぱたとさせ言葉を続ける。
「そしたら、いい実験体がいるよって言われて……ね?」
俺は、モルモットか何かか?
——言葉にするのはやめた。
「そうなんだ。橘教諭もいるし、全然いいよ」
「ほんと?ありがとっ!」
◇
雨と橘教諭が丸椅子に座っている俺を囲んでいる。上半身を脱いでいるため、なかなかに恥ずかしい。
それに、二人は専門用語しか話さないので話題に参加することもできずに固まったままだ。
「わかった?結城ちゃん」
「は、はい。がんばります!」
グッと両方の拳を握り、胸元でガッツポーズをする雨。
若干、胸が強調されるようにシャツにシワがつく。思わず目を逸らしてしまった。
「どうしたの?楓くん」
「……いや、なんでもない」
◇
約一時間。橘先生が楓の体を使い、雨に治癒魔術の扱い方をレクチャーし終えた頃には太陽は沈み夜の帳が降りていた。
「それじゃあ、二人とも気をつけて帰りなさいよ」
「さよならー」
「さようなら」
橘教諭の言葉を背景に、楓と雨は保健室を出る。
明るかった保健室とは裏腹に、廊下は点滅する懐中電灯により影ができていた。まるで、部活終わりの校舎のような不気味さを醸し出している。
「帰ろっか」
「うん」
楓の横を歩く雨。
二人の距離は、友人にしては少し遠い。
「その、今日はありがと」
「え、何が?」
脈絡なく唐突に、続く雨の言葉。
「今日、ずっと楓くんに助けられちゃった」
「俺だって、雨がいなきゃ戦えなかった。お互い様だよ」
当たり障りのない、楓の言葉。
何か言いたげな雨。
それに気づかず、歩き出す楓。
「ねえ、楓くん」
無機質な廊下に、熱の籠った声が反響した。
「どうかした?」
「少し怖いから、くっついてもいい?」
顔を逸らし、頬に触れる髪を指先で弄ぶ雨。
若干青みがかった楓の瞳だけを見つめながら。
「……うん、いいよ」
ゆっくりと、楓の腕に雨の腕が絡みつく。薄いワイシャツ越しに伝わる体温。女性の柔らかい感触。
「え……」
小さく漏れた楓の声。予想外の、雨の行動。
慣れない感覚に、楓は身を逸らそうとしても敵わない。
雨は、楓の腕をギュッと抱きしめるように体で包む。
同じ歩幅で、歩調で歩き出す。
永遠に続いているかのように長い廊下。
互いに目は合わない。
交わす言葉もない。
この世界に、二人だけになったかのような感覚。
楓の中に渦巻くのは、言語化できない感情。
夜は更け、月は満ちる。
煌めく星空の元、少し暖かい風に髪を揺らしながら歩き続ける。




