第九節.修練院の洗礼.前
この世界には、西暦以外にももう一つ魔術師たちが使用する魔歴と呼ばれ、三つの時代区分が存在する。そして、魔歴と西暦に五百年の差がある。
神歴
神が存在したとされるその時代は、三つの中で最古の時代でありそれに加えて神が実在し、神殺しによって終焉を迎えたという情報以外の一切が不明である。
魔人歴
神歴終了後、人々が魔術によって文明を築き上げた時代であり言うなれば、魔術全盛の時代だ。二千五百年前にニ国による世界樹をめぐる戦争が日本で勃発し、世界樹の伐採をもって魔人歴は終了した。
この戦争の遺恨は今でも残り続けており、世界樹の存在した地下洞窟は瘴気に満ちており、公安と連盟による厳戒態勢が敷かれ一般人はおろか、魔術師ですら立ち入り禁止になる程だ。
人歴
魔術が完璧に社会の裏に隠れ、表舞台から姿を隠している現代。魔導連盟による魔術の管理と、公安による魔術の隠匿により世界の均衡は保たれている。
◇
(難しすぎる、覚えること多過ぎだろう)
「神歴は、神が存在した程度の情報だけ覚えておけばなんとかなるが、魔人歴はそうもいかん。試験でもそこそこ配点の多い分野だ、よく復習しておくように」
黒板に並んだ文字に四苦八苦しながら、ノートに書き写す。周りは内容を既に理解しているのか、黙って眺めているだけでノートやパソコンに映している様子はない。
自身と周りの立ち位置の違いに、思わずため息が出そうだ。
「まあこれらは常識だから、これ以上の言及はやめておく。次のページ開け」
◇
「お前、授業聞かなくていいのかよ」
授業終わり、机にある閉じたままの教科書を整理する慎也に声をかける。
「だってあれ常識だろ、今更覚えるまでもないし」
上手にセットされた自身の赤毛を気にしながら、当然のように答える慎也。
「そりゃ、魔術師のお前からしたらそうかもだよ。でも俺、魔術を知ったの三ヶ月前なんだよ」
「……え、それまじで?」
赤毛をいじる手が止まり、大きく開かれた目を俺へと向けた。その瞳は、俺への驚きだけじゃなく疑念なども孕んでいるのを感じる。
「じゃ、じゃあお前は三ヶ月前まで……一般人だったってことか?」
身を乗り出し、教室に響きわたるような大きな声を放つ慎也。
それに合わせて、教室中のクラスメイトたちの視線が俺に集中した。
「ちょ、声大きい」
「すまんすまん、ちょっと驚き過ぎて……」
確かに、慎也が驚くのも無理はないだろう。ここにいるものは、幼い頃から魔術に触れてきて魔術師として人生を生きていくことが確定しているのだから。
そんな空間に、つい最近まで魔術の存在を全く知らない一般人がいれば驚くのは当然、何なら魔術を本気で極める者からしたら俺という存在は疎まれるのかもしれない。
「まあ、驚くのも納得だよ」
「事情は聞かないでやるよ、きっと大変だっただろう。もうすぐ二限の魔術実習だ、着替えていくぞ」
「あぁ、遅刻は出来ないしな」
少し気まずそうな慎也と一緒に、先に出発したクラスメイト達を追うように更衣室に移動した。
◇
「どひゃー疲れたぜぇ」
「ほんと、だよ。何なんだよあれ」
二限の魔術実習が終了し、食堂へ。慎也は席に着くなり、うつ伏せになりながら気の抜けた声をあげている。
魔術実習、聞くだけで恐ろしいものであったが今日の授業で確信した。
俺が最優先で身につけなくてはいけない技術であると。
今日の授業内容は主に魔力強化の最大値の上昇と、その維持だった。
ただ自身の魔力を最大出力で体に張り巡らせ続けるだけ。聞こえはいいが、その実態はというとフルマラソンを常に全力で走ってるのと変わらないだろう。
魔術を放つ訓練ではない。それ以前の、魔術師としての完璧な土台を作り上げるための授業だった。
「これが毎日って、気が滅入るな。それに、三限は体術訓練があるんだろう」
「そうだよ、マジでやべえよ。体力持たないって」
「でも、これがあるから執行官は戦えるんだもんな」
「だな、改めて俺が未熟だって分かっただけでも収穫あるんじゃないか?」
「すごいポジティブだな!」
「そうだろう、俺の魅力の一つだぜ!」
そんなくだらないことを慎也と話していた。気づけば、周りの座席も段々埋まってきて生徒達が各々運ぶ食事の匂いが漂ってきた。
「腹減ったな、なんか買ってこようぜ楓」
「いいよ、行こうか」
食券を購入し待つこと十分。提供された食事は生姜焼き定食。生姜焼きから漂う香ばしいソースと生姜の香り、そして山のように盛られた白米から立ち上がる熱々の湯気。
この場で貪りたいと言う衝動を抑え、慎也と共に事前に荷物を置いた席へと戻っていく。
「いや、これめっちゃ美味そうだな!」
「ああ、これすごい。安いし、その割に量も多くて最高だ」
手を合わせ二人で食事を始める、その時だった。
「あのー、前の席使ってもいいですか?」
俺と慎也が並んで座っているところの前、同じAクラスで俺の前の席にいる子が少し気まずそうに立っていた。綺麗な黒髪に、丸眼鏡をかけた美形な少女。整った顔立ちはどこか知的で、間近で見ると思わず目を奪われそうになる。
「あ、全然いいですよ。こちらこそすいません、変な席の使い方しちゃって」
「いえいえ、全然気にしないでください」
「マジすまん、もっと周り見とくんだった……」
少女は、同じ定食が盛られたトレーをテーブルに置き席に着く。
「そういえば、同じクラスだったよな!名前は、えっと……」
名前を思い出そうと、腕を組み考える慎也。
「あ、結城 雨です」
「そうだよ、よろしくね結城さん。俺は羽崎 慎也だ」
「俺は東雲 楓。結城さん、よろしくね」
慎也に合わせるように、俺も軽く会釈をする。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
軽い挨拶を済ませた後、今度は三人で手を合わせ食事を開始した。
食事が美味しすぎるのか、はたまた少し気まずいのか、にぎやかな食堂に対しこの空間だけは静寂だった。
かちゃかちゃ。
もぐもぐ。
ごくごく。
がつがつ。
どんどん。
どんどん?
横を見ると、慎也が喉を押さえながら、自分の胸を必死に叩いていた。
「え、ちょ、慎也!?」
「羽崎くん!」
あまりに突然すぎて、思わず言葉を失う。咄嗟に、俺のペットボトルのお茶を慎也に手渡す。結城さんは席を移動し迷うことなく慎也の背中へと回った。
「ゆっくり、飲んでくださいね」
しばらくして、慎也は落ち着きを取り戻し空になったペットボトルを俺に手渡した。
「いや、マジ感謝。本当にありがとう……」
「良かった、死ななくて」
「本当ですよ、ちゃんと噛んで食べないと……」
そのあとは、それぞれ食事を再開した。三人でする他愛ない話は、魔術実習の疲れを忘れさせてくれた。
それだけじゃない、気づけば、この学校での生活に抱いていた不安も少しだけ薄れていた。
食事を終え、三人で手を合わせる。次の三限までおよそあと十分ほどある。三限の体術訓練は、それぞれが選択した武器種によって訓練場が異なるため、ここで解散となった。
「東雲くん、羽崎くん、もし良かったら明日も一緒に食事どうですか?」
「全然いいよ、むしろ歓迎だ」
「そうそう、俺と楓だけじゃ寂しいしな!」
ありがとうございますと丁寧にお辞儀をし、嬉しそうに去ってく結城さん。
それを見送り、俺と慎也もそれぞれの演習場へと向かっていく。
学校生活はまだ始まったばかり。
学ぶこと、鍛えること、考えることは山ほどある。
それでも、今までと違うのは一人じゃないこと。同じ場所で、同じ歩幅で、共に切磋琢磨できる友人達がいるということだ。
その事実だけで、不思議と足取りは軽かった。




