第七節.獅子の岐路 其ノ壱
『桐凪、私はお前を愛してる』
『うん、僕も愛しているよ。お父さん』
無慈悲に肉親の喉元へねじ込まれるナイフ。
流れる血は誰のものか、もう分からなくなっていた。
東京都港区、住宅街の一軒。その二階にある寝室、どこにでもあったはずの日常は既に崩壊していた。ベッドに染み込んだ血は、二人分の体重で濾され小川を枝状に作り出している。
『あ、あはははは。そうだ、僕も殺しているよ』
ナイフで内臓を掻き回す音だけが部屋に鳴っている。
少年を突き動かしていた、熱は消え、握られたナイフと満たされない衝動を抱え深淵へと続いているかのような階段を下っていく。
『あはは、ひひっ、はっははっはぁ』
◇
西園寺桐凪は、東京都の魔術師一家に生を授かった。
父親は名門魔術一家の長男、母親はドイツの魔術の考古学者である。
母譲りのキメの細かい白い肌と、艶のある金髪。そして、吸い込まれるような赤い瞳。そして、父譲りの他者を寄せ付けないキレの細い目元。
そして、圧倒的なまでの魔術師としての才能。
『桐凪、お前は俺の息子として失敗は許されない』
『はい、お父さん』
六歳になり、術式の開花と共に始まった魔術教育。それは、同じ魔術師から見ても異常とも呼べる代物であった。
暴力と、狂気により支配された日常。外の光が入らない閉鎖的な地下空間での魔術教育は、苦痛という表現では収まりきらないほどの地獄である。
「愛」と称されたその教育は、時間を重ねていく毎に形を変えていく。最初は、父親から受けるだけだったはずの暴力はいつの間にか、自身が他者に向ける暴力へとすり替わっていった。
一つ目の岐路は、少年が十歳の頃である。
『ちょっとあなた、桐凪に背負わせすぎなんじゃないの』
『黙れ、女。あいつは西園寺家の跡取りだ、俺に並ぶ程度では許されない。いつかは俺を超えて一族をより強く、確かにしていかなければならない』
『だとしても、暴力とかは良くないでしょう!あの子が、どんな思いをしているのか、考えたことはないの!』
それは、夜に聞こえた両親の声。少年自身を気遣う母と、自分を一族の繁栄のための楔にしようとする父。
『聞いていたのか、桐凪』
度重なる愛という名の狂育を以て、少年の精神は既に完成していた。
『やるべきことは、わかるよな』
そう、やることは変わらない。
少年は、確かに父が狂っていることを理解していた。何度も、愛されているのか疑った。
それでも、父親は少年が他者の尊厳を踏み躙る度に、少年が父親のように成っていく様を称賛し、褒め称えた。
——暴力という、愛情表現を以て。
塗り固められたその歪な成功体験が、彼の思考を停止させる。
狂愛に満ちたその生活こそが彼にとっては代え難い幸福なのであったと。
『あは、はははは』
もはや、自分のものとは思えないその声に、少年はひどく高揚した。だんだんと、血に染まっていく視界と満たされるような幸福感。
無情に滑るそのナイフの感触こそが、少年が生を実感する証なのだと。
どうしようもないほど込み上げてくる熱、それこそが、誰かを愛するということなのだと。
猛烈に、激烈に、鮮烈に、強烈に、熱烈に、烈々に、自分では抑えきれないその衝動こそが少年の原点であった。
邪魔者の排除、という儀式を以て少年——彼の精神は完全無欠のものと成る。




