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Wave 1 チャック手伝って

 南美はつい数時間前,大学で彼女に別れを告げられた.

 誰がなんと言おうと,彼女に別れを告げられたのだ.


 数日前には2人でボウリングデートをしていたのに.

 回転寿司で期間限定の中トロを一貫ずつ分け合っていたのに.

 相手は1つ年下の馬が合う女性だったうえに,そんな「別れよう」の雰囲気を微塵も感じなかったので,南美はかなり驚いた.その知らせはLINEでひとこと「このまま続けてても,別れるタイミングが分からなくなるから別れよ」だそうだ.


「意味わっかんない」


 南美にとって,それはあまりに難解だった.別れるタイミングが分からない…だから別れる.

 考えたところで理解できなかったし,聞き出そうとしたときにはLINEブロックされていたので,なすすべなく青春は終わった.そして考えることをやめ,彼女との思い出の場所であるこの海岸へ,ぶらぶらと歩いてきたわけだった.


「じゃぁん…どう,かな?」


 シャーっとスライドカーテンが開き,試着室から澄音の姿が現れた.先ほどのラフな服装から一転し,透明感のあるブラウスが,どこかサーファーらしい肉付きのボディラインを強調する.ハイウェストのショートパンツは澄音のモデル感をアップさせ,店員も思わず「おぉ~」と感嘆を漏らした.


「って,いやいや.季節感」

「…やっぱりわたしには,こういうのは似合わない…よね」

「違くて,そうじゃなくて!」


 南美は慌てて否定したが,澄音はずぅーんとうつむいた.言いたかったのは3月にショートパンツを試着するという不適切な行動に対してのツッコミであり,着こなし自体は息をのむほどうまくいっていた.


「お客様…ピッタリなロングパンツがありますよ.丈は長めに作られていますので,よろしければこちらもご試着ください」


 澄音が両手で受け取ったのを確認して,店員は「ごゆっくりどうぞ」と立ち去って行った.


「長狭さん,長狭さん」


 澄音に呼ばれてハッとした南美は,ようやく自分が澄音から目を離せないでいることに気が付いた.改めてみると,すっかり大人らしい胸のふくらみや,細すぎない健康的な太ももが自然に表れている.彼女にフラれたときは意味が分からなかったけど,結局は自分だって目移りしちゃうヤツじゃないかと南美は思った.


「こっち」


 澄音は手招きのしぐさをしている.どうやら「試着室に来い」と言いたいようだ.

 南美はといえば,実際のところ試着室に用事はなかった.砂浜で澄音に倒され,全身に付着した砂も,すでに手でパッパッと払ってしまい,着ているものはなんとなくきれいになっていた.南美は今のところ,服を新調するつもりはない.

 「どうした?」と言って南美が立ち上がると,澄音は周囲を気にしながら,口に手を当てて小さくささやいた.


「チャック手伝って」

「…届かないんかい」


 身体が硬くてもサーフィンってできるんだな.

 南美は意外に思ったが,それもそうか,と腑に落ちる部分もあった.

 

「さ,チャック貸せよ.下げればいいんだろ」

「入って」

「ん? いや,チャック…」


 南美はいつまでも背中を向けてこない澄音に違和感を覚えた.何を伝えようとしているのか,その言葉の数秒後に理解した.


「別に入らなくても,チャックくらいなら」

「実はこのブラウス,長狭さんに似合うんじゃないかって」

「…あぁ,なる…ほど?」


 言われるがまま,南美はサンダルを脱いで試着室へ上がった.本来は1人で入るスペースを想定されているはずなので,当然ながら2人でいる今はかなり窮屈だ.澄音が腕を伸ばしてカーテンをシャーッとスライドさせると,個室が出来あがった.


「はい.お願いします」


 澄音は初めて背中を向けた.チャックは中途半端なところまで下がっているが,まだ半分くらいだ.

 南美は改めて,澄音の背の高さに驚いた.裸足という同じ条件で試着室の床に立った時,自分の目線にあるのは澄音の肩のラインである.また澄音は肩幅もしっかりとしていて,いちおうサーファーとしての身体になってきているのだろう.


「じゃ,じゃあ下げるよ」

「うん」


 ファスナーを下げていくにつれ,背中の肌が見えるようになっていく.マリンスポーツを日常的にしているにもかかわらず,その素肌はほとんど日焼けをしていない.日焼け止めを塗っているうえ,ウェットスーツが全身のほとんどを覆っているので,考えてみれば当然のことではあった.


「…きれい」

「えっ」

「あぁっ,いや! なんでもない.なんでもないから…はい,チャック下げたよ」

「ありがとう.すぐ脱ぐからちょっと待っててね」


 宣言どおり,すぐに澄音はブラウスを脱ぎ始める.狭い個室では動き1つ1つが風の流れを作り,シャワー上がりの澄音の匂いと,視界いっぱいの澄音の柔肌から,南美はまた理性を失いそうになった.


「はい.これ,よかったら試着してみてーーー」

「私…それ買うよ」

「えっ,着てみないのっ!?」


 澄音は驚きながらも,南美の身体とブラウスを重ねるようにして「まぁでも,絶対に合うしなー」と確定させた.おまけに「長狭さんって,こういう大人っぽい落ち着いた服も似合うんだね」と感心している.


「じゃ,じゃぁ私,先に買ってくるから.外で待ってるから!」


 そう言って澄音は逃げるように試着室を飛び出した.ガラッとカーテンを開けたら当然のように下着姿の澄音が見えてしまうわけだが,そんなことを考えている余裕は南美にはなかった.


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