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龍になったので会社辞めました ~ヒト化したら美少女で、今は巫女やってます~  作者:


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第9話 妹とショッピング(中編)

 下着売り場の光は、妙に輪郭を曖昧にしていた。

 整然と並ぶ布地は、どれも小さく、軽やかな彩りだ。なのに瑞月の精神に、やたら重くのしかかっていた。


「お姉ちゃん、こっち」

 陽菜は、下着売り場に入った瞬間から完全にプロデューサーの顔になっていた。瑞月は、紙袋を抱えたまま遅れてついていく。


「陽菜!」

「なに?」

「帰っていい?」

「だめ」

「即答!?」


「ここまで来て逃げちゃだめでしょ」

「私の心の準備が…」

「じゃあ心ごと連れていってあげる」

 陽菜は瑞月の手首をつかんだ。


 逃げ道は、物理的にも精神的にも塞がれた。

 瑞月はどこを見てもいいのかわからず、結果として何もない床を見つめることにした。

「まずは普段使い。白と淡い色は必須!」

「必須って何?」


「お姉ちゃん、癒し系美人っていうか、白くてふわっとしてるから、色が強すぎると逆に雰囲気が負けちゃうんだよね」

「下着に勝ち負けがあるの?」

「あるよ!」

 断言された。


「それに、癒し系美人って…」

「そこ拾うんだ」

「いや、なんか、言われ慣れないから」

「じゃあ慣れて」

「簡単に言われても」

「だって事実だし」

 陽菜は本気でそう思っているらしい。からかい半分ではあるが、残り半分は買い物における実質的判断だった。


 だが、だからといって下着まで理論で言いくるめられるとは思っていなかった。

「白は当然として、淡いピンクと水色。あと黒!」


「黒って……本当に必要?」

「必要!」

「どういう場面で?」

「お姉ちゃんの自意識に勝つ場面で」

「勝たなくていい」

「勝って、お願い!」

「勝ちたくない…」

 陽菜は聞いていなかった。


 小さなカゴを手に、迷いなく商品を見ていく。色だけではなく、形や素材、普段使いしやすいかどうかまで確認しているあたり、遊び半分ではないのが逆に怖い。


 やがて、落ち着いた雰囲気の店員が近づいてきた。そして瑞月を直視し、一瞬驚いた様子だった。

「何かお探しでしょうか?」


 瑞月は反射的に背筋を伸ばした。

「あ、はい。ええと…」

 陽菜が横から即答する。

「姉の普段用を見てます。まだこういうとこ慣れてなくて」

「陽菜!」

「事実でしょ!?」

「事実だけど、言い方」


 瑞月は息を整え、店員へ向き直った。

「すみません。まだこういうものに不慣れで……普段使いしやすいものを見たいんです」

 外向きの声が、自然に出た。


 柔らかく、丁寧で、少し控えめ。神社で参拝客と話す時の瑞月の声だ。陽菜が隣で「外面は合格」と言いたげに頷いているのが見えた。


 店員は慣れた様子で微笑む。

「大丈夫ですよ。最初は皆さん迷われますから。普段用でしたら、肌当たりの柔らかいものや、響きにくいものが使いやすいと思います」


「お願いします」

「お色味は、白や淡い色がとてもお似合いになりそうですね。……あの、先ほどは失礼しました。とてもお綺麗なので、少し見惚れてしまいました」


 瑞月は固まった。

 陽菜が横で、ものすごく得意げな顔をした。

「でしょ?」

「陽菜が威張るところじゃないよ」

「身内なので」


 店員は軽く微笑み、それから少しだけ声をあらためた。

「よろしければ、サイズをお測りしましょうか。今お使いのものから変わっていることもありますし、最初に合わせておいたほうが、選びやすくなりますよ」

 瑞月の思考が、一瞬だけ止まった。


 “サイズ”

 (……サイズって何の!?)

 その言葉に、瑞月はわずかに目を伏せた。


 実を言えば、まったくの初めて、というわけではなかった。

 神社で暮らし始めてからも、身につけるものは必要だった。宗佑に何もかも頼むわけにはいかないし、頼めるはずもない。だから瑞月は、人の姿で動けるようになってから、近所のスーパーや、商店街の外れにある小さな衣料品店で、それらしいものを自分で買って間に合わせていた。


 もっとも、“それらしいもの” でしかなかったが……

 棚の前でサイズ表記とにらめっこして、たぶんこれくらいだろうと見当をつける。試着などできるはずもなく、パッケージの数字だけを頼りに選び、家に持ち帰って着けてみて、少しきつい気がしたり、逆に頼りない気がしたりしながら、なんとなく使ってきた。


 つまり、これまでの瑞月の下着は、全部が当て推量だった。ちゃんと採寸して選んだことなど、一度もない。


(……そういえば、測ったことなかったな)

 今さらのように気づいて、瑞月は小さく息を吐いた。

「……お願い、します」

 声が、わずかに硬くなる。


 横で陽菜が、すかさず親指を立てた。

「いってらっしゃい」

「見送らないで」

「健闘を祈る」

「別に戦うわけじゃないよ…」


 店員は柔らかく笑って、瑞月をカーテンで仕切られた一画へ案内した。

 メジャーが、するりと身体へ回される。


 手際は、驚くほど淡々としていた。余計なことは言わない。視線も、必要な場所しか見ない。プロの手つきというのは、こういうものなのかと、瑞月は妙なところで感心した。


 それでも、落ち着かないものは落ち着かない。

 自分の身体の輪郭を、他人の手で正確になぞられていく。その一つひとつが、これは紛れもなく女性の身体なのだと、数字の形で突きつけてくる。

 鏡の前で姿を確かめるのとも、シャワーで持て余すのとも違う。もっと即物的で、逃げ場のない確認行為だった。


(いや、わかってた。わかってたんだけど)

 心の中で、白旗が一枚、また増えた。


「はい、ありがとうございます」

 店員はメジャーを外し、控えめな声で結果を告げた。

「アンダーとのバランスもよくて、Dカップでいらっしゃいますね。とても綺麗なつき方をしていますよ。お洋服も選びやすいと思います」

 瑞月は、曖昧に頷くことしかできなかった。


 “Dカップ”

 その数字とアルファベットが、自分の身体の話なのだと結びつくまでに、わずかな間が必要だった。

 しかも、これまで当て推量で選んでいたものとは、微妙に違っていた。道理で、時々きつかったり、頼りなかったりしたわけだ。


(適当に選んでたの、ばれてる気がする……)

 もちろん店員は何も言わない。けれど、ずっと自己流で間に合わせてきた身としては、ちゃんと測られた数字の正確さが、逆に少しだけ気恥ずかしかった。


(……自分の理想を、こんな形で答え合わせさせられるとは思わなかった)

 かつて、妄想の中で思い描いていた姿。あの頃の自分が、どこかでこっそり望んでいたサイズに、現実の身体のほうが律儀に応えている。それが嬉しいような、いたたまれないような、名前のつけにくい感情だった。


 カーテンの外へ戻ると、陽菜が待ち構えていた。

「どうだった?」

「何も言いたくない」


「顔が物語ってる」

「言ってない」

「綺麗なつき方って言われたでしょ」

 瑞月は、無言になった。


「当たった!」

「……なんでわかるの?」

「お姉ちゃん、わかりやすいもん」

 陽菜はけらけらと笑った。


「ていうかお姉ちゃん、今までどうしてたの?」

「……近所で、それっぽいのを適当に買ってた」

「適当に!?」


「測ったことなかったから」

「道理でサイズ合ってなさそうだと思った」

「見てわかるものなの?」

「なんとなくね。だから今日ちゃんと揃えるの」

 陽菜は腰に手を当てて、妙に得意げに言った。


 その遠慮のなさが、今はいっそありがたい。深刻な顔で気遣われるより、よほど呼吸がしやすかった。


 店員の説明は丁寧だった。洗い方、枚数の目安、色移りしにくいもの、普段使いに向くもの。瑞月は頷きながら聞いた。聞き入ってしまった。聞いているうちに、これはもう本当に生活の一部なのだと思い知らされる。


 瑞月として生きるなら、見えない部分も整える必要がある。

 理屈はわかる、わかってしまうのがつらい。


「お姉ちゃん、顔が虚無ってる」

「今、現実逃避してる」

「逃げちゃダメ。まだ黒が残ってる」

「やっぱり買うんだ……」

 黒は一着だけ、という条件で陽菜に押し切られた。


 瑞月は最後まで抵抗したが、陽菜が真顔で、

「服の時も思ったけど、お姉ちゃん色白だから黒はむしろ映えるんだよ。似合うものを自覚するのも大事!」

 と言い切られたため、反論できなかった。


「陽菜、たまに妙に説得力あること言うよね」

「たまにじゃないよ」

「それはどうかな」


「お姉ちゃん、今ちょっと砕けた」

「あ」

「成長実感!」

「下着売り場で、そんな判定しないで」


 会計を終えた頃には、瑞月の精神はだいぶ削られていた。

 陽菜は満足そうに紙袋を受け取る。瑞月はそれを見つめ、言葉にしがたい敗北感を味わっていた。


     ◇


 次に連れていかれたのは、ヘアケア用品の売り場だった。

 こちらは、下着売り場よりは遥かに気が楽だった。ただし、値札を除けば、である。


「髪って維持費がかかるんだね」

「今さら?」

「今さらです」

 瑞月は、ずらりと並ぶボトルを前に真顔になった。


「お姉ちゃんの髪は資産だから」

「資産」

「そう。神社の観光資源でもある」

「言い方」


「事実じゃん。巫女服でこの髪だったら、そりゃ見られるよね」

「見られるために巫女やってるわけじゃないんだけど…」

「でも見られるでしょ?」

「……うん」

 否定はできなかった。


 陽菜はシャンプーのボトルを手に取り、成分表らしきものを真剣に見ていた。

「香りは強すぎないほうがいいよね。お姉ちゃん、もともと雰囲気が柔らかいから、甘すぎるとくどい」


「雰囲気まで管理されてるし」

「大事だよ。あと、髪ゴムは跡がつきにくいの。ヘアクリップもいる。神社で作業する時、髪まとめないと邪魔でしょ」

「それは本当にそう」


「あとブラシ。ちゃんとしたやつ」

「家にある櫛じゃ駄目?」

「駄目!」

「即答!?」


「お姉ちゃん初心者には、それなりのアイテムが必要です」

「その称号、まだ続くの?」

「続く。何度も言うけど、私が飽きるまで」

「…」


 陽菜は楽しそうだった。

 ただ楽しんでいるだけでなく、どれが瑞月に必要か本気で選んでいる。そのことに気づくと、瑞月は文句を言いながらも、少しだけ胸が温かくなった。

「陽菜」

「なに?」

「ありがとう」

 陽菜が一瞬だけ目を丸くした。


「急に素直」

「たまにはね」

「今の、ちゃんとお姉ちゃんっぽかった」

「判定に戻らないで」

 陽菜は笑い、ブラシをカゴに入れた。


     ◇


 ヘアケア用品の次は、日用品売り場だった。

 ポーチ。ハンカチ。洗濯ネット。部屋着に使えそうな柔らかい服。神社で使うタオル。陽菜は次々に棚を回り、必要なものを拾っていく。


 瑞月はその後をついていきながら、時々足を止めた。

 買うものが増えていく。それはつまり、瑞月としての生活のリズムが増えるということだった。

 朝起きて、髪を整えて、神社の小部屋で身支度をして、必要なものをポーチに入れて、出かけて、帰って、シャワーを浴びる。 その一つひとつが、現実の輪郭をおびて迫ってくる。


「疲れた?」

 陽菜が振り返って聞いてきた。


 瑞月は少しだけ首を横に振る。

「ううん。買うものが増えるたびに、実感するだけ」

「瑞月として?」

「うん」

 瑞月は棚に並ぶ小さなポーチを見た。


「私は神社で巫女服を着てるし、高岡家にも戻ってきたし、こうして陽菜と買い物してる。なのに、こういう細かいものを見ると、ああ、本当にこのまま生活するんだなって実感してしまう」


 陽菜は少し黙った。それから、わざと明るい声で言う。

「じゃあ、ちゃんと揃えよう。中途半端だと困るでしょ」

「うん」

「お姉ちゃんが困ると、私も困るし」

「どうして陽菜が困るの?」


「私がプロデュースしたお姉ちゃんが、身支度できてないと私の責任問題になる」

「責任者だったんだ」

「そうだよ。今日から」

「任期は?」

「私が飽きるまで」

「これも長そう」


 瑞月は笑って、白地に淡い水色の刺繍が入った小さなポーチを手に取った。

「これ、どうかな」

「いいと思う。お姉ちゃんっぽい」

「その基準、便利だね」

「実際便利」

 カゴに入れる。


 その次に、保湿用品の棚で瑞月は立ち止まった。

 種類が多い。多すぎる。

「私に、これ要るのかな?」


 瑞月は保湿クリームの棚の前で、真剣に首を傾げた。

 白龍である以上、肌荒れという概念からは遠い気もする。実際、汗や体臭も普通の人間より少ないと思う。軽い埃や外気の匂いも、いつの間にか薄れていることが多い。 だが、ヒトの姿で外を歩き、人と会い、巫女として立つのなら、身支度として整える意味はあるのではないだろうか。


 そんなことを考えていると、陽菜が横から即答した。

「要る!」

「肌が荒れるかどうかじゃなくて、女の子としての準備」

「準備!?」

「あと、いい匂いは大事」

「急に説得力が俗っぽい」

「俗っぽいことも大事なの」


 陽菜は小さなハンドクリームを二つ見比べた。

「強い香りはやめとこ。神社の匂いとか、巫女のイメージあるから、香りは控えめのほうがいいかな」

「そこまで考える?」


「もちろん。あと、手に触れた時にがさがさだと残念でしょ」

「誰に手を触れられる前提?」

「参拝客とか?」

「握手会とかないよ、神社は」

「でも、いつかありそう」


「やめて。宗佑さんが聞いたら企画しそう」

 陽菜は「それはありそう」と真顔で頷いた。

 笑いながらも、瑞月は控えめな香りのハンドクリームとリップクリームをカゴへ入れた。


 必要かどうかは、まだわからない。 けれど、持っておくことで安心するなら、それも身支度なのだろう。


     ◇


 時間の経過とともに、紙袋の数は増えていった。

 下着、髪用品、日用品、部屋着、小物。陽菜の服も一着ある。


「持つよ」

 瑞月が手を伸ばすと、陽菜は首を横に振った。

「私も持つ」

「でも、陽菜の服もあるし」

「いいの。お姉ちゃんを連れてきたの私だから」

 陽菜は紙袋を二つ持ち、瑞月にも二つ渡した。


「休憩しようか。さすがに荷物多いし」

「賛成!」


「お姉ちゃんが素直」

「今日はもう、かなり戦ったから」

「下着売り場で?」


「主に自意識と」

「勝った?」

「判定負け」

「惜しかったね」

「惜しくはない」


 二人はショッピングモールの吹き抜け近くにあるベンチへ向かった。大きな窓から、冬の午後の光が差し込んでいる。

瑞月はベンチに腰を下ろし、紙袋を足元に置く。


「疲れた…」

「でも、かなり揃ったよ」

「うん。陽菜がいなかったら、たぶん最初の服屋さんで詰んでた」

「下着売り場じゃなくて?」

「そこは詰む以前に撤退してた」

「だろうね」

 陽菜は隣で笑った。


 買い物は大変だった。精神的にも、物理的にも、今までにない種類の消耗戦だった。しかし、嫌ではなかった。陽菜に連れ回され、採点され、からかわれ、時々本気で気遣われながら、自分の生活に必要なものを揃えていく。それは、瑞月としての時間が少しずつ積み上がっていく感覚だった。


「お姉ちゃん」

「なに?」

「今日、けっこう普通に話せてるよ」

「そうかな」

「うん。最初よりずっと」


「それは、陽菜が横で見張ってるからじゃない?」

「教育の成果です」

「やっぱり押しつけじゃない?」

「教育!」

「はいはい」


 瑞月は紙袋を見下ろした。

 白龍辰巳神社へ持ち帰るもの。 高岡家に置いておくもの。 どちらにしても、全部、今の自分に必要なものだった。


 その時だった。

 人の流れの向こうから、こちらへ向かってくる軽い足音と、少し馴れ馴れしい声が聞こえた。


「ねえ、君たちさ」

 瑞月は顔を上げた。

 声をかけてきたのは、二十代半ばくらいの男だった。その目つきに、軽薄さと人を物色するようないやらしさが混じりあっていた。

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