2、深谷野さん
「お待たせしました」
斉藤さんが、ケーキと紅茶をテーブルに置く。オレは軽く頭を下げた。彼女はオレを見つめた後、
「ゆっくりしていってね」
「ああ」
口元に美しい笑みを浮かべてから、斉藤さんはカウンターの方へ戻って行った。高校時代から大人っぽい生徒で、男子生徒の隠れファンが多かった印象だ。何故隠れファンかというと、彼女のそばにはいつでも中田くんたち四人がいたからだ。中田くんたちはロックバンドをやっていて、学校の有名人だった。そして、彼らの活動を支えてきたのが斉藤さんだった。斉藤さんと言えば中田くんたち。中田くんたちと言えば斉藤さん。割り込む隙はなかった。だから、隠れファンでいることしか出来なかったのだ。
紅茶を一口飲んでから、ケーキを口に運んだ。桜の匂いがして、思わず息を吸い込んだ。優しい甘さ。それは作り手である斉藤さんの人柄が、このケーキの味に出ているかのようだ。
ケーキを食べ終わり紅茶を飲んでいると、外に知っている顔を発見した。その人は、オレが凝視しているのに気が付いたのか、こちらを見た。「え?」とでも言ったような口になった後、正面を向いて走り出し、この店に入ってきた。
「先生」
入ってくるなり、叫ぶようにオレを呼んだ。オレは軽く片手を上げて、その人に振ってみた。その人は、オレに向かって大股で歩いてくると、
「先生。何やってんだよ」
いきなり叱られた。相変わらずのその調子に、むしろホッとした。ここで気を遣うような言動をされたら、何だかいたたまれない。オレは、安心から思わず笑顔になり、
「久し振りだね、深谷野さん」
「心配したよ」
「うん。ごめん」
「心配したって言ってんだよ」
口調が荒くなってきた。ああ。深谷野さんだ、と笑うしかなくなる。そのオレの態度に、彼女はさらに声を高くして、
「心配したって言ってんだろ」
「ごめん、深谷野さん」
謝りながら笑い、終いに涙を流しているオレは馬鹿みたいだ。オレの涙に驚いたのか、彼女は目を見開いた。
「会えて嬉しいよ。オレ、この前まで君と仲良かったもんな」
「そうだよ。それなのに、何も言わずに消えるってどういうこと?」
「言える気分じゃなかったから。これでも随分回復したんだ。今日まで外に出られなかったんだから」
彼女は断りなく、オレの正面に座った。斉藤さんがお冷を持ってオレたちの所へ来た。
「薫。あんたも久し振りだね」
斉藤さんの言葉に深谷野さんは頷き、
「ここ、この先生との思い出が多過ぎて、来る気分になれなかったんだ。先生が黙って消えるから」
「そうだよね。先生……違った。桜内さん、黙って消えたよね」
斉藤さんがそう言うと、深谷野さんは「あー」と言って手を打った後、
「そうか。先生じゃないよね。さ……桜内さん。何か、変なんだけど」
不機嫌な表情のまま、言った。オレはもう一度、「ごめん」と言って、
「オレは、この先教師はやらないと思うから、先生と呼ばれるのは困るかな」
「教師やらないで、何やるんだよ」
深谷野さんが強い口調で言う。斉藤さんが彼女に、「まあまあ」と言いながら背中を軽く叩くと、
「とりあえず、薫。何か食べる?」
「フルーツケーキと、何か紅茶をお願いします」
「はいはい。畏まりました」
笑いながら、斉藤さんが去って行った。視線を深谷野さんに戻すと、彼女は頬杖を突きながらオレを睨んでいた。
「先生。あ、違った。ややこしいな。じゃあ、俊也。今、どこに住んでるの」
いきなり名前を呼ばれて、その容貌のせいもあって、昔の彼女を思い出してしまった。もっとも、昔の彼女はこんなきつい調子でオレを呼んだことはなかった。いつでも笑顔で、可愛い声でオレを呼んだ。
「おい、俊也。聞いてんの? 今、どこに住んでんのって質問してるんだけど」
「実家にいるよ。それで、毎日何もしないで、誰とも口もきかないで、シーンとしてる」
「何だよ、それ」
「そうだよな。オレもそう思うんだけど、何かさ……疲れちゃって……」
深谷野さんが目をそらした。その言葉の意味をもっとも理解してくれるのは、この人だとオレも思う。
「自分で始めたことだし、今さら疲れたもないんだけど、でも疲れてた。何をする気にもなれないんだから」
オレがそう言った時、斉藤さんが深谷野さんの注文した物を持ってきた。
「ごゆっくりどうぞ」
やはり微笑んで、去って行った。深谷野さんは、顔を上げてオレを見ると、
「ごめん。食べるよ。お腹空いてるんだ」
「どうぞ」
「いただきます」
さっきまでの勢いはどこへやら。意気消沈したような顔で、ケーキを食べる。何も言わずに食べる。オレは、彼女をじっと見ている。本当にこの人とあの人はそっくりだ、と思いながら。




