【#38】“まる書いて、ちょん!”から始める、彼女と俺の朝練記録①:幸先良好(さいさきよし)なスタート切った「特訓開始」
森の木々の向こう、三十メートルくらいだろうか。
木立の足元に這うような下草がまばらになりながら芝生に変わり、テニスコート半面ばかりの家庭菜園と、小綺麗に整えられた植栽を囲い込んでいた。
その先には、朝靄にけぶる和洋折衷な出水邸の佇まい。知恵さんがいうには、もうすぐ三十年とのことだから、平成の頭あたりの建築なんだろう。
レベッカがちょうど一抱えできそうな赤茶けた丸太を左右に従えた玄関の、落ち着きのある和風の造りを、ホント、いい趣味してるよなぁ。
今のレベッカと同じくらいのガキのころの俺なら、柱登りくらい、したくなっていたかもしれないし。
そんなことを考えるでもなく考えながら、地上三メートルほどの中空へと浮かべたEAPの筐体に、俺は意識の大半を移す。
すると、
「⋯⋯スヴァルくん。どうしてお外で、魔法の『とっくん』にしたの?」
唐突に、レベッカが尋ねてくる。不安そうというよりは、ただただ不思議そうな声音で。
「だって、練習部屋でトックンなんかしたらリニア姉さまが絡んできそうだし。集中できないじゃん?」
「しゅうちゅう?」
「うん、コンセイトレイショ⋯⋯コンセントレイトってこと。これはわかる?」
スピーカー出力に切り替えた“地声”で聞き返す俺に、ベッカちゃんは無言。
鼻先にしわが寄る感触が、リンク越しに俺にも届く。彼女の母語にしたけれど、五歳の子供の語彙にはまだ未収録だったらしい。
そりゃそっか。思いながら、俺は“集中力”の言葉を言い換えた三度目の「お返事」を戻す。
「まあ、気を付けてちゃんと頑張る、ってとこかな」
「ちゃんと?」
「そ。⋯⋯さって、と」
「?」
レベッカを中心に、普段はあんまり使わない、隠れんぼ用に調整した改式版の《光学迷彩》を起動。
その範囲の真ん中に立つカタチとなった彼女の直上へと、俺は音もなく滑り込んで、そうは言ってもさ、通話口から次の話題を切り出す。
「狼に変身するところを見つかったら大変だからね、かる〜く、おまじない」
淡いブルネット色した、つむじに代わってこちらを見上げてきた金色の瞳に、そう答えた。
続く次の一秒余りで、レベッカの身体に意識を引き戻した俺は、目を丸くした彼女に、「ちょっと借りるね? いち、に、さん」
脈絡無視な断り文句を入れる。それと同時に、すでに目星をつけていた手近な小枝を拾い上げた。
勢いをつけて身体をぐるりと一周。
「しぃご! これでよしっと」
半径五十五センチほどの歪な「まる」を、たたらと一緒に落ち葉の上に刻むと、EAPに「あなまほ回避2051」、《光学迷彩》の煽りを受けてバッテリー節約のために演算を簡素にせざるを得なかった《人工音声》をまとめて追加発注。
そうやって完成したのが、平たく言えば即席の練習室――《蛍火》により光る飛空スマホや彼女の姿と《二つ身》の魔法を外部からまとめてひた隠しにするための、魔力と光を外へ漏らさない小さな完全防音空間――である。
「いい、ベッカちゃん? この線から、出たらダメだからね?」
数秒前に引いたばかりのラインを、スマホの身体を明滅させながらの低空飛行でゆっくりとなぞり終えると、俺は再び彼女の眼前までフワリ。
「うん」
こくこくと頷く半纏姿の彼女に、すごい素直。俺の知る、我が家に楯突く《狐の鋏》どもとは大違い。
そんな感想を、心の裡でつい抱いてしまった。銀色の筐体には全然そぐわない温もりに、俺の方は相変わらず、全く以て可愛気ないよな。あの子たちと違って――。――? ⋯⋯あの子って、誰だっけ。あの子たち⋯⋯ええと⋯⋯
「スヴァルくん?」
俺が作った、静寂を裂くように、声。だというのに、
「⋯⋯⋯⋯」
「ねえ、まだはじめちゃだめ? ポーリャは、いつでもできるよ、練習」
思索を追うことにかまけていた俺は、不意を突かれて、あるべきタイミングでの反応を仕損じる。
俺が犯したその失態は、レベッカからしたら、“話をちゃんと聞かない、不誠実おばけ”。
どうやら、そんな風に捉えられてしまったらしい。
笙真先生や俺の言いつけどおり、律儀に偽名を守ってきた、幼い女の子の尖り口調。
少しだけの不思議を纏った、かなり不服そうな幼い声音に、俺は再び揺さぶられて、カメラの真ん中でふくれっ面を見せているベッカちゃんへと注意を向け直す。
「だめじゃないよ。始めようか?」
「⋯⋯うん」
0.5拍ほど置いて、返答。
痺れを切らしかけた彼女に、これ以上のわだかまりを抱かせたくない。そんな心持ちで、
「ショウ兄ちゃまから、『星』を取り戻せるように頑張ろうぜ? ポーリャだけでできたんだよって、驚かせてあげたいしさ」
表面温度が摂氏八十二度を超えたEAPの通話口から、底抜けに軽い、とびきりの早口をベッカちゃんに投げ掛け、彼女の身の丈の五倍ほどの高さまで一気に浮上。
時間にしてみれば、わずか数秒足らずの短い飛行だった。
その真っ只中を、笙真先生や俺等がいつものように入り浸っていた、錆止め加工の赤い足場と螺旋階段が御自慢の塔のような文書庫が、よぎる。
重力のくびきから解き放たれたスマホと半ば一体化中の、俺の内部思考を突き抜けるかのような、にわかどころではない勢いと共に。
俺にとっての数少ない理想郷ともいえる、あの景色を、俺が作り上げたこの稽古室の内壁に貼り付けてやりたい。
⋯⋯EAPのメモリに余力が、あればの話だけど、ね!
レベッカの自由を担保する《ドヴォルザーク》アプリのために、彼女が起きている間は処理能力の半ばほどをひたすら差し出すしかないスマホの――「明かし」の魔法使いとしての、俺の「現況」。
絵空事めいた感傷に逃げ込もうとした俺に、真っ向から冷水を浴びせかけてくる、そんな現状に向けて、なおも反駁したがっている自らを、俺が認識した瞬間。
――やめとくべきだな。
彼女や俺がこうなった「元凶たるコトの発端」は、俺のあの「顕し」の魔法だったんだから。験担ぎできねぇぐらいで憂鬱になるのは当たらねえよな。子供じゃあるまいし。
ポーリャの名前を分け合う五歳児の身体側からは、スヴァルにしか覗けない銀色の筐体の最奥で、自嘲気味に吐露する俺の内心。
どこまでもみっとも無さすぎるソイツの存在なんて、レベッカには知る由もないのだろう。
本来ならば、補助端にでも押し付けて並列扱いにしたい、EAPのスペックよりやや荷が勝っちまってる演算処理――同時並行的に走らせている軽重よりどりみどりな人工魔法――を丸抱えした基板温度が摂氏百度に達したことを示すエスカレーション警告。
緊張感とは程遠いこと限りなさ過ぎの、そんなブザーの音が、先生のやつに取り上げられたままの《星》を取り返したい一心で、
(ベッカのたいせつなしるし! あんな“いじわるアバキ”なんかに、ぜったい、あげないんだから!)
懸命にそう息巻いている五歳の女の子のレッスン開始の合図とばかりに、彼女がどんなに飛び跳ねようとも、けして指の届かない高度三メートルの安全圏。
紛れもなくそこに存在している、この自我の内側だけで、「ぴいん・ぽぉん」と、それはそれは間抜けな音色を響かせたのだった。
大丈夫だよ。「――ぱん!」が鳴るまでに、切り上げるさ。
警告音に被せるように頭の中を駆け抜けた、テキスト形式のアラート情報にそう応える。
目下で練られつつある、ベッカちゃんこと“ポーリャ・カントリー・ロード”側からセンサ系を通じてリアタイで届く魔力態様と、デュプレックスとカメラの向こうの実際の画を思考の中心に据えた俺は、先生から任せられたチューターとして、視界の隅から割って入って来たてな、
【notice(inf.f&g):Δ10% verified toward activation range of “Duplex”.】
のログ窓表示に、ホントにあと三十分も掛からないかもしれないぞ、この子――!
人知れず、舌を巻く。




