【#37】四手目はひしめく思惑を越えて! 彼女と俺の最初の春、そのラスト3DAYSの夜明け
「バリアノシュツリョクモットアゲテ⋯⋯?」
剣呑過ぎる気配と手を取り合ったまま、リニア姉さまの唇からまろび出た片言のイントネーション。
先生のセリフに応えて、メーター振り切りまで嵩増しさせた対「読み」用の障壁の内側で、姉さまのお言葉の意図するところを瞬時に察した俺は、平たく言って、大失態を晒してしまっていた。
⋯⋯あろうことか、先生の顔をガン見していたのだ。
俺が心底笑い転げたせいで、《基板上のバリア》と揃って疎かにされた《ドヴォルザーク》——日本語環境はもちろんのこと、彼女の真っ当な甲南湖暮らしを事実上担保している、俺からの「ハシゴ」——を見事に外されたレベッカの内心共々。
(ベッカと、ベッカのしるしにいじわる言ってわらってる。⋯⋯キャンディッドなんて、やっぱり大嫌い。ベッカのとくべつをとった。とって、大わらいした⋯⋯!)
ラフに訳しただけでも、不信のニュアンスでいっぱいな彼女の心。
先生の手で《セレンゲティの星》を取り上げられたわだかまりと地続きな、穏やかならぬどころではない五歳児の荒ぶる気持ちを、俺が構築したチルアプリ越しに、
“ごめんって、ベッカちゃん! でも、わざとじゃなくって——”
そんな風に取りなしてやりながら、日本語におけるSF用語としての「バリア」と英語での"Shield"のニュアンスを起点に、本格的なコードスイッチングを交えて、リニア姉さまと先生の間で絶賛繰り広げられ中の言い訳とも議論ともつかない、しちめんどくさ問答に口を突っ込もうなんざ、まあ、ちょっと無謀だよな。
思考の一番奥底で、俺は一段と深い溜め息をついた。
先ほどの笑撃の煽りとはいえ、レベッカ本来の「上り」を抑え込んでいた《ドヴォルザーク》の制御を手放してしまった俺の至らなさが、高くつきそうな予感だけは十分にするけど⋯⋯⋯⋯やめだやめ。
今さらそんなことを思っても絶対、何の足しにもなんねぇだろうし、なっと。
幼い彼女にも理解可能な、蔑ろに代わる言い回しを探すことをきっかけに、EAPと並走させるためにレベッカの脳へと噛ませていた圧加速処理の思索シーケンスから俺は、飛び降りる。
(しんじない。きらい。アバキなんて、しんじられない。ぜったい)
聞く耳を持たないとばかりに、ひたすらブチ切れ気味な内なる声で、“信じたくない“。そう繰り返してる怨嗟モード真っ最中な小さな女の子。
そんな彼女の情動は、どうにか寄り添おうと努めている俺の思惑に少しだけ感化されつつあるみたい。
「顕し」の魔法の効能で、ヒトの姿でいる間は、頭に埋め込まれた芯よろしく、唯、居坐ることがデフォルトになっちまった“俺の宿主さま”から、続々と吐出される憤怒一色な内語には、ついさっきまで、影も形もまるで存在していなかった「ぜったい」という新たな軸が、だんだんと滲み始めていた。
ねえ、ベッカちゃん——、
「先生、リニア姉さま。二人が立ち会うと間違いなく拗れちゃいそうだし」
レベッカの心証を再悪化させて、兆しかけの証拠を失くしたりしたくない。そんな心持ちだけで、慎重に次の句を継いでゆく。
ベッカちゃんがさ、絶対に星を取り戻せるように俺、協力するよ。だから、
「今日明日のレッスンは、このスヴァルに任せてくんない⋯⋯かな?」
(⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯)
EAPから見下ろす、夜半を疾うに過ぎた出水邸の居間。
その只中に据えられた、雑多なお菓子とお茶で埋め尽くされた掘り炬燵式の大きな座卓。
国籍不明な茶話会の様相を呈している天板の傍で、舞台替わりの艶々の一枚板を強く掴みながら、新米の師匠である茶髪の少年に向かって琥珀色の視線をまじまじと押しつけている幼女姿の俺の表情は、紛れもない懸命さに縁取られていた。
本来の自分とは似ても似つかない「ポーリャとしてのあどけない顔つき」へとくっきりと浮かび上がった、俺由来に違いない五歳児らしからぬ情念。
ちぐはぐ過ぎるその様を複雑な気分で脳裏の一角に収めてる俺に、さらに態度を軟化させたレベッカと、リニア姉さまに遣り込められていた先生が、ほとんど同じタイミングでバリアの内と外からそれぞれの返事を差し挟んでくる。
(⋯⋯ポーリャだけでとっくん?)
「そんなの条件によりけり、だよ。どうするつもりでいるわけ? ⋯⋯言っとくけど、星は持たせてあげられないからね?」
ベッカではなく、ポーリャと名乗れているあたり、少なくとも、俺の働きかけは功を奏しているっぽい。
俺と彼女の双方に向けた感心で、火が灯ったように妙にポカポカしだした胸底。それに背中を押されたのかもしれない。気がつけば、俺は特大の減らず口を叩いていた。
「大丈夫大丈夫♪ 《鋏》を使わせる気なんて俺だって、更々ねえし。どのみち、新学期までに成果を見せなきゃ、星、返して貰えないんだろっ? だったらこの件、俺に預けてみなよ? 悪いようには、しないって絶対! 保障すっからさ!」
「あらま、随分大きく出たじゃない? まともな『読み』も、使えないくせに?」
「でもさ、リニア姉さまたちの魔法は、ちゃんと捌けてただろ? 俺、こう見えて、引き出しの数には自信があるんだ。だからお願い!」
俺は食い下がる。すると、先生に替わる次の標的として、こちらに狙いを定めたのだろう。
姉さまの「読み」がにじり寄ってきた。
たった数秒前の一言を体現させるつもりで、現実の視界に被さるように描写させた「あなまほ」上のAIM通知。そいつを頼りに、彼女の魔法を、バシン! チル製の不可視の壁で弾いた俺は、ついた勢いのまま、虚勢承知で言い返してやる。
「『明かし』は『明かし』だけど、俺、宮代自慢のAIで、レベッカのためのお化けだからね。姉さまが『読もう』としても、笙真君と違って一筋縄には『聞こえ』なかったでしょ?」
「⋯⋯あくまでお化け役に徹する、と?」
「魔法使いとして、筋通せって、師匠から耳ダコできるくらい言われて育ったからね。それに⋯⋯あんな泣き声を聞かされた日にゃあ、放っておけない質なんだ、俺。リニア姉さまだって、笙真君にすごい顔してたし、俺と似たところあるんじゃない?」
履行確約を認めさせるため、手を変え品を変え言い募りながら、さすがに気恥ずかしくなってきた。
これ以上は、「さもありなん」で、勘弁してもらえねえかなあ⋯⋯。
俺と同い年のロウ家の小柄な魔女に向けて、バリアの外側へ、こそばゆくて仕様がない「昴としての素の願望」だけをあえて覗かせてみる。
レベッカの長鳴きについて、俺同様に非難めいた視線を宮代笙真へ投げかけてくれていた少女は、おでこを曝け出すのに使っていた大振りのバレッタに数秒間ほど指と目線を這わせたのち、
「⋯⋯いいわよ。さもありなんで」
信じ難いことに、満額回答を示してくれた。
「じゃあ休むけど、くれぐれも遠出はさせるなよ」
「わーってるって」
俺やレベッカと違って、明け方手前までずっと起きていた先生やリニア姉さまが、片付けもそこそこにあくび混じりで居間から引き揚げていくのを見届けると、俺は、羽織っていた綿入り半纏の上前を整え、
そういや、誰が出してくれた半纏だったか、聞きそびれちゃったな⋯⋯。けど、まあいいや。
どうせリニア姉さまか知恵さんのどっちかだろうし、帰ってきてから確かめれば充分。
独り言ちるように思い直すと、EAPの中の人工魔法を用いて仮想的に引き直したレベッカの「下り」権限のほとんどをベッカちゃんへと委譲する。
ポーリャ・カントリー・ロードとしての彼女が左腕を添えた玄関の引き戸の先、出水邸の庭の向こうを望む俺たちの低い視界には、マジックアワーの走りに差し掛かった濃い紫紺の夜空と少ししだけ仄白い棚引き雲、それから、もっと漆黒に近い色の甲南湖の森だけが静かに待ち受けていた。




