【#33】空飛ぶスマホは見た! 新米師匠のやらかしとレベッカの大慟哭に終わったレッスンからのカモミールティーとチョコレートアイス目撃録
“昼の話に関係してること? それなら返事が欲しかったから、もちろん。でもさ、どうして、リニア姉さまも? 今じゃだめなの?”
「そうよ? ベッカのしるしは、魔法をつよくするんだから。にんげんに戻るのもうまくいくかなって。やっぱしできなかったけど」
《鳴神》を通じて返事をした俺に、被せるようにレベッカが言った。
合点が行くが、同時に、心をチルで撫でつけられた、酷くひやんとする感触が俺を襲う。彼女が練りかけていたのは、エラーの寸前までは《二つ身》に違いなかったからだ。
パラメータと同期したまま、思惑に捕まっている俺や、再返信の出だしを追走させてきた先生――肝心の内容は、「熱ッ」っていう一言だけで終わっていた。どうせ、負荷熱に驚きでもしたんだろう――には構わず、レベッカはさらに続けてくる。
「スヴァルくんって、でたり消えたりとか、ベッカの痛いのなくすとか、いろんな魔法ができるでしょ。だからベッカも、みせたかったの。すごいのよ、ベッカと『ほし』もって」
狼にしては、ひどく寄り目寄りがちな琥珀色の視線で、机に赤いスマホを戻した先生を仰ぐように、他愛ない口調。
「⋯⋯でも、ベッカはできなかった。おおかみから戻るのも、スヴァルくんとちがってぜんぜん上手じゃないし」
昨夜の自主練で、俺が、EAPにデモらせた、ヒトと仔狼の往復のことを言いたいのだろう。
口元を尖らせる代わりに、鼻先に深い皺を寄せて、声音が変わった。がらがらの声。少し元気のない彼女の発言に、さて、何て返そう。思った俺より早く、先生が平然と口を開いた。
「そりゃあそうだよ。ボクも昴も、ポーリャちゃんよりずっと長く魔法の練習してきたんだから」
「でも」
「上手になりたいなら、出来るまでやるしかない。最初の一回って、そういうものなの。だから、ほら、もう一度やろう。もちろん星なしでね」
「――――ほしありがいい! だって、ベッカはずっとほしと一緒だった」
丸みのある小さな牙を覗かせながら、言い募るレベッカ。先生がこれと分かるくらい、両方の肩を竦めた。
苛立ちの滲む口振りで以って、ピンクの舌を突き出した仔狼へとばっさりと切り返す。
「だったら、はっきり言おうか。ポーリャちゃんが今、使おうとしたのは、《狐の鋏》の魔法だ。今、なんの練習してるか分かってる?」
「鋏の魔法? そんなこと、ないわ。ベッカ、ちゃんとしてるもん! ショウ兄ちゃま、スヴァルくんとちがって、やってみてしかゆわないのに、えらそうでずるい!」
「ずるくなんてないよ。ポーリャちゃん。⋯⋯やる気がないなら、今日はもうお終いにしちゃってもいいけど、そうしようか?」「おしまいなんて、やだ!」
完璧に片意地を張った口調で喚くと、後退しながらリネンのワンピースから全身を引き抜いた彼女は、あかんべえと同じく、狼らしからぬ地団駄。
スフィンクスよろしく、薄朱に染まった毛並の下に星をしっかりと抱き込むと、大声で吠えてみせる。
「やめないもん! ベッカは、ほしと一緒しか嫌なの!」「そっか。じゃあ仕方ない」「? ――ぴゃっ、いぃやぁあああッ、はなしてっ、ベッカのしるし! っ、しるしと、はな、して! しるしといっしょッ、じゃなきゃやだあぁ――――!!」
実にあっけなく抱えられた銀灰色の脇腹を、全力で仰け反らせる。彼女の体躯とほとんど変わらぬ色調のブランケットの合間へと取り残されていた透明な星に向けて、四つ足全部が、ばたばた空を切った。
昨夕に彼女が「得意」と豪語した、鋏の魔法――雨上がりの水たまりから鋏を放つ魔法が、空気中に振り撒かれた涙だけではなく、その他の水気まで参照し、すぐさま警告まで辿り着く。
先ほどと同じ、カの抜けた頼りなさ気なビープ音が、「あなまほ」を通じて部屋の景色を魔力の側から眺めていた、俺や先生の思考の内側だけで反響し、「何が起こらなかったのか」を淡々と告げてきた。
先生の手で、昼のうちにがらんどうにされていた器も、俺たち二人の理解を暗に体現している。
けれど、彼女にそのことを分かれというのには、余りに酷で、不十分だった。
天井にぶつかって散り散りになったベッカちゃんの嘆き声に、「星」が見た目の上でもたらしてくれたものは、何もなかった。
《鋏》どころか、一欠の金属片すらも。
俺を内包している彼女の拙い戸惑いが、痛みと併せられたまま、リンクの向こうからひしひしと伝ってきた。
「ポーリャちゃん。言ったよね。中身がないから、返すけどって。でも、やっぱなし。それじゃあ意味ないくらい、魔法全部が《鋏》になってる。だから、これはボクが、預かります」
片腕が支えていた暴れる仔狼を、器用に小脇へと抱え直しがてら、先生の空いていた右手が、「星のかたちをしたしるし」を、あっさりと掴み上げた。
眼窩から零れ落ちそうなくらい見開かれていた、彼女のアンバーみたいな目の玉と《光学迷彩》の淡い輝きをともに映した、小さな星が、先生の手のひらの中へ、躊躇いもなく仕舞い込まれる。
「あと三日で、ボクは新学期だからね。それまでに自分の力だけで変身できたら、星はポーリャちゃんに返してあげる。でも、できなかったら――んー、そうだなぁ。リン姉にあげちゃうかも? だから、頑張りなよね?」
俺が、レベッカに教えてやったばかりの、「半分だけの嘘つき顔そのまま」で、新米師匠の少年が、悪戯っ子みたいに言い放った。
◇
“起きてる? 昴”
“…………笙真君? こんな時間に、何?”
“何って、リン姉。下で待ってる。レベッカ嬢は寝てるね。起こさなくていいから、降りておいでよ。人間の態でね”
朝が来る時刻より、相当フライング気味な時間帯。
文字通り、「精魂尽きる果てるまで」練習に取り組んでいた小さな獣の心身とともに、毛布の海に落ちている俺は、《鳴神》越しに呼び出されて、直ぐにベッカちゃんの瞼を右目側だけ静かに押し上げた。
常夜灯に照らされた部屋の中には、綿入りの半纏と赤いEAPを手にした、短髪の少年の姿。
《ドヴォルザーク》に比べたら、全然洗練されていないものの、「読み」の一端を確かにエミュレイトしている古めかしい《鳴神》アプリに向かって、
“覗くな。出てけ。ベッカちゃんが、アバキのショウ兄ちゃまなんて大嫌いって超々怒鳴ってたからな。何十回レベルとかじゃなくて、ホントに散々だったんだぞ”
と軽口を添えた「圧」を返す。
赤熱しているスマホを、袖口の生地ごと握り直しながら、無言で退出していった先生の求めに応じると決めて、仔狼の身体を五歳の女の子に戻すと、俺は跳ねるように身を起こした。
EAPの助けを借りて、魔法として成立させた変身と同時に、傷が消えた両腕から肩までをぐるんと回し、大きく生欠伸。
連続していない二つの身体、と先生が定義付けることになる《二つ身》の呼称が指し示すとおり、「上り」の大半を占めていた仔狼の痛みを引き取るため、意識の底に常駐させていた《ドヴォルザーク》がふっと軽くなったことを遅れて感じ取る。
「ああ、しんどかった」
言うほどでもないと思いつつも、口にしてみると、心に沈んでいた澱が解けた気がした。
自覚しているより、俺も大変だったらしい。自嘲気味に思い直しがてら、俺のものではない腕をもう一度、ううんと伸ばす。かかるような幼い声が、鼻を抜けて耳朶を打たいた。
彼女の尊厳をこれ以上削らぬように、畳まれていた肌着やワンピースを素早く身に纏い、先生が残してくれてあった、暖かそうな上っ張りを羽織る。笙真君にしては、やけに気が利く。はて、誰の差し金かな。そんなことを頭に一瞬だけ思い浮かべる。
念の為に、レベッカに繋がる「上り」まで完全にオフにさせて、身軽になった俺は、EAPの筐体をひんやりした夜半過ぎの空気に溶かし込むと、階下へとつま先を向けた。
光を洩らしているガラス戸を開けた、俺を待ち構えていたのは、優雅そうな手つきでカモミールティーのカップを堪能している、おでこ全開のリニア姉さまと、いかにも高級ぽさ気なチョコレートアイスを、竹の匙で掬い上げ中の先生の姿だった。
知恵さん抜きの、出水家の居間。その真ん中に
設えてある掘り炬燵式の座卓には、恐ろしく胸焼けしそうな焼き菓子などが、所狭しと並べられている。
スコーンに、メイズ・オブ・オナー。それに、なぜか、野沢菜のおやきまで。
呆気に取られている、ポーリャ・カントリー・ロード姿の俺と目が合ったリニア姉さまが、ちょいちょいと手招き。
俺は、少し迷った末に、リビングへと足を踏み入れた。
ベッカちゃんを支えるお役目から、宵の口ぶりにほぼ解放されて、低負荷で安定稼働中な俺のEAP。銀色の筐体に象嵌されているカメラのお陰で二重写しになっていた、俺の視界のやや下の方で、癖のあるブルネットの長い髪を、ぼっさぼさにしたままの童女の後ろ手が、横滑りの建具をがらぴしゃっと、閉めた。




