【#32】空飛ぶスマホが見た、銀灰色のタイニーウルフと新米師匠の『魔法練習風景』 (後編)
「ごめんごめん。でもさ、そんなうるさそうな顔しないでやって。昴が泣いちゃってる」
少し、いや、相当盛ってある口振りで、唸るレベッカへ告げた先生は、わずかに首を巡らせて、彼の背後――俺の浮かぶ中空をちらりと見上げてきた。
「笙真君、普通はスマホって泣くものじゃないんだけど」
「でも、ボクにはそういうログが入ってきてるよ。嘘だと思うなら、読み上げてあげよっか?」
「…………ポーリャちゃんが信じかねないから、止してくださいよ」
「えっ、スヴァルくん、泣いてるの?」
ほら、言わんこっちゃない。
唸り声から一転、真剣に取り合おうとしてくれている仔狼の隣に、音もなく降下した俺は、《光学迷彩》の見え辛さを幾許か緩めてやる。
カメレオンクラス。そう命じた俺のオーダー通り、光に縁取られた筐体の輪郭だけが、彼女からも視認出来るようになったみたいだ。
流線型の小さなスマホの姿をした俺を、不思議そうな琥珀金の目つきが追いかけてくる。
「泣いてないよ。さっきも言ったけど、俺、AIなんだし、泣いたりなんてさ、あるわけないじゃん?」
ついさっき、仔狼の右目で涙をこぼした奴のセリフじゃあないよな。レベッカだって覚えてるに違いないんだから。
そんな具合に、無理筋過ぎることを自覚しながら、俺は、スピーカーから流暢に再生される自分の声を押し留めることが出来ないでいた。
誤魔化しだけで象られた言葉が響く。
「それより、ポーリャちゃん。笙真君の顔を見てあげてよ? ショウ兄ちゃまが嘘をつくときの顔は、ああだから覚えておこうね」
ここに元の身体があったなら、ジト目が伴うこと請け合いになるよう、微調整済みの口調は、うまく効いてくれたらしい。
先生の方へ顎しゃくり風の仕草をしてみせたスマホに向けて、レベッカから、こくん。真剣な素振りのまま頷かれる。
……これから折りを見て、見分け方をベッカちゃんにも教えてやんないと。
だって、先生お得意の「半分だけ本当の言説」に、この子が巻き込まれっ放しじゃあ、さすがに気の毒過ぎだもん。
こんなの、先生だけじゃなくて、ベッカちゃんとも共有するわけにいかないんだから、ログに残しちゃダメだよ。一切合財ね。
今まさに、宮代昴の肉体の代わりとなっている銀色のEAPへ、無音でそう通達すると、俺は、存在しないはずの胸の痛みは頬冠ろうと決めた。
レベッカの気を引きたい一心でスマホの身体を点滅させながら、先生を振り返る。
苦笑いの気配を薄っすらと残していた少年の口元が、結び直される。
彼が口にした|練習再開の呼び掛け《さ、もういっかいだよ?》を合図に、息を吸い込んだレベッカが、三巡目の練りを開始したことが、俺や先生と同期している「あなまほ」のダッシュボード上にも、輝点として現れだした。
レッスン初日の彼女は、気合が声として空回りしていたけれど、今日は静かなものだ。四日前とは、えらい違いだよな。俺の助言も取り入れてるだなんて、《狐の鋏》の子供と思えないくらい、素直だしさ。
そう思いながら俺は、エイプリルフールの日に新米の師弟となったばかりの二人を、高みから俯瞰することにした。
図として描写されている《二つ身》――彼女の変身魔法は、型の手前、踊り場にいるくらいの出来栄え。昨日は指が掛かっていたから、少しよろしくない。
ふうむ。こりゃあ、先生の言った、「三日四日かかりそう説」の方が正しいのかも?
今の先生よりは、俺のほうが宮代家の魔法使いとして、長いキャリアがあるから、才能の差を見せつけられたみたいで、少しだけ悔しい気持ちになる。
先生の頭の中で展開されているのは、彼が自分で選んだ対象を「読ん」だ結果と、俺がアクセスを認めている「あなまほ」からのデータを併せての分析なんだろうけど、医療用の人工魔法の類型でもある《ドヴォルザーク》を通じて俺が扱えるのは、仔狼の身体を駆け巡る|神経信号《「上り」と「下り」の中身》だけなので、彼がどんな風に考えて居るのかは、未来の宮代笙真に師事していた俺の経験から推し量るしかない。
悔しさ二点目だな。⋯⋯って、だめだめ。先生のことなんかより、チルの制御にきちんと集中しなきゃ。
本物の「読み」からすれば、模倣もいいところの|レベッカのためのチル魔法で、生身しか持たない彼女から切り離している、“電子化された全身の痛み”。
家族の元へ帰りたくって、懸命に練習に取り組んでいる小さな女の子に、こんなものを突き返すなんて、さっき以上にありえない大失態なんだから。
EAP一台分しかない、俺が利用可能な処理能力。その帯域の中で、代替魔力素子生成機能と並ぶ最大勢力として、ずっと流され続けている“数字の羅列”は、今の俺の身体上は、「主観として再現されない無味乾燥気味な情報」に違いないけれど、ベッカちゃんにとっては「そうじゃない」んだぞ。努々忘れるなよ。
引き締めを図るために、作ったばかりの仮想のほっぺたを、ピシャリ、バチンと二回も打ち鳴らした俺は、レベッカの黒衣としての役割を改めて全うしようと、EAPの中に分散させている意識を切り替えた。
北向きの出窓に掛けられた、カーテンの隙間。そこからわずかに望める、甲府盆地の春の夜空と、俺や先生に見下ろされているレベッカはまだ、例のしるしを、前足の爪でがっちりと押さえ込んだまま、三度目の練りの最中だった。
焦点が合わないことを意図してか、硝子玉のように暈かされたアンバーカラーの瞳で、虚空を見つめている。
ワンピースに埋もれかけた銀灰色の毛並みと小さな身体は、乱れた毛布の上で、尻尾の先まで揺らぎすらしない、集中を絵として描き起こしたような彼女の姿。
それに呼応してか、俺の視界の端に埋め込まれているモニタリングの値が、ポンという通知音とともに、俺という手本を真似た昨日のレベッカを、軽々と飛び越えてきた。
俺と同じように、沈黙を保った先生の目も真剣だった。好奇心で爛々と輝く縞栗鼠色が、寝台の上の仔狼に釘付けになっている。
そして――、ブブーッ!
型と魔力の不適合を警告するわりには、緊迫感の乏しいビープ音が、あなまほと同期している俺や先生の脳裏で、にわかに響き渡った。
「えっとね、みやしろじまんのスヴァルくんとおんなじで、べッカのしるしだってすごいから、真似っこしたら、できるかもって思ったの」
失敗の理由を尋ねた先生へ向けて、「超絶すぎる五歳児理論」を、えっへんと振り翳した、レベッカ――いや、ポーリャ・カントリー・ロードに、完全に虚を突かれたのは、幸か不幸か、俺だけじゃあなかった。
最新版の「あなまほ用・効果音」として、今しがた鳴り響いたばかりの、軽薄過ぎるサウンド。
満場一致でそいつを不採用にするはずだった格式ばった会議を、視線一つでひっくり返した「読み」の天才。
そんな彼の現在にあたる十四歳の少年が、俺が敬愛してやまない宮代笙真を微かに彷彿とさせる、涼し気な憂いを、引き攣った笑みの前にほんの一瞬だけ、挿し挟んでみせた。
……たぶん本当は、もっと大人びている柔和な表情にしたかったんだろうな。
そんな風に感じて、無言になった俺が浮かぶ、先生の目線と同じ、床上155センチほどの高さ。
俺のすぐ隣にいたはずの先生は、ベッカちゃんの正面へ、唐突にしゃがみ込んだ。
カメラ越しに俺が観察を続ける景色の下側で、ベッドの上の五歳児と目線を合わせる形になった先生が、口を開く。
「ねえ、ポーリャちゃん」「なあに? ショウ兄ちゃま」
「今のやり方だけどさ、それって、ポーリャちゃんだけで考えたの? よかったら、ボクや昴にも詳しく教えてよ? 昴も気になってるみたいだし、ね?」
言葉とともに、彼はレベッカの返事を待つことなく、やおら立ち上がった。
自らの太腿のあたりを軽く叩くような仕草を挟んで、机の上に放り出していた真っ赤なスマホをおもむろに握り締める。
“練習が終わったら、下で少し話そう。リン姉を交えた三人でも、もちろん平気だよね?”
古い規格のチルが背負った、心のこもった問いかけが、この時代では、俺と先生しか知らないであろう通信経路――《鳴神》アプリが支える回廊を、凄みのある勢いのまま、駆け抜けてきた。




