【#31】空飛ぶスマホが見た、銀灰色のタイニーウルフと新米師匠の『魔法練習風景』 (前編)
ほんの少しだけ上擦った、彼の語尾。声変わりまではまだ幾分ありそうな声音に、引っ掛けられるまま視線を上げると、先生と目が合う。
「それって、ベッカちゃんのことですよね?」「ポーリャのこと?」
「さあ、どっちだろうね。……だいぶ、気が紛れたみたいだし、練習、始めよっか? 昴、自主練の様子は?」
代わる代わる尋ね返した俺たちとは裏腹に、はぐらかすように言葉を切った彼は、すでに本題へと意識を向けた様子だった。
視線を逸らされると同時に、気の抜けてない、少しだけ勿体付けた言い方が返ってくる。
「⋯⋯型に指がかかるくらい、かな」
彼との調子の擦り合わせを兼ねて、わざと古めかしい口振りで伝えると、先生は即座に合点してくれたらしい。照れの気配が無くなった明るい色の瞳を軽く剥いて、応じてきた。
「そんなに? 驚いたな、それってずいぶん早いと思うけど」
「そりゃあそうですよ。教え方に、一日どころか四半世紀の長がありますからね。ま、もともとはこの子の素養がしっかりしてるからこそ、なんだろうけどさ。話すのより魔法の方が早かったなんて、あんまり聞いたことないもん、俺」
お座りしている仔狼の口を借りて、あっさりと敬語混じりに白状してみる。先生の様子からすると、どうやら、こっちは既知の情報だったみたいだ。
自分のことを褒められているとは、なんとなく程にしか理解していないのだろう。
俺と先生の話に、気になるけど、わかんない。
そんな体で聞き耳を立てているレベッカが、いかにもうずうずしたまま、尻尾を大きく振った。
仔狼の身体には大きすぎるリネンのワンピースが、ばさりと音を立てる。
「とにかくさせてみたらどうかな。論より証拠だしね。まあ、ボクの見立てじゃ、あと三日、四日はかかると思うけど」
「いや、俺は今夜中だと思いますけどね。ベッカちゃん、今、ざわざわはどう?」
モニタリングした値を頭の中で諳んじながら尋ねてみると、自信ありげな返事が戻ってきた。
「ないけど、したらできるかも! ショウ兄ちゃま、スヴァルくん、はじめてもいい?」
反対すべき理由など、あるはずもない。俺は、彼女の後ろ盾らしく、レベッカに繋がる痛覚をEAPとのリンクの上に設けた指先でまとめて手繰り寄せたまま、余計な感覚だけをストレートに彼女へ迎合させる。
ヒトの姿でいる時よりも、格段に灰色味を帯びた視野が、アプリの間に埋没しかかっていた俺の意識の上澄みへ、すっと浮かび上がる。
黒衣役の俺からのアドバイス通り、どこにも焦点の合わないように歪められたレベッカの視界が、今が夜だという認識を少しだけ疎かなものに作り変える。薄ぼんやりした景色の中で、《二つ身》の型を捕まえようとしている彼女は、魔力の漏出量だけなら、「あなまほ」での測定上は魔法が成立しうるレベルとドンピシャリだった。
目下の課題は、魔力をきちんと「型」に当てはめられるよう、正しく練ることに尽きるな。出来なければ、ただの浪費とまるで一緒だし。
そんな評価を思い浮かべている間に、乾燥の限度に達した目蓋が、自然に瞬いて、視界が像を結ぶ。
うーん……今夜の練習の一巡目は、残念だけれど、失敗だな。
悔しげにめくれ上がった仔狼の上唇から、がるる。低い唸りが喉の奥に向かって小さく響く。
“ねえ、ポーリャちゃんの目、瞑らせた方がよくない?”
“俺も昨日はそう思ったんです。でも、暗いのは『怖いから嫌』なんだって”
俺と同じで、レベッカの邪魔になると踏んだのか、《鳴神》越しに先生の声が届く。
《ドヴォルザーク》に担わせているのは、リニア姉さまの攻撃が残した怪我の痛みを、俺側へ付け替えることだけなので、メモリの空きは十二分だった。即座に応答する。
俺のEAPとは逆に、彼の試作機――世界初のEAPは排熱が処理に追いつかなかったらしい。
神妙な表情を顔に貼り付けていた先生が、使い古しの赤いスマホを机の上に放り出して、右の掌と甲を軽く振った。
そんな先生の仕草に気がついたレベッカが、唸るのをやめて彼の顔を見上げた。
よければ、俺のを使います?
先生とかち合う格好となった、彼女の琥珀色の視線に、ログイン中の魔法使い支援機能から呼び戻した思考の片鱗を滑り込ませる。
いいの? そう言いたげな、焦れったい光を虹彩に帯びていた少年へ、もちろん。でもケーブルは外してくださいね、負荷を気にせずに人工魔法を使いたいので、と仔狼の瞳越しに頷いてやる。
彼からの返事はなかったけれど、承知とか了解程度のことは思ってくれたようだ。
《光学迷彩》による不可視状態のまま机上に置かれていた、二〇五一年春夏モデル予定機を一瞬で探り当てた彼の利き手が、目印となっていた充電のための黒い端子を遠慮なく引き抜いた。
少年の指先を巡っている、年齢以外は俺の先生と寸分違わない生来の魔力を検知したEAPの挙動が、スィンという殆ど音を伴わない手応えとともに、開発者向けの機能が付与されたものへと移り変わる。
言っておきますけど、ベッカちゃんを観てる「あなまほ」のログ以外は覗かないでくださいよ。
マルチログインの相手方である彼が、勘違いしないように、最初に釘を刺しておく。
いいよ。二年半もあったから、キミのスマホの中身なんて、粗方浚っちゃったけどね。
………。それなら、見返すのは絶対に禁止で。嫌なら、管理者権限で俺が弾き飛ばしちゃいますから。
より一層の「質の悪さ」を発揮した年若い先生の軽口にげんなりしつつも、行き交う電気信号へと織り込んだ昴からの「ため息付き警句」を叩き付けてやる。
時間にしてみれば、一瞬にも届かない合間に圧縮された応酬。
リンクの外では、俺達二人のやり取りから完全に一線を引かれていたレベッカが、彼女なりの判断で二巡目の練習に取り掛かり始めていた。
EAPの計器に追わせていた五歳児の魔力が、「あなまほ」が描写したリアタイのレンダ図として、俺の知覚の中心へと躍り出てくる。
そっちにも円グラフぐらいは観えてますよね、真面目にやりましょうよ。こんな小さな子が黙々と頑張ってるのに、馬鹿ばっかで放っとくだなんてさ。
曲がりなりにも、師匠の役を引き受けたボクがするコトじゃない? そりゃ、そうだね。
先生の手が掴んでいた銀色の筐体の内と外から、所作なしで頷き合う。
EAPを離してもらえますか? 《蛍火》を立ち上げるから。
流れるように、そう続けた俺に応えて、先生が掌を開いた。
《光学迷彩》の下、纏った《蛍火》の燦めきごとヒトの眼から隠されている小さなスマホに意識を置いたまま、俺は飛空を開始した。
音もなく天井際まで浮上したレンズ越しの視界の中に、二巡目こそは人間に戻りたいと意気込んでいる仔狼と、師匠としてはひよっ子もいいところな十四歳の少年が映り込む。
「ベッカちゃ……じゃなかった、ポーリャちゃんのモニタリングは俺がやるよ。ログの共有も続けるから、笙真君はその子が疲れすぎないように気をつけてあげて」
俺の地声風の《人工音声》による一言は、だいぶ声量を絞ったつもりだったけれど、レベッカの狼としての聴覚には、まだ喧しかったらしい。
銀灰色の毛皮に包まれた薄い耳介が、いかにも迷惑そうにピクリと動いて、集中力が途切れたことをじかに訴えてきた。
「スヴァルくん、うるさいんだけど」
静かだった部屋に五分ぶりに反響した女の子の正直な言葉。辛辣すぎるその反応に少しだけ凹んだ俺の気持ちを、リンク経由で共有する羽目になった先生が、我慢出来ずに吹き出した。
声を上げて破顔する少年に向かって、レベッカが、今度こそ本気の唸り声を上げた。




