8話
「ごめーん、ムドウ」
そして、四葉の後ろからは、緑がかった金色という不思議な髪色に、明るい緑色の瞳の美少年が、ひょっこりと顔を出した。
「思ったより早かったな。まあいいさ、話したい事はあらかた話したからな。よくやった、翡翠」
「金色が前より早くてさ。危うく開始直後に捕まる所だったよー」
訳が分からず、翡翠と呼ばれた美少年と、紫垣を交互に見ていると、そんな葉花の様子を無視して、美少年はふわりと宙を飛んで、紫垣の横にべったりとくっついた。
「あなた、もしかして、リムル!?」
「え?今更?見たら分かるでしょー」
少し馬鹿にしたように美少年はそう言うと、紫垣にもたれ掛かる。よく見れば、確かに美少年の身体からはリムの気配がする。
「一之条さん、すまない。少し口の悪い奴でね。私の契約者の翡翠だ」
「あ……、そうなんですね」
まるで恋人のように、べったりと紫垣にくっつく翡翠を見て、葉花は少し顔が赤くなる。紫垣は若くはないが、整った顔立ちをしていて、クールな雰囲気のいい男だ。そこに、美少年がくっついているというのは、いけない世界を覗いてしまったような気分になる。
四葉も葉花の横に来て、もう一度紫垣を睨むと、ふんと鼻息をならしてから、床に寝そべった。
「ムドウ、金色と全力で追いかけっこしたから、お腹空いちゃったよー。ちょっとリム食べさせてー」
「ああ、好きに食え」
翡翠がくっついている場所から、リムの気配がして、そこに持たれている美少年の顔が蕩けていく。
美しい顔に恍惚の笑みが浮かぶのは、かなりの破壊力だった。葉花は思わず翡翠に見とれてしまう。
「あんまじろじろ見られるの、好きじゃないんだけど」
翡翠が不機嫌そうな顔を葉花に向ける。
「あっ、ごめんなさい。あんまり綺麗だったから」
葉花が素直にそう言うと、翡翠はきれいな瞳を瞬かせて、表情を和らげると、怪しげな笑みを作る。
「まあ、ボクが美しすぎるのがいけないんだけどね」
にたりと笑い、紫垣の首に腕を回して、見せつけるように頬をぺろりと舐める。
紫垣は眉間にしわを寄せると、翡翠の顔を手で押し戻す。
「公衆の面前でそういう事はやめろ」
「はーい」
ぽけーっと、その様子を食い入るように見ていた葉花に、四葉が声をかける。
「ヨーカはああいう見た目の人間が好きなのか?」
「え!?何いきなり!いや、ほら、普通に綺麗だから、つい見ちゃっただけで」
「は?普通にって何?」
葉花がついこぼした言葉に、翡翠が睨らみつけてくる。
「あー、普通にって、えーっと、それはみんなが綺麗って思うって事で、私だけじゃないと言いたかったのであって」
しどろもどろになる葉花に、紫垣は小さく吹き出す。
「そ、そんな事より、なんの話をしていたんだっけ……」
「ヴァイラに来ないかと言う話しだな」
冷静に紫垣に返されて、葉花は四葉を見る。
「シガキ、またその話か。それは断わった筈だ。私は間もなくいなくなるし、そうすればヨーカのリムも落ち着く」
「まあ、君はそういうと思っていたからね。だから彼女と二人で話したかったのさ。君がいたら、彼女に話しすら出来なかったからね。あ、一之条さん、金色が居なくなった後、他のリムルと契約してヴァイラに入るって手もあるよ?」
葉花は紫垣の提案に驚く。それは考えてもいない事だった。だが、その一言で葉花は無性に腹が立った。四葉の目の前でよくもそんな事を言えるものだと、ふつふつと怒りが湧き上がる。葉花が怒りに任せて、声を上げようとしたとき、先に四葉の低い声が響いた。
「シガキ」
四葉が立ち上がり、紫垣に殺気を向ける。それを見た翡翠が、四葉を睨みつけて応戦体制に入った。葉花は自分の怒りがするすると治まっていき、四葉を止めにはいる。
「ちょっと待って!四葉、やめて!」
葉花は、立ち上がった四葉の首に腕を回すと、ぐっと引き寄せる。
「紫垣さん。私は四葉以外と契約する気はありません。それにヴァイラにも入りません。せっかくのお話ですが、お断りさせてもらいます」
葉花は立ち上がり、伝票を取ろうとすると、いつの間にか柴垣が伝票を手元に引き寄せていた。
「今日はおごらせてくれないか。怒らせてしまったお詫びにね」
涼しい顔で柴垣に言われ、無理やり支払うのも大人げないと思い、下唇をきゅっと噛むと、一応礼を言う。
「ではごちそうになります。ありがとうございました。では、これで」
葉花は踵を返すと四葉を連れて店を出た。
店を出ると、一気に夏の暑さに襲われる。
「はーっ、なんだか疲れた。帰ろう四葉」
「ああ」
葉花は、日差しが照り付けて、ゆらりと陽炎が揺れるアスファルトの上を、だるそうに歩き始めた。
マンションに帰ると、葉花はクーラーを入れて、ベッドに横になった。昨日は慣れないホテル泊まったので、なんだか疲れが抜けきっていない。お腹も満腹で、横になると、あっという間に睡魔が襲ってきた。
横になった葉花の横に、四葉がやってきて寝そべる。
「四葉、大丈夫だった?」
「何がだ?」
「翡翠と戦ったりしていたの?」
「いや、逃げるあいつを追いかけていただけだ。奴が、人間以外の形をとれる事を忘れていて、ヒスイだと気づかなかった。見知らぬリムルに挑発されたと思って、つい本気で追いかけてしまったのだ」
「前に、この世界にきたリムルは、最初に決めた形から姿を変えられないって言っていなかった?なんで翡翠はできるの?」
「シガキが異常なほどのリム量を持っているからだ。リムが大量にあれば、向こうの世界のように自由に姿を変えられる」
「へえ、柴垣さんってすごいんだね」
「ああ、ヴァイラの中でもトップクラスだろうな」
「でも、嫌い。なんだか一方的だし、翡翠を使って四葉を私から引き離したやり口も、気に食わない」
「あいつは昔からそういう奴だ。ケンタロウは奴の事を、わりと気に入っていたみたいだがな。だが、ゴウリテキすぎるとか言っていたな。私も、柴垣には何度かいいように使われたから、よほどのことがない限りは会いに行ったりはしない」
自分の誕生日プレゼントの相談をしに行くというのは、四葉にとってよほどの事だったのかと、葉花は嬉しくなる。柴垣に言われるまでもなく、四葉を引き留めてこの先一緒に居たいという気持ちは、もうどしようもないほど膨れ上がっている。でも、それを四葉に伝える事は出来なかった。
「四葉、少し眠ろう……。なんだか疲れちゃった」
「ああ」
金色の目がゆっくり閉じられる。そっと四葉を撫でながら、葉花は眠ってしまった。
ピンポーン、と来客を告げるチャイムの音で葉花は目を覚ました。
時計を見ると、午後の三時過ぎだった。二時間以上も眠っていた事に驚くが、すぐに来客を思い出して、ベッドから跳ね起きる。
葉花はインターフォンの受話器を取る。
「はい、どちら様ですか?」
「〇〇宅配便です。一之条時子様からお荷物です」
時子は葉花の母だ。一人暮らしの娘の為に、時折こうやって、田舎から野菜やら果物などを送ってくる。葉花はマンションのロックを解除する。しばらくすると、荷物を持った宅配業者がやってきた。荷物を受け取ろうとすると、宅配業者の男が、苦笑いして言う。
「結構重いですよ、大丈夫ですか?」
「そんなに?」
「玄関の中に置きますね」
男が大きめの段ボールを、よいしょと玄関のフローリングに置くと、ずしんと重そうな音がした。葉花が伝票にサインをすると、男は爽やかに挨拶をして帰って行った。
玄関でそのまま段ボールに張り付いたガムテープをはがして、中を開けると、そこには、ジャガイモやカボチャ、いんげん、なす、ピーマンなどの野菜がみっしり入っていて、隙間には醤油や味噌などの調味料が詰め込まれている。
「こりゃ重いはずだ」
葉花は手で持てる分をとりあえず台所に運ぶ。何度かに分けて荷物を片付けると、ふと四葉が起きてこない事に気が付いた。リムルは本来眠ったりはしなくても大丈夫と、四葉から聞いていた。いつも葉花に合わせて、横たわって身体を休めているだけだ。普段なら、葉花が起きれば、四葉も起き上がっていちいち、ちょっかいをかけてくるのだが、まだベッドで休んでいるのだろうかと、気になった。
「四葉?」
キッチンから、部屋へと行くと、四葉はまだベッドの上で、目を瞑っている。今までこんな事はなかった。葉花は急に不安になる。
「四葉?どうかした?気分が悪い?」
リムルに気分が悪いとかないのだろうが、つい口から出てしまった。葉花がベッドに近づいて、四葉の顔をのぞき込むと、金色の目がうっすらと開かれた。いつもより金色が薄いような気がする。
「ねえ、四葉?大丈夫?具合が悪いの?」
「ヨーカ、大丈夫だ。なんでもない。さっき緑のを全力で追い回したせいか、リムが不足してきたみたいだ」
葉花は、今更ながらに気が付いた。柴垣の所に戻ってきた翡翠は、彼にリムが欲しいとねだっていた。あれはただ甘えていた訳ではなかったのだ。翡翠もリムが少なくなって、純粋に柴垣のリムを欲しっていたのだろう。
よくよく見ると、四葉が全体的に少し薄いように見えた。
「四葉!なんだか薄くなっていない!?」
「ああ、リムが不足してくると、身体を保てなくなってくるのだ。だがこの程度なら大丈夫だ。動かなければ問題ない」
「大丈夫じゃないよ!」
葉花はベッドに飛び乗ると、四葉の頭を抱えて膝に乗せる。そのまま両腕で抱きしめると、リムを流し込む。
「ヨーカも疲れていたのだろう?大丈夫か?夜でも構わないのだぞ」
「馬鹿!そんなの気にしなくていいんだよ!なんで早く言わないの!?我慢しないでよ!」
「それほど我慢していた訳ではない。ヨーカに会うまでは、この程度よくあることだった」
「そうだとしても、私には我慢しないでよ。そんな事されると寂しいよ。翡翠みたいに、翡翠が柴垣さんに甘えるみたいに、もっと頼ってよ」
「……すまない」
四葉が不思議そうな顔で葉花を見つめて、ぽそりと謝る。
謝られて葉花は罪悪感でいっぱいになる。
「ちがうの、謝らせたかったわけじゃないの。ごめんね、翡翠が柴垣さんにリムを欲しいって言っていたのを見ていたのに、四葉もリムを消耗していることに気づかなかった」
葉花は抱きしめた四葉の頭に、自分の額をくっつける。滑らかな毛の感触が気持ちいい。
「ヨーカ、謝ることはない。今後はこうなる前に必ず言う」
「絶対だよ」
「分かった」
ああ、離れたくないな……。手放したくない。
葉花はリムを流しながら、こみあげる思いをぐっと飲み込んだ。
その晩、葉花は何気なく目を覚ました。何か変に神経が敏感なようなそんな感じがする。東京の夜は、どんな夜中でも、かすかに車の通る音などが絶え間なく聞こえているのだが、なぜか物音一つなくシンと静まり返っていた。音がしなさ過ぎて、耳の奥がキンと痛くなるような感覚さえする。
むくりと起き上がると、ベッドの上からちゃんと衣擦れの音がしてほっとする。携帯を見ると午前二時になるとことだ。
「ヨーカ、どうした?」
「四葉、なんか目が覚めちゃって。ねえ、変に静かすぎない?」
四葉は、耳をぴくぴくと動かす。
「そうか?いつも通りだと思うが」
葉花はますます耳の中が、耳鳴りのようにキイインとしてくる。
「さっきから耳鳴りがして……」
言った途端今度は、全身にぶわっと鳥肌が立った。窓の外からなにか変な気配を感じる。
「ヨーカ、大丈夫か?」
「四葉、外に何かいる?変な感じがする。身体中がぞわぞわするよ」
「見て来る」
四葉はベッドからするりと飛び出すと窓の外に消えた。葉花の鳥肌は治まらない。そろりそろりと窓に近づくと、カーテンを開けて外を見る。窓の外で、四葉の金色の毛並みが宙に煌々と輝いている。四葉はきょろきょろと辺りを見わたしてた。
葉花も、からりと窓を開けてベランダにでる。鳥肌と共に背筋を寒気のような感覚が襲う。
「ヨーカ、何もないぞ?」
「変ね。風邪でも引いたかな?」
葉花はそう言いつつも、宙のある一点から目を逸らせずにいた。
「四葉、何か来るよ」
四葉は葉花の見ている方向に目を向ける。その瞬間、その場所の空間がぐにゃりと歪んだ。
歪んだその先から、リムの塊が流れ込んでくるのが見える。
そのリムの塊が流れ終わると、ぐにゃりとした空間は元に戻り、塊は大きなわたあめのように、宙にういたままぐにゅぐにゅと動く。
「ヨーカ、部屋に入っていろ。リムルだ」
「まさか、今こっちの世界にきたリムルってこと?」
「そうだ。どんな奴かわからん。危険かもしれないから、部屋に入れ」
「分かっ……、きゃあ!」
部屋に入ろうとした葉花の間の前に、わたあめのようなリムの塊が迫っていた。
気が付くと葉花はわたあめにからめとられていた。リムのわたあめに口を圧迫されて声が出せない。
「ヨーカ!」
四葉がわたあめに向かって前足を振りかぶるが、異様に早いわたあめのリムルはそれを難なく避ける。
「ちっ!来たばかりのリムルは流石に早いな」
「おや、お仲間かい?もしかして、君もこいつを食おうとしていたのか?悪いね。こいつは私がもらうよ」
「ふざけるな!それは私の契約者だ」
「契約者?なんだそれは」
「リムを与えてもらう契約をしたものだ」
「ふうん、つまり、リムをもらう代わりに生かしておいてやるという事だね」
「違う」
「よく分からないな。私も契約とやらをして貰おうかなあ。ああ、でも生かしておくとなるとリムを吸い尽くしちゃまずいんだよねえ。きっと」
四葉はリムルから、葉花を取り戻そうと必死に追いかけて攻撃をするが、リムルはひらりひらりとそれをかわしながら、呑気に話す。
「まあいいや。どこかに持って行ってから、その契約とやらをするか、食うか決めるよ。それにしても君、遅いねえ。そんなんじゃ当たらないよ」
「馬鹿か。お前こそ、そんな速さでリムを使ったら、あっという間にリム切れを起こすぞ」
「何を言っているんだい?そんなわけないだろう」
「ここでは、リムはそこらに存在しているものではない。大事に使わないと、あっという間に消滅するぞ」
「それは困ったねえ。じゃあなおさらこの餌は返せないよ」
リムルはそう言うと、一気にスピードを上げた。四葉の姿がみるみる遠くなっていく。
葉花は、すごいスピードで宙を進んでいくリムルに捕まったまま、切るような風圧に目をぎゅっと瞑って耐えていた。




