7話
葉花は驚きのあまり、すぐに答えられず、固まって男を見る。
そんな葉花を面白そうに見て、男はさっと机に名刺を置いた。
紫垣無道
名刺には会社名もなく、真っ白な長方形の真ん中にぽつんと名前だけが印してあった。
「裏に私の電話番号を書いておいた。仕事が終わったら電話をくれないか?」
葉花は机の上の名刺を手に取らずに、不審な目で男を見た。相変わらずあまり表情が動かない。
「ああ、警戒しているのか。うーん……。あっ、ワニのぬいぐるみは気に入って貰えたかな?」
「えっ!じゃあ、あなたが!?」
「仕事が終わったら電話をくれるかい?」
葉花は机の上の名刺を、素早くポケットに入れると頷いた。
「金色には内緒でね」
葉花の背中に男はそっとささやいた。
接客をしながら、葉花はちらちらと男を覗き見していたが、男はビールとチーズの盛合せをさっさと平らげると、すぐに店を出てしまった。きっと四葉と鉢合わせしたくなかったのだろう。
葉花は窓の外を見る。
ますます雨は強くなり、風が吹き荒れている。きっと四葉は嬉々として嵐の夜を散策しているのだろうと、葉花は苦笑いをした。
「一之条君、部屋は別館ニ〇ニ号室だよ」
仕事が終わり、店長がカードキーを葉花に差し出した。
「ありがとうございます。ではお先に失礼します」
葉花はまだ四葉が戻っていない今のうちと、従業員用の通路の影から、貰った名刺の番号へと電話をかける。
コールを二回と待たずして、すぐに男の声が聞こえた。
「はい、紫垣です」
「あのっ、一之条です」
「お仕事終わったんですね。金色はどうしましたか?」
「台風が面白いらしくて、外に散歩に出てます。でも、そろそろ帰ってくるかもしれません」
「そうですか。金色のいない時に話がしたいんです。一之条さん、次の休みはいつですか?」
「明日です」
「では、明日、ランチを一緒にどうでしょう?そうですね、十二時に○○駅の改札で待ってます」
「構いませんが、四葉が付いてきてしまうかも……」
「……四葉?」
「ああ、名前です。あの豹の」
「あなたが付けたんですか?その名前を」
「え?ええ、そうですけど」
葉花が答えると、少しの間沈黙が落ちる。
「紫垣さん?」
「あ、いや、すまない。ちょっとびっくりしたから。金色は付いてこないように、こちらでなんとかしよう。君は普通に出掛けて来ればいい」
「え?それはどういう……」
四葉が付いてこれないように、とはどういう事なのか聞こうとした時、背後に気配がして振り向く。
「ヨーカここにいたか。帰ったぞ」
「四葉!お、おかえり。あの、ではそのような日程でお願いします!」
「ああ、金色が帰ってきましたか。では明日お待ちしています」
四葉の帰りに気づいた紫垣の笑みを含んだ声が、ぷつりと切れた。葉花は携帯をカバンにしまう。聞かれてはいないはずだが、心臓がどくどくと音を立てている。表情に出さないように四葉に顔を向ける。
「今日はホテルに泊まるよ。外は酷かったでしょう?」
「ああ、色んなものが吹っ飛んでいたな」
「面白かった?」
「まあまあだな」
ゆらりと尻尾をゆらして、何故か得意げに歩く四葉に、つい微笑んで、紫垣の顔を思い出してその笑みは、すぐに消えた。
翌朝、台風の去った空は、真っ青に晴れ渡っていた。ホテルを出ると、台風の名残の風が、やや強めに葉花の髪をなぶっていく。
雨の降った翌日の晴天は、空気中のゴミや塵がすべて洗い流され、どこまでも透き通って見える。
葉花の好きな空の一つだ。
まだ濡れている地面に、風で飛ばされた落ち葉や、ゴミが散っているのが、昨日の強風を物語っている。
湿度を含んだ空気を大きく吸い込んで、葉花は歩き出した。
一度マンションに戻り、掃除と洗濯を済ませる。なんとなしに、ちらちらと時計を気にしてしまう。
紫垣は四葉をなんとかすると言っていたが、どうするつもりだろうと、寝そべる金色を見る。四葉はベッドの前のカーペットに横たわり、気持ちよさそうに目を瞑っている。
そろそろ支度をして、家を出なければという時刻、急に四葉が立ち上がり、緊張した面持ちで窓の外を見た。
「四葉、どうしたの?」
「リムルの気配がする」
四葉の言葉に、葉花の身体に一気に緊張が走る。以前公園で襲われた事が鮮明に頭を掛け巡る。
「ヨーカ、ここにいろ。見てくる」
「大丈夫!?」
「ああ」
四葉は、窓をすり抜けて、外へと飛び出して行った。それと同時に葉花の携帯が音を立てて、びくりとなる。
紫垣からだった。
「はい、一之条です」
「おはようございます。紫垣です」
「あ、はい。あの、今家を出ようとしたんですが、近くにリムルが現れたみたいで……」
「ああ、それ、私が手配したリムルです。しばらく金色と遊んでおくように指示してますので、一之条さんは気になさらず出掛けて来てください」
「あなたの指示!?あの、大丈夫なんですか?どちらかが怪我したり……、あ、怪我はしなかいか。危険はないんでしょうか?」
「大丈夫ですよ。金色の力も分かった上で、優秀なリムルを遊び相手に送りましたので」
「……本当ですね?何かあれば、私はあなたを許しませんよ」
葉花は怒りの含んだ声を出す。
「大丈夫ですよ。では、お待ちしていますので、早く来てくださいね」
紫垣はそう言うと、電話を切ってしまった。葉花は気に食わなかったが、急いで準備すると、家を飛び出した。
紫垣が指定した駅は、四葉から聞いたのか、葉花の最寄り駅だ。予定の十二時より三十分も早くついたが、紫垣はすでに改札の横に立っていた。息を切らしてやって来た葉花に、紫垣は、少し驚いたようだった。
「早かったですね」
「あなたが早く来いって言ったんでしょう。話とやらをとっとと終わらせて、四葉を解放してください」
葉花は、紫垣を睨めつけるように見ると、紫垣は肩をすくめる。
「どうやら、リムルを仕向けたことで怒らせてしまったみたいですね。でも本当に心配はいらないので、安心してください」
「普通怒ります」
「すみません。金色があなたにべったりで、それ以外の方法が思いつかなかったので。では近くの店で話しましょう」
紫垣が歩き出したので、葉花はむすっとした顔で付いていく。紫垣は迷いない足取りで、駅の大通りから少し入った、落ち着いた雰囲気のカフェに入る。
中に入ると、ひとつひとつの席が広く、ゆったりとしたお洒落なカフェだった。
紫垣は一番奥の窓際の席に腰を下ろす。葉花も紫垣に続いて、向いの席に座った。
「お腹は空いている?」
「いえ、そんなには……」
そんなには空いてない、といい掛けて葉花の腹がぎゅうっと音を上げた。店に漂う良い匂いに刺激されてしまったのだ。
葉花は恥ずかしさに、思わず腹を抑えてうつむく。
紫垣は、うっすらと笑うと、メニューを開く。
「日替わりランチでいいかな?」
「はい……」
葉花は、これ以上腹がなってはたまらないので、おとなしく食べることにする。
紫垣は注文を済ませると、さっそくと話を切り出す。
「一之条さん、さっそくだけど、まどろっこしいのは嫌だろうから、本題からいこうと思う」
「はい」
「私はヴァイラの人間だ。ヴァイラは知っているかな?」
葉花は目を見張り、まじまじと紫垣を見た。四葉が健太郎の知り合いと言っていたが、ヴァイラの人間とは思っていなかった。
「四葉に前に聞いて知ってはいます」
「単刀直入に言おう。君と金色をヴァイラに勧誘しに来た」
「お断りします」
葉花は別にヴァイラに対して、何かしらの感情があったわけではないが、単発入れずに口から拒否の言葉が出た。
「随分即答だね」
「あなたは、四葉の事をどのくらい知っているんですか?」
「君よりは奴の事を知っているよ。最初に会ったのは十年ほど前かな?健太郎さんと月に何度か会っていたからね。一緒に仕事をした事もある」
「健太郎さんはヴァイラに所属してはいなかったんですよね?」
「ああ、会うたびに勧誘はしてたんだけどね。最後まで首を縦に振らなかったよ」
「それならば、四葉は健太郎さんの意志を尊重して、ヴァイラに入る事はないと思います」
「でも今は君が契約者だ。君が入ると言えば、奴も付いてくるさ」
「私は入りたいとは思いません。それに……」
四葉はもうあと少しで健太郎の元へと言ってしまう。葉花はいいかけて口をつぐんだ。
「それに、奴はあと十日ほどで消えてしまうから?」
葉花の心を覗いたかのように、紫垣に問われて、ぱっと顔を上げて目を見開く。
「なぜ……」
「なぜ知っているかって?奴に聞いたからさ。この前仕事を手伝ってもらった時に、奴をヴァイラに勧誘したら、もうすぐ消えるから無理だと断られた。事情も聞いたよ。健太郎さんとの約束なんだって?」
「それなら、尚更なぜ私を呼び出してまで、こんな話を?」
「奴が、もうすぐ消えるから無理だと言ったからさ。ヴァイラが嫌だからとか、そもそも入るつもりはないとかではなくて。消えるから無理だと。だとしたら、消えなきゃ入ってもいいと言う事なんじゃないかってね。だから今日は、君に奴が健太郎さんの後を追うのを、止めて欲しいと頼みに来た」
紫垣は、じっと葉花の目を見てそう言った。
葉花が言葉に迷っていると、丁度料理が運ばれてきた。
今日の日替わりランチはハンバーグだったようで、お皿の上にはたっぷりデミグラスソースがかかった分厚いハンバーグが、湯気を上げている。
「とりあえず食べようか。君も金色にリムを食われているんだろうから、普通の人より腹が減るだろう?」
「食われているんじゃなくて、分けているんです」
「君は健太郎さんと同じ事を言うね」
紫垣はそう言って、懐かしそうに顔を緩め葉花を見る。そんな顔をされたら、警戒心が緩んでしまうじゃないかと、心の中で悪態をつきながら、葉花はハンバーグにフォークを突き立てた。
あっという間にハンバーグを平らげてしまった葉花に、紫垣は追加でコーヒーとケーキを注文した。
運ばれて来たのは、リンゴのタルトだ。
葉花はついつい、頬を緩めてケーキを口に運ぶ。
「美味しそうに食べるね」
「美味しいですよ?」
葉花はあえて、素っ気なく返す。
「じゃあ、話を戻そう。君は金色とこれから先ずっと一緒にいるのは嫌かい?」
「いえ、嫌じゃないです。でも私がそれを望んでも、四葉はそれを望みません」
「聞いてみたのかい?」
「いえ……。でも一緒にいたら分かります。四葉がどれだけ健太郎さんの事を大切に思っていたか。私なんかよりずっとずっと大事な存在だったのかを」
「一之条さん、この前、私が聞いた事覚えている?奴に四葉と名前を付けたのは君かって」
「え?ええ」
「一之条さんは、健太郎さんが金色に付けた名前を知っているかい?」
「いえ、知りません」
「四葉だよ」
「え?」
「君は健太郎さんと同じ名前を奴につけたんだ」
葉花は思わず口を抑える。
「金色も驚いただろうね。まさか同じ名前で呼んでくれる人が現れるなんてね」
「私……、知らなくて……」
そう言えば、『四葉』と名前を言ったとき、一瞬驚いたように固まっていた四葉を思い出す。
「嬉しかったと思うよ」
「え?」
「また同じ名で呼んでくれる人ができて。金色の奴さ、私がこの間久々に会った時に、新しい契約者になんて名前を貰ったのかを聞いたら、ニヤニヤして教えてくれなかったんだ。照れてたんだろうね」
紫垣はそう言ってふっと笑うと、話を続ける。
「それに、健太郎さんの葬式の時に、困ったら私の所へリムを食いに来いって言ったのに、全然来てくれなくて、二週間も経った頃やっと来たと思ったら、君へのプレゼントの相談だ。金色はよほど君を気に入ったとみえる」
「それは、きっと健太郎さんが、誕生日にはプレゼントを送るものだと教えていたから、それを守ろうとしただけです」
「本当にそう思うの?死活問題であるリムを貰いにさえ来なかったのに、主人のプレゼントの為にはわざわざやって来たんだよ。しかも、リムル討伐の手伝いまでしてね」
四葉はやはりと、顔を歪める。アルバイトの内容が思っていた通りで、胸が苦しくなる。
「四葉は、その時危ない事になったりしませんでしたか?」
「いや、奴は強いからね。君のリムを貰うようになってから、健太郎さんといた時より強くなっているくらいだよ」
「なら良かったです」
「あれ、余計な事を言っちゃったかな。その様子だと、アルバイトの内容は知らなかったみたいだね」
「四葉があなたを頼ってリムを貰いに行かなかったのが、なんとなく理解できます」
「おや、手厳しいね。でも、そんな奴も君にはかなり懐いている。君が行くなと言えば、健太郎さんの後を追うなんて事、やめるんじゃないかな」
「それはどうでしょうか。もし、そうなったとしても、ヴァイラに入るつもりはありません」
「君は最近リム持ちだと気がついたんだってね。ほんの二週間前まではリムルの存在すら知らなかった」
「ええ」
「最初に会ったのが金色だったから、君はそんな甘い事を言えるんだよ。この世界にやって来るリムルの大半は、人間にとって害にしかならない。君はもし、自分大切な人間がリムルに食われたら、仕方ないと済ませられるのかい?弱肉強食だと、人間とて牛や豚を食う、だからリムルが人間を食っても構わないと」
「……」
「言えないだろう?だからヴァイラがある。リムルから人間を守るためにね。リムを持っている人間はあまり多くない。そしてその中でも、リム量が多く、操れるとなると、ほんの僅かだ。そんな貴重な存在をみすみす逃す手はない。まずは見学だけでもいい。ヴァイラに来てもらえないか?」
「でも……」
「シガキ、どういう事だ」
葉花が返事に迷っていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。反射的に振り返ると、そこにいたのは、金色の目を細くして、紫垣を睨みつけている四葉だった。




