6話
「ヨーカ、今晩出掛けてくる。六時頃出て、夜の十時までには戻る予定だ」
あれから四葉は、ちょっと出掛ける際にも、いちいち細かく時間を伝えて来るようになった。
葉花としては、そこまで細かくされると、なんだか口うるさい主人になってしまったような気分になるので、ほどほどでよいのだが、四葉は必ずそうする。
「別にそこまで細かくなくてもいいんだけど、気を付けて行ってらっしゃい」
「ああ、ヨーカも何かあればすぐに名を呼べよ」
「分かったわよ。ところでどこへ行ってくるの?」
「ああ、ちょっと野暮用だ」
いったい野暮用とはなんだろうと思いつつも、しつこく聞いて、これ以上細かい主人になりたくなくて、そう、とだけ返事する。
今日は、土曜日と言う事もあり、葉花の仕事場のレストランはかなり混み合っていた。開店してからずっと客がひっきりなしに訪れて、席は常に満席である。
葉花も、接客に追われ、一日中慌ただしく動き回っていた。
「ヨーカ、今朝言った通り、少し出てくる」
気が付くと、するりと横に四葉がやって来て、忙しそうな葉花に、すまなそうな声で告げる。
周りが客がいるので、声を出して返事する事はできず、こくりと頷くと、四葉は身軽にフロアを駆けて行った。
今日の葉花は早番で、仕事は夜の七時で終わりである。客は相変わらずひっきりなしではあったが、遅番が二人いるので、上がって良いと言われた。最近従業員が増えて、残業が減って有り難い。
葉花は着替えてホテルを出ると、ビルや街灯で明るい夜の街を見上げた。
「さすがにまだ帰って来ないよね……」
小さく呟くと、一人駅に向かい歩いて行った。
マンションに付くと、明かりをつけて、夏の暑さで、蒸し風呂状態になっている部屋にげんなりしながらクーラーのスイッチを入れて強にした。
窓を開けても、外も暑いので意味がないのだが、どうにも空気を入れ替えなければ気が済まず、からりと窓を開ける。
葉花はなんとはなしに、手の平にリムを集めて箱を作る。最近は、ちょっとした時間でリムで箱を作るのが、習慣になっている。箱の大きさも自在に変えられるようになり、わりと早い速度で箱を飛ばせるようにもなって来た。
四葉にそう言うと、『そんなものではリムルに対抗は出来ない』と、真顔で返される。それでも、その後にちょっとだけ褒めてくれるので、こうやって、ちまちまとリムの操作の練習をしてしまうのだ。
「攻撃にならないのよね。デコピンくらいの威力しかないって四葉も言ってたし……」
葉花は指の先に出来た、サイコロサイズのリムの箱を見て、うーんとうなる。飛ばすスピードを上げようと、毎日練習しているが、なかなか成果は上らない。
「あっ、それなら硬さを変える!?ていうかこの箱の硬さってどんなもんなんだろう」
葉花は箱を触ってみる。指でつまんで、力をぐっと入れると、少しの抵抗を見せたあと、砕けて霧散した。
葉花は次に、もう一度箱を作る。その時に、硬くと念じながら作ってみた。見た目は変わらないが、指でつまむと、明らかにさっきより硬くなっていた。試しに飛ばしてみると、硬いせいかいつもよりスピードが出ているような気がした。
「もしかして箱は箱でも、いろんな使い方ができるかも……」
葉花は、今まで大きさの変化だけ練習してきたが、硬さが変えられるとなれば、それ以外の事も出来るのではないかと考えた。例えば、この箱の透過性を外から中だけへ一方通行にすれば、箱の中にリムルを閉じ込められることができるのではないか。もしそれが出来ればもしリムルに襲われたとしても、かなり有効な武器になる。
葉花は、今度は大きい箱を作る。今では、ワンルームくらいの大きさの箱を作ることもできるようになっている。作る時に、箱の壁が外から中へ一方通行になるようなイメージをする。イメージして作ってみたはいいが、それが機能しているのか、まるで分からない。
「自分で作ったものだし、入ってみても大丈夫だよね……」
葉花は、自分で作ったリムの箱に手を伸ばす。するりと壁は通り抜ける。そのまま箱の中に入ると、葉花は、中から箱の壁を触る。
「硬い……!通り抜けない!やった」
葉花は箱に触れて、箱が消えるイメージをすると、箱はぱっと消えた。思いがけず、リムを自由に操れる事ににんまりする。
とたんに葉花の腹が、雷のような地響きを上げた。
「お腹すいた……」
葉花はリムの操作練習を中断すると、窓とカーテンを閉め、相変わらず服を豪快に脱いでバスルームに駆けこんだ。シャワー後のビールが最高なのだ。
冷たいビールと、年頃の女子とは思えない量の夕飯を平らげると、葉花はちらりと時計を見た。もうすぐ十時になる。そろそろ四葉が帰ってくるはずだ。帰ってきたら、さっき成功した箱に閉じこめて驚かせてみようか、と思わず笑みが浮かぶ。
葉花は新しいビールを冷蔵庫から出すと、ぷしゅりとブルタブを開けて、喉を鳴らして流し込んだ。
十時になる直前、窓からひらりと四葉が入って来た。口に大きな茶色い紙袋を咥えていた。
葉花は、四葉が咥えてきた紙袋が気になって、箱に閉じこめる計画はすっかり忘れてしまっていた。
「四葉お帰り。どうしたの?その紙袋。あれ?なんで咥えられるの?」
リムルである四葉はリムが含んでいるもの以外は、すり抜けてしまう。窓もそうだが、人間の作ったものの大半はリムなど含まれていないので、四葉には擦り抜けてしまうはずだ。
「ヨーカ。これはヨーカにだ」
四葉は葉花の質問には答えず紙袋をぐいっと押し付けてくる。
葉花は紙袋を受け取る。かすかに紙袋からリムが感じられた。
紙袋の中を覗き込むと、中には赤いリボンのかけられた袋が入っていた。なかなかに大きなその袋を取り出して、不思議そうな顔をすると、四葉が袋に鼻ずらを押し当てる。
「早く開けてみろ」
訳が分からず、葉花は言われるがまま、リボンをほどいて袋を開けてみる。中に入っていたものと目が合った。
「え!?」
葉花は袋に手を突っ込んで、中身を引っ張り出す。
抱きかかえるくらいの大きさのワニのぬいぐるみが入っていた。モスグリーンのそのワニは滑らかな手触りで、手で抱きかかえると、程良い弾力だった。
「四葉、これどうしたの?」
「ワニというらしい」
「うん、それは知ってるよ」
「今日はヨーカの誕生日なのだろう?誕生日には贈り物をするものだとケンタロウが言っていた」
葉花は目を見開いて、カレンダーを見ると、茫然とつぶやいた。
「あ……、そうか、そうだ。誕生日だね」
今日が誕生日だったことをすっかり忘れていたのだが、それ以上にまさか四葉が自分の誕生日にプレゼントを持ってきてくれるとは思いもしなかった。
まさかリムルである四葉がプレゼントを用意しているなど、誰が予想できるだろう。葉花はあまりのサプライズに、驚きすぎて、ぽかんと突っ立ていた。
「それではだめだったか?嬉しくないか?」
四葉が不安そうな声で葉花を見上げる。葉花は、我に返ると、四葉に思い切り抱きついた。
「嬉しい!すっごく嬉しい!ありがとう!」
今度は予想以上の反応に四葉が目を白黒させた。
葉花は四葉を解放すると、いつものように、ベッドに持たれて横に四葉を侍らせて、リムを送る。
「何で私の誕生日知っていたの?」
「自分で言っていたぞ、私がここに来たばかりの頃、あと二週間で誕生日だと」
「そうだっけ?」
「そうだ」
「なんでワニのぬいぐるみなの?」
「人間の女はぬいぐるみが好きだと聞いた」
「ケンタロウさんに?」
「いや……。ちょっとな、昔の馴染みに」
「へえ、で?なんでワニ?」
「あれは私が選びに選び抜いたのだ。どうだ、強そうだろう?」
自信満々の四葉に、葉花は思わず吹き出して大笑いする。
「なぜ笑う」
「いや、いいセンスしてるよ、四葉」
「だろう?」
「うん。ところで、どうやって買ってきたの?お金持ってたの?それに紙袋にはリムが感じられたけど、このぬいぐるみにはリムが全く感じられないけど、どうやって袋に入れたの?」
「それも、その昔の馴染みに頼んで店で買ってもらった」
「昔の馴染みって、人間?リムを持っている人なの?」
「そうだ。ケンタロウの知り合いだった」
「そう。もしかして、その人にお金も出して貰っちゃった?」
「まあ、そうだが、その分奴の仕事の手伝いをしたから、それで帳消しだ。こういうのをアルバイトというのだろう?」
「あははっ!そうだね、たまに出掛けてたのは、このためだったんだね」
葉花は胸が熱くなる。
流れていくリムに、四葉は心地よさそうに目を瞑っている。完全にリラックスモードだ。
葉花は、滑らかな手触りの毛並みを楽しみながら、テーブルのビールをぐびりと飲む込みながら、ふと考える。四葉が言っていたアルバイトの雇い主は、健太郎の昔馴染みでリム持ちだという。そんな人間が四葉に頼む仕事といえば、想像がつく。リムルを狩るのを手伝わされたのではないかと。そんなことをしてほしくはないのだが、せっかくの四葉の気持ちを大事にしたかったので黙っておく。
「どうしたヨーカ。浮かない顔をして」
いつの間にか、葉花は四葉を撫でる手を止めていた。流していたリムも止まっていた。慌ててにこりと笑うと、ビールに手を伸ばして誤魔化す。
「なんでもないよ」
葉花は再び四葉に寄りかかり、リムを流しながら、柔らかな毛並みをいじり始めた。
翌朝目を覚まして起き上がった葉花は、ベッドの上を見てにへらっと笑った。
横たわった四葉の前足と顔のすぐそばに、熊のぬいぐるみと、ワニのぬいぐるみがへばりついていた。実際にはぬいぐるみにはリムがないので、へばりついているわけではないのだが、そう見えてしまい、獰猛なはずの豹がぬいぐるみと一緒に寝る図に、葉花は悶えるのだった。
♢
『四国に上陸した台風十号は、今後速度を速めて、暴風域を伴ったまま、きょうの夕方には紀伊半島に接近する予想です。関東地方には今夜遅く上陸する恐れがあります。関東地方では、今後風が強まり……』
朝のテレビは、かなり強い台風が近づいているという事で、どこの局もそのニュースで持ち切りだった。
「四葉、台風だって」
「そうか。私にはあまり関係ないが、人間は大変なのだろう?葉花も気をつけろよ」
「そうか、四葉は雨が降ろうが、風が強かろうが、すり抜けちゃうもんね」
「視界が悪くなるのは嫌だがな」
「なるほどね。仕事が終わるころに、直撃だったらいやだなあ」
「人間にとって台風とは大変なことなのに、なんで仕事を休まないのだ?」
「だよねえ。それ、私もそう思うよ。日本人は働きすぎだと思うのよね」
「なら、休めばいいだろう」
「それがそうはいかないのが、日本人なのよね」
四葉はよくわからないという顔をしたが、葉花は苦笑いをしてすませた。
案の定、午後から風が徐々に強くなり、葉花の働くレストランの窓から見える街路樹は、豪快にわさわさと揺れていた。夜の予約もキャンセルが多くでた。それでもホテルの中に入っているレストランなので、宿泊者の為にクローズすることは許されない。
夜になって、雨が降りはじめた。
断続的に強く降ったり、弱くなったりを繰り返し、風は建物の中にいても分かるくらい、轟々と吹き荒れてきている。
外に食べに行けない宿泊客で、レストランは案外混んでいた。
「一之条さん、台風これから強くなってくるみたいだけど、今日はホテルに泊まる?電車も止まっている所もあるみたいだし」
四十代後半だが、若く見える、男前で有名な店長が、葉花に尋ねてきた。ホテルには、こういう時や、イベントや結婚式の準備で忙しくて帰れない従業員の為に、申請すれば格安で泊まれる部屋があるのだ。葉花はちらりと窓の外を見てから、自分の腕時計を見る。時刻は夜の八時すぎである。まだまだ客が引く気配がないので、早めに帰らせてもらう事は無理だろう。それも含めて店長は葉花にホテルに泊まることを勧めているのだ。
「そうですね。今日はホテルに泊まります。店長もですよね?申請、私が行って来ましょうか?」
従業員の宿泊は、申請書を事務所に出さなければいけないのだ。
「いや、ちょうど事務所に行かなくちゃ行けない用事があるんだ。だから私が行ってくるよ。水嶋君も泊まるみたいだから、まとめて申請してくる」
「そうですか。ではお願いします」
葉花は申請書に名前を記入すると、店長に渡し、店内を見渡す。
四葉は台風が気になるのか、窓際のフローリングの上に寝そべって、じっと外を見ている。
四葉の周囲に誰もいないので、葉花も外を伺うふりをして、四葉の側へと行った。
「四葉、今日はこのホテルに泊まることにするわ。これから台風が酷くなるみたいだから」
小声で四葉にささやくと、四葉はじっと窓の外を見つめながら答える。
「ここに泊まるのか。そうか……」
「どうしたの?いや?」
「いや、そういうわけではない」
なんだか残念そうな顔の四葉を葉花はじっと見る。
風が唸り、雨が窓にばちばちと叩きつけられるたびに、四葉の鼻がひくひくと動く。
「もしかして、外に出たかった?」
四葉はぱっと振り向く。
「別にそんな事はない!珍しいから見ていただけだ」
珍しくむきになる四葉に、葉花はぷっと吹き出す。
「仕事終わるまで外に行ってきてもいいよ?」
「本当か?」
「うん」
四葉が台風にわくわくしている子供みたいだな、と思ったのは口にしないでおこうと、葉花は油断すると笑ってしまいそうな顔を、必死に抑えた。
「ならば少しだけ行ってくる」
四葉はぐっと伸びをすると、そのまま、窓をすり抜けて、外へ飛び出して行った。葉花は、四葉の尻尾が楽しげに揺れていたのを見逃さなかった。
葉花がフロアに戻ると、新しく客が入って来た。男性一人で、その顔が、どこかで見た事があるような気がしたが、葉花はきっと何度かレストランに来ている宿泊者だろうと、席へと案内する。
冷たい水を出して、少し経ってから注文を取りに来ようと、席を離れようとすると、男が口を開いた。
「ビールとチーズの盛合せを」
「はい、かしこまりました。少々お待ちください」
注文を取って、今度こそ離れようとする葉花に男は続けた。
「一之条葉花さん」
フルネームで呼び止められて、葉花は驚いて振り向き、男をまじまじと見る。三十代くらいの普通の男性だ。中肉中背、少し長めの黒髪を後ろにオールバックに流している。無表情で冷たそうに見えるが、顔はわりと整っている方だろう。だが、フルネームで呼ばれるような知り合いではない事だけは確かだ。
「金色の豹の事で、少しお話がしたいのです」
男はそう言って、口角をニッと上げた。




