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番外編 東宮の受難8 ~桜の花(最終話)~

最終話です。ちょっと長くなってしまいました。

2017/07/06 誤字脱字修正しました。

 年老いた落ちつきのある桐壺(きりつぼ)の女房が、御簾内(みすうち)で弱々しく伏していた女御(にょうご)に、そっと伝える。


「女御様、これより東宮(とうぐう)様がこの桐壺(きりつぼ)にお渡りになられるそうです」

「本当!? ならば、寝てなどいられないわ! 急いで準備して! 一番上等な表着と唐衣(からぎぬ)を出してちょうだい!」


 今まで寝込んでいたのが嘘のように、ガバリと勢いよく若菜(わかな)の君は跳ね起き、数少ない女房達に大号令を出した。


 後宮でも一番北側で、帝の御殿から最も遠いために人気の少ない桐壺(きりつぼ)へと、大人数が近付いて来る気配に若菜(わかな)の君は胸をときめかせた。これからようやく東宮妃として、最上位の妻である桐壺(きりつぼ)の女御として対面するのだ。これまでずっと胸内で描いて来た夢のひと時が始まる。

 

 先導の女房に巻き上げられた外御簾(そとみす)をくぐって、数人の煌びやかな衣装を纏った唐衣裳(からぎぬも)姿の女達と、華やかでありながら爽やかな束帯(そくたい)姿の美形貴公子が、桐壺(きりつぼ)へとやって来た。

 

「キャー、東宮様! やっと御越しですのね! ずっとずっとお待ちしていました!」

「!!」


 誰も止める暇も与えぬ素早さで、目の前の雅やかな美形貴公子目がけ、若菜の君は全身体当たりの勢いで抱きつき倒した。


「離れなさい、桐壺(きりつぼ)の女御! そのお方は、あなたのご後見役の桂木(かつらぎ)の宰相殿です。東宮を前に、無礼である。控えよ!」


 怒りを滲ませた張りのある若い娘の声が、一喝した。


「え?」


 何を勘違いしたのだろう? と若菜の君が美形貴公子から離れて、周囲を見回す。するとある一点に向けて、周囲の唐衣裳(からぎぬも)姿の女達が一斉にひれ伏している。

 その中心で扇を手に堂々たる態度で座していたのは、まだ十代と思しき可愛らしい華奢な姫君だった。だが、その愛らしい姿には似合わない威厳を放ち、女御に鋭い眼差しを向けている。

 本当は、見知らない女が、愛しい桂木の宰相に馴れ馴れしく抱きついたことに腹を立てただけだが。


桐壺(きりつぼ)の女御たる私に控えよ、と言うあなたは誰?」


 ピシャリ! と威嚇するようにわざとらしく大きな音を立てて、扇が華奢な手の中で閉じられた。


「東宮です。先帝の女五の宮、今上帝の妹でもある。控えよ、『東宮妃』、桐壺(きりつぼ)の女御」


 桔梗(ききょう)の君は、ようやく己の東宮妃に初めて対面し、几帳などの遮る物無しにジッとお互いを見つめ合った。


「え? 東宮様? 姫君なのに……?」

「ええ? あなたが女御?」


 だが、改めてお互いに顔を見た時、その驚きの真実に桔梗の君も桐壺(きりつぼ)の女御も岩の様に固まった。


女東宮(にょとうぐう)様? 姫君の東宮様が女御(妻)を迎えた? 私の東宮様は殿方だったはず?」

「あなたは、兄宮の妻だと言っていたのに……。それなのに……?」


 桔梗の君の目の前で、状況を理解できずに首を傾げる桐壺(きりつぼ)の女御。だが、首を傾げたのは女御だけではない。桔梗の君も、桂木の宰相も、付き従って来た女房達もだった。何故なら、桐壺(きりつぼ)の女御は、兄の(ひいらぎ)の宮どころか、兄帝よりもずっと年上の初老の女性だったからだ。


「どういうことなの!! 桂木の宰相殿、本当にこの方が桐壺(きりつぼ)の女御なの? どう見ても、兄宮に恋する乙女には見えないわ!」

「それを言いたいのはこっちよ、小娘! 私を騙したな! 私の東宮様をどこへやった!」


 鬼気迫る様子で桐壺(きりつぼ)の女御が詰め寄ろうとする前に、桂木の宰相が進み出て桔梗の君をその背に庇った。護られ、勇気付けられて、桔梗の君は改めて女御を見つめた。あちらも混乱しているようだった。


「ねえ、先程は会うなり、この桂木の宰相に抱きついたわね。あなた、本当は、あなたの東宮様のお顔を知らなかったの?」

「無礼な! あの時、私が後宮を去る時、東宮様は仰ったのよ。必ず、東宮妃として迎えに行くからと。それなのに、どうして姫宮が東宮様になっているのよ! ああ、私の素敵な東宮様はどこ?」


 混乱と興奮のあまり、とうとう桐壺(きりつぼ)の女御は袖で顔を覆いつつ、うわ~ん!と泣き伏してしまった。

 そこへ、ザッ!と外御簾(そとみす)を掻い潜って、二人の男が桐壺(きりつぼ)に飛び込んで来た。


「ご主人! お気をしっかり!」

「落ち着いて!」


 突然の侵入者に怯えて、女房達が悲鳴を上げて互いに身を寄せ合う。桂木の宰相も大事な桔梗の君を背に身構えたが、二人が何者かに気付き、フウと体から力を抜いた。二人は若菜の君に献身的なだけと知っていたからだ。


「ちょっと、静かに! ご主人がびっくりして怯えるだろ! 年寄りには優しくしてやってくれよな。年は取っても、傷つきやすい乙女と同じなんだから!」

「大丈夫ですよ、ご主人。俺達がいます。また息が苦しくなりますよ、落ち着いて……」


 山丸(やままる)海丸(うみまる)が、息を乱して泣き伏す若菜の君の背を撫でるなどして、落ち着かせようとする。


 高位の女東宮が訪問している桐壺(きりつぼ)に、許可なく身分低い側仕えが入ってくるのは大問題だが、この女御をどうにかしてくれるのはありがたい、と視線を交わし合って無言で了解し合う。桂木の宰相も桔梗の君も咎めるのは止めた。


「山丸、海丸、どういうことだ? そなた達の主人は、我らが(ひいらぎ)の宮様の妻を名乗るには、ちょっとお年が……?」


 桂木の宰相の今更ながらの問いに、山丸が呆れのため息をつく。


「だから、ご主人は昔の恋人が戻って来るのをずっと待っているって言っただろう。どれくらい昔かっていうと、少なくとも俺が生まれる前くらい? まだ、夢見る乙女なんだよ」

「そうそう。それにご主人の年齢(おとし)を確認しなかったのはそっちだろう? それでいて入内させちゃうんだから、お貴族様って、本当に不思議だ」


 海丸も女御の背を撫でながら、うんうん頷く。


「いや、だが、姫君の顔や年齢を改めて確認するのも……? (ひいらぎ)の宮様の妻と言っていたし、まさか……」


 憑りつかれた桔梗の君を助けるためと、慌てて桂木の宰相が言い訳する。


 先程の「後宮を去る時」の言葉で、若菜の君が内侍(ないし)として宮仕えしていたことを桔梗の君は思い出した。ふと思いついて、後宮の裏情報に通じている年寄り女房の松の式部と竹の式部を扇で側にと呼び寄せる。


「ねえ、あなた達、若菜の内侍(ないし)って聞いたことある? 本人曰く、東宮の妻だったと言っているのだけど?」

「東宮様の妻、若菜の内侍(ないし)? 竹の式部、どこかで聞いたことあるような気がするけど、何だったかしら?」

「姉上、ほら、ひょっとして東宮様の身分低き恋人で有名になった、あの内侍(ないし)ではないかしら? 眩しい程のご寵愛の!」

「ああ、『悲恋の物語』で有名になったあれ? 妬んだ女官達に虐められて、後宮を追い出されて引き裂かれた恋?」


 松の式部と竹の式部が、互いに記憶を掘り起こし合う。そのうんうん悩む様子からすると、やはりかなり昔らしい。


「女東宮様、これは、私達も噂でしか存じ上げないんです。お母上様の女御様が、父帝様にご入内される前の話なので」

「確か、父帝様が東宮になられる前に、お若くして亡くなられた兄宮様がいらしたはず。先にその宮様がお若い時に東宮になられたのですよ。その時、深くご寵愛された身分低き恋人がいらしたとか……?」

「お名は覚えておりません。ただ、その東宮様は病で亡くなられたはず。東宮位を退位されて、どこかのお邸でご療養されていましたが、そのまま儚くなられて……」

「うそ! そんなの、嘘よ!」


 二人の説明が耳に入ったらしく、女御が泣きながらガバッ! と身を起こす。興奮しすぎたのか、ややフラフラしたところを慌てて海丸が支える。


「だって、必ず東宮妃として迎えに行くと……。それに、私、東宮様と私のお邸でお会いしたわ!」

桐壺(きりつぼ)の女御、その方は、私の兄宮よ。あなたの恋人の甥に当たります」


 なんだか、桔梗の君はこの桐壺(きりつぼ)の女御を哀れに思えてきた。病を治して迎えに行くと約束した男をずっと一人で待ち続けたのだ。この年齢になっても。


 だが、その恋しい男の顔もどうやらはっきり覚えていないのは、納得できない。昔過ぎて、記憶があやふやなのか? 兄宮にべたべたしたくせに、先程は、全く違う顔立ちの桂木の宰相に喜んで抱きついていた。ひょっとして、美形貴公子なら全て『私の東宮様』になるのではと疑う。

 自分だったら、絶対に愛しい桂木の宰相を見間違えることはないと思ったからだ。

 

「私は信じないわ! 私は私の東宮様の女御になるの! 東宮様の下へ連れて行って!」


 最初の目的を思い出して力を得たのか、桐壺(きりつぼ)の女御は雄々しく背筋を伸ばして桔梗の君を見返した。だが、この執念で再び憑りつかれては、いい迷惑である。桔梗の君も負けずと己の女御に対峙する。


「あなたの願いを叶えたら、もう『東宮妃』にはなれないわよ、若菜の君」

「なんですって! 何故? 私はあのお方の妻なのよ!」


 桐壺(きりつぼ)の女御が不満げに睨みつけてくるが、桔梗の君も負けまいと睨み返す。ただし、桂木の宰相の背に半ば隠れながら。そこがちょっと情けないが、憑りつくくらいの相手なのだ。やはり怖かった。そこへ、桂木の宰相が大きな袖で隠しつつ、そっと手を握ってくれた。

 密かに二人は恋人の仲でも、公の場では女東宮とその女御の話に、桂木の宰相が口を挟む訳にはいかない。だから背で庇いつつも、見えない所で励ましてくれたのだ。


 背を伸ばし、威厳を込めて桔梗の君は告げる。


「今、あなたは『私の』東宮妃です。望み通り東宮妃にして差し上げたの。どうしても兄宮の妻になるというのなら、その『東宮妃』の位からは降りてもらいます。そして、一度『東宮妃』を降りたからには、他の東宮の妻になるなど認められません。お分かり?」


 若菜の君は女東宮の説明を理解するなり、愕然とした。全くもってその通りだ。一度、『東宮妃』の位を降りたら二度となれないのだ! 長年願い続けた東宮妃には。


「そなたは姫宮だわ。なぜ女御(妻)を迎えられる? 女同士で結婚などできる訳もない! だから東宮妃と言っても……」

「控えよ、無礼者! 私は間違いなく、東宮です。そしてそなたは正式に宣旨を受けたの! 結婚ではなく『位』を授けられたのよ、紛れもなくね。だから正式に『女御』の位に就いています。その位から降りたければ降りればいい! けれどもう二度と女御、そなたの望む『東宮妃』にはなれないわ!」

「おのれ、小娘! 騙したな!」


 若菜の君が怒りに目を吊り上げて桔梗の君を睨み下ろす。負けないわ! とばかりに桔梗の君も厳しい眼差しで見つめ返す。桂木の宰相の背に庇われながら。 


「さあ、選びなさい、桐壺(きりつぼ)の女御! 念願の『東宮妃』でいるか、兄宮の単なる『妻』か。ただし、兄宮はあなたの恋人ではないから、いくら待っても本当の『妻』としては扱わないでしょう。あなたはまたあの邸で待ち続けるだけになる」


 本当に兄宮を愛しているのなら、それでも良いと、『妻』になると言うはずだ。桔梗の君だったら、位より、愛する桂木の宰相の妻になる事を選ぶからだ。

 だが、桔梗の君は気付いていた。もはや若菜の君も愛する恋人は亡くなっていると理解したことを。ただ、最後の約束の『東宮妃』になる、に執着しているだけなのだと。だから、相手の『東宮』はもはや誰でも良い。だったら、女東宮でもいいはずだった。

 即答できず、躊躇っているのが、何よりの証拠だった。

 

「答えよ、桐壺(きりつぼ)の女御」

「……私は、桐壺(きりつぼ)の女御、東宮妃。あの日、私を虐めて追放した者達を見返すと誓ったの。だから……」


 ガックリと肩を落とし、悔しそうに若菜の君は呟いた。


「ならば、仲良くしましょう、私の女御。昔話など語り合いませんか?」


 優しい声音で桔梗の君が慰めるように問いかける。


「私達、せっかくこうして出会えたのだから。あなたの東宮様は、私の伯父上です。どんな素敵なお方だったのかお話下さる?」


 若菜の君は下を向いたままだったが、対立ではなく労わりに満ちた声だったためか、力抜けたように小さく頷いた。

 山丸や海丸も慰めるように小声で話しかけていた。どうやらどちらも正式な『妻』ではないのなら、位のある妻の立場(東宮妃)を取ったのは正しいのだ、と説得したらしい。再び諦めを滲ませながら、何度も若菜の君は頷き返した。


「ではまた、お話しできる日を楽しみにしています」

「……女東宮様、お待ちしております。……望みをかなえて下さって、ありがとうございます。きっとこれが私の精一杯ですね」


 互いに苦笑いを交わし合い、桔梗の君は再び桐壺(きりつぼ)を訪問することを女御に約束して、御殿を出た。


 その夜、梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)の二人だけの寝室で、御簾(みす)越しに共に月を眺めながら、桔梗の君は自分を抱き締める恋人に問われた。どうしてあんなにも若菜の君は『東宮妃』に拘るのかと。


「たぶん、亡くなられた伯父宮様の妻であることを周りに認められたかったのよ。だから『東宮妃』を名乗りたかったんだと思う。だって、式部達も言っていたもの、『身分違いの恋人』だって。恋人ではなく、妻になりたかったのよ、きっと」

「それで、女東宮の『東宮妃』? あり得ないよ、普通」

「でも、右大臣家の権力で宣旨を出せたのは、逆に私が女東宮だからなの」

「あとわずか一月の『女東宮』様と『東宮妃』様だから? あなたの命が懸かっていると言って、父、式部卿(しきぶきょう)の宮にもご助力頂いて、特別に認めさせたんだ。例外って、一つ認めると、後が怖いね。特に賢い女東宮様がおられると、やりたい放題だ」


 クスクス笑って抱きしめる恋人の腕を桔梗の君はちょっと怒りながらペシペシ叩く。


「怖いだなんて、酷い。私は兄宮と右大臣家の女御様を守りたかったの! 大好きなお二人なのだもの! 生霊になって憑りつくような妻を女御にすることで悲しむなんて見ていられなかった」

「女東宮に入内させるつもりだと打ち明けられた時は驚いた。だけど、柊の宮様達だけでなく、あの桐壺(きりつぼ)の女御様にとっても良かったと思う。もし本当に柊の宮様の下に入内されると、前より酷いいじめを受けることになっただろう。あなたが退位した後は、柊の宮様と私で、あの女御の面倒は一生見ていくから、大丈夫だ」

「ありがとうございます。やっぱり最後は、あなたに助けられるのね」

「それができて、嬉しいよ。あなたに、役立たずとは思われたくない」


 その夜もまた、桂木の宰相は役立たずではない事を可愛い恋人に身体で示した。

 

 右大臣邸でも共に月を眺める二人がいた。

 

「ほーほっほっほっほ!」

「どうした、女御、突然、高笑いなどして。月を見て何が可笑しい?」

「いいえ、柊の宮様、あの月の如く輝ける夫を独占できる事が嬉しいのです。あなたの妻は私だけ! ほーほっほっほっほ!」

「女御が嬉しそうで、良かったが、女東宮には面倒を押し付けてしまった」

「大丈夫です、私と同じように、しっかりとした支えがございますもの」

 

 女御は甘えるように夫の胸に寄りかかる。むにゅっとした温かい感触に柊の宮は微笑み、そっと女御を抱き上げ、奥御簾の中へと連れていった。



 桜が咲き始めた頃、右大臣邸で身近な友人だけを招いた桜の宴が行われた。近日中に柊の宮と女御が後宮に居を移すので、その前にと行われたお祝いだった。女御の住まう棟の庭、桜の下に舞台が造られている。明るい日差しの中、可愛らしい白い桜の花を愛でつつ楽しむ宴である。

 

 女御たっての願いにより、弟の山吹(やまぶき)の少将が横笛を、その親友の紅葉(もみじ)の中将が箏を奏することになっていた。二人は、ここになぜ箏の名手の桂木の宰相がいないのかと訝しんだ。

 だが、誰に問うても分からないまま、打楽の拍子で楽が始まった。透き通るように強く響く山吹の少将の笛の音と紅葉の中将の力強い箏の音が重なり合う。雅やかでありながら、華やかな楽の音だった。


 そこへ、天幕の袖から背丈の高い舞姫と低い舞姫の二人が表れた。お揃いの衣装に、月の天女のように結われた艶やかな髪。艶やかな扇までお揃いだった。

 二人はしなやかに指先まで動きを揃え、ゆっくりと袖を翻し、微笑みを躱しつつ舞う。まるでお互いに揶揄いながら花の上をひらりと飛ぶ蝶の様である。その美しさに女御だけでなく、側仕えの女房達や家人達まで微笑みつつ見とれる。

 

 背丈の高い舞姫はさながら月の天女のごとき美しさで、背の低い舞姫は花の様な愛らしさだった。その背の高い舞姫が憧れの百合姫と分かり、紅葉の中将は爪弾く箏の弦のように胸を高鳴らせた。この百合姫と女御は親友の間柄と聞いている。だからお祝いに舞を捧げているのだろうと思った。

 

 ふと百合姫の視線が紅葉の中将と合った。力強くも爽やかな色気を含む眼差し。それは、いつも笑みを交わし、話を交わし、酒を交わしながら見つめたもの。いつだって真っすぐな信頼に満ちていたもの。そのとき、紅葉の中将は、この幻想的なまでに美しき天女の正体に気付いた。


 憧れの天女が月に上って、帰ってしまった瞬間だった。


 不意に、紅葉の中将の顔色が暗くなり、箏の音に動揺と悲しみが混じった事に親しい友人たちは気付いた。この美しき舞で何を悲しんでいるのかと、誰もが疑問に思う。


 儚くも美しい舞と楽が終わって舞姫が退出し、入れ替わるように大事な友人が姿を現した。

 紅葉の中将はジッと親友、桂木の宰相の顔を見つめた。そして滲んだ涙を袖で拭い、震える口元を誤魔化すように、酒を飲んだ。無茶苦茶に、皆に心配されるほど飲んだ。心の傷を酒で洗い流してしまいたかったからだ。


 とある春の日、女東宮は退位し、兄宮が東宮に返り咲いた。まさしく桜の花の如き、堂々たる華やかな東宮が後宮に戻り、多くの人々の入れ替えがあった。麗景殿(れいけいでん)に女御が再び賑やかに迎え入れられ、反対に、桐壺(きりつぼ)の女御はひっそり静かに退出した。


 そして梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)に、桔梗の君が待ちに待った、月光の如く凛々しくも美しい貴公子が訪れた。

 

「ああ、やっと私の桔梗の君を見つけ出せました。……お迎えに参りました、五の宮様。私の妻になっていただけますか?」

「はい。ずっとずっと、お待ちしておりました、桂木の宰相様」


 差し出された手に、桔梗の君は恥じらいながら手を重ねる。


「優しい桂木の宰相様も、月の天女の百合姫もお慕いしています。ずっと一緒にいて下さいますか?」

「文遣いの童の桔梗の君も、高貴な女五の宮様もお慕いしています。あの日の桜の舞のように、ずっと二人一緒に舞っていきましょう。私の桔梗の宮様」

「はい。私の月の君様」


 兄東宮に結婚を許され、桔梗の宮は梨壺北舎(なしつぼきたしゃ)を退出した。自ら迎えに来た桂木の宰相に導かれ、満開の桜の日に抱き上げられて愛しい恋人の下へと降嫁した。

 

 終わり。

お読みいただき、ありがとうございました。

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