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消えた囁きを追え~オーパーツとの旅~⑤

《AD》の拠点の発掘現場で、天城は、巨人の全身骨格を目の当たりにするも、グルグたちに再び捕縛され、《ノア》襲撃の嚮導役とされた。天城は途中で脱走して《ノア》のドーピング計画を挫いたが、死んでいなかった富樫と再会して、混乱を極める。その場にいたグルグは、謎を残して逃げ去ったが、グルグに撃たれた富樫は「カヤを頼れ」と言い遺して、今度こそ死んだ。悲しみの天城たちは、富樫の遺言に従って、アンタキアへと針路を採った。

 第五章 巨人の真実

       1

 天城たち三人は、《ノア》の近くでタクシーを拾い、エレバン国際空港に、逃げるように直行した。アンタキヤの最寄りのハタイ空港までの航空券を購入すると、空港の売店で最低限度の手荷物を整えた。

昼過ぎの航空便には、《AD》から貰った偽造パスポートで搭乗したが、不正の発覚は、なかった。三人がイスタンブール経由でハタイ空港に降り立つと、時計の針は、午後七時を回っていた。

 アンタキヤは、トルコ南部に虫垂(ちゅうすい)のように張り出したハタイ県にある、人口二〇万人ほどの県都だ。

 古代には〝アンティオキア〟と呼ばれ、紀元前四世紀に要衝(ようしょう)の地に建設されたヘレニズム都市だった。ローマ帝国の拡大でキリスト教の拠点の一つとなったが、七世紀にイスラム帝国の伸張で衰退し、一地方都市に甘んじてきた。

 近代には、ハタイ県を巡って、シリアとトルコの間の帰属問題が発生。国際連盟の仲裁で行われた選挙で、トルコ側に編入された経緯を持つ。それ故、アンタキヤを初めとするハタイ県の諸都市には、トルコ系とアラブ系の住民が混淆(こんこう)している。

 隣国シリアの内戦で多くの難民が戦禍を逃れてきていたが、そこに追い打ちを懸けるように、二〇二三年には大地震が発生している。難民は、移動することもできずに困苦を強いられ、現在も、インフラの開発が遅れたままだ。県外へ避難できなかった住民の多くは、仮設住宅での生活を余儀なくされている。

 地中海から三十キロほど内陸のハタイ空港は、カラッとしていたが(ほこり)っぽかった。マカオのような、湿った熱気とは無縁の世界だ。

 富樫が言い遺した資料館の場所は、すぐには分からなかった。空港のインフォメーションで訊ねても、〝モザイク博物館〟の異名のある《ハタイ考古学博物館》ならあるが、《アンティオキア考古資料館》という名前では、検索できなかった。

 ところが、〝アンタキヤ郊外〟という言葉から、近隣まで検索範囲を拡大して調べてもらうと、アンタキヤに南隣するハルビエという町に、《アンティオキア考古資料館》が実在した事実が判明した。

「〝実在した〟って、どういうこと? 今はもうないの?」

「以前は、確実にあったようです。ええっと、……三年ほど前に閉館していますね。もしかしたら、地震の影響もあったかも知れません」

 天城は、一気に途方に暮れた。マクラウドと富樫の〝遺言〟が、こんなにも早く絶たれるとは……。これ以上、先に進めないのだろうか。

 だが、三年前と言えば、マクラウドがまだ、順風満帆に研究を続けていた頃だ。ロンドン大学から中東の遺物を発掘研究するための拠点として、《アンティオキア考古資料館》を利用していたのかも知れない。

 天城は、一度、資料館のあった場所に行ってみる価値がある、と思い直した。

「とにかく、そこへ行ってみましょう。何か、手掛かりが残っているかも知れません」

 ハタイ空港からアンタキヤの中心部までは、車で凡そ三十分。それから郊外のハルビエまでは、更に十分ほどの道程だ。

 場所は把握できた。だが、資料館跡まで行っても、カヤと会えない可能性が高い。仮にそこで働いていたとすれば、資料館封鎖と同時に、別の場所に移ったとも考えられる。

 そもそも、カヤという人物は、何者なのだろう? 《アンティオキア考古資料館》の職員だったと考えられるが、その後の行方を探し出す方法など、あるのだろうか?

 もし、会えたとしても、カヤが天城たちをすんなりと受け入れるとは限らない。封鎖を機に、引退や転職をしている場合もあろう。また、マクラウドが引き起こした面倒に巻き込まれたくないと、協力を拒否する場合も、充分あり得る。

 しかし、天城たちに残された時間は、さほどなかった。

 負傷したとはいえ、グルグもモアイ男も、まだ健在だ。デミルコルが《ノア》の遺伝子操作技術を入手した公算が高いだけに、こちらも次の一手を早く打つに、()くはない。

 マクラウドと富樫の二人が、頼るようにと口を揃えた、カヤ。正体不明のカヤこそが、一連の事件の鍵を握っていると、想像に容易(たやす)い。

たとえ、カヤなる人物がどのような者であろうと、天城たちに協力を惜しまないよう、祈るばかりだ。だからこそ、どうあってもカヤに辿り着くしか、天城たちには、選択肢がなかった。

 ところで、緊張の連続だっただけに、天城は、カリネの体調が気になっていた。抑制薬がないまま過ごしてきたが、激しい感情の応酬が微妙な影を落としていないだろうか。

 当のカリネは、空港からのタクシーの中でも、どことなく伏し目がちで、物思いに(ふけ)る感じだった。時折、不安感と戦っているような表情も見せた。

「カリネ、体調はどうだい?」

「……私は、平気よ。……人がたくさん亡くなったから、心がざわざわしちゃって……」

 顔を覗き込むと、カリネの瞳の蛍光色がやや強まっていた。だが、努めて平静を装っていると分かった。

「私も薬物投与を止めた直後は、心が乱れ易かった。今では、ほとんど症状も出てないし」

 アンナも言及していたが、カリネは実験の影響で、精神的に不安定になる時がある。抑制薬は、あくまでも突然の発作を抑える薬だ。それでも、ある程度の精神亢進(こうしん)を抑えてくれる作用も期待できる。

 同等の薬物ではないにせよ、フォンのように、時が経てば、精神的な不安定さも、落ち着いてくると期待したい。

 いずれにしても、しばらくの間は、感情を揺さ振られる出来事が続く可能性は高い。できる限り、カリネの気持ちを落ち着かせられるケアを、心掛けたほうがいい。

 心を休ませる暇もなく、タクシーはアンタキヤの町を抜け、ハルビエに到着した。ハルビエの中心地から徒歩で、《アンティオキア考古資料館》の跡地まで向かう。

 ハルビエは小さな町で、東から南に掛けて山が迫っているせいか、緑陰と水辺が多い。キリスト教以前のローマ時代には、多くの神殿が建ち並ぶ聖地〝ダフネ神域〟として(あが)められていた。

 ダフネは、ギリシア神話に登場する女性である。執拗なアポロンから逃れようと月桂樹に変身した話は、有名だ。ダフネに捧げられた地は、今も、清冽(せいれつ)な泉や滝で神聖さに溢れていた。《ダフネ親水公園》と銘打った緑地も、整備されている。

 ただ、ここハルビエも、大地震の被害が大きかったようだ。一部の観光地が漸次復活しつつあるものの、中心部には、まだ、瓦礫が残っている箇所があったり、更地になっている場所があったりと、まだまだ途上の感が否めない。この苛烈な状況を、ダフネは、どのように感じているだろうか?

 歩くこと、十五分ほど。旧《アンティオキア考古資料館》は、岩肌の多い山を見上げる公園の一角にある、大きな池の中島に建っていた。丸みを帯びた三階建ての景観は、どっしりと構えられ、聖なる故地を(しの)ばせる。だが、ここも大地震の影響からか、外壁の剥離や罅割れも確認できた。

 池の中島にあるからか、公園全体が緑陰の中に埋もれているからか、周囲の人も敢えて近寄ろうとしないのだろう。今は、日も落ち、なおさら暗く、闇に溶け込みつつある。

 中島に渡る小さな橋は、板とロープで塞がれていた。赤字の看板で〝封鎖(カパツマ) 立入禁止(ギリルメス)〟と大書されてある。

「別に、更地(さらち)になっているわけじゃ、なかったわね」

「やっぱり、侵入してみるよね?」

 建物が残っているからには、問われるまでもなかった。天城は、旧資料館に忍び入ろうと決めていた。今回の旅での隠密行動には、もう、慣れっこだった。

「カヤがどこにいるか、その手掛かりを探しましょう。何としても、カヤに辿り着かなけりゃ、いけませんから」

 天城たち三人は、防犯カメラや近付く人の有無を確認した。その上で慎重に板とロープの隙間を見付け、中島への小橋に侵入した。

 小橋から中島へ移動すると、かつて多くの考古学ファンの来訪を見守ってきた縦格子の門が、今度は立ち塞がった。門の上部には、忍び返しも構え立つ。

「こんな所で、足踏みしていちゃ、いけないんでしょ?」

 そこで、カリネがするすると、三メートルはあろうかという門扉を昇り始めた。

 あっという間に昇り切り、上手い具合に忍び返しを乗り越えて、門の向こう側へ飛び降りる。すぐに、(かんぬき)が外される金属音がして、門扉が左右に開かれた。

 天城とフォンは、無言のまま気を引き締めて、門の隙間をするっと潜り抜けた。カリネの身体能力に、感謝である。

「水泳だけじゃなくて、ボルダリングにも挑戦したら?」

 門の向こう側には、杉の木に囲まれた、ちょっとしたロータリーがあった。ロータリーに対して入口があり、丸みを帯びた両翼を拡げている。

 白い切石を貼り付けた壁面が月光に映え、堂々とした印象を与える。見上げても、館内から漏れ来る光は、ない。

「どこからか、内部に入る場所を見付けなきゃね」

 手分けして侵入するに適当な入口がないかを探し始めた。館内への入口は、危険性を考慮してか、戸板で頑丈に塞がれていた。上階への侵入を防ぐための鉄条網も、壁に(めぐ)らされている。

 山側の右翼の裏手で、壁の低い部分にベニヤ板が貼られている場所を、フォンが見付けた。縦幅が人一人どうにか通れるサイズだ。地震で割れてしまったのかも知れない。

「ここなら、多分、行けると思うわ。ここにしましょう」

 言うが早いか、フォンはベニヤ板を蹴破り始めた。周囲に響く強烈な音にびくびくしたが、三回目の蹴りで、見事にベニヤ板が破壊された。

 急いで木片などを取り除き、カリネから順番に、できた隙間に潜り込んだ。難民や浮浪者に占拠されていないことを祈りつつ。

 内部は暗く、埃っぽい()えた臭いが(よど)んでいた。目が慣れてくると、そこが、メイン・ホールの一番奥だと分かった。残念ながら、壁のあちこちに、地震で剥がれ落ちた部分も見受けられる。

 入口の扉から入って受付を抜けると、左右に細長い場所が、吹き抜けのメイン・ホールだ。両翼の対照的な部分には、階段が左右に延びており、上階へと来館者を導く。

 天井には備え付けのシャンデリアが、まだ下っている。中央には大きな壇があり、かつては巨大な彫像などが飾られたと推察された。

 壁際には、収蔵物が置かれた掛金やパーティション、棚や椅子がまだ無造作に残っている。それぞれに薄く積もった(ちり)が、三年という時間の経過を物語る。

「どこから探します? まずは、二階からですかね? それとも、各自であちこちを探しましょうか?」

「ここは、効率よく、散らばりましょう。取り敢えず三十分後に、ここに戻ってくるようにね。地震で脆くなった箇所もあるかも知れないから、気を付けて」

 フォンの提案に従って、各自が館内に散り、カヤの痕跡を探そうとした。

 ところが、カヤの痕跡は、どこにも見当たらなかった。各展示室やバックヤード、収蔵庫や修復室、果ては電源室までが伽藍堂で、全ての物が持ち去られていた。当たり前と言えば当たり前だが、なぜか、異常なまでに徹底していた。

 収蔵物はもちろん、資料類や書物はおろか、チラシにポスター、更には蛍光灯からトイレット・ペーパー、崩落した壁や天井の欠片(かけら)に至るまで、目ぼしい物は皆無の状態だった。

 残っているものといえば、せいぜい、忘れ去られたクリップや(しな)びた輪ゴム、壁の画鋲(がびょう)干乾(ひから)びた雑巾(ぞうきん)くらいのものだった。いずれも、カヤの痕跡には、結び付かないものばかり。

「本当に、手詰まりになっちゃったみたいね。……参ったわ」

 フォンが腰に手を当てて、吹き抜けの天井を仰いだ。降参を表明したかのようだった。

 だが、天城は反対に、床を見詰めた。床に不自然な痕を見出したためだ。

 先ほど、天城たちが侵入したホール端の一角からは、三人の足跡が、埃の上にくっきりと付いていた。だが、今いるホールの中央には、埃がさほど積もっていない。更に、天城たち三人以外の靴跡も、確認できた。

「変だね、この足跡」

 覗き込んできたカリネと目が合った。

「俺たち以外の足跡が、少なくとも数日以内くらいに、付着してます。明らかに、誰かが来てますよね」

 管理人の巡回かも知れなかった。もしかしたら、崩落の危険防止や難民対策のためなのだろう。しかし、天城には、もやもやして、どうしても、溜飲(りゅういん)が下げられなかった。

「この足跡が、どこから来て、どこへ向かったのか判れば、いいのよね?」

 フォンは、既に、暗い館内の床にへばり付くようにして、目を凝らし始めた。弱く届く月光を頼りに、天城も、カリネも、足跡を見極めようとした。

 第四の足跡は、堂々とホール入口から入って来ていた。しかも、(まば)らな痕跡から、何度か、ある程度まで頻繁に往復しているようだ。

 では、どこへ繋がっているのか?

 謎の足跡は、ホールの中央を横切って、正面のバックヤードへ消えていた。

 定期的に訪れる管理人が掃除をしているのだろうか? そうであれば、館内全体にこれほどの塵の層は、積もらない。

 他の場所には目も呉れずに、往復する足跡は、いったい、何を意味するのか?

 バックヤードでは、月光がほとんど入らないため、靴跡探しは困難を極めた。懐中電灯を買ってきたらよかったのに、と後悔する。

 ところが、天城たちがバックヤードの休憩室前の廊下で、目を凝らしている時だった。

 今は使われていないはずの、空っぽの電源室の方向から、ぎしぎしっと異音が聞こえた。

 次の瞬間、電源室のドアが開け放たれ、同時に、怒声が(つんざ)かれた。

「誰だ、お前たち! ここは、立入禁止だぞ!」

 天城は、暗がりからの怒声に焦り、立ち竦んだ。カリネもフォンも、緊縛されたようにじっと動けなかった。

 暗い中に立つ男は、かなり(いき)り立っており、天城の目には、確かにショット・ガンが映った。今にも、発砲しそうな勢いだった。閂が内側から掛かっていた時に、おかしいと気付くべきだった。

「ま、待ってくれ、俺たちは、決して、怪しい者じゃない」

 不審な言い訳が、男の怒りの火に油を注ぐ結果にならないよう祈りながら、天城は両手を分かり易く掲げた。

       2

「あなたは、もしかして、カヤさんですか?」

 天城は、事態が好転するよう、一か八かの賭けに出た。少なくとも、この人物がカヤに辿り着く一片である。カヤの存在を知っていてもおかしくはない、と考えた。

 男は、闇の中でも分かるほど、急に殺意が減殺(げんさい)された。

「お前たちは、何者だ? コソ泥や悪ガキでは、なさそうだが……」

「実は、俺たちは、こちらにいらっしゃったカヤさんに、用があって来たのです」

 天城は、言葉を選んで、ゆっくりと弁明を始めた。同時に、男の手から懐中電灯の光条(こうじょう)が、天城に向けられた。(まぶ)しくて目を()らす。

「……カヤさんのお名前は、マクラウド博士から聞きました。カヤさんを頼るように、とも言われてます」

 天城は、自分たちの自己紹介の後、マクラウドの名を出して、様子を窺った。懐中電灯の光が、やや乱れた気がした。

「……確かに、(わし)は、カヤだが。ジェマル・カヤ」

〝マクラウド〟というワードによって、天城は、光条の先の人物が警戒心の一部を更に解いた、と察した。

 だが、それでも、すっかり信頼されたわけでは、ない。恐らく闇の向こうでは、まだ、ショット・ガンの照準は、天城に定められたままだ。

 天城は、富樫から入手した写真入りのロケットに懸けてみようと決めた。血塗れのロケットで、カヤがマクラウドの死を悟り、天城たちが犯人だと断じるかも知れない。そうなれば、ショット・ガンの餌食(えじき)となるだろうが。

 だが、天城は、必ずカヤに受け入れられると、確信していた。――富樫の死の際に握り締めていたロケット。それこそが、カヤからの信頼を得るに足る印籠(いんろう)だと。

 天城は、ゆっくりとポケットからロケットを取り出して、カヤに示した。

「これをご覧下さい。マクラウド博士から託されたものです」

 闇の中からぬっと腕が現れ、ロケットが乱暴に掠め取られた。

 しばしの時間が、数時間にも感じられた。その間、天城は、それにカリネもフォンも、身動(みじろ)ぎ一つせず、カヤの動向、心の行方を見守った。

「これを、どこで?」

 カヤからは、怒気は消え、警戒心の欠片も、残されていなかった。深い溜息が光条の狭間から聞こえ、天城は、勝負の帰趨(きすう)が決したと悟った。

「マクラウド博士がお亡くなりになる際に、手渡されたものです」

 天城が言い終わらぬうちに、廊下の照明が皓々(こうこう)と灯された。眩しさを(こら)えて天城が窺うと、そこには、難しい顔をした老人が(たたず)んでいた。ショット・ガンは下ろされている。

「改めて……儂がジェマル・カヤだ」

 そこには、(ほおひげ)を蓄えた浅黒い小柄の老人が立っていた。顔は彫りが深く、大きな目には黒縁(くろぶち)の眼鏡を掛けており、ダブダブな白衣が滑稽(こっけい)でもあった。ロケットの写真に映っていた禿頭(とくとう)の老人とも、全く違う雰囲気だ。

「このような失礼なマネを、お許し下さい」

「無人の施設から、あなたに繋がる物品を探せないかと思いまして」

「それほど切羽詰っていた、というんじゃな?」

 カヤは、無表情のまま、ぎろっと天城を見た。ここで嘘や脚色を施して説明する必要はない。これまでの真実をカヤに話し、協力を仰げるようにしなければならない。

「マクラウド博士は、《アフター・デルジュ》という組織に殺されました。〝仇を取ってくれ〟と言われて、そのロケットを渡されたんです。その時に、あなたを頼れ、とも」

 カヤは、ロケットをちらっと見た。改めて、付着した血痕を確認したのだろう。

「そもそも、博士があなたを頼るよう言い遺したのは、なぜなんですか?」

 フォンが畳み掛けるように、しかしながら、柔かな口調で問い掛けた。

 カヤは、観念した如く、(まぶた)を閉じた。やがて首を左右に振り、ゆっくりと口を開けた。

「こちらへ、来てもらおうか」

 それだけ言うと、カヤは、くるりと背を向けた。今やって来た電源室へと戻っていく。歩く所作からは、既に怒りや不審のオーラは収まっている。普通の好々爺(こうこうや)の後姿のイメージだった。天城は、二人にカヤを追うよう促して、自らも、その殿(しんがり)に就いた。

 カヤは電源室の奥まで進み、チェーンの掛けられた鉄扉の前に立った。南京錠でチェーンを解くと、鉄扉を重そうに開ける。扉の向こうには、地下へ続く石段が延びていた。

「ロバートは、苦しそうに()ったのかね?」

 階段を下りながら、カヤが寂しそうに呟いた。言葉の響きには、マクラウドに対する同情と哀しみが、反映されていた。カヤとマクラウドは、どのような関係なのだろうか?

「……マクラウド博士は、マカオでの銃撃戦に巻き込まれて……」

 フォンが言葉を濁すと、カヤは「儂が止めたのに、出掛けた報いだな」と、肩を竦めた。

 格子のシャッターを潜ってから階段を下りる。照明が点けられると、だだっ広い部屋が、天城たちを待っていた。

 テニス・コートくらいの広さの中に、実験用の機器やグローヴ・ボックス、パソコン類や多くの書籍が収まった書棚などが置かれている。天井には、換気用と(おぼ)しき太いダクトが、黒鋼(くろがね)の大蛇のように縦横に張り巡らせてある。

 机上には、様々な資料類が乱雑に積まれたままだ。以前は、結構な人数の研究者がここで働いていた、と想像できた。ただ、今は、その気配すら感じられない。

「その辺に適当に、座りなさい。コーヒーでも()れてやろう」

 研究機器や資料類は、使用されなくなっていた。だが、その他の設備――空調や照明から、水回りや清掃用具に至るまで――は、カヤの滞在時に使えるよう整えられていた。

 三人が手近の椅子に腰を落とすと、トルコ・コーヒーのいい香りが漂ってきた。緊張を解き、頭を整理するには、ありがたい。

「この地下室では、何を研究していたの?」

 カリネの言葉が、一種の重苦しい雰囲気を打ち破った。

「ここは、元々、考古学発掘品の保存や修復を行っていた施設だった。アンティオキアは、ローマ時代よりキリスト教会の中心地の一つで、シルクロードの西の出発点だったから、発掘品には、事欠かなかった。ほらよ」

「展示施設だけでなく、保存や修復の部門も、止めてしまったようですね……?」

 天城は、手渡されたコーヒー・カップを受け取りながら、カヤに訊ねた。

 カヤも壁際の席に座り、一口ゆっくり(すす)ってから、答えた。

「修復の完成した発掘品の展示もやっていた。だが、メインは、保存や修復と、それに関する研究だった。保存や修復の技術向上のために、色々な国からその筋の専門家を招聘(しょうへい)していたんだ。三年前の地震以降、予算を回せないと、解散になったがね……」

「その専門家の中の一人が、マクラウド博士だったんですか? 専門分野が違うように思いますけど」

 マクラウドは、古生態学や微古生物学を専門としていた。保存や修復の専門家とは、全く畑違いに思えた。

 カヤは、またカップに口を付けると、一口そっと流し込んだ。

「保存や修復といっても、発掘したての発掘品のクリーニングも仕事の一つだった。発掘品の周りにこびり付いている土や不純物などを取り除く作業だな」

「発掘品に付着したままの不純物の中に、マクラウド博士の専門だった微古生物、過去の菌類なんかが、混じっていたんですね」

 カヤは、満足そうに頷いて見せた。

 微古生物学は、出土した遺物の周囲の化石化した菌類から、その時代の生態系の把握を目指す学問の一つだ。

 マクラウドは過去に、ネアンデルタール人の絶滅理由や現生人類との関わりを調査していた。時代は異なるが、同様の研究手法が用いられただろう。

「初めは、別の研究者が招聘されていた。でも、そのうち、その研究者と発掘現場で知り合い、師事したロバートも、この研究室へやって来た、ってわけだ」

「その研究者って、誰ですか?」

 天城の脳裏を、嫌な予感が通り過ぎた。

 マクラウドは、ロンドン大学の古生物研究室時代、イギリスを初め、中東地域でも発掘に携わっていた。シリアのデデリエや、ここアンタキヤの遺跡でも調査していたと、富樫の部屋のパソコン記事にもあった。

 そうした遺跡で知り合った研究者が、マクラウドを〝巨人研究〟の道に(いざな)ったのだろうか、と。

「ロバートが殺された今となっては、因縁の相手と言わざるを得ないのかも知れぬ。――メスト・デミルコル。《AD》の領袖、ファズル・デミルコルの父親さ。このロケットの写真で、ロバート夫妻の隣に映る、禿()げ頭の男だ」

 カヤの言葉の響きが、いやに運命じみて聞こえた。あの高級スーツを着て、残虐性に満ちたファズル・デミルコルの顔が、やけに不愉快に思い出される。

「父親は、どのような人物だったのでしょう? やはり、《AD》のマッド・サイエンティストだった、とか?」

「メスト・デミルコルは、この国では優秀な微古生物学者だった。アララト山麓で、羊飼いに見出されたサイトAの洞窟で岩面陰刻(ペトログリフ)を指摘したのが、メストだ。儂は、メストの下で長い間、働いておった。だが、クルドの出自がネックになって、冷遇されていたよ」

 カヤは、当時を懐かしむように、目を細めた。

 天城は、デミルコルの父親が〝サイトA〟と絡んでいたとは知らなかった。しかし、本格発掘に及び、ロシア人のストロエフが責任者として選ばれた。

 もしかすると、メスト・デミルコルがクルドの出自という理由で、単独での発掘が許されなかったのではないだろうか?

「まさか、息子のファズルも、研究者だったのでしょうか?」

 優秀な研究者の息子と《AD》の首魁とのギャップが、天城には、大き過ぎる気がした。

「息子のファズルも、若いうちは、父親と同じような研究者を目指していたようだ。だが、父親の冷遇も遠因になったのか、九〇年頃にクルドの解放戦線に身を投じた。メストは、嘆くと同時に、誇りだとも言ってたな」

 武装組織の中で頭角を現したファズル・デミルコルは、やがてクルディスタン北部を支配地域として分派し、《AD》を作り上げた。クルディスタン労働者党(PKK)とは別系統の組織なのだろう。

「ロバートは、師事してからここへ、ちょくちょく顔を出すようになった。メストの教えをよく守り、自身の研究に活用していった。しばしば二人で議論を戦わして、研究を深めていたよ」

「それでは、メスト・デミルコルが、ストロエフという科学者に殺された事実は、ご存知ですよね? ストロエフは、〝サイトB〟で、マクラウド博士の同僚だった男です」

 ファズル・デミルコルは、自身の口で、ストロエフが父の仇だと言及していた。

「もちろん、知っておるよ。五年前の冬だろ?」

 天城は、カヤの口許に、神経を集中させた。

「儂は資料館に残り、雑務を任されておった。メストが〝サイトA〟に赴き、泊まり込みで発掘を、続けていたんだ。ロバートは、ロンドンと別の遺跡の往復に忙しくてな。その時期は留守だった」

 カヤは、当時を思い出したように、寂しい顔付きになって続けた。

「十二月の寒い朝だったと、記憶しておる。トルコ当局から連絡が入って、メストが雪崩に巻き込まれて死んだ、と」

「一般的には、真冬の積雪の中では、発掘作業は行われないと聞きますが……?」

 フォンの質問に、カヤは、眉間(みけん)に皺を寄せて頷いた。

「無論、発掘作業は、行われていなかった。秋口までに終わらせた発掘品の整理を、近傍の村で行っていたらしい。なかなか戻ってこないから連絡を入れたんだ。それでも、メストは、どうしても急ぎたいから、年内いっぱいまでは現地に残ると、(かたく)なだったよ」

 カヤは、死んだ知人の最期が、雪崩による事故死だと信じた。あまりにも大きな規模の雪崩は、滞在していたヌーファン村ごと飲み込んだ。

 同じ雪崩で、富樫の妻も失われた。しかし、それも必然的に行われた隠蔽工作の一環だったとは、この時は、誰にも分からなかった。

「雪崩が意図的だったと分かったのは、いつ頃なんですか?」

「《アンティオキア考古資料館》が閉鎖になって、一年くらいした頃か。儂は、ここの管理を任されていたが、妙な噂が聞こえてきてね」

「例の雪崩事故は、実は、ストロエフが雪崩に見せ掛けて、わざと引き起こした、という噂ですよね? 自ら発掘したサイトAごと、奴の悪事を葬り去るために、と」

 カヤは、渋い表情を覗かせて頷いた。続けて、苦々しさと共に、コーヒーを、ぐびっと飲み込んだ。

「だがな、考古生物学者としてのストロエフの名は、ロシア圏を中心に知れ渡っていた。だから、儂は、最初に耳にした時、その話には、疑問を差し挟んだ。ちょうど、ファズル・デミルコルが《AD》のトップになった時期だった。だから、どうせ、その辺から発信されたガセネタだろうと考えた」

 そのような噂は、真実を反映している場合が多い。むしろ、真実を正面から表明できない時に、〝噂〟という形で、人心に働き懸ける意図さえ、窺える。上り詰めたデミルコルが、わざと流布させたと考えてもいいだろう。

「そういう話って、よくあるからね」

 カヤは、カリネに微笑んでから、言葉を続けた。

「その後、ロバートが、所謂(いわゆる)サイトBの発掘責任者としてトルコに来ると聞き及んだ。出世したものだと、喜んだよ」

「恩師が生きていれば、喜びを分かち合えたのに……」

 だが、マクラウドの来訪が切っ掛けで、雪崩の真相や背後の目論見(もくろみ)が明るみになるかも知れない。それは、死んだメストの望みでもあったはずだ。

「でも、今度は落盤事故で、マクラウド博士も、ストロエフも死んだと、伝えられました」

「二ヶ月前にロバートの訃報(ふほう)を聞いた時、儂は感じた。アララトの山が(ことごと)く人間を拒否していると。サイトAもBも、本来は、世に知られてはいけない場所だったのだ、とな」

 しかし、実際は、どちらの事故も、身勝手な人間による、悪魔の所業の結果だった。カヤの声は、やや(ふる)え、怒りか嘆きが込められていた。

「その後、ロバートが血相を変えて、突然、幽霊の如く現れたんだ。全てを失って、儂に(かくま)ってくれと、助けを求めてきた。死んだと信じていたから、余計に肝を冷やしたよ」

「どんな状況だったんですか、マクラウド博士が逃れてきた時は?」

「ロバートによれば、ある時、突如、サイトBが何者かに占拠され、すぐに、発掘隊のスタッフ全員の殺戮が行われた。犯人たちはすぐに、殺戮現場の隠蔽工作を謀り、〝落盤事故〟で全員が死亡したと発表させた」

 多くの犠牲者の魂の叫びを感じてか、カヤは、しばし目を閉じた。

「初めは、誰がそんな酷いことをしたか、分からなかったそうだ。しかし、状況証拠や証言を得て、間違いなく《AD》のデミルコルが復讐のために行った工作だと、喝破(かっぱ)した。新たにサイトBで発掘調査を始めた〝父親の仇〟ストロエフを殺すための悪行だと」

「だけど、結局、マクラウド博士が難を逃れたように、ストロエフも生き延びた……」

 メスト・デミルコルやレ・バー・フン、それに富樫の妻の殺害をした時のような隠蔽工作には失敗し、ストロエフは、辛くも集団殺戮から脱出。巻き込まれたマクラウドも、恩師の二の舞とはならずに、九死に一生を得た。

 マクラウドの生還で、話を聞かされたカヤも、メスト・デミルコルの死も、ストロエフの仕業だったと理解し直した。その上で、マクラウドの申し出を、喜んで引き受けた。

「その時に、大きな赤茶色の骨を持参したんだ。儂は、初めは、ヘラジカの骨だと思ったさ。でも、ヘラジカとは形状が違ったから追及すると〝巨人の大腿骨〟だと認めたよ」

 ここに至って、カヤに対し、次の質問を発する時だと、天城は認めた。

「カヤさんは、今、仰った〝巨人の大腿骨〟を含めて、〝巨人の存在〟を、どうお考えですか? 巨人は、本当に存在したとでも?」

 天城は、コーヒー・カップを脇へ置き、身を乗り出して問うた。ここからが、本題であるといってもいい。

「お前たちがここへ来たのも、明確な答を見付けたいからだろう?」

「マクラウド博士が持ちこんだ〝巨人の大腿骨〟は、本物なんですか? 今、ここにあるんですか?」

 フォンも、核心が迫ってきたとばかりに前のめりに、ストレートに訊ねた。

 天城たちが《AD》の発掘品保管庫で見た〝巨人の全身骨格〟からも、マクラウドの持ち込んだ〝巨人の大腿骨〟は、人の二倍近い大きさだと思われる。発掘現場の地層にもよるが、黒ずんだ赤茶色を呈していると想像が付く。

 しかし、あれほど見事な全身骨格を()の当たりにしたとはいえ、〝全くの本物〟もしくは〝真物〟という、決定的証拠が欲しかった。

 巨人の存在が、人類の生存に大きな変化を(もたら)すのか。それとも、巨人の存在なしには、人類もあり得なかったのか。天城は、どうしても知りたかった。

「これは、儂の私見だが、……巨人は、かつて存在していたと思う」

 天城は、また(おぞ)ましい巨人の絵画を思い出して、内心、身震いした。けれども、カヤの声は、真っ直ぐで、迷いがなかった。

 仮にカヤが、巨人が伝説や神話の中だけの絵空事(えそらごと)だ、と信じていたとしよう。しかしながら、マクラウドの研究を間近で見て、研究結果や特殊な発掘品から、巨人の実在を導き出さざるを得なかったはずだ。

「マクラウド博士の〝巨人の大腿骨〟以外にも、お手元に保管されている発掘品があるのですか?」

「ロバートが〝巨人の遺物〟として骨格化石を初見した時期は、二ヶ月前のサイトBでの発掘だった。最初は、ネアンデルタール人と同系統の骨格化石かと思ったそうだよ」

「だけど、あまりにも大きさが違うんで、別種の存在、つまり〝巨人〟の存在を否定できなくなったのね」

 サイトBのプレハブ小屋に横たわる巨人の骨格を、天城は、思い返した。同時に、鼻の奥にむず痒さを感じた。

「単なる個体差としては、考えられないのでしょうか? 発掘された骨格の持ち主が、突然変異か何かで巨大化していた、とは?」

 天城の問い掛けに、カヤは、しわしわになった数枚の紙片を(ほう)って寄越した。

「君の指摘の件も考慮したが、これでは、それも無理だろ?」

 紙片には、いくつかの発掘現場が写真として映っていた。多くのスタッフが刷毛(はけ)を手に、懸命に発掘を進めている。〝サイトBの発掘風景〟とある。

 対象発掘品は、複数の発掘箇所からの、様々な部位の化石だった。五十センチを優に超える頭蓋骨やスコップと同程度の長さの上腕骨など、複数の〝巨人の骨〟が映っている。決して、個体差としては、片付けられない規模だ。話の流れからして、マクラウドが敢えて、捏造写真を(こしら)えるわけもない。

 それでも、マクラウドが《AD》の襲撃を掻い潜って持ち出せた遺物は、〝巨人の大腿骨〟一本と数枚の証拠写真のみだった。

 それだけを以て〝巨人の存在を信じろ〟と言われても、普通なら、まだまだ眉唾物(まゆつばもの)として、疑いは残る。

 しかし、天城は、今まで、一連の事件を命懸けで追い続けて来た。だからこそ、巨人の存在を証明するには、これだけで充分だ、と感じる。

 巨人の遺伝子操作を進めてきたがために滅んだ《ノア》の存在自体も、巨人の実在を肯定している。

 ファズル・デミルコルが言及したように、発掘現場の周辺には、〝巨人の郷〟が存在したと、考えられる。富樫の妻が雪崩の犠牲となったヌーファン村が〝巨人の末裔の村〟の一つだとしても、おかしくはない。考え過ぎかも知れないが、富樫の妻も、巨人の末裔と捉えてもいいだろうか。

 富樫の英字の記事によれば、巨人たちは、環境適用や自浄作用によって、一般的な人類と、外見上は変わらなくなっていったという。

 その代わり、巨人としての資質は、(たくま)しい体躯(たいく)や優れた運動能力として、はっきりと顕現する。

 だから、外見上からでは人類とは見分けが付かないため、また、遺伝子上でも、通常では判別できないため、隣人が〝隠れ巨人〟として生活していても、気付かない。否、本人ですら、自身に巨人の資質があるとは、認識できない。

「だから、マクラウド博士は、ヨーロッパ中に点在した〝巨人の遺物〟を盗んだんですね? 他のサンプルも欲しかったがために」

〝スタロの骨〟や〝ツガリンの指〟などと称される〝巨人の遺物〟と思しき獣骨類、それに、《スヴァールバル種子貯蔵施設》に潜蔵(せんぞう)されていた〝巨人の胚〟の窃盗。それは、富樫によれば、〝巨人の大腿骨〟とのDNA比較をするためだったという。

 ところが、カヤは、難しい顔をしたまま、腕を組んだ。

「実は、ロバートの〝巨人の遺物〟蒐集(しゅうしゅう)には、一つの大きな理由があった。それは、ロバートが、メストと同じ微古生物学者だったから、なのだが」

 カヤは、ゆっくりと席を立つと、研究室の奥へと向かった。

「お前たちも、こっちへ来てもらおうか。これから見せるものこそが、〝巨人研究〟の要点だからな。何を隠そう、儂がロバートから託されたものが、こっちに保管されている」

       3

 天城とフォン、その後を追うようにカリネも、静かな足取りで研究室の奥へと進んでいった。

 机上の空のビーカーやフラスコ、資料類にはやや埃が溜まり、長年月の実験が絶たれているようだ。カヤでさえ、滅多に部屋の奥には足を踏み入れないのだろう。

 カヤは、大きな業務用冷蔵庫のような金属製の扉の前で止まり、天城たちを振り返った。

「〝研究施設〟とは名ばかりで、満足な研究もさせてやれなかった。だが、劣悪な環境下でも、メストもロバートも、工夫をして研究を続けていた。……まず、これを見てくれ」

 カヤは、重そうに扉を開けると、きちんと厳重にビニール袋に包まれた物体を、中から取り出した。

「それが、マクラウド博士がサイトBから持ち出せた〝巨人の大腿骨〟? これは、そんなに赤くないんですね」

 フォンが興味津々で、ビニール袋越しに覗き込んだ。

 確かに、赤いと表現するよりは、経年で変色が進んだのか、かなりの黒色に見える。《AD》の保管庫の骨格のような色彩は、既に()せている。

「クリーニング作業を終わらせてある。これが骨本来の色味だ。こちらとも、比較してもらいたい」

 天城は、カヤの示したい真意が分からなかった。それでも、次に取り出したビニール袋を手にした。

「こちらは〝アゴグ=マゴグの腰骨〟だ。細密に調べたら、海獣の骨ではないと分かった」

 こちらは、結構な白色を呈していた。一部が(くす)んだ黄色の斑点になっている。

「最初の骨に比べると、輝いているみたい」

 カリネが素直な感想を述べた。クリーニングで表面を削り過ぎたような印象さえ受ける。しかし、カヤは、否定して続けた。

「〝ロスメルの大腿骨〟や〝ツガリンの指〟も精査した。だが、実際に鯨の骨だったため、元の博物館に送り返しておいたよ」

 マクラウドがヨーロッパ中で集めた〝巨人の遺物〟が、この研究室で選別され、研究対象かが決定された。

「クリーニングをした時点で、同一検体でも、骨表面の色彩が違う箇所が(まだら)になって現れた。これを、どう考えるかね?」

 部位ごとで、クリーニング後の骨の色合いが異なる。つまり、骨本来の特性や地層の状態とは関係なく、むしろ骨の内部に、差を生じる原因があるのだろうか? 言わば病巣によるのか、DNAの変異などによるものか。

「それらの検体から、DNAは取り出せたのでしょうか?」

「これらの骨からは、DNAは検出できなかった。……だが、もっと凄いものが出てきたよ」

 カヤは、ニヤリと笑った。難しいクイズを出して悦に入るようだ。

「発掘の際に骨に付着していた、赤黒い土のほうが、実は、問題なのか……?」

 原因が、骨自体にあるのではなく、表面に付着していた物質に、骨を変質させる原因があるのだろうか?

「〝赤い(フルメンティ・)(ルブルム)〟と呼ばれた試薬的な微生物……」

 富樫の英字の記事に残されていた〝フルメンティ・ルブルム〟。確かに、記事の出元も(つまび)らかでなかったし、さほど気にもしていなかった。各個体が巨人かどうかを見極める試薬となる微生物だ。

 カヤは、クイズの回答を述べようとはせずに、満足気に机上の棚を指差した。

「そこの棚に、諸々の情報が挟まっている。お前たちが探している答も、見出せると思う」

 天城は、すぐに棚に手を伸ばして、『フルメンティ・ルブルム』と題されたファイルを取り出した。ぱらぱらと適当にページを(めく)る。

 マクラウドは、几帳面な性格だったらしい。研究の方法から導き出された結果までが、鮮明な図解や写真を用いて、非常に細かな文字で記載されていた。同様のファイルは、何十とある。

 マカオで、マクラウドがわざわざ《グリーンウッド・ホテル》にまで現れた理由も、自分の目で実験体であるカリネを見ておきたいと、切に願ったのだろう。几帳面というより、強迫観念に似ていたとも、感じ取れる。

「三郎の遺した記事では、巨人と〝赤い粒〟は相互依存の関係を持つかもって、書いてあったのよ」

「報道記事ではあったが、富樫君が書いた記事は、関係者の間では、結構、有名でね。確かに、着想も主張も奇天烈(きてれつ)だった。でも、きちんとした検証が成され、一部の専門家の間では、よもや、と思わせる記事だったよ」

 一部の専門家にとっては、富樫の記事は、有名だった。天城は、富樫がアロヤンの言動に刺激を受けて記事を書いたと予測していた。

 ただ、フォンだけでなく、マクラウドやカヤが知っていたとなれば、やはりストロエフやデミルコルも、富樫の記事を目にした可能性は高い。遺伝子技術の新たなヒントとして、捉えられただろう。〝赤い粒〟は、単なる試薬という位置付けだけではなく、巨人との相互依存の関係性の中で説明できるかも知れない、と。

 巨人と〝赤い粒〟が、互いに反応し合って試薬の役割を果たすのであれば、巨人の遺伝的組織に呼応すると考えられないだろうか?

 素人の天城は、詳しくは分からないが、互いに反応するのなら、〝赤い粒〟にとって、巨人の体内こそが唯一、安らげる場所と考えられる。それだけ、宿主にプラスの影響も及ぼすのだろう。

 安らげる巨人の体内の環境下でなら、生存も可能だろうし、理論上は、巨人の体内で培養が可能となりはしないか。

「マクラウド博士は、〝赤い粒〟の培養に成功したのですね?」

「どう、思うかね?」

 カヤは、再びニヤリと笑むと、肩を竦めた。

「〝赤い粒〟は、巨人の体内でしか、増えないの?」

 カリネの言葉と同じくして、天城は、ファイルのとある一ページで目が留まった。いくつものシャーレの写真が、実験データと共に記載されている。タイトルは、「〝赤い粒〟の、シャーレ内培養について」。

 この〝赤い粒〟とは、マクラウドが二ヶ月前に、サイドBから持ち込んだ〝巨人の大腿骨〟に付着していた赤茶色の物質だ。クリーニングして除かれた泥土の中に含まれていた微生物になる。

〝クリーニング〟というよりは、無用な〝巨人の大腿骨〟から研究対象の〝赤い粒〟を取り出した、と解釈したほうが正しいか。今までとは、逆の発想だ。

 読み込んでいくと、時間の経過と共に、シャーレ内に培養していた〝赤い粒〟の絶対量が激減していると報告されている。遅くとも三十分ほどで全滅したと、示されていた。

「通常の環境下では、ほとんど生きられないようね」

 ファイルを凝視しながら呟くフォンを尻目に、天城は、ページを何枚か捲った。

 次に目に付いたのは、「〝赤い粒〟の生体実験について」だった。巨人ではない個体の中で、どれほど生きられるか、の実験だ。ネズミとサルの写真を添えた実験結果が示されている。

 ネズミもサルも、〝赤い粒〟を注射された直後から、異状が見られた。すぐに苦しみ始め、肝臓や肺、脳にまで広がりが確認できた。

 あらゆる場所で臓器不全が発生した。ネズミで二日目、サルで五日目に、全身が〝赤い粒〟に(むしば)まれるように、赤く(ただ)れて死亡した。

「非巨人の個体であれば、〝赤い粒〟に対抗できないってわけね」

「だが、ネズミやサルの死亡後には、〝赤い粒〟は、一気に弱まって消滅した。喰い尽くすだけ喰い尽くして、有機物の〝餌〟がなくなったら、自生できなくなって死滅したんだ。やはり、数十分といったところだ」

 データの最後には、〝まるで臓器が腐るように喰われていた〟とか、〝確認すると、無数の〝歯型〟とでも呼べる無秩序な痕跡が、(あざ)のように体表面に残っているだけ〟といった記述も見られた。

「これが巨人なら体内に落ち着いて、共生できるのか……」

「このシステムは、まだ、解明できていない。人間の免疫システムと同様の、関係があるのかどうかも、な。ただ、ロバートは、巨人の体内であれば、〝赤い粒〟は、安定して増殖できると推測した。言うなれば〝宿主(しゅくしゅ)〟内での安定増殖だ。巨人のパワー・アップにも寄与できるかも知れん、と」

「では、〝赤い粒〟が人類にとって、脅威となり得るのでしょうか? それとも、有益な貢献が可能なのでしょうか?」

 カヤは、半ば困惑した表情を浮かべ、下唇を突き出した。

「ネズミやサルの実験は、念のため、グローヴ・ボックスの密閉された空間で行われた。ロバートは、分子構造から見ると、空気感染する種類なのでは、と疑っていたがな。ブレイクアウトの可能性も捨て切れない、と」

「じゃあ、どうして、発掘してた人は、感染しなかったの?」

 発掘された際に、〝巨人の遺物〟に付着していた〝赤い粒〟。確かに、発掘者に感染する(おそ)れはなかったのだろうか?

 マクラウドも含めたスタッフの中に、突発性の怪死があったとは、確認できていない。ネズミもサルも、摂取直後から発症した経緯があるから、直接に摂取していないヒトには、感染しないのだろうか? それとも、マクラウドの予想の通り、空気感染するのだろうか?

 天城は、ファイルの続きを読んでみた。だが、〝赤い粒〟の感染経路が確認された情報は、見付けられなかった。微古生物学の権威であるマクラウドも、〝赤い粒〟の全貌を理解するには、まだ時間が足らなかったのか。

 カリネの(もっと)もな質問に、カヤは、向き合って答えた。

「発掘の時点では、地層の高圧や付近の泥などによって、分子レヴェルでコーティングされていたと考えられる。そのコーティングを取り除くために必要な作業が、ナトリウム溶液による強制解凍だ」

 カヤは、素人の三人に、できるだけ容易な言葉で説明を加えた。

「空気に触れた〝赤い粒〟は、〝餌〟もしくは宿主を求めて、浮遊すると思われる。巨人ではない者が感染すれば、間違いなく、死に至るだろう。だが、また空気を断ってコーティングしてやると、〝赤い粒〟は眠りにつく」

「数十分の時間で〝餌〟や宿主が見付からない場合は、そのまま死滅するんですね?」

 発掘現場でのコーティングされた状況は〝赤い粒〟にとって奇跡的な幸運だった。酸素から隔てられて、高圧で密閉されていたからこそ、現代へと生き残った。

「ロバートは、ヨーロッパ各地での〝巨人の遺物探し〟から戻ってくると、スヴァールバルで入手した〝巨人の胚〟で早速、実験を行った。〝赤い粒〟の宿主内の生存実験だ」

〝巨人の胚〟という、言わば〝巨人の体内〟と似た条件での実験で、〝赤い粒〟が長時間に生存できるのか。天城は、緊張しつつ問うた。

「それで、宿主内の実験は、どうなったんですか?」

 カヤは、満足そうな笑みを天城に向けて、頷いた。

「凡そ、数日間という限定的な実験だったが、見事、〝赤い粒〟は安定的に生き残った。巨人の宿主が死んでも、少なくともしばらくの間は、生き続けたというわけだ。つまり、〝赤い粒〟が安らげる場所になり得たんだな。まさに、推測が確信に変わったのさ」

 これで、〝巨人の生存〟も裏付けられたと言っていい。アロヤンから示唆されて書かれた富樫の記事も、信憑性が、より高まった。

 ところで、マクラウドは、〝赤い粒〟の重要性に気付いたのだろうか? 微古生物学者だったから、大腿骨ではなく、付着物に視点をシフトできたのか?

 カヤに質問すると、意外な答えが返ってきた。

「そもそも、メストが〝赤い粒〟の重要性に気付いたのさ。有能な微古生物学者だったからな」

 メストの弟子であるマクラウドも、同様の考えを持っていた、あるいは教えられた、と推察できる。

「ストロエフも〝赤い粒〟の脅威の可能性には、気付いたんですか?」

「ストロエフは、単に〝巨人の胚〟を使って遺伝子操作を行っただけだ。人類の強壮化を試みよう、とね。そもそものレヴェルが違う」

 メストが巨人の存在確認の研究、()いては、人類救済のための研究を志したのに対し、ストロエフは、〝巨人の遺物〟の遺伝子操作による金儲けを進めようとした。

「ストロエフは〝赤い粒〟についての認識は持っていなかった。ただ、金蔓(かねづる)になる〝巨人の遺物〟のほうを独占したかったのだろう。メストも浮かばれんな」

 厳冬のヌーファン村で、メストが作業を急ぎ行った理由は、迫るストロエフの魔の手を感じ取ったからかも知れない。

「メストは、弟子のマクラウドに〝赤い粒〟の発見を報告したそうだ。多分、息子のファズルにも、同様の連絡をしたに違いない」

「連絡の直後に、メストさんは殺されちゃったのね」

 カリネは、そこで、嘆くように体を強張らせた。

「《AD》トップのファズルは、あの性格でしょ。絶対に復讐を誓ったわよね」

「ストロエフがサイトAで雪崩を起こした理由は、発見の際に殺したメストの遺体の隠蔽だけはなかったんだ。〝赤い粒〟のほうではなく、〝巨人の遺物〟が大量に埋まっている発掘現場の保存もあったのか」

「それと、殺害現場を目撃したと思われる、三郎の奥さんの殺害の隠蔽も、ね」

 フォンが、憎々しい面持ちで吐き捨てた。

 デミルコルは、《AD》の領袖に上り詰めるまで、ストロエフ探しを中断せざるを得なかった。一方、ストロエフは、五年前の雪崩事故以後、《ノア》に接近して遺伝子操作の実験を繰り返してきた。

ストロエフは、いずれ《ノア》を乗っ取って、強壮計画で軍隊を作り、金儲けしようと考えていた。だが、思ったような成果を出せずに、焦っていたに違いない。

「数年後に、サイトAの近傍でサイトBが発見され、ロバートが責任者になった時、ストロエフは、気が気でなかったはずだ。せっかく隠伏(いんぷく)させて、密かに研究を続けていた〝巨人の遺物〟が公になる危険性が、あったからな」

「そうなると、〝金儲け〟を独占できなくなるしね」

 ストロエフは、トルコ政府に直談判でもして、共同発掘を勝ち取った。マクラウドが〝巨人の遺物〟を再発見した段階で、すぐに殺そうとしていた可能性もある。

「でも、マクラウド殺害より早く、ストロエフ再訪を察知したファズルが、グルグたち《AD》の精鋭を送り込んできた」

 ところが、スロトエフは、幸運にも、デミルコルの死の刃から逃げ果せた。今度は、サイトBで発見した〝巨人の胚〟を持って……。

「まだ、〝赤い粒〟の詳細は、確定できていない。儂がお前たちに告げた内容だって、まだまだ不確定要素が多い。それが、現状だ。……ただ、ロバートがマカオに出発する直前に、儂に印象的な話をしてくれた」

 天城たち三人の視線が、カヤの次の言葉に集中した。

「ロバートは、この〝赤い粒〟に対して、非常に興味深い名前を付けた、と語ってくれた。まあ、愛称みたいなものか、の」

「どんな名前なんですか? 教えて下さい」

 カヤは、勿体振(もったいぶ)った様子で三人を見ると、黒縁眼鏡の奥の目を光らせて答えた。

「〝ナックラヴィー〟だ」

 全く、聞かない名前だった。だが、天城は、名前を聞いた途端、なぜだか、背筋に悪寒が差す感覚を拭えなかった。また、巨人の名前なのだろうか?

「ロバートによれば、〝ナックラヴィー〟は、オークニー諸島に伝わる海の怪物の名前らしい。スコットランドの鼻先にある島々だ」

「どんな怪物なんですか? ゾンビみたいな不死なの?」

 不安を感じたように、カリネがぼそっと呟いた。

「どちらかというと、ギリシア神話のケンタウロスに似ている。馬の背に人間の上半身が乗っかっている感じかな」

 カヤは、眉を(しか)めながら、記憶の中の怪物の特徴を語ってくれた。

 ナックラヴィーはケンタウロスと似ているが、皮膚がなく、体表全体に赤い生肉が露出している。腕は長くて、頭は巨大。だが首の骨がなく、ぶらぶらと固定されていない。(おぞ)ましく不気味なフォルムだ。行く先々で作物を枯らし、出会う人間を(みなごろし)にするなど、疫病を具現化させたように、災いを()き散らす。

〝赤い粒〟が疫病としてブレイクアウトすれば、恐らく、同様の災いとなるだろう。〝ナックラヴィー〟とは、よく名付けたものだ。マクラウドの故郷スコットランドでは、しばしばよく耳にする民間伝承、お(とぎ)(ばなし)の類なのだろう。

「〝赤い粒〟、つまり〝ナックラヴィー〟は、巨人に寄生しなければ、生きられないんですよね? 環境等で変化した〝巨人の末裔〟の体内でも、生存は可能なんでしょうか? つまり、ネズミやサルで発現したような〝歯型〟は、同じように現れるんでしょうか?」

 カヤは、一段と難しい顔付きになり、じろっと天城を見返した。

「お前は、日本人だったな? それも、富樫君と近しい、と」

 唐突な質問に、天城は、やや(おび)えた。まさか、富樫が巨人の末裔だ、などと言い出すのではと、身構える。

「また、そこのファイルを見て欲しい。『バハル観察』というやつだ」

 カヤの指示には、遠慮と畏怖の如き(とげ)が含まれていた。慎重にファイルを手に取ると、他のファイルよりも薄く、新しいと分かった。

「ロバートが、マカオに出発する前に作成した、最後のファイルだ」

 パラパラとページを捲ると、〝赤い粒〟の胚細胞への影響などが示されている。〝巨人の胚〟での宿主内での生存実験の、決定的な結果なのだろうか?

 八月十七日の日付が入っている。富樫がマカオに出発した日が八月十八日、マクラウドが富樫とマカオで接触した日が、八月二十四日前後なので、緊急性のあるファイルだとも受け取れる。

「タイトルの〝バハル〟とは、何を指すのでしょうか? 〝巨人の胚〟の名称ですか?」

 カヤは、更に神妙な表情を加えたが、さらっと告げた。

「〝バハル〟は、トルコ語で〝春〟という意味の、女性の名だ」

 天城には、カヤの言葉が理解できなかった。〝春〟に意図的な意味が込められているのかと思った。

「……ロバートは、スヴァールバルで入手した〝巨人の胚〟の中で〝赤い粒〟が生存し得た実験を、大いに喜んだ。しかし、それと同時に、それがあくまでも実験上の成功だった点を、大いに憂いた」

 マクラウドは、実験での成功が、片手落ちであると判断した。つまり、〝巨人の末裔〟の体内で、〝ナックラヴィー〟が定着している証拠を求めた、といったところか。

「ロバートは、八月の中頃に〝ちょっと出かけてくる〟と言い残して、どこかへ出掛けた。三日後には戻ってきて、そのファイルを即行で作り上げた」

 マクラウドは、〝巨人の末裔〟がどこにいるのか、知っていたのだろうか?

「マクラウド博士は、〝巨人の末裔〟に会って、〝ナックラヴィー〟の体内生存を確認したんですね?」

「別に、〝巨人の末裔〟と会って話を訊かなくても、事は足りる。体表面のどこかに、言わば〝ナックラヴィーの歯型〟が、痣のようにではなく、〝蜂巣状に綺麗に〟現れていれば、それが、体内生存の証拠となる。いや、遺されていれば、それだけでいい」

「まさか……それって……」

 フォンが悲痛な(うめ)きを上げた。しかし、天城には、まだ、話の理解が進まなかった。

「……儂も、後で聞いて驚いたよ。ロバートは、〝巨人の郷〟と(おぼ)しきヌーファンの村跡へ行って、そこの土葬墓を(あば)いてきたそうだ……」

 天城は、ここで異常な衝撃を受けた。〝巨人との共生〟の証拠を得るために、〝巨人の末裔〟と思しき人々の墓を暴いてきたとは。

 マクラウドは、居ても立っても居られなくなった。そこで、《AD》圏内に残されたヌーファンの廃村の墓地へ、決死の覚悟で向かった。そこで墓を一つ一つ暴き、埋葬された遺体の状態を確認していった。

「様々な痕跡が、多くの遺体や遺骨内から発見された。〝バハル〟は、蜂巣状の痕跡が、最も綺麗に遺っていた個体の名前だそうだ」

「もしかして、〝バハル〟って、富樫さんの奥さんだった人の名前なんじゃ……」

 カリネの鋭い指摘に、カヤは頷いて、「夫〝富樫〟の名と共に、墓碑にあった」と付け加えた。

 天城は、重ねて衝撃を受けた。可能性はあったものの、富樫の妻だったバハルが、本当に〝巨人の郷〟の〝巨人の末裔〟だったとは。

 土葬の場合、通常の人間の遺体でも、七、八年は、まだ皮膚等が遺っている場合が多い。マクラウドは、遺された皮膚の一部に、綺麗な蜂巣状の〝ナックラヴィーの歯型〟を見出せたのだろう。

 それに、〝春〟を名に持つ女性が、冷たい雪の下で人生を終えるとは、何という皮肉だろうか。富樫の無念さを思って、天城も、悲しくなってきた。しかも、後に墓まで暴かれるなんて……。

「それでは、バハルさんがストロエフに殺された時まで、〝ナックラヴィー〟は、体内で生存し続けていたんですね?」

 マクラウドは、ストロエフが〝ナックラヴィー〟の重要性に気付いていなかったと、この時点で確信しただろう。

「ロバートは、バハルがスヴァールバルで出会った富樫君の元妻だったと知った。その上で、マカオで富樫君に再会する決心をしたそうだ。運命的な繋がりを感じたのだろうな」

 恐らく、墓を暴いた後ろめたさも、マクラウドの心中には、あったはずだ。妻を失った富樫の悲しみを、少しでも癒せないかと、協力を申し出た可能性もある。

「だけど、これで、〝巨人の末裔〟の体内でも〝ナックラヴィー〟が生存可能だと証明されたわよね。それに、ヌーファンの村が、間違いなく、〝巨人の郷〟の一つだとも」

「〝ヌーフ〟とはアラビア語で〝ノア〟を指す。巷間にある〝ノア=巨人説〟も、(あなが)ち、一笑に付せないかもな」

 カヤの言葉に、フォンは、肩を竦めて応じた。

 天城は、〝ヌーフがノアを意味する〟と聞いて、もう一つの言葉を思い出した。〝ノアークのアロヤン〟だ。

〝ヌーファン〟が〝巨人の郷〟であるなら、〝ノア〟の名を直接冠した〝ノアーク〟も、〝巨人の郷〟と関連性があるのではないか。

もし〝ノアーク〟がアロヤンの故郷であるなら、アロヤンも〝巨人の末裔〟という結果になりはしまいか。秘された〝巨人の資質〟でオリンピックに出場を果たし、自信を深めたのかも知れない。

 故郷に残る何がしかの巨人の伝承や痕跡を知っていた可能性もある。アロヤンは、自身の経験や情報を元に、出会った富樫に〝巨人の秘密〟を示唆したと考えても、違和感はない。

 アロヤンが元巨人だとすれば、相関関係が整った時のみ発現する〝不可視の遺伝子〟の発想が、研究者であるレ・バー・フンとの間にあったとしても、不思議はない。アロヤン本人は、強壮化への利用には反対していたが。

 ただ、ストロエフの登場で、《ノア》は、カリネやタテフ(それにフォン)の実験に、巨人の遺伝子を活かしたゲノム編集を積極的に行ったと考えられる。一切の〝編集の痕跡〟を残さない〝CRISPR/Cas9〟の応用ヴァージョンが、こうして生まれたのだろう。

 天城は、落ち着かない思いで、ファイルを棚に戻した。ふと、指先に視線が行く。

「三郎も、バハルさんの復讐を成し遂げられ、きっと泉下(せんか)で喜んでいるわよ。ストロエフに対する復讐心だけで、マカオを何とか脱出できたんだもの」

 フォンの言葉にも拘わらず、富樫が死の間際に呟いた〝一つだけある心残り〟という言葉を、天城は思い返した。当時は、客死する哀しみに対する心残りだとばかり、思っていたのだが。

「あの時、俺は、確実に、先輩を銃撃する音や悲鳴を聞いたんです……。どうやって、マカオから脱出できたのだろう。《ノア》の共同墓地で撃たれるまで、致命傷を負った形跡はなかったようだし……」

 天城の言葉に、カリネも、びくっと体をひくつかせた。

「また、新たな疑念が出来(しゅったい)してきたようだな。この事件は、一筋縄ではいかないようだ。……コーヒーのお替りを入れてこようかの」

       4

 カヤが再度、コーヒーを机上に置くと、天城たちは、手近な場所に座った。カヤが一歩離れた場所から見守る中、議論を始める。

 富樫三郎の死が、天城たちの思考から多くの謎を追い遣っていた事実が、改めて浮き彫りとなった。まずは、天城がマカオのホテルで聞いた銃撃音と富樫の(一回目の)断末魔を、どう解釈するのか?

「混乱したケイタが、別の男の声と三郎の声を聞き間違えた可能性だって、あるわ。男の人の(うめ)き声なんて、大差ないでしょ?」

 フォンの指摘も、(もっと)もだ。確かに、あの時の天城の精神状態は、全くの異常だった。それに、天城が眼前で、銃弾に(たお)れた富樫の姿を確認できたわけではない。

 しかしながら、長年ずっと付き合ってきた富樫の声音を、天城が間違えるはずもない。それだけは、確信できる。あの場面では、富樫は確実に、断末魔の叫び声を上げた、と。

 次に、もし、銃弾に貫かれた富樫が奇跡の復活を遂げたとして、なぜ、復活の事実を、天城たちに連絡しなかったのか?

「それは、怪我の治療に集中していて、連絡したくてもできなかった……。あるいは、復活の陰で、何か極秘裏にやるべき件があったんでしょ? 三郎本人も、〝遣り遂げたかった仕事〟があったって、言ってたし」

 まるで、富樫の代弁者かのように、フォンが反論を唱える。一方で、カリネは、カヤと同様の立ち位置のように、傍観者然としている。議論を躊躇(ためら)っているのだろうか。

 では、天城たちの行動を予測して《ノア》に現れたにせよ、《ノア》との決戦を志したにせよ、富樫の〝遣り遂げたかった仕事〟とは、何だろうか?

 酷い銃撃の怪我を短時間で回復させ、極秘裏に単独で《ノア》に潜入してまで行うべき、富樫にとっての重大事だ。

 しかも、富樫の単独行動は、たまたま死の現場で天城たちに遭遇しただけで、富樫は、天城たちと墓地で邂逅(かいこう)するために行動していたのではない。どうしても、天城には、富樫の隠密行動の理由が()せなかった。

 共同墓地の現場でのグルグの言葉も、ずっと天城の胸に(つか)えていた。カリネと対峙(たいじ)している時に聞こえたグルグの違和感のある発言だ。天城は、その時の記憶を呼び覚まそうとした。

 まず、グルグは、カリネに向かって〝裏切られ〟と口にし、カリネが〝同じ穴の(むじな)〟だと応じた。グルグは、再びカリネに〝お前にも用はない〟と豪語してから、《AD》の方針変更で、〝準備がすぐに整う〟と告げた。

 その後、天城の銃撃で負傷したグルグは、現れた天城たちに富樫との再会を〝奇妙な再会〟と(わら)った。

 天城は、グルグとの対峙のシーンを何度も思い返しながら、カリネにまた問うた。

「君が富樫先輩の前でグルグと対峙した時、グルグが口走った台詞(せりふ)を覚えているかい?」

 不意に振られた質問に驚きつつも、カリネは、眉間に皺を寄せて、真摯(しんし)に答えた。

「とにかく、富樫さんを守ろうと思って……。何を言ったか、何を聞いたか、まるで覚えてないの。……ご免なさい」

「その時の情況が、何か、重大な鍵にでもなるの?」

 無理に記憶を甦らせたくないように、カリネの体を気遣いながら、フォンが代わりに訊ねた。

「カリネとの話の中で、グルグの奴は、〝裏切られ〟と言い放ちました。それに対して、カリネは、《AD》も〝同じ穴の貉〟だと返事をしました。フォンは、覚えてますか?」

「……そういえば、私も、そんな言葉を、聞いた気がするわね」

 それでもカリネは、フォンの視線に肩を竦めて、覚えていないと強調した。

「何に〝裏切られ〟、何が《AD》と〝同じ穴の貉〟なのか?」

 今度は、フォンも肩を竦めて、難しい顔をぷいっとカヤに向けた。

「もしも、先輩に〝裏切られ〟、先輩と〝同じ穴の貉〟だったとしたら、どうなりますか?」

 万が一、富樫が〝遣り遂げたい仕事〟のために《AD》を利用しようと考えたら……。嘘の取引を持ち掛けて、《AD》を出し抜こうとしたら、どうだろうか?

「三郎なら、やりかねないわね。……でも、それならなぜ、マカオで殺される芝居を打ったのかしら? 結果的に、ケイタや私たちを(だま)したのよ?」

「それは、俺たちを日本に帰すため。先輩のことですから、俺たちに〝遣り遂げたい仕事〟の件で、これ以上の迷惑を掛けたくないと思ったんですよ、多分」

 天城は、下を向き、自分の指先を凝視した。

 左手の人差し指と中指の爪の間には、まだ、鮮やかな赤いものが僅かに付着していた。《ホテル・エレガンティア・マカオ》で、富樫が一回目に〝殺された〟際に、爪の中に入り込んだ〝血〟だった。何度も懸命に洗ったのだが、まだ残っている。

 にも拘わらず、四日以上前に付着した血液が、当時のままの色を保っているわけはない。だから、これは富樫が仕込んだ血糊と考えていい。同様に、グルグたちの銃も、空砲だった可能性が高い。

 つまり、富樫は、初めから芝居を打つために血糊を用意し、グルグに空砲の使用を頼んだ。ただ、アルメニア選手団全員を殺害したグルグの蛮行は、富樫とて予想外だったに違いないが。

 今考えると、ホテルにカリネの薬を取りに行こうと強引に勧めた点も、(証人として)天城をホテルに同行させた点も、富樫の計略の一環だったのではないか。

「三郎は、いつ、グルグたちに〝計画〟の打診をしたのかしら? 《グリーンウッド・ホテル》の後片付けで残った時は、もう既に、グルグたちは撤収した後だったでしょ?」

「可能性があるとすれば、その時点しか考えられません。負傷して逃げ損ねたモアイ男が、階段で難儀していたんですよ。先輩は、モアイ男に対して、グルグに提案を伝えるように言付(ことづ)けて逃がしたと考えれば、矛盾はありません」

「じゃあ、そこまでして〝遣り遂げたかった仕事〟って? それは、《ノア》に行って、達成できたのかな?」

「最期に〝思い残すことはない〟って言ってたから、達成できたんでしょうね。それは、恐らく、ストロエフに対する奥さんの復讐よね。自分の命を救ってくれた奥さんを殺した相手ですもの。……でも、それ以外に、もう一つの心残りがあるわけでしょ?」

 天城は、最大の謎である、富樫の死に際して言及した〝心残り〟についても、思いを巡らせた。

「俺と出逢う前に、フォンは、先輩から〝心残り〟に関して、何か聞いてませんでしたか? 日本からマカオまでの道すがらでも、いいんですが」

 フォンは、しばし口を(つぐ)んで、富樫の言葉を思い出そうとした。でも、口惜しそうに返した。

「……三郎からは、特に、気になる言葉は、聞けていないわ。ただ、奥さんの死についての噂は、マカオでマクラウド本人の口から聞いたと思う。私のいない所で、二人で話をする機会は、充分にあったはずよ。三郎は、その間にいろいろな話を聞けたのかも」

 富樫が妻の復讐を誓ったのは、恐らく、マクラウドとの接触で、妻の死がストロエフの仕業だと聞いた時だろう。

 その時まで、富樫は、妻の死を自然災害の結果だとして哀しんだが、諦めていたはずだ。しかし、そうではなかったと教えられた瞬間から、復讐心が明確に芽吹いたと思われる。

 通常の富樫ならば、噂の信憑性を精査しただろう。だが、諦めていた妻の死については、疑問を挟む余地なく噂を信じた。富樫の心を復讐に駆り立てたとしても、不思議はない。

 それでは、富樫が、マクラウドから〝ナックラヴィー〟について聞き及んだ可能性は、あるだろうか?

「その時に、先輩は、〝ナックラヴィー〟の存在も、マクラウドから聞いたと思いますか?」

 フォンは、続けて「分からない」と、首を横に振った。だが、逆に、天城に質問を返してきた。

「それより、《グリーンウッド・ホテル》で私たちと別れた後、三郎は君に何か、言ってなかった? 不可解な言動は、なかったの?」

 富樫が天城に、〝ナックラヴィー〟についての一端でも、話の中で触れただろうか? 

 天城は、《ホテル・エレガンティア・マカオ》のロビー・ラウンジで、富樫としばし話し込んだ。その時は、マカオ警察のマヌケな捜査についての遣り取りと、マクラウドと出会うまでの足跡について、それに、《スヴァールバル世界種子貯蔵施設》に関してと、マクラウドとの会話の内容などだった。

 しかし、〝ナックラヴィー〟に関わる文言は、一度も現れなかった。そればかりか、直後に展開される《AD》との取引を臭わせるような会話も一切、出てこなかった。

 記憶の回遊から戻って、フォンに否定を告げようとした時、天城は、一つの見落としに気付いた。

 天城と富樫が、《ホテル・エレガンティア・マカオ》のロビー・ラウンジで会話する前に、一時間ほど採った別行動だ。

 あの時、富樫は、タクシーを治安警察局に経由させて、急に警察の動向を探りに行った。厳密に考えれば、本当に警察局を訪れたかは、確認が取れていない。

「疑うわけじゃないけど、三郎は、本当に警察に行ったのかしら?」

 天城が簡単に説明すると、フォンが腕組みをして首を(かし)げた。

「その間に、《AD》と打ち合わせするような面倒なマネは、しないでしょうね」

「でも、富樫さんは、《AD》と何を取引しようとしたのかな?」

 カリネの素朴な問いに、天城は、思考をちょっと留めた。

 何を持ち掛けたら、《AD》は、喰い付いてくるだろうか? グルグを瞬時に納得させ、アルメニア選手団を虐殺してでも応じようとした取引内容とは、何だろうか?

「先輩は、マクラウドから〝ナックラヴィー〟の詳細を聞いていた。そこで、それを餌に《AD》を巻き込もうとした……」

「《AD》に《ノア》を襲撃させて奥さんの仇を取ろうとした。反面、自分は、デミルコルと刺し違えてでも、〝ナックラヴィー〟を流出させまいとしたのかもね」

 富樫は、その後も、偽の取引を元にグルグたちと行動を共にし、妻の復讐のために《ノア》のストロエフの許に向かった。

 しかし、ストロエフは既に逃亡しており、自らの手で復讐を遂げられなかった。一方で、〝ナックラヴィー〟を《AD》に渡す意志がないと看破された富樫は、グルグに撃たれた。

 確かに、《AD》が興味を抱くような取引では、ある。マクラウドがこの研究施設から〝ナックラヴィー〟を持ち出して、その培養体を富樫に見せた可能性だって高い。

「マクラウド博士が〝ナックラヴィー〟をここから持ち出した形跡は、ありますか?」

 カヤは難しい顔をして、中途半端に否定した。

「儂は、一応、ここを管理しておる身だ。残っている〝ナックラヴィー〟についても、コーティングを解かぬまま厳重に保管している。だがな……」

 カヤは、そこで一度、言葉を切った。マクラウドに裏切られたように感じたかは、表情からは分からなかった。だが、明らかに戸惑いが、顔から覗いた。

「ロバートの研究の一挙手一投足を管理していたわけではない。研究の一環として、ロバートが行う全ては、ロバート本人を信頼して、任せてある。よもや、致死性の物質を外部に持ち出すとは、考えてもおらん」

 実験結果からも明らかなように、復活した〝ナックラヴィー〟でも、コーティングさえ施せば、一時的に再び眠りに()かせられる……。

 マクラウドは、真空状態で〝ナックラヴィー〟を再度コーティングして、安全に、しかも隠密裡に持ち出した、と推測できた。

「でも、マクラウド博士が〝ナックラヴィー〟を持ち出したのなら、死に際して三郎に託したのよね? あのロケットの中にでも?」

 三人の視線が、カヤに集まった。あのロケットの中なら、隠して運ぶには、ちょうどいい大きさと考えられる。

 だが、カヤは、自信を以て否定した。

「活性・復活した後に再度コーティングされた〝ナックラヴィー〟は、真空状態であれば、再解凍されることもない。ただ、発掘現場では、長年の高圧・真空下で自然解凍はできなかった。ナトリウム溶液を用いた強制解凍では、三日程度を要するらしい」

「じゃあ、解凍せずに運ぶには、密閉容器に真空状態で保管しなければならないのね」

 真空密閉式の金属容器は、比較的簡単に手に入る。頑丈なアルミ製の小型タッパーウェアや、ステンレス製の円筒型の容器などが考えられる。注射針付きの容器も存在するし、掌に収まるサイズのものも、通販で入手可能だ。

 マクラウドが〝ナックラヴィー〟を持ち出して、富樫に披露した可能性は、決して低くはない。富樫も、実物を目の当たりにしたからこそ、実際に、ストロエフへの復讐を決意したのだろう。

 では、マクラウドの死の際までに、富樫が〝ナックラヴィー〟の入った容器を入手できたのだろうか? マクラウドは、最終的には、富樫に託そうとしたのかも知れないが。

 天城の推測でしかないが、マクラウドはマカオでの接触の際には、富樫にまだ〝ナックラヴィー〟の容器を渡さなかった、と考えた。

 妻の死の真相に触れた富樫が怒りに任せて暴走しては、意味がない。気持ちを鎮める冷却期間を設けたと見るべきだ。しばしの間は、マクラウドが手放さなかった、と。

 そう考えると、富樫がマクラウドから〝ナックラヴィー〟を得た瞬間は、マクラウドの死の場面が妥当だろう。

 天城は、脳裏にマクラウドの死の光景を浮かび上がらせた。あのマカオの襤褸(ぼろ)ホテルの一室だ。

 流れ弾に当たって苦しむマクラウドを、富樫は、フォンから受け取った。ベッドに横たえられたマクラウドは、虫の息だった。

 アンナの死に続いて、例のロケットを取り出して〝頬傷野郎に一矢を報いてくれ〟と富樫に伝えた。富樫が最期に訊ねると、何とか〝カヤを頼れ〟と言い遺して、マクラウドは、いよいよ死んだ。

 富樫は、更に言葉を捉えようと耳を寄せたが、マクラウドは、それ以上の反応を示さなかった。そこで、「残念だが、こちらも終焉(おわ)った」と、富樫は天城たちに告げた。

 マクラウドの死の場面では、富樫がしつこいほど、マクラウドから聞き出そうとしたと、天城には改めて映った。死んだ後にも、一つでも多くを得ようと、耳を近付けたように。

 だが、天城は、執拗に富樫が何かを聞き出したかったのではない、と感じた。

 富樫は、聞き出したい態で、体をマクラウドに近付けた。そこで、マクラウドの内ポケットに忍ばせてあった〝ナックラヴィー〟の容器を引き抜いた、と確信した。間違いなく、富樫は、この時、致死の微生物を手に入れた。

 そのまま、マクラウドの遺体を警察が持っていったら、〝ナックラヴィー〟も警察に渡ってしまう。未知の物質の取り扱い次第では、ブレイクアウトしかねない。富樫は、その辺りも計算していたろう。

「じゃあ、持ち出した〝ナックラヴィー〟は、どこに行ったのよ?」

 フォンが絶望を口にした。カリネも、全身を固くさせて、思い詰めたような顔を晒す。

 確かに、富樫が〝ナックラヴィー〟を入手できた状況で、そのまま《AD》に取引を持ち掛けるような危険を踏むわけはない。取引を提案した時点で、身体検査されると分かっていたはずだ。

「きっと、どこかに預けてあるのよね?」

 富樫が密閉容器をどこか安全な場所に隠してから、《AD》への取引を申し出た、と考えたほうがいい。身に着けたままでの交渉では、容器も命も奪われて、ジ・エンドになりかねない。

 それでは、富樫は、虎の子の切り札である〝ナックラヴィー〟の容器を、どこに、いつ、隠したのだろう?

 あれこれと隠匿先を詮索するフォンを無視して、天城は熟考した。富樫が独りで自由に動けた時間帯は、さほど多くはない。

 まず、落し物とでも偽って、マカオの治安警察局に届け出たとも考えられまいか。富樫の話では、記者を装い、警察幹部の許まで進み得たという。

 だが、警察で中身を確認されたら、やはり、致死の微生物が拡散する危険性がある。そんな愚かな選択肢は、初めから、ない。

 そもそも、《AD》と取引して合流した後に、密かに警察局を訪れてピック・アップするチャンスは、なかったろう。

 次に、《グリーンウッド・ホテル》を離れてから媽閣(マーコ)(ミュウ)で落ち合うまでの間には、機会があったろうか?

 銃撃戦の後始末を行ってホテルを脱出し、媽閣廟で再会するまでの時間を考えると、隠し場所を決める暇は、あまりなかった。難儀していたモアイ男に対して、偽の取引を投げ掛ける時間を更に考慮すると、なお、厳しい。

「でも、物理的な時間を考えると、どちらかの間にしか、隠蔽できないわよね」

 実際に、マカオに戻って聞き込みを徹底すれば、富樫の足取りを確認できるだろう。

 だが、マカオに戻る行為は、後戻り以外の何ものでもない。だいいち、抗争事件との疑いで、拘引(こういん)される墓穴を掘りかねない。

 天城は、どこかに見落としがないかを、もう一度、考え始めた。手許のコーヒーは、既に冷え切って、不味(まず)かった。

 天城は、富樫が偽の取引を《AD》に持ち掛けた後から、もう一度、見直そうとした。特に、共同墓地での富樫の死の場面に、見落としている何かがある、と。

「フォンは、カリネに〝用済み〟だと告げ、〝方針変更で準備はすぐ整う〟って、どういう意味だったと解釈してますか?」

 フォンは、今さら何を、と不思議そうな表情で応じた。

「《AD》は最初は、カリネを捕えて《ノア》の作戦の概要を知りたかったんでしょ? でも、カリネを利用して《ノア》侵入に成功し、その上で、作戦要綱や研究資料も没収できた。《ノア》も壊滅させられたんだから、カリネは〝用済み〟なんじゃないの?」

 確かに、天城も、単純にそう考えていた。でも、何かが、引っ掛かっていた。

「……ファズル・デミルコルは、父親のメストさんの指摘や富樫先輩の記事で、〝ナックラヴィー〟の存在や重要性については、認知していた。つまり、〝ナックラヴィー〟が、対象を巨人か否かを判別する試薬だけでなく、将来的に人類の脅威となり得る存在だ、と」

 しかし、《AD》は、適切な培養方法を見付けられずに苦戦していた。〝ナックラヴィー〟を、せっかく〝巨人の遺物〟から抽出できても、普通の培養では、時を経ずに全滅するからだ。

「そこに、先輩が登場して、培養方法を教える、と提案してきたら? しかも、言わば〝生きた培養済みの〟〝ナックラヴィー〟を持っていると主張して……」

 マクラウド仕込みの富樫からの〝ナックラヴィー〟の的確な培養方法は、計画の進捗(しんちょく)を格段にアップさせるはずだ。ファズル・デミルコルが、飛び付かないわけがない。

「先輩は、最後まで培養方法は話さなかったと思います。でも、何かの手違いで、《AD》サイドに()れた。実験体の体内でも培養が可能だと知られてしまったんです。だから……」

「連中は、《ノア》で行われていた強壮用実験の実験体に目を付けた……」

〝CRISPR/Cas9〟系の実験体だけではなく、より高度な〝巨人の胚〟から培養した実験体でも代用しようと。……それで、方向転換……。カリネが用済みになった、と。

《AD》は、カリネを〝用済み〟と称し、〝方針が変更した〟と宣言した。それも、作られた実験体でも、体内培養に耐え得る、と分かったからだ。

〝カリネは用済み〟と告げたグルグの言葉の真意。それは、《ノア》の実験施設から宿主となる多くの実験体、それに、より高度な〝巨人の胚〟をも獲得したと、如実に表している。

 天城は、燃えゆく《ノア》の施設の地下実験室から、〝巨人の胚〟を含む、できる限り多くの実験体を、モアイ男が運び出す様子を想像した。全く以て(おぞ)ましい光景に、気分が悪くなった。

「それでは、持ち出された真空容器は、結局、どこへ行ったのだ?」

 今度は、カヤが、先ほどのフォンと同じ質問を繰り返した。

 しばし、沈黙が場を支配した。誰もが呆然として、何も考えたくない感じだった。

「……捨てちゃったんじゃない? だって、〝ナックラヴィー〟は、いくらだって無尽蔵に手に入るんでしょ?」

 半ば投げ遣りに、カリネが呟いた。声が幾分、(ふる)えている。

 培養方法を知った《AD》は、獲得した実験体での培養実験を、もう〝自前で〟行える。しかも、《AD》の支配地域は、サイトAもサイトBも含む。つまり、〝巨人の遺物〟に付着して発掘される〝ナックラヴィー〟は、いくらでも手許に存在する。

 これからは、富樫が提供した〝ナックラヴィー〟をわざわざ使わずとも、常に新しい致死の微生物を〝製造〟できる。カリネの指摘通り、富樫がどこに隠していようが、関係なくなったわけだ。

 このまま放っておけば、ストロエフに対する復讐を遂げたファズル・デミルコルは、自らの欲望のままに進むだろう。

 それは、《ノア》を失って弱体化したアルメニアに向けての軍事行動だろうか。〝ナックラヴィー〟を世界中のテロリストに売却する策略かも知れない。

 いずれにせよ、それらはファズルにとって、クルド人国家建設のための重大な一歩となるはずだ。

「我々のやるべき、次の一手が、見えてきましたね」

 ここまで推論を重ねると、天城には、富樫の〝心残り〟が見えてきた気がした。

 決して、マクラウドの復讐のための頬傷野郎(グルグ)殺害ではない。あまりにも怖ろしい《AD》の目論見の公表もできなくなった。また、《ノア》の国家的なドーピングを世間に晒すだけでもない。

 それは、《AD》の手から悍ましき〝ナックラヴィー〟を取り戻し、世界に蔓延しようとする絶望を断ち切ることだ。ただ、現実問題として〝巨人の真実〟を世界に知らしめる結果に、なるのだが。

「カヤさん。〝ナックラヴィー〟を消滅させる有効な方法は、あるんですか?」

 カヤは、問い掛けに唇を真一文字に結び、ゆっくりと首を振った。

「残念ながら、儂は知らぬ。ロバートの遺した最後のファイルにも、記載されてはおらんかった。感染を懼れずに空気に晒して、自滅を待つ以外にはな」

 フォンが素早く、最後のファイル『バハル観察』を抜き取って、一番後ろのページを開いた。だが、カヤが指摘した通り、〝ナックラヴィー〟の存在を示す蜂巣状の模様の写真や、〝ナックラヴィー〟の特徴・脅威論などが記されているだけだった。弱点や取り扱い方法は、特に記載がない。当然ながら、人類にとって危険な自滅を推奨できるはずもない。

 ファイルの最後の締めの言葉は、「我ながら、〝ナックラヴィー〟とは、最適な名を付けたものだ。この研究所も、まさに、管理するには持って来いの場所と言える」だった。

「全ての〝ナックラヴィー〟を再びコーティングすれば、取り敢えずの脅威は去るだろう。それでも、存在そのものを消滅させる術は、今のところ、見付かっていない」

 だが、天城は、前しか向いていなかった。富樫の思いを遂げるためにも、まず行動を起こそうと心に決めた。

「まだ、見付かっていないなら、我々で見付ければ、いいだけです」

「先手を打って、《AD》の研究所ごと埋め戻して掘り返さなければいいのよ。取り敢えず、永遠に誰の目にも付かないわ」

 フォンの威勢のいい言葉に、天城も同意した。幸いにも、サイトAもBも、緩い地盤の上に拡がっている。

「復讐の正義は、……我にあり、で……」

 カリネが決意表明とばかりに告げた一言は、途中で(つい)えた。

 カリネは、苦しそうに胸を押さえて床に崩れ、激しい咳と共に小さく呻き声を漏らし始めた。

「カリネちゃん! しっかりして」

 フォンが駆け寄って抱き止める。「大丈夫よ」と連呼し、落ち着かせるよう背中を撫でる。

 カリネの瞳は、濃い蛍光色の黄色に光っていた。実験の副作用による発作だった。これほど鮮明で強い光を発するとは、今までで一番強い反応だ。

 天城とカヤは、呆然と成り行きを見守る他、なかった。蓄積したストレスが、限界を超えたのだろう。

 カリネは、フォンの腕を強く握り、全身に痙攣(けいれん)(わた)らせながら、ひたすらに耐えている。呼吸は早く、喉の奥から苦しみを絞り出していた。

 発作に対応し切れずに死んだり、むくつけき巨人に変身したりすることのないよう、天城は祈り続けた。

 三十秒ほど経つと、苦しみも和らいできた。ガクンと大きく体を波打たせると、呼吸も次第に長くなり、落ち着きを取り戻してきた。

「落ち着いたわね。もう、大丈夫よ」

 一分もすると、すっかり発作は退()いていた。呼吸も通常に戻り、全身の痙攣や顫えもなくなっている。

 カリネは、フォンに頭を撫でられて、寂しそうな笑顔に戻った。瞳の蛍光色も薄く、目立たなくなっていた。

「……ご、ごめんなさい。こんな時に」

 力なくカリネが返した。全身に疲労感も溜まっている姿は痛ましく、見る者を不安にさせた。次に大きな発作が襲えば、命の保証はないとさえ、感じる。

「しばらくは、横になっていたほうがいい。あとは、俺たちがケリを付けるから」

 だが、カリネは、フォンの支えを押さえて立ち上がった。健気(けなげ)に笑みさえ見せて、天城に正対する。

「圭太サン、これは、私の戦いでもあるの。……私も、タテフも、特別な遺伝子の操作実験に供されていたのは気付いてたわ。単なるドーピングじゃなくてね」

 ここまでの話の進展や発作の情況から、自らの体の中に、別種の資質が形成されていると、カリネも勘付いていた。その違和感や不安感が、発作の誘因になったのかも知れない。

「でも、今度また発作が起きたら……」

「発作で命を落としたら、それでもいいと思ってる。何もしなくて命を永らえても、タテフや富樫さん、それに死んだ仲間に、顔向けできないわ。……それに、もう、発作は起きない気がするの」

 フォンを制して告げたカリネの言葉は、かなり強い意志と責任感が込められていた。直接実験に携わった者として、きっちりと落とし前を付けて終わらせたいという、決意表明だった。

「私をタテフと一緒に見出してくれたアロヤンさんにも、恩を返したいの。それに、アロヤンさんに推薦してくれた富樫さんにも、ね」

 カリネは、立て続けに、訴え掛ける。

「私が水泳に出会えていなかったら、戦災の孤児として、悲惨な人生しか送れなかったと思うの。もしかしたら、もう死んじゃってたかも知れない」

 自分が遺伝子操作の犠牲者であり、実験の苦痛を味わってきた。だとしても、ここまで生き永らえた感謝を、形で表したい、とカリネは訴える。

 ここでカリネの意志を押さえ込んで決着させても、意味がないような気がした。天城も、カリネに真っ直ぐ向かって、(うなず)いた。

「カリネ、分かったよ。どうしても行く、というなら止めはしない。存分に、しかしながら慎重に、やるべき仕事に取り組もうぜ」

 フォンも、肩を竦めて同意を見せた。カヤも、冷や冷やしながら、成り行きを見詰めている。

「ありがとう、圭太サン。フォンさんも。これで、多くの人たちも報われるわ」

 天城には、カリネの屈託のない笑顔が、天真爛漫(てんしんらんまん)な普通の女の子と同じように、光って見えた。会ってから初めて感じた、まるで、何かから吹っ切れたような、カリネの心からの笑顔だった。


                           ⑥へ続く

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