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消えた囁きを追え~オーパーツとの旅~④

 絶体絶命の天城の前に、フォンという美女を連れた富樫が現れた。富樫は、グルグたちを駆逐するが、コーチのアンナと富樫に同道していたマクラウドを殺される。取材中に偶然会ったマクラウドは、グルグたち《AD(アフター・デルジュ)》の殺戮を生き延びて、巨人の遺物の存在を富樫に示唆したという。カリネの発作の抑制薬をホテルに取りに戻った天城と富樫は、そこでグルグたちに捕縛され、天城は、辛うじて逃げ出せたが、富樫が殺される。痛恨に涙したが、富樫の復讐と事件解明のため、天城たちは《AD》拠点のアララト山麓へ向かった。

 第四章 《AD(アフター・デルジュ)》と《ノア》

       1

 天城とカリネ、フォンの三人は、深圳からバンコク経由でイスタンブール、更に国内線で《AD》の支配地域に最も近いウードゥルの町まで、空路を辿(たど)った。

ウードゥルはトルコ東部に位置し、人口は十三万を大きく超えている。アルメニアとイランに国境を接しているウードゥル県の、県都だ。

 ウードゥルに到着した時間は、八月二十七日の朝になっていた。待ち時間含めて、マカオ脱出から三十二時間以上。何とも、気の遠くなるような移動時間だった。ウードゥルの空港で、暑くて乾いたトルコでの足となる黒のワーゲン・ティグアンを借りた。

 赤い屋根が多いウードゥルの町を抜けると、周囲は、畑地から牧草地、更には荒地が加わっていった。すぐに、左の車窓に、アララト山の勇姿が浮かび上がってくる。

「この幹線道路〝E99号線〟から外れてしばらく行けば、もう《AD》の勢力範囲よ。最近はこの道沿いにも、しばしば違法の関門が設けられるみたいね」

「奴らの勢力範囲は、アララト山のあるウードゥル県や、トルコ語でアララトを意味する、南接のアール県の山間部、越境したイランの高原・山岳部にも広がってるんでしょう?」

「ここ数年は、膨張傾向らしいわよ。地域の要衝地や山峡の村々にも、進出しているっていうから。PKKの解散で、一層、拡張傾向にあるようね」

 天城は、空港から三十分ほど走って見付けたドライブインに、ティグアンを停めた。ドライブインの駐車場からは、遮るものが何もない。畑地と荒地の向こうに(すそ)を長く引くアララトの壮観が美しい。

「どう? とっても綺麗でしょ。これが、〝故国アルメニア〟のアララト山よ」

 カリネが自慢するように、背筋をすっと伸ばした。

 実は〝アララト〟の名は、この山が『旧約聖書』の〝ノアの方舟〟の山と目されたため、十二世紀頃にヨーロッパ人により名付けられたに過ぎない。

 眼前に広がる美しい山は、当時のヨーロッパ圏外の山の中で、最も近い高山だった。だから、この山こそが〝ノアの方舟〟に登場するアララト山であろう。そのように安易に考えられて命名された、という者もいる。

 しかし、蒼穹(そうきゅう)に二つの尖頂(せんちょう)()き付ける、見事なシルエットを目の当たりにするがいい。この山自体が神域だと感じ、まさに〝方舟の山〟に相応(ふさわ)しいと分かるだろう。

 アララト山は大小の円錐(えんすい)状の頂部から成る。主峰の大アララト山は五一三七メートル、主峰の東南にある小アララト山でも三八九六メートルと、周囲の山を圧倒する霊峰だ。

 秀麗な姉妹峰であり、富士山同様、風景に美しく映えて崇められている。特に、古くからアルメニア人の居住地域の中央に(そび)え立っていたので、アルメニア人のシンボルとされてきた。

 しかし、第一次大戦以降、トルコ人による強制移住や大量虐殺により、アララト山は、トルコ領内に組み込まれた歴史を持つ。

 だから、アルメニア人は、駆逐され、勝手に引かれた国境を認めていない。トルコ人に対する感情も、極めて悪いという。

 アルメニア共和国の国章の中央には、雪と雲を(まと)うアララト山がしっかりと(あしら)われている。それは、まさに、アルメニアの首都エレバンからの眺めに違いない。アルメニア人は、今(もっ)て、アララト山を決して諦めてはいないのだ。

 天城は、富樫の部屋で見付けたフォンの写真の背後の山が、この霊峰だったと、確認した。

「いつ撮ったんです? 付き合っていた当時ですよね?」

 取り出した写真を懐かしそうに覗き込みながら、フォンは「エレバンの自宅でね」と、小さく頷いた。富樫に撮ってもらったと推察できた。

 アルメニアとトルコは、大河のアラス川が国境となっているが、国民感情の悪さから国境封鎖されていて、人道支援の緊急事態を除いて、直接の往来ができていない。

 なおさらに、アルメニア人は、手に取るように窺えるアララト山を、より遠くに感じている。一種の望郷の念が(こう)じ、トルコ人への憎悪がどんどん増幅されていると言えよう。

「これからどうするの? 何か妙案でも?」

 カリネが腰に手を当てたまま、誰にともなく(つぶや)いた。

「まずは、落盤したとされるサイトBに行ってみたいと思います」

 天城の見立てでは、サイトBは、落盤事故が発生していないはずだった。死んだとされるマクラウドも生きていたし、グルグたち《AD》も、同じく死んだとされたストロエフを追っている。

 間違いなく、サイトBは、まだ存在する。しかも、近傍のサイトBから〝巨人の遺物〟が発掘されたために、《AD》が封鎖したと考えて、正解だろう。

「確かに、行けば分かるわよね」

「用意でき得る装備品を、今のうちに買い集めましょう。実際に動き出すには、夜を待ったほうがいい」

 三人は、《AD》の影に注意しながら、一旦、ウードゥルの町に引き返した。

 ウードゥルは、国境と武装勢力に接する町の故に、元々治安に対する意識が高い。住民も、それなりの防御を構える必要を感じている。

 町中の銃砲店では、外国人は銃を購入できない。しかし、一歩入った路地の裏稼業の銃砲店には、軍からの横流し品やイラン辺りからの密輸品が、ごろごろと溢れている。

「こうした町には、必ず、供給があるんです。俺も何度か、利用させてもらいましたから」

 富樫に同行した中国の闇組織の取材でも、裏取引の店で銃弾を入手していた。

 銃器は、持つだけで安心感を与えてくれる。だが、怪しい同輩を呼び寄せもする難物だ。それに、あまり頼り過ぎても、より死に近付くだけである。

 夜が更ける前までに、町の各所で必要品を買い揃える運びとなった。天城が銃などの武器類を、カリネが飲食物などの日用品を、フォンが《AD》の動向やマカオでの後日報などの情報類を、集めていく段取りだ。

 幸いにも、カリネの体調も、安定していた。発作の抑制薬がないだけに、このまま何事もなく推移してくれと、祈るばかりだ。

 解散した後、天城は、ウードゥルの闇武器屋を探し当て、そこで最低限の銃器・弾薬などを入手した。ただ、限りある予算の中で、効率よく装備品を揃えるのに苦労した。

 それでも、流石に国境の町だけあって、種類は豊富だった。トルコ軍の旧型拳銃ヤウス16三丁に、これも旧型のG3A7自動小銃二丁、アサルトライフルのAK‐74も一丁を手に入れた。他に、サヴァイヴァル用ナイフ二本、旧ソ連製の手榴弾RGD‐5二個、閃光弾三個、銃弾各種、爆竹類などである。

 午後八時を過ぎて、三人は、ウードゥル中心部のレストランに集合した。購入した品々をティグアンのトランクに(ほう)り込んでから、駐車位置が見える席に陣取った。

 夕食を頼んでから、待ち切れないように、フォンが開口した。

「どう、ケイタ? ご希望の品は、手に入ったかしら?」

「一応は、揃えたつもりです。予算の遣り繰りが大変でしたけど」

「フォンさんのほうは? いい情報は、あったの?」

「いくつか、気になる情報があったわよ。どうやら、アルメニア選手団の虐殺は、まだ、発覚していないようね」

 カリネの表情が、激しい怒りに曇った。仲間が殺されただけでなく、一日以上も放置されたままとは……。自分ではどうにもできない(こぶし)を、強く握った。

「あれだけ派手にやったのに、まだ露顕していないなんて。きっと、グルグが細工したんでしょう」

 防犯カメラ映像の削除や、客室清掃の辞退など、少なくとも、虐殺の発覚ができる限り遅れるように、手を尽くしたと思われた。自分たちの犯行だとバレる前に、マカオを去るためだ。

「じゃあ、富樫先輩の遺体も、そのまま置き去りか……」

 天城も、悔しくて(たま)らなかった。自分の英雄と信じた尊敬する男が、目の前で銃弾に散った。それは、あり得ない悲劇で、いつかこの復讐は、自らの手で遂げられるべきだと、誓っていた。

「でも、カリネには申し訳ないけど、そのお蔭で、我々も手配されずに済んだのかもよ」

 フォンは、感謝と慰藉(いしゃ)()めて、優しくカリネの頭を()でた。

 もし、虐殺が発覚すれば、カリネとアンナが行方不明の事実も判明する。それに、虐殺現場とアンナの体内から同じ線条痕の銃弾が発見されれば、自ずと、カリネが同一犯に拉致(らち)されていると導き出される。

 そこでカリネの越境記録が明らかになれば、同行していた天城とフォンが犯人グループの一味だと、断じられただろう。

「それと、亡くなったタテフちゃんのご遺体の件だけど……」

 カリネは、また悔しそうに俯いた。仲のいいライバルの突然の死を思い出して、心中は穏やかでないはずだ。フォンは、カリネの瞳の色を窺いながら、続けた。

「タテフちゃんのご遺体の移送手続きは、アルメニアの選手団長がタイパの治安警察局で、滞りなく済ませていたそうよ。ご遺体は、衛生局傘下の仁伯爵(ヤヌアリオはくしゃく)総合医院に送られて、外表検査が行われたみたい。そこで、事件性なしと判断されたので、あとは、マカオからアルメニアへのチャーター機に乗せるだけだったみたい」

 グルグたちの細工は、移送完了までの時間稼ぎにも見える。もしかしたら、自分たちが代行者と称して、今頃は、チャーター機に乗せ終えているかも知れない。

「それじゃあ、グルグたちの虐殺は、団長がホテルに帰った直後だったんですね」

「さぞ、悔しかっただろうな。タテフだけでなく、アスピーもマリリも、ダルチニアン・コーチも……」

 カリネは、同僚やコーチの顔を思い出すたびに、心身共に強い刺激を受けているようだ。逃亡さえしなければ、アンナさえ死なせずに済んだと、後悔しているのだろうか。

「ただ、タテフちゃんは、〝功労者〟って扱いになるらしいって、新聞に載っていたわ」

 天城は、〝功労者〟と聞いて、それが《ノア》の皮肉混じりの本音なのだろうと思った。

 確かに《ノア》は、苦痛を伴う遺伝子操作の実験を、時間や経費を掛けて、タテフ本人には秘密で繰り返した。そのお蔭で、巨人の胚を使った強壮人間の創造は、実験体の苦痛を対価として完成しつつあった。

 だが、死んだ者は、二度と戻ってこない。実験の犠牲者に対して、〝功労〟の二文字を当てるとは、〝殉職して二階級特進〟と同様の、虚しさを覚える。

「カリネのほうは、どう?」

 天城が心の痛みを和らげるように、成果の話題を振ってみた。

「……メモにあった物は、全部、買えたよ。食料も、水も、リュックもね。懐中電灯とかライター、着火剤なんかも、〝キャンプで使う〟って言ったら、皆、揃えてくれたの」

 カリネは、(うる)んだ目を手の甲で拭い、にっこりと微笑んだ。

「それじゃあ、準備は、できたわね」

「車で行ける所まで行ってから、あとは徒歩で、近付きましょう」

「夜陰に乗じて、サイトBの全体像が把握できれば、(おん)()ね」

 三人は、大まかな計画を練ってから、午後十時半には、レストランを出発した。《AD》の目論見を即座には(くじ)けなくとも、違法な計画を世間に公表できる証拠や情報を収集したかった。それが、死んだ富樫やマクラウドの願いでもあり、鎮魂にもなると信じた。

 屋外へ出ると、遮るもののない星の瞬きが、三人を迎えてくれた。ほとんど(くま)のない大きな月が、小さな(とも)の星たちを引き連れるかのように輝いている。漆黒の天球を縦に貫く天の川は、これからの針路を示すように明るく際立つ。

 天城は、日本では決して見られない、大きく、くっきりとした星々を、しっかりと網膜に焼き付けた。これほどの美しい(きら)めきは、天が一連の事件の輝かしい進展を約してくれた証だ、と感じた。瑞兆以外の何ものでもない、と。

 再び、E99号線を東へと進めた。しばらくしてから、地図にもないような細い道をわざと選んで、ティグアンを右折させると、ほとんど舗装のない道が待っていた。

 ライトを消して、牧場か農地の(あぜ)のような荒れた道を、月光に任せてゆっくりと進む。流石に、このでこぼこ道までには、《AD》の監視の目も届いていまい。

 やがて道は標高を増していき、左右にカーブを描き出した。大地が褶曲(しゅうきょく)した窪地に湧水して、ちょっとした沢のような場所も、散見された。

 道は上下左右に揺れ、時々、タイヤが泥濘(ぬかるみ)()ねる感触があった。脱出できなくなるような最悪の事態ではなかったものの、暗闇の難道の運転には、細心の注意が必要だった。

 オフロード仕様のジープでも借りればよかったかと思えてきた頃、前方に、ちらちらとした小さな明滅が映った。初めは、蛍かと思った。が、定点で弱い光を発しているので、人家だと分かった。

「あの村に着く手前で車を停めましょう。きっと、あの村には、《AD》の拠点の一つがあるはずよ、ケイタ」

 フォンの言に従い、天城は、村の手前の窪地にティグアンを停車させた。今やって来た道からも、村からも、上手い具合に見えない位置だった。

 銃や弾薬を装備し、その他の必需品を荷分けしたリュックで背負(しょ)い込んだ。商売道具のカメラも忘れてはいない。肩には食い込んだが、重大な使命感に、重さは感じなかった。

 天城を先頭に縦列で進んだ三人は、すぐに村の入口手前に到達した。入口には、銃を持った一人の歩哨(ほしょう)が、煙草をふかして、暇そうに立っている。

 暗くて細部までは分からなかったが、さほど大きな村ではなかった。広場中央には水汲み場があり、広場奥には小さな水車小屋まで窺える。時折、遠くから牛の鳴き声も聞こえてくる。

 アララト山の湧水が豊富で、恐らく、放牧を中心に生計を立てている村だと、推測できた。周囲の荒れ地の間隙(かんげき)を縫って、周囲には牧草地も広がっているのだろう。

 村には、確かに、人の気配はする。窓からは若干の灯りも漏れている。だが、ほとんどが寝静まっていた。毎朝が早いせいだろうか。

 夜更けの余所者(よそもの)の侵入には、歩哨も、まだ気付いていない。だが、このまま歩哨を急襲してでも、進むべきではない。

「裏手を回り込みましょう。まだ、発見されたくないですから」

 天城の提案に、カリネが大きな(うなず)きで応じた。

 小さな村だ。回り込んだとて、さほど大きな迂回(うかい)にはならない。一人の歩哨を倒して、多勢の敵に見付けられる愚は、冒せない。

 村の入口から右側にぐるっと針路を採り、村外れの広い空地を低姿勢で進む。ここには、歩哨の影は見当たらなかった。

 所々、車の(わだち)で深く(えぐ)れた箇所がある。大きな車輌が何台か、村に出入りしたと分かる。

「大掛かりな資材を投入して、サイトBに何かを造っているのかも」

「研究施設かな? だとしたら、大規模だよね」

 天城が指先で確認すると、抉れた土がまだ柔らかかった。少なくとも、ここ一、二日のうちに、大きな車輌がこの村に何台も集結していたと想像できた。

 広場いっぱいに停まったなら、七、八台分の資材が搬入されたはずだ。マカオでグルグが、決定的な情報でも仕入れたのだろうか?

 村の裏手には、自然豊かな山の村には相応(ふさわ)しくない光景が現れた。

 広場から更に奥への道に鋼板が敷き詰められ、ずっと先まで〝鋼鉄の道〟ができあがっていた。近寄ってよく見ると、キャタピラーの痕があった。工事車輌がこの先の急坂を登り、サイトBへと往来した名残だった。

「ここから先は、特に慎重を期しましょうね」

 登り口には『この先危険 工事中につき進入禁止』の看板があった。それでも、鋼板の道が、天城たちの進むべき道を示していた。

 途中、二人組の見回り兵が道を下って行った。しかし、道を外れて夜陰に潜めば、問題なく(かわ)(おお)せた。

 村からの道程は、分かってはいたが、かなりきつかった。鋼板が敷かれてはいたが、傾斜があり、結局、二時間ほどの時間を要した。

 夜道の行軍は、目印となるものがないので、登りっ放しの体勢は、より疲れた。特に、天城は、普段の取材の多くにタクシーを使っていたため、足腰にダメージが残った。

 道が平坦になってしばらく行くと、周囲が(ほの)かに、ぼーっと明るくなってきた。岩塊の陰から覗き込むと、工事現場のようなサイトBの光景が突如、浮かび上がった。

 地層が崩れた懸崖(けんがい)に、いくつもの重機のアームが、にょっきりと伸びていた。崖の部分か、崖の前の地面に巨大な穴を掘る作業が、夜間のためか、中断していた。

 サイトBには、弱く(うごめ)く影はあるものの、特に目立った動きはない。現場の向こう側に大きめの簡易な建物があるが、そこが作業員の宿所だと思われた。ただ、現場を照らす何台かの投光器の光が、真昼のように(まぶ)しかった。

 天城は、胸が大きく波打っていた。〝巨人の遺物〟が眼前に現れれば、科学的な実在が立証できるならば、今までの人類史が大きく書き換えられよう。マクラウドの悔しさを晴らす、一助にもなる。

 ここが、マクラウドたちが襲撃を受けた現場だろうか? だとすれば、確かな証拠品を探し出して持ち帰る任務も、必要となる。

 穴から少し離れた所には、二棟の平屋のプレハブ小屋が建っていた。そこに出入りする二、三の人影は窺えた。発掘品を運び入れて整理する場所だろう。

「どうする? プレハブ小屋の中を覗けたらいいんだけど」

「決定的な証拠を押さえましょう。……こっちです」

 天城は、現場の人数を見渡して、最短コースで辿り着けるとすぐ判断した。

 この地点から、車輌が停め置かれているスペースを目指す。あとは、車輌の陰から陰に渡ってプレハブ前に辿り着ける算段だった。

 本当は、崖の上からも真下を覗きたかった。真上から直下の現場の証拠写真が撮れれば、一つの動かぬ証拠となる。

 だが、敵方の人員の少ない真夜中にやって来た意味を考えると、プレハブの検索は、妥当な行動だ。何と言っても、プレハブの中身が気になって、どうしようもなかった。

 カリネは、見事なフットワークで車輌の陰を渡り、プレハブ前に最初に到着した。辺りを確認してから小声を上げる。

「早く、早く。こっちだよぉ」

 天城とフォンも無事にプレハブまでやって来た。足や腰の痛さも、もう、すっかり吹き飛んでいた。

 プレハブは、よく飯場(はんば)などで見掛ける通常の小屋だ。窓の内側にはしっかりとブラインドが下ろされていて、中は暗く、窺えない。

 先ほど遠方から見た時は、右側にドアがあった。ここまで来れば、ドアがすぐに開くか否かだけが問題だ。

 天城は、そっと壁に沿って進み、静かにドア方向を覗き見た。発掘現場からの坂の上に、衛所らしき小さな建物があったが、無人だった。その周囲にも、人の気配はない。奥の宿所への影は二つ見えたが、誰も近付いてはいなかった。

 カリネとフォンを手招きし、呼び寄せる。

「大丈夫みたいです。急ぎましょう」

 小屋の中からも音はない。ドアノブに手を掛け回すと、しっかりと鍵が掛かっていた。大きく舌打ちする。

退()いて。こんな時は、私が役に立つってものよ」

 フォンは、天城を押し退()けると、ポケットからクリップを二本取り出した。上手に曲げ伸ばして、鍵穴に入れる。ちょこちょこ動かしていると、あっという間に開錠された。

「どこでそんな技を?」

「ケイタも、覚えておくのね。カメラマンには必要な技術なんだから」

 フォンは、冗談めかしてウインクした。ドアを勢いよく開けて、するっと忍び込む。

 続いたカリネも、ドアの奥へ消えた。天城も、周囲に最後の一瞥を投げてから、ドアを静かに潜った。

 プレハブ小屋の中は、土臭く、めっきり暗かった。それでも、照明を()けるわけにはいかないので、ブラインドの隙間から漏れ入る月光だけが頼りだった。

 目が暗さに慣れてくると、そこが、結構な広さのある収納庫だと、再認識する。天井が低い平屋で、周囲を様々な種類の棚で覆われている。棚と棚の間の通路は狭く、図書館の稀覯本(きこうぼん)の棚というよりは、イタリアで行った地下墓地(カタコンベ)に、雰囲気は似ていた。

 奥へ何メートルか進み、適当な棚を開けてみる。

 中には箱があり、脱脂綿が敷き詰められていた。脱脂綿の上には、細かな赤茶色の不揃いな物体が、いくつもあった。

 一つ一つの紙に、小さなナンバーが振ってある。詳しくは断定できないが、恐らく骨片だろう。この棚の多くが、こうした〝何か〟の骨の一部で、これから行われる〝立体ジグソー・パズル〟の完成を待っているとしたら……。

「圭太サン……来て……。これ……」

 通路の奥から、カリネの(ふる)える声が聞こえてきた。天城は、よもやと思いながらも、足を速めた。

 通路の先は、キングベッド・サイズ以上の巨大なテーブルが、中央にどんと置かれたスペースだった。

 ベッド・テーブルには、誰かが寝かされており、予想通り、発掘された人骨だと知れた。しかも、全身骨格として、(およ)そ元の場所で、見事に再構築されていた。

 しかし、そのサイズが、尋常ではなかった。

〝巨人の骨〟と呼ぶに相応しい大きさだった。頭蓋骨の長さは、優に五十センチを超えていた。大腿骨の長さも太さも、人の二倍近くはある代物だ。グロテスクと言う他ない。

 三メートルほどの全身が、全て黒ずんだ赤茶色で、一瞬、映画の小道具、紛い物、3Dプリンターの偽物ではないか、と疑った。

 だが、今までの話の内容を総合して、目の前の超巨大な骸骨が、〝巨人の遺物〟だと判断せざるを得なかった。

 これこそ、あってはならないオーパーツ、掘り当てた者を不幸にする〝巨人の骨〟だ。マクラウドやストロエフが目にした遺物も、これほど完璧な骨格だったのだろうか?

 カリネは、ただただ大きく目を(みは)って、実在を否定するような表情を見せる。これは、きっと夢なんだと、白い顔を(さら)して呆然としている。

 動かし難い骸骨の真実。赤茶けたビッグ・サイズの骸。古に滅んだ巨人の成れの果ての姿。我が子を喰った罪業を受けて、かくも哀れな姿を晒さざるを得なかったのか。

 フォンは、驚くよりも素早く、自分のカメラに衝撃の事実を写している。全く、フラッシュを気に掛けもせずに。

「フォン、フラッシュは、まずいですよ」

「誰も、こんな時間に、ここで撮影大会をしているなんて、分りゃしないわ、ケイタ」

 フォンの言も(もっと)もだった。だが、ここでは、少しでも危ない橋は、渡るべきでない。天城が、そのように付け加えようとした時だった。

 窓の外に殺気立った気配が、突然、上がった。ちかちかと光の帯が交錯し、侵入が露見したと思われた。

 全身の体毛が逆立ち、嫌な汗が首筋から流れ落ちた。(のど)がじりじりと(かわ)き、額の奥がずしんと重くなった。顔の半面が裂けそうに痙攣(けいれん)し、目が絶望に(くら)んだ。

 フラッシュを()いていたからか、ドアの所の遣り取りが聞かれたためか、ここまでの移動中に気付かれたのか。いずれにせよ、ここより脱出する手立てを見付けねばならない。

「そこから出て来い。降伏すれば、危害は加えない」

 そんなような言葉、恐らくクルド語、が聞こえた。

 カリネは絶望の貼り付いた顔を(しか)めている。フォンは、腰からヤウス16を取り出して、既に臨戦体勢だ。天城も、内ポケットの銃に手を遣った。だが、既に小屋の外は包囲されている、と思い直した。

「もう、無理だ。ここは、完全に包囲された」

「あいつらだって、この骨が惜しいはずよ。この骨と諸共に、爆破する勇気は……」

 フォンの声は、轟く銃撃音で掻き消された。カリネの大音響も加わったはずだったが、耳には届かなかった。

 窓の外から、大量の銃弾が雨霰(あめあられ)と、発射された。耳を(つんざ)く音が、銃弾の嵐が、身を竦ませ、(かが)ませた。ブラインドが弾け飛び、内部の棚にも、少なからず、銃弾が穴を空けた。

 その直後、破られた窓から、何かが、コロコロと金属音をさせて転がり入ってきた。手榴弾だと思った。一斉に血の気が引いて、もう、終わったと感じた。

 だが、次の瞬間、〝何か〟から緑の煙が、朦々(もうもう)と噴き出してきた。

「スモーク・グレネード!」

 フォンが叫んだが、もう手遅れだった。

 天城は、煙を吸い込んで、激しい(せき)に襲われた。涙が止まらなくなり、目を(つぶ)った。全身の気力までが奪われて、その場にしゃがみ込んだ。

 フォンも、応戦する気力を()がれたように見えた。富樫の復讐が、半ばで(つい)えんとする悔しさが、涙に混じったはずだった。

 カリネは、肺活量の差から、しばらく耐えていたようだ。だが、ドアから入って来た、ガスマスクを装着した不躾(ぶしつけ)な連中に、気力なく腕を掴まれた。

天城は、何も考えられなくなった。ただ、後悔と虚無が、これからの運命を物語っているだけだった。

       2

 天城は、意識を失ったわけではなかった。だが、目は(しび)れて(かす)み、鼻や口腔、喉や肺奥にまでも、激痛が走った。全身から自由が奪われ、これから先どうなるかなどに、気を配れるわけもなかった。

 武装解除された後、引き()られるままにプレハブ小屋を出た。そのまま、奥の宿所まで無理矢理に歩かされた。カリネもフォンも、同等のダメージを蒙ったようで、ほぼ抵抗もなく、後ろを引き具されてくる。

 両腕を抱えられるままに、建物を入ってすぐの部屋に抛り込まれた。立っていられずに、その場にへたり込む。

 よく把握できなかったが、部屋は、来客用の小部屋のようだった。銃を構える何人かの男たちに、ぐるりと囲まれていた。これでは、反攻も容易ではない。

「おお、これは(むご)いな、サムライボーイ」

 待ち構えていたグルグの声が、正面から聞こえた。満足を通り越して、憐憫(れんびん)の響きが込められていた。一度ならず拾った命を、なぜ、無駄に捨てに来たのか。まるで、(なじ)るようにも感じられた。痛む目の隙間からのグルグの顔は、涙越しに醜く歪んでいた。「俺たちをどうする気だ」と叫びたかった。だが、どうにも、声が上手く出てこない。

 それにしても、グルグたちの移動が、想像以上に早く思われた。恐らく、チャーター便の用意と、夜を待った天城たちの行動も、差を縮めた要因だったろう。

「お嬢さんたちも、酷い仕打ちを、どうか、許してもらいたい」

 今度は、グルグではない声が聞こえた。グルグよりも高く、どっしりとした威厳ある声だった。

 痛みを堪えた薄目の先に、(あつら)えのいい黒スーツの男が、グルグの隣に立っていた。グルグよりも細身で、小柄な紳士然とした男だった。四十代だろうか。

「あんた……、名乗りなさいよ。どうせ、こっちの素性は、調べて……あるんでしょう?」

 フォンが(かす)れた声を、痛々しく絞り出した。

「これは、失礼。私は、《アフター・デルジュ》の総責任者、ファズル・デミルコルです。お見知りおきを」

 紳士は、デミルコルと名乗り、自ら《AD》の領袖だと一言した。

「マカオでは、こいつらがご迷惑をお掛けしたようで……。まあ、〝グルグ〟とは、クルド語で〝狼〟を意味します。執拗で獰猛(どうもう)な性格は、ご容赦願いたい」

 グルグは、デミルコルの言葉を()め言葉と取ったのか、頬の大きな傷を、嬉しそうに指先で掻いた。

 多くの殺人行為を、〝ご迷惑〟で済ませる感覚が、デミルコルの異常な性格を物語っている。自分たちの立場が、いよいよ窮したと、大声で嘆きたかった。

「……ところで、あなたがたは人の家に勝手に上り込んで、罪の意識がないのですかな?」

「むしろ……正義のために、忍び込んだまでよ。それなら……〝ご容赦〟願えるかしらね?」

 天城を代弁して、フォンが主張した。カリネも、目を異様に(しばたた)かせながら、デミルコルを見据えている。

 デミルコルは、グルグをちらっと睨み付けた。厄介者の始末を、なぜ、マカオで付けてこなかったのかと、不満気だった。

「やれやれ、威勢のいいお嬢さんだ。だが、それは、時と場合によっては、命を縮める愚かな行為でしかありませんよ」

「あんたに……言われたくはないわ。自分が何をしようとしているのかを、胸に……訊いてみなさい」

 フォンは、この期に及んでも、《AD》の目論見を探ろうとしている。だが、それも、富樫の復讐が色濃く反映されているためだ。

「黙れ、このクソ女め」

 怒りに前へ出ようとするグルグの体を、デミルコルが押し留めた。

「そんなに、早く死にたいのなら、お望み通り、殺して差し上げましょう。こいつも、それを希望しているようですから」

 天城の頭に、焦りと憤りで血潮が逆流してきた。まだひり付く喉にも拘わらず、感情が声を押し出させた。

「……ふざけるな。……これ以上、お前たちの……」

 そこまで言って、天城は、激しく咳き込んだ。フォンほど、まだ回復し切れていない体が、恨めしかった。

 一方、カリネは、まだ、じっとしていた。体調が回復しないのではなく、敵への反撃のタイミングを見計らっているようだった。青シャツ男への一撃が思い出される。

「まずは、そこの役立たずのサムライボーイ君から、殺してやりなさい」

 グルグは、嗜虐(しぎゃく)の笑みを浮かべつつ、天城の前に立った。どうやって甚振(いたぶ)りつつ殺そうかと、刹那(せつな)、思案したようだ。充分な優位性を確認すると、グルグは、ぬっと腰を屈めて、臭い口を近付けた。

「短い付き合いだったな。あばよ、サムライボーイ」

 目の前の頬傷を凝視すると同時に、周囲の男たちの銃口にも、意識を寄せた。

 グルグは、天城の髪の毛を、ぐいっと(むし)り取らんばかりに引っ張った。両手で払おうとするも、どうにもならない。

 その時、天城は、自身の左手の爪の間の、真っ赤な付着物に気付いた。撃ち殺される前の富樫を支えた際に、指先に付いた富樫の血液に違いなかった。手は充分に、洗ったつもりだったのだが。

 天城は、爪の間の血を見て、本当に、自分が役に立たなかったと、気落ちした。マカオに行った意味すらなかったのかと、後悔した。

「一思いに、……撃ち殺せばいい。お前でも、簡単に……できるぜ」

 天城の思いは、最期に一矢を報いて死ぬ方法を探した。武装解除され、銃口に囲まれている現状では、さほど賢明な選択肢は残されていなかったが。

「どうやら、自殺願望があるようだな」

 グルグは腰の拳銃を取り出すと、天城の額に怒りを込めて押し付けた。

「止めて! 駄目! 殺さないで!」

「こんな仕打ち、許さないわよ! 止めなさい!」

 天城には、二人の制止の声も、耳に届かなかった。

 これでもかと額に押し付けられる恐怖が、死を現実のものとして、受け入れよと突き刺さる。このまま引鉄(ひきがね)を引かれれば、究極の痛みと共に銃弾が脳を貫通して、死に至る。脳が無残にもぶちまけられ、魂の器たる体が用を成さなくなる。すると、魂が体を彷徨(さまよ)い出て、天へと上って行く。

 普段、神を信じてはいなかった。だが、初めて、死を遠ざけてくれ、と神に(すが)った。それが無理なら、せめて天国へと、切望した。

「そこまでにしろ、グルグ」

 グルグは、耳を疑うような顔付きに変わった。もっとやらせてくれ、(とど)めを刺させてくれ、とでも言いたげだ。

 だが、主人の命令は絶対だった。不服ながらも、銃口を天城の額から乱暴に引き離す。

 死神の鎌がぎりぎりで空を切った。肩から重い力が、すっーと溶けていった。失禁の寸でのところまで、全身が弛緩した。呆然自失で、安堵する余裕もなかった。

「なぜです? こんな役立たずを」

「気が変わった。もっといい使い道がある」

 デミルコルは、グルグを押し退けて、放心状態の天城に近寄った。

「我々は、これから、とある作戦を実行に移す」

 天城は、デミルコルの彫り深い顔に焦点を合せようと必死だった。スモーク・グレネードの影響は、かなり少なくなってきていた。それでも、死から解き放たれた体の放心は、全身にダメージを重く残している。

「とある作戦って、何なのよ。どうせ、〝巨人の遺物〟を使った悪巧(わるだく)みでしょう?」

 フォンの挑発的な言葉にも、デミルコルは、動揺も見せなかった。

「我々の発掘品は、(おっしゃ)る通り、巨人の骨だ。発掘現場の近くには、〝巨人の末裔〟の()む村もあったと聞く。アララト山を望むこの一帯は、太古の昔から、言わば、〝巨人の郷〟だったのだよ」

 サイトA・サイトBを含む〝巨人の郷〟と呼ぶべき土地の存在にも、天城は、意外には思わなかった。あのプレハブ小屋の〝実物〟を見た後では、〝巨人の郷〟も、〝ノア=巨人説〟も、〝フルメンティ・ルブルム〟も、闇に埋もれた真説のような気がした。

「だが、アルメニア人は、アララト山を自分たちのものと称し、奪還を企てているようだ。〝巨人の遺物〟を利用してね」

「何を言うの! 〝お山〟は昔から……私たちの物よ。私たちの世界の真ん中に(そび)えていたんだから。アララトのお山は、アルメニアの故郷なのよ」

 カリネの舌鋒(ぜっぽう)に、デミルコルは、肩を竦めざるを得なかった。

 カリネの言葉の行間には、大国間で決められた強制的な条約や、トルコによる〝虐殺〟によって駆逐(くちく)されたアルメニア人の悲哀も、見え隠れする。

 クルド人であるデミルコルも、大国により恣意(しい)的に領土を分割・消滅させられた歴史を持つ。クルド人も、各国からの分離独立を求める傾向が強い。

「……まあ、政治的な議論は()くとして、アゼルバイジャンとの諍いに負けたとはいえ、アルメニア軍の勢いがなくなったわけではない。特に、《ノア》の研究が越境(=戦争)を勇気付けている節もある」

 アララト山の奪還は、アルメニア人の悲願であり、実現のためには手段を選ばない、とデミルコルは主張する。

《ノア》の進める〝巨人の遺伝子操作〟は、完成すれば、アルメニアに強壮な軍隊を出現させる。そのような脅威を許すわけにはいかない。だから、デミルコルは、《ノア》を葬り去ろうとしている。天城の想像を超える展開だ。

 とはいえ、二〇二三年のナゴルノ・カラバフでの紛争で敗れたアルメニアが、《ノア》の研究でどこまで復活できるかは、不透明なところだが。

「クルド人も、国を失った民族だ。だが、そんな我々《AD》が、ここまで強大な力を蓄えられた理由は、ここがアルメニアとの国境地帯だからだ」

 トルコは、アルメニアの〝国土回復〟の悲願が、トルコ=アルメニア国境を物騒にしていると考えた。そこで、複雑で(わずら)わしい問題をクルド人に押し付けた。それが、《AD》の誕生と伸張に繋がった。更に、PKKの解散で、《AD》の(たが)が外れてしまったのだろう。

「話を戻そう。この女二人は、《ノア》の内実を、知り尽くしている」

「カリネとフォンに、《ノア》に……侵入する先導を……務めさせる気か?」

 天城は、咳き込みながらも、憎々しく指摘した。

 カリネも言及していたが、《ノア》の警備は、かなり厳しい。それを突破するには、施設やシステムを熟知した人間が必要である。

「お前を今、ここで殺すと、女たちの協力を(あお)げなくなる。それは、我々にとって損失だ」

「あんたたちの策略なんかに、誰が、力を貸すものですか」

 デミルコルは、しかしながら、余裕の笑みを浮かべて続けた。

「逆に、我々に従わなければ、今度こそ、死が微笑むぞ。三人に平等にな」

 意に従わざるを得ない、卑怯な提案だった。富樫の復讐に燃えていたフォンも、威勢のよかったカリネも、反撃の糸口が見付からなかった。

 たとえ、ここで命令を拒否して殺されたとしても、デミルコルは、次の策を考えるだけだ。いずれ必ず、《ノア》殲滅(せんめつ)を実行するだろう。

 甚だ悔しいが、天城も、この場で打つ手が見当たらなかった。

 マクラウドやストロエフの行方を追っていた点からも、《AD》は、《ノア》の確立した〝巨人の遺伝子技術〟を奪い取る魂胆だ。それは、〝クルド民族の独立〟という次のステージに、大いに役立つ。

 デミルコルは、独立達成の際に、できるだけ優位に立てるよう、自らの掌中に〝巨人の遺伝子技術〟を握っておきたいのだ。

 考えられる最善の方法は、渋々ながら命令に従い、隙を見て脱出する。その上で、自らが《ノア》の違法な研究施設を破壊する手だろうか。《ノア》の技術を灰燼(かいじん)に帰せれば、《AD》も諦めるだろう。

 天城は、ようやく纏めた考えに自信を持って、カリネとフォンを見た。助けを求める二人の眼差しを受け取って、今は従う他ない、と視線で返した。

「分かった。二人には俺からも、従うように説得する」

 天城の返答に満足したデミルコルは、笑みを重ねた。

「《ノア》に逃げたストロエフは、私の父の(かたき)でもある。ストロエフの捕縛も、今回の任務だ。よろしく頼むぞ、サムライボーイ君」

 フォンの話では、ストロエフは、今も、《ノア》の所長に君臨している。デミルコルは、個人的な怨恨も晴らすべく、《ノア》を目の仇にしているのだろうか。

「出発は、三時間後だ。それまでに心の準備を済ませておけよ」

 デミルコルは、如何(いか)にも気持ちよさそうに、颯爽(さっそう)と身を(ひるがえ)して、奥の扉に消えた。

「また、命拾いしたな、サムライボーイ。だが、任務の途中で変なマネをしたら、即刻、あの世行きだぞ」

 グルグは、配下の連中に、クルド語で何事かを命じた。その目には、苛立ちと(さげす)みの焔が(おこ)っていた。

 天城たち三人は、配下の男たちに、銃を突き付けられたまま、別の部屋に移動させられた。移された部屋は、宿所の隣にあるログハウスの一室だった。ログハウスは発掘現場の崖の縁に建っており、作業員の休憩室の一つと思われた。

 室内は殺風景で、数脚のパイプ椅子が畳まれてある他は、調度品は皆無だった。天井や壁は、剥き出しの木肌のまま、簡易に製材した粗い床面は凸凹だった。

 扉の向こう側には、配下の男が複数人、見張りに立っていた。しかし、入って来た間口の狭い扉とは反対の位置に、小窓があった。

 小窓には鉄格子が嵌っていたが、ちょうど、発掘現場が見下ろせた。夜が明けて重機が動き始め、発掘の再開を告げていた。

 カリネがパイプ椅子を拡げて、早速、腰を落とした。フォンは窓辺に近付き、外の男たちに聞こえないように小声で問い掛けた。

「さて、どうするの、ケイタ? 三時間以内に、ここから脱出するわけには、いかなそうね」

 幸いに、回復した体の自由は、奪われていない。しかし、脱出するには、二つの選択肢しかなさそうだった。

 一つは、鉄格子を断ち切って外へ出て、崖の縁からログハウスを回り込む方法。二つ目は、扉の外の見張り役の男たちを(たお)す方法だ。

 町で仕入れた銃器などは、カメラやスマホを含め、全て没収されていた。今、手許に残っているものは、何もない。

「現実的には、脱出は不可能だね……」

「君の意見を聞きたいわ、ケイタ。何か、いい方法があるんでしょ?」

 フォンは、窓辺に(もた)れながら問うた。期待を込めた視線を寄越す。

「せっかく、《AD》の内懐(うちぶところ)にまで入れたんです。この機会を利用したほうがいい」

 天城は、さきほど思い付いた大雑把な計画を、二人に披露した。

 命令に従って《ノア》に行き、カリネとフォンに侵入を任せる。その後、隙を見て脱出し、自らの手で《ノア》の違法な研究施設を破壊する。

「デミルコルの狙いは、クルド独立に役立つ《ノア》の、決して見破れないとされる〝ドーピング〟技術でしょう。それ自体をなくしてしまえば、目的を失う」

「《ノア》の悪行も、そこまでってわけね」

《AD》が隠密裏に《ノア》施設内に侵入できたとしても、《ノア》の技術を盗むためには、強引な荒業(あらわざ)を駆使しなければならない。そこから生じる混乱に乗じての脱出は、充分に可能と考える。

「主導権は、《ノア》の内情に詳しいカリネとフォンがいる、こちらが握っています」

「私だって、《ノア》への侵入には、(やぶさ)かではないわよ。ストロエフの殺害も、(いと)わない。私にとっても、父の仇ですもの」

 ストロエフが《ノア》に君臨している限り、レ・バー・フンの遺体がきちんと弔われているかも疑わしい。フォンは、その点も心配していた。

「でも、デミルコルの父親も、ストロエフに殺されたって、どういう意味なのかな?」

「ストロエフが昔から《AD》と関わりを持っていたか、デミルコルの父親がストロエフと近しい科学者だったか……」

 デミルコルの父親の経歴を調べられれば、ある程度の大筋が想像できる。ストロエフがなぜ《ノア》に逃げ込んだのか、デミルコルの父親がなぜストロエフに殺されたのかが、分かってくるはずだ。

「どうせ、気に入らないことがあったんでしょ? それにしても、すぐ人を殺すような、最低のクズね、ストロエフって」

 フォンは、ストロエフに対する復讐にこそ関心があって、デミルコルの父親が誰に殺されていようが、興味なさそうに応じた。

 確かに、ストロエフが非道の輩だとは分かる。レ・バー・フンやデミルコルの父親、もしかしたら、アロヤンでさえ、病死に擬して殺したのかも知れない。

「〝巨人の遺物を利用した技術〟の研究を追求するためなら、ストロエフは何でも遣り遂げてきた……」

 以下のシナリオが描ける可能性はある。――ストロエフは、遺伝子技術を守るために、デミルコルの父親を手に掛けたが、それがデミルコル本人の逆鱗に触れた。

「ストロエフが〝サイトB〟の発掘にも参加した情報を得たデミルコルは、二ヶ月前に発掘現場を急襲したが、討ち漏らした」

 その後は、ぷっつりとストロエフの情報は途絶えた。そこで、デミルコルは、ストロエフの痕跡を求めて、四方八方に網を張った。

「最初に網に掛かった人物が、死んだと思われていたマクラウドだった……。発掘現場から一緒に逃亡したと思ったのかしら」

 富樫が探し当てたように、マクラウドは、〝巨人の遺物〟を盗み続け、スヴァールバルにまで現れた。しかし、マクラウドは再び闇の中へと消え、消息不明になった。

「そこで、デミルコルは、細い情報の糸を追うべく、スヴァールバルでマクラウドに接触した日本人、つまり三郎に、ターゲットを変えた」

 デミルコルは、富樫の行動が、マクラウド、()いては宿敵のストロエフに繋がると考えた。日本にまで懐刀(ふところがたな)のグルグを派遣した点を見ても、デミルコルの凄まじい執念が感じられる。

「その後、デミルコルは、富樫先輩が急遽マカオに飛んだとの報告をグルグから受けた。そこで、デミルコルは、マカオで何かがあると確信した。タテフの事故がその現れであり、実際、それを辿ると、先輩に行き当たった」

「更に、三郎と関わりの深い君が、わざわざ〝サイトB〟まで、乗り込んできた。《ノア》の内実を知る私とカリネちゃんも、一緒にね」

 諸々の情況を(かんが)みれば、〝巨人の遺物〟を使ったストロエフの実験は、佳境に入ったと、デミルコルは結論を出した。だから、デミルコルは、《ノア》襲撃を一刻も早く成し遂げたい、と切に思っている。

 それもこれも、(ひとえ)に、〝父親殺害への復讐〟と〝巨人の遺伝子技術の獲得〟のためだ。天城は、そう断定した。

 デミルコルの歪んだ熱い思いに乗じて、《AD》と《ノア》の策略を(くじ)くのは、この期を措いて他にない。

 そうこうしているうちに、陽が高く昇り始めていた。

 ログハウスの外が騒がしくなり、全身武装した男たちが、迎えに現れた。先頭の一人は、モアイ男だった。相変わらず、頭と腕が包帯に覆われている。

「説得は、できたか? これを身に着けろ。発信機付きの防弾チョッキだ」

 足許に無造作に投げ付けると、「早くしろ」と()かす。

「越境は、どうするんだ? アルメニア国境は封鎖されているぞ」

「そんなことは、お前が心配する必要はない」

 恐らく、時間的に考えて、アラス川を直接に渡渉(としょう)しないだろう。敢えて、危険を冒さずに、隣国のアゼルバイジャンか、ジョージアを経由してアルメニアに入国する。それで、夜になってから、《ノア》に侵入する算段だ。

「準備ができたら、打ち合わせを行うが、お前らは、常に俺と共に行動する。その場その場での命令は、俺が出す。妙な動きをしたら、即、撃ち殺すから、心しておけ」

 モアイ男は、言い終えると、装着済みの三人を従えて外へ出た。

 天城は、明けた蒼天(そうてん)を見上げ、始まったばかりの長い一日を、無事に終えられるよう、再び、神に祈った。

       3

 天城とカリネ、フォンの三人は、モアイ男たち精鋭部隊の五人に率いられ、午前十時には、サイトBを出発した。

 事前に仕入れたジョージア・ナンバーの、黒と紺の二台のベンツに分乗して走った。アルメニアとの国境は封鎖されている。そのため、ぐるっと北に迂回して、トルコ北東部のポソフからジョージアに、偽造パスポートで入境した。

 次に、一転して南下し、アルメニアに入国。午後六時過ぎに、ようやくアルメニアの首都エレバンに到着した。

 途中、食事休憩は取ったが、九時間以上の行軍は、全員が疲れを隠せなかった。一般人に紛れるため仕方がないとはいえ、(およ)そ六百キロのドライブは、きつ過ぎる。

「直線距離なら、五十キロくらいなのに。何か、虚しいわ」

 アルメニアの首都エレバンは、〝エデンの園伝承〟の町として知られ、〝世界最古の都市〟とも言われてきた。長い間、ペルシア・トルコ・ロシアなどの強豪国の狭間で犠牲を払ってきたが、連綿と古代都市の系譜を受け継いでいる。

 アララト山北麓の平野部にあり、標高は千メートルを超える。しかし、一種の内陸盆地を形成しているため、夏は暑く、冬の寒さは極端に厳しい。

《ノア》は、エレバン北郊の森林地帯に位置した。エレバンの町を流れるフラズダン川の支流沿いの高台から、まるで、エレバンの町を北から監視するように建つ。

 表向きは、スポーツや健康増進を推奨する巨大な民間施設だ。ジムやプール、グラウンドやレーストラックなど、一般的だが、最新鋭の設備が整えられている。

 しかし、今までの調査結果からは、裏で違法な遺伝子操作を行い、ドーピングだけでなく、〝巨人の遺伝子〟による肉体強壮の実験を続けている。

 この実験は、アララト山の奪還を目論(もくろ)むアルメニア軍とも連動している。実験成功の(あかつき)には、〝巨人の力〟を持つ軍隊創設の可能性までが予測される。

 表のスポーツ施設はともかく、裏の研究施設に進むためには、《ノア》の内情を充分に把握するフォンとカリネが、必要不可欠となる。二人は、自身のIDも保有している。バックヤードへの潜入だけでなく、バックヤードに入ってからの行動も容易だろう。

 だが、天城たちは、いつまでもモアイ男たちを先導する気はない。頃合いを見て脱走し、実験施設の破壊を企図(きと)していた。

 特に、フォンは、父親の仇であるストロエフに対して、怒りの(ほのお)を燃やしていた。だから、ストロエフの捕縛、もしくは殺害が第一目標となる。

 施設とデータを破壊され、実験の発起人のストロエフがいなくなれば、自ずと《ノア》は崩壊する。それだけでなく、《ノア》の実験データを欲する《AD》にとっても痛手なのは、間違いない。

 富樫が望んだように、《ノア》と《AD》の企みを世界に発信したいところだ。そうすれば、世論の圧力さえも味方にして、両者の再興も防げるだろう。

 ところで、地元新聞の情報では、タテフ・サルグシャンは、同情の目を持って、祖国に迎えられたそうだ。タテフの遺体は、昨日のチャーター便でエレバンに移送され、手続きも滞りなく終わった。ただ、タテフは戦災孤児のため、《ノア》が受け取って土葬に付されたという。

「《ノア》の敷地の裏手に共同墓地があるの。私の父も、そこに葬られたらしいのよね」

「きっとタテフも、実験に失敗して死んじゃった人たちと一緒に、埋められたのね」

 恐らく、《ノア》は、タテフの死因を特定し、実験に何か不都合があったのかを探ってから、土葬したと思われる。

《AD》とて、タテフの死因には、特別な関心があるはずだ。もしかしたら、共同墓地に埋葬されたタテフの遺体を、掘り起こす暴挙も、しないとは限らない。

「タテフが安らかに神様に召されるように、私がタテフのお墓を守ります」

 罰当たりな行為の件に天城が言及すると、カリネは、不快感を露わに、阻止を誓った。

 夜も更けてくると、徐々に緊張が高まってきた。天城は、発信機付きベストを着せられただけで本丸に乗り込む身の上に、不安と恐怖を覚えた。相手は、違法をものともしない、手段を選ばぬ凶悪な組織である。

「いくら急襲で優位になれても、俺たちは丸腰で、敵と戦うのか?」

 天城の問いに、モアイ男は、眉間に皺を寄せながら答えた。

「お前らがこちらのチームとはいえ、人質には違いねえ。お前らに渡す武器など、あるはずもない」

 モアイ男は、《ノア》の最奥部に侵入した時点で、三人を殺す腹積もりだと、改めて確認できた。モアイ男たちから逃走を図るタイミングは、極めて少ないと断じざるを得ない。

 しかし、それでも、脱走しないことには、何も進展しない。《AD》の精鋭部隊の侵入によって、《ノア》内で、不測の事態がいつ起こるとも限らない。その時のために、三人は、全神経を総動員して、脱走の機会を見極めなければならなかった。

《ノア》の閉館時間終了まであと三十分ほどになった頃、一行は、予定通りに、施設前に到着した。

 そこで一行は、二班に分かれた。一班の、カリネとその他の二人の手下の三人が受付へ、残りの五人が施設の裏口付近で待機した。

 変装したカリネが体験入会の説明を受けている間に、手下の一人がトイレに席を立った。だが、手下の男は、トイレには行かずに、警備室へ直行した。

 男は警備室のドアをノックして、出てきた警備員を銃撃。瞬く間に、警備室を占拠した。そのまま回線に侵入し、表施設の警備の無効化に成功すると、持参の通信機で警備室制圧を報告してきた。まさに閉館の時間だった。

 男からの報告を受けると、天城たち残りの人間はノー・チェックで裏口を抜けた。その時点で、受付スタッフにもスタンガンが浴びせられた。また、戸締りをしていた周辺のスタッフたちも、容赦ない暴力によって、行動の自由が奪われた。

 すぐに、警備室を占拠した男を除き、二つの班は、合流を果たした。そのまま〝スタッフ・オンリー〟のドアを抜けて、バックヤードへ入る。

 カリネとフォンの先導で、迷路のような通路を難なく行くと、やがて、警護所の前に至った。

 ここは、IDとパスワードを使って、より奥のエリアに進む、タッチパネル式ゲートの関門である。特殊ガラスの検知ドアが、行く手を大きく(ふさ)いでいる。

 警護所には二人の武装した警護官がいたが、ここも銃撃によって、一瞬にして沈黙させた。防犯カメラのデータを消去して、タッチパネルに向き合う。

「お前の出番だ。失敗するなよ」と、モアイ男が鋭くフォンに投げ掛けた。

 ここで失敗すると、裏の中央警備施設に、不審者の侵入が悟られる。そうなると、空間を完全にシャット・アウトされて、一網打尽が関の山だ。

 フォンが指先も軽やかにタッチパネルを操作した。すると、ピピッと音がして、検知ドアが大きく開いた。

 ドアが開くと一行が狭いドアの隙間に殺到し、ゲートを強引に通り過ぎた。警護官の制服を奪った一人の配下を警護所にも残し、他の六名が先を急ぐ。

 ゲートを過ぎた後も、フォンの案内は続いた。

「ストロエフの部屋は地下一階に、実験場や研究所は地下二階にあるわ。その手前に、中央管制施設とサニタリー・エリアが待ち構えているの。そこが最大のポイントね。《ノア》の本丸も、近いわよ」

「そこさえ突破できれば、もう、任務も終わったようなもんだな」

 モアイ男は、仲間の男たちをちらっと見ながら、頷きを交わした。恐らく、最後の関門を越えた時点で、天城たちをお払い箱にする気だろう。その前に、逃走できる隙を見付けなければ、蜂の巣になりかねない。天城は、ここから先でどうにか脱走し、各々の目的を達成したかった。

 カリネは共同墓地へ向かって、タテフの墓の守護を貫く。天城は実験施設の本体に辿り着いて、実験装置の完全破壊を果たす。フォンはストロエフの居室を目指して父親の復讐を遂げる。

 ただ、ここまで来たフォンにとって、父親の仇であるストロエフに対する復讐心は、かなり募っている。焦りが予期せぬ事態を生む懼れを、考えておく必要もあろうか。

 逃走の目安の一つは、《AD》の侵入に気付いた《ノア》の警備部隊が、こちらに攻撃を仕掛けてきた時だろうか。サニタリー・エリアを通り過ぎた辺りで騒ぎを起こし、警護官の反撃を誘発させる必要も、あるかも知れない。

 しかし、丸腰の天城たちには反撃の術はなく、ただ逃げるのみだ。《ノア》の攻撃だけでなく、不用意な流れ弾にも、注意が必要である。防弾ベストを装着してはいるが、ライフル弾は貫通する。

 また、騒ぎが起こったら、間違いなくストロエフは逃走を(はか)る。緊急通路などを通って施設外に出る前に、身柄を押さえなくてはならない。

 休憩室や会議室の前を通り、白衣の研究者とも遭遇した。だが、こちらを怪しむような人間には、一切、出くわさなかった。

 エレベーターではなく階段を、無言のまま地下に降りる。地下一階でも、まだ物々しい警備は、敷かれていなかった。まだ、こちらの侵入が発覚していない証左だ。

 すぐに、中央管制施設は見付かった。ここからが《ノア》の極秘圏内、本丸と言えた。通行する研究者の掌紋(しょうもん)をスキャンして、不審者の排除を行っている模様だ。金属探知機も潜る必要がある。これまで通りに強引に押し通るわけにはいかなかった。

 ここで、モアイ男が警備室に残してきた男に連絡を取った。侵入した回線でクリアさせるよう、指示を出す。

 モアイ男が先頭を切って掌紋認証システムの前に佇立(ちょりつ)した。頃合いを見計らって、(てのひら)(かざ)す。緊張に歪んだモアイ男が、通行バーを睨み付ける。

 不自然な間合いがあったものの、緑色の反応があって、通行バーが退いた。金属探知機も作動しなかったので、他のメンバーも問題なく、管制施設の前を素通りできた。

 続く関門は、サニタリー・エリアだ。外部の塵埃(じんあい)や細菌などをシャット・アウトするための部屋で、エア・シャワーや紫外線滅菌装置も備わる。白衣や防塵キャップも常備してあるので、ここで白衣の調達も可能である。

 不審な行為を防犯カメラに映させないように、サニタリー・エリアには、一人ずつ入る方法を採った。ここでも、地上の警備室と連動して、素性を悟らせないように、モアイ男からゆっくりと進む。

 白衣と防塵キャップを身に着けて、壁に貼られた規定通りの順序で行う。そのために、一人が滅菌室やエア・シャワー室を抜け終わるのに、結構な時間が掛かると見込まれた。それも、致し方ない。

 順が進んでフォンが終わり、カリネがサニタリー・エリアを出た。次は、天城の番になった。手を消毒してから全身白尽くめになり、窓のない滅菌室に入る。

 あとは、この後、どうやって一騒動を起こすか、だ。それこそが、今後の生死の分かれ目となる。天城は、カリネとフォンに目配せして、〝その時〟に備えるよう訴えた。

 全員がサニタリー・エリアから出揃うと、モアイ男が一行を、また二手に分けた。ストロエフの捕縛と実験室の破壊のためだった。技術データの窃取は、ストロエフを葬り去った後で、ゆっくりと行うらしい。

「俺は、ストロエフの野郎を取っ捕まえにいく。カラベシアンは、俺と来い。お前らは、研究施設を破壊し尽くせ」

 モアイ男とカリネ以外の人間が、研究施設破壊の班に選ばれた。カリネは、〝実験体〟としての価値を認められて、生かそうとしたのだろうか。

 それと同時に、研究施設破壊の混乱の中で、天城とフォンを配下の者に殺させる魂胆だと、天城は見抜いた。

 カリネは、天城・フォンと別行動になると聞かされても、恐怖や不安の色を一切、見せなかった。自分の採るべき道を、きちんと心得ているからだと、天城は思った。天城の大きな頷きに、カリネも親指を立てて、善戦を誓った。

 天城たち残りの四人は、フォンを案内役に、階段を使って、すぐに地下二階へと下りていった。

 天城は、リーダーのモアイ男が不在では、より(ぎょ)し易いと感じていた。配下の銃口が火を噴く前に斃し、銃を鹵獲(ろかく)したかった。

 地下二階は、大きな半透明の特殊ガラスで仕切られた、巨大な空間が続いていた。一つ一つの部屋の中で、実験や研究が行われていると思われる。器具や薬品類をカートで運ぶ白衣の男が、まさに、一行の横を通り過ぎようとしていた。

 もはや、時間的な猶予はない。ここで、勝負を懸けるべきだと、フォンと見交わす。

「どうやって、施設をぶっ壊すんだ? お前らの計画は、どんなだ?」

 天城の問い掛けに、配下の一人が首を回す瞬間に、激しい拳を顔面に見舞った。呼応したフォンが、真横のカート上の薬品瓶を手に取り、もう一人の男にいきなり中身をぶちまけた。

 一人目は不意打ちを受けて吹っ飛び、壁に叩き付けられた。反撃の(いとま)を与えずに、足許の消火器で、止めを刺す。

 薬品の中身が男に付着すると、男が苦しみ(もが)き始めた。何の薬品かは知らないが、相手を斃すには、充分な働きだった。

 カートを押していた男は、男が苦しむ様を見下ろしている。声も出ぬほど、恐怖と驚きに支配されていた。

 天城とフォンは、この隙に、男たちから短機関銃を奪った。薬品にも気を付けながら胸元を探ると、手榴弾がいくつか見付かった。

「これから、ここを破壊する。死にたくなかったら、皆で地上へ退避しろ、いいな」

 天城は、それだけカートの男に伝えると、天井に一発、発砲した。

 男が勢いよく逃げていく後姿を目で追いながら、フォンが呟く。

「さてと。早く仕事を済ませて、ストロエフを見付けなくちゃ」

「どうするのが、手っ取り早いんですか?」

「地上の建物と同じで、区画の中央部にメイン電源があると思うわ。そこを破壊できれば、全てが停止するはずよ」

 走り出したフォンの背中を追って、天城も走り出した。

 ストロエフは緊急事態になった際、今までの研究データを必ず持ち出すだろう。データの持ち出し阻止も、完遂しなければならない。

 ともかく、〝巨人の遺物〟の証拠品を全て抹殺する必要がある、と改めて思った時、先行くフォンの足が止まった。

「これ、何……?」

 フォンに釣られて、天城も足を止めた。天城の目に、特殊ガラスの向こう側の研究室の一つが映る。

 そこには、研究室と呼ぶには相応しくない光景が広がっていた。

 広い室内一面にベッドが無数に並べられて、その一つ一つに、人が寝かされていた。全てが子供で、大きくても五歳か六歳にしか見えなかった。

 子供たちは、硬質のベッドに薄い掛物を纏っただけで、誰一人として寝返りも打たずに、ぐっすりと眠って見えた。ただ、露わになった頭部には、チューブや電極が繋げられており、痛々しい。

「この子たちが、《ノア》の実験体ってことね」

 フォンの言葉は、さり気なかったが、的を射ていた。

 ざっと見ても、ベッドは百台近くあろうか。それだけ多くの実験体が、ここにはいる。

 これが、《ノア》の目論む、強壮実験の核心だろう。カリネやタテフから続く実験が、このような工場生産のような狂った方法に変質していたなんて。工場のように育てられた実験体の中から、より強壮な個体を選抜する遣り方なのか。

 天城は、得体の知れない恐怖に胸が戦慄(わなな)くと同時に、際限のない憤りに襲われた。

《ノア》は、数年前にストロエフの(もたら)した〝巨人の胚〟のクローン移植によって、受精卵から育てる〝生殖系列編集〟を開始していた。それは、フラスコ内で母胎の環境を再現するところから始められる。つまり、人工的に一から生命を作り上げ、育てる方法だ。目の前のベッド上の子供たちが、実験開始から五、六年経った実験体である。

 天城は、錬金術師が作り出すと言われる〝ホムンクルス〟を思い出した。

 ホムンクルスは、魔術的な方法によって、蒸留器内で生成される小さな人造人間である。だが、生まれてもフラスコ内でしか生きられない運命という。生まれながらに豊富な知識を持つとされるため、ルネサンス期の錬金術師・パラケルススが生成を試みて、成功したと伝えられる。

 こうした〝ホムンクルス的な〟段階の実験体は、別の部屋に無数に用意されているだろう。このままでは近い将来、巨人の体質を持った強壮の軍隊が完成する可能性もある。

「こんな酷い計画が、(まか)り通るはずもないわ」

 フォンは、特殊ガラスに拳を激しく打ち付けた。

 生命や人権の欠片(かけら)も考慮しない《ノア》によって、創られ、育てられた生命。倫理や罪業(ざいごう)を無視した外道(げどう)ストロエフの所業。目的や自己満足のためには手段を選ばない、異常な研究だった。

 ここで、天城とフォンは、究極の選択を迫られた。実験のためだけに生かされている子供たちや胚を、どう捉えるか。

 この子供たちを解放すれば、たとえ人工的な命ではあっても、貴い命は救われるかも知れない。だが、中には、自律できない若齢の子も多い(胚ならなおさら)だけに、施設の外へ出せば、自らの命を保てるかは、保証できない。

 一方で、このまま電源を破壊すると、この子供たちの命は失われるだろう。しかし、《ノア》の悪行を(くじ)く一手となり、目論見は断たれる。

 天城は、非情な決断を下さざるを得なかった。

 確かに、この子供たちには、同情こそあれ、悪気も怨みも、ない。だが、このまま放置すれば実験に供され続け、結局は、我欲のために利用される不幸にも繋がる。世界が引き返せない混乱の中に落ちるより、ここで踏み止まる方策を採るほうが、いい気もする。

「急ぎましょう。このまま電源を破壊するんです」

「この子たちを見捨てろ、って言うのね」

 フォンは、研究室の子供たちに、もう一度視線を彷徨(さまよ)わせた。フォンとて、何が正しい選択かは、分からないだろう。誰かの意見に同調して、自分の罪の重さを和らげたかっただけかも知れない。

「……分かったわ。実験施設の破壊が、この子たちの命を、天国に導くかも知れないわね」

「俺たちは、この悪魔の所業を断ち切らなくちゃ、いけないんです。」

 天城の決意が言葉に(ほとばし)り出た時、二人の行く手に、人影が現れた。白鬚の細身の老人だった。

「これ以上、お前らの勝手にさせるか、馬鹿野郎ども。ここで死んでもらうぞ」

 老人は、年齢に似つかわしくない速さで、手にしたショット・ガンを撃ち込んできた。

 天城とフォンは、ぎりぎりに銃撃を(かわ)して、子供たちのいる部屋に躍り込んだ。ベッドの陰に潜んで、様子を窺う。

「あれが、ストロエフ。ヴァシリー・ストロエフよ」

 フォンが憎々しげに、天城に告げた。父親の仇が自分からやって来ようとは、フォンも、願ったり叶ったりに違いない。

 天城は、ストロエフが《ノア》を棄てて逃亡すると予想していた。だが、ストロエフは、研究対象を守るために、立ちはだかってきた。

「この子たちは、俺の命、魂の結晶だ。誰にも、邪魔はさせぬ。邪魔するものは(みなごろし)だ」

「もう、ここまで来たら、お前の計画も潰えたぞ。諦めて降伏しろ」

 天城は、この部屋で銃撃戦を繰り広げる愚は、犯したくなかった。ましてや、ストロエフを引き寄せて、鹵獲した手榴弾で一撃のもとに吹き飛ばすようなマネは、できなかった。子供たちを、無残に殺したくはない。

 だが、ストロエフは、罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)を発しながら、所構わず、銃撃してくる。その度に、ベッドが子供たちと共に吹き飛び、天城の心が痛んだ。無言の悲鳴が、部屋中に響き渡った気がした。

「やめろ! お前には、人の心がないのか。この子たちは、お前の命じゃないのか?」

「そうさ。間もなく、何もかもが、報われるはずなのだ。俺の長年の研究がな。この(くそ)ったれめが」

 しかしながら、ストロエフの狂った研究は、多くの人の犠牲の上に成り立っている。フォンの父レ・バー・フン、《ノア》の初代所長アナスタス・アロヤン、タテフ・サルグシャンやデミルコルの父親も。富樫だって、広い意味では犠牲者だ。

 犠牲者には、実験の途中で死んだ実験体の子供たちも含まれる。ここで、狂った研究を、終わらせなければ、死した者が報われない。

 そこで、フォンがすっと立ち上がった。まるで、身を(てい)して子供たちを守る聖母のようだった。

「あんたの研究も、ここまでよ。多くの救われない魂が、地下であんたを待っているわ」

 ストロエフもフォンに対峙(たいじ)して、呆れたように口を開けた。

「ほお、フォンか。まだ生きていたとは……。父上の仇が、さぞかし憎かろう?」

「憎いわね。でも、あんたは、世の中の人から、もっと憎まれているでしょう?」

 フォンは、言い終わらぬうちに短機関銃を撃ち放った。

 ストロエフは、会話に気を取られて、ほんの少し(おく)れを取った。その結果、右半身に、何発かの致命的な銃弾を受け止めた。体が後ろへ()()ってから、その場に倒れる。

 天城の呆然とした視線に、フォンは言い切った。

「私だって、戦場で取材した経験があるのよ。開錠のテクニックもそうだけど、これくらいの(たしな)みは、必要でしょ?」

 天城は、瀕死のストロエフに素早く近付いた。

 ストロエフは、腕・胸・肩などから大量に血を流し、意識が朦朧(もうろう)としていた。床が次第に朱に染まっていく。息が荒い。

 哀れな科学者を見下ろした時、突如、建物を揺るがす震動と大音響が上がった。同時に、緊急避難用の赤いランプが鳴り、「火災が発生しました。避難して下さい」のアナウンスが繰り返された。

 天城は、疑念を抱きながら、フォンと見交わした。モアイ男が施設の爆破に及んだのだろうか?

 赤く明滅する影を映して、ストロエフが(うめ)いた。

「……よもや、お前に我が道を……閉ざされるとは……思わなかった……フォンよ。《AD》に……寝返ったんだな?」

「寝返っちゃ、いないさ。《AD》を利用して、お前たちの目論見を阻止しに来たんだ」

 ストロエフは、天城に視線を送ると、不思議そうに呟いた。

「お前は……日本人だな。もしや……例の記者の仲間か? お前も、……奴の差し金だろう?」

 天城は〝例の記者〟が富樫を指すと感じた。しかし、〝差し金〟が何を意味するかまでは、分からなかった。

「お前がなぜ、富樫先輩を知っているんだ?」

「そんな話は……どうでも……いい。……もう少しで、何もかもが、報われる……ところだったのに。惜しいことを……した」

 天城は、富樫との関係を問い詰めようとした。だが、フォンの声に遮られた。

「〝惜しいことをした〟ですって? 人の命を何だと思っているの! 恥知らず」

 フォンの声は、きりっと闇を裂くようだった。

「何とでも……言うがいい。どうせ……俺は、昔から悪逆の限りを……尽くしてきたからな。何人もの命を……奪ってきた。……俺の研究のために……だ。お前も……分かっておろう、フォンよ?」

「だから、この時を、待ち()びてきたの。あんたを殺す瞬間を、ね」

 フォンの怒りは、頂点に達していた。

 本来なら、ストロエフを拘束して《ノア》の計画の全貌を解明できるはずだった。だが、ストロエフが瀕死の上、フォンを止める方法はないと感じた。

 その時、実験室の天井が、誘爆した。崩れた天井の隙間から、赤い炎があっという間に広がった。黒い煙が朦々(もうもう)と、壁を伝って迫ってくる。

「……もっと燃えるが……いい。我がホムンクルスたちよ……劫火(ごうか)に……焼かれてしまえ」

 ストロエフの顎鬚(あごひげ)が、炎にてらてらと光った。怪しげな呪文を唱えるドルイド僧の姿にも見える。

「黙れ! 自分が何をしてきたかを、考えろ!」

「焼き尽くされれば、……《AD》に奪われようも……ないからな。どうせ……呪われた研究よ。……俺と共に……跡形もなく……滅び去ろうぞ! ……こんちくしょうめ」

 フォンが、業を煮やしてストロエフに、引鉄を引いた。短い銃声の連続音がまた、焼け落ちつつある実験室に、長く響き渡った。

 ストロエフは、痛みに苦しみながら、そのまま絶命した。目は充血し、虚空を見詰めていた。自分の魂がどこへ向かうかを、探しているように。

 フォンは、肩で短い息を繰り返した。眼前の新しい死体が、自らの手による事実を、後悔してはいなかった。奇妙な充実感と達成感が、フォンに纏っていた。

「……ケイタ、行きましょう。ここは、もう()たないわ」

 フォンは、ストロエフの(しかばね)をもう一度、見下ろしてから、歩み始めた。

 天城も、劫火の中の実験体の子供たちを一瞥して、その場を離れた。子供たちが神に導かれて、天国に昇れるように祈りながら。

       4

 二人が進む道すがら、煙が次第に濃くなってきた。背後の爆発音が激しさを増す中、二人は、階段で一階に向かった。フォンの提案で、緊急脱出用のドアを目指す。

 施設建物の爆破は、モアイ男が引き起こしたと考えられた。モアイ男と同行したカリネの消息も気になった。

 途中、顔を引き()らせた何人かの研究者と、()れ違った。しかし、誰も、こちらの存在に目も呉れずに、去っていくだけだった。

 天城とフォンが緊急脱出用ドアにまでやって来た時、ドアが半開きになっていた。脱出した研究者が直前に通り抜けた証拠だった。慎重にドアを開ける。

 分厚い鉄製のドアを通ると、施設裏手の庭に出た。高いトネリコの木が茂る庭を縫うように、(いしだたみ)が左右に延びる。甃に沿って等間隔の街灯があるだけで、極めて寂しかった。

「左に行けば、エレバンの町へ繋がる道路よ。右の道なら、共同墓地へと出るわ」

「カリネが気になります。墓地へ急ぎましょう」

 今までの情況を(かんが)みると、以下のように考えられた。

 カリネは、モアイ男とストロエフ捕縛を目指したが、途中、モアイ男の隙を突いて脱走。タテフの墓を守ろうと、共同墓地に向った。モアイ男の不意を襲った可能性もある。

 モアイ男は単独でストロエフ捕縛に臨むが、結局はストロエフを見失った。居室に残された資料が、押収できたかは分からない。腹を立てたモアイ男が、電源設備などを爆破し始めたのだろう。

 施設全体が崩壊寸前の現時点では、もう既に建物から脱出して、圏外に退避した可能性もあった。

 だから、天城は、あとは脱したカリネと墓地で合流して、そのまま闇に身を消せばよかった。その後の予定は、また考えればいい。

 共同墓地への甃を進むうちに、《ノア》の建物の屋根が、爆発で吹き飛ばされた。窓という窓から赤い炎がちろちろと吹き出し、外観は崩れ落ちた。《ノア》の存在自体が、完全に葬られようとしていた。

「これで、《ノア》も終わりね。……すっきりしたわ」

「カリネも無事なら、いいんですけど」

 トネリコ林をくねくねと進むと、すぐに、共同墓地の一角に出た。結構な広さの敷地があり、闇に紛れて不気味さが漂っていた。

 アルメニア独自の芸術とされる、ハチュカルと呼ばれる様々な形の墓標や墓石が、整然と並べられていた。各々に精緻(せいち)な彫刻が施され、死者への敬意が垣間見える。

 ここは、ストロエフに殺されたフォンの父親や、マカオで客死したタテフ、実験で死んだ無数の子供たちの(しかばね)が葬られている。犠牲者の無念を思うと、虚しく辛い気持ちを禁じ得ない。

 月明かりに浮かび上がるハチュカルの間を進む。すると、墓地の先で、男女が言い争いをするような声が突然、上がった。

 天城とフォンは、ハチュカルに身を隠しながら、じりじりと前進した。何が、この先で起こっているのかを、見極めようと試みる。

 明るい月光の下、体勢を低くしたまま、相手に悟られないように進む。肩から提げる短機関銃が、とても重く感じられた。

 丸腰のカリネがモアイ男と対峙し、この上ない危機を迎えているのだろうか? 天城は、(てのひら)(にじ)む汗を太腿で拭いながら、じっと目を凝らした。

 天城がハチュカルの陰から覗き込むと、一組の男女が、緊迫した声で対峙していた。

 一段高くなったハチュカルの壇上から、銃を手にして威圧する男。一方で、離れた地面に(ひざまず)いて、男を見上げる女。女は、何かを(かば)うようにも見える。

 天城は、状況を見極めようと、フォンに更なる接近を促す。

 やがて、男女の遣り取りが聞こえ始めた。

「……どんな事情が……は知らないけど、こんな……は許さないわ」

「そもそも、そいつ……掛けてきたんだ。裏切られ……の身にもなって……たいぜ」

 途切れ途切れに聞こえる声からは、女の非難と男の苛立ちが感じられる。

 天城は、嫌な予感に(さいな)まれながらも、もう一歩、前に進み出た。フォンにも、絶望の表情が濃くなっていく。

「私たちを(もてあそ)んだ《ノア》は、憎いわよ。でも、あなたたちも、同じ穴の(むじな)ね」

 女の声は、確実に、カリネだった。既にキャップはなく、後ろで纏めた髪が、怒りと恐怖にうち(ふる)えている。

 一方、男のほうは、予想に反して、モアイ男ではなかった。一度見たら忘れない頬の傷。――グルグだ。天城は、奇妙な錯覚に捉われた。

 グルグは、初めから、《ノア》急襲作戦には参加していなかった。チームはモアイ男が率い、グルグは、《AD》で留守居となっていたはずだったのに。別働隊で、動いていたのだろうか?

「何とでも言うがいい。勝負に出て勝てば、それでいいんだ」

 グルグは、銃口をカリネに向けた。カリネは、「撃つなら撃ってみろ」とばかり、グルグを睨んだ。

「もう、お前にも用はない。方針が変わって、こちらの準備は、すぐに万端整う」

 グルグの優越の笑みが、サディスティックに変わった。もう、躊躇いは許されない。

 天城の指が、引鉄を強く引き絞った。共同墓地に短い銃撃の連続音が木霊(こだま)する。

 グルグは、(うめ)きを上げて銃を取り落とした。天城たちが施設と共に死んだと、油断したのだろう。天城の銃撃と同時に、フォンも体を(ひるがえ)して、カリネに近付いた。

 しかし、天城も、フォンも、その場で混乱を(きた)し、体が硬直した。

「奇妙な再会を、……どう、受け止めるかな?」

 動きの止まった天城たちに対して、グルグが、肩を押さえながらゆっくりと立ち上がった。痛みと憎しみが、顔面に貼り付いている。

 見下ろした光景を、天城は、信じられなかった。グルグの皮肉も、理解できないほどに。

 跪くカリネの膝の上には、一人の男が血に染まりながら横たわっていた。

 ――富樫三郎だった。

 富樫は、《ホテル・エレガンティア・マカオ》のカリネの部屋で、グルグたちに銃殺されたはずだった。富樫の最期の叫びと銃声は、今も、天城の耳に残っている。

 一瞬、富樫らしいトリックでグルグたちを出し抜いて、窮状を脱したと考えた。今までの音信不通も、怪我の治療のためだ、と。

 だが、富樫は、天城たちのその後の動向を知らない。富樫の〝遺言〟に従って日本に戻ったと考えていたはずだ。

 それとも、天城たちの思考を先取りして《ノア》に赴いたのか。あるいは、《ノア》の計画を潰そうと、単独で遣って来たのだろうか?

 しかしながら、現実の富樫は、天城の眼前で、カリネに抱かれつつ、重傷に見えた。

 フォンも思いは同じらしく、どうして富樫がこの場に倒れているのか、分からない様子だった。しかも、血塗(ちまみ)れで。

「ここに来たら、富樫さんがいてね……」

 その時、カリネの言葉を飲み込んで、施設の方角から、途轍もない爆発音と地鳴りが、墓地を襲った。爆風がトネリコ林を一気に駆け抜け、天城の思考を瞬間的に麻痺させた。《ノア》の最期の抵抗だった。

 腕で熱風を避けたが、しばらく舞い上がる木の葉に翻弄(ほんろう)された。

 気付くと、グルグの姿は見当たらなかった。爆発の一瞬の隙を突いて、立ち去っていた。(とど)めの一撃を与えられなかった悔しさに、天城は、舌打ちせざるを得なかった。

 墓地の裏手で車の発進する音が聞こえた。モアイ男あたりが、グルグ救出に現れたと考えられる。近い将来、もう一度相見(あいまみ)え、決着を付けようと、心に誓う。

 フォンは既に、カリネの許に屈んで、富樫を覗き込んでいた。愛しそうに頬を手で包み込む。

「三郎……。どうしてこんな目に?」

 富樫は、胸を撃たれていた。一目で、致命傷だと分かった。

「どうやって、ここに? あなたは、死んだはずだったのに」

「どうしても……遣り遂げたかった……仕事があったもので……ね。……悪いことをしたな、フォン」

 富樫の声は掠れて、痛々しかった。また、復活を期している自分に、天城は心中、苦笑した。

「大丈夫。あなたのお蔭でここまで来られたわ。それで、父の仇も取れたの」

「そうか。ストロエフは死んだか。……これで、俺も、心安らかに()ける」

 富樫のここまでの行動は、不審に満ちていた。どうして死地を脱して《ノア》に辿り着けたのか。グルグの突然の登場の違和感とも相俟(あいま)って、富樫に訊ねたい質問は、山ほどあった。

「もしかして、奥さんも、ストロエフに殺されてたんですね?」

 先ほどのストロエフの〝差し金〟の発言の意味が、富樫の復讐にあったと、天城は悟った。

「黙ってて、申し訳なかった、圭太……。ストロエフは……妻を殺害して……逃げたのさ。詳細は省くが……デミルコルの……父親を殺した飛ばっちりを……受けたためにな」

「三郎、もしかして、奥さんを亡くした雪崩って……」

 富樫は、苦しみの息の下、フォンの目をしっかりと見て頷いた。

 デミルコルの父親の殺害現場を、富樫の妻に目撃されたのではないか? それで、その場で殺したストロエフは、二つの殺害を隠蔽する必要性に駆られた。

 そこで、ストロエフは、諸々の悪徳の証拠を隠滅するためにも、わざと雪崩を発生させた。富樫の妻やデミルコルの父親の殺害も、それに、〝巨人の遺物〟発掘の証拠も、全てを覆い尽くそうと。

 考えるに、富樫がマクラウドからでも聞いた話だと、推測できた。妻の死にずっと理不尽な疑問を持ち続けてきたとすれば、救いの言葉に聞こえたはずだ。

 富樫は、ストロエフへの復讐を誓い、日本にまで頼ってきたフォンを利用する計画を立てた。フォンも、ストロエフに対する同じ志を持っていたが故だ。

「ここまで……来れば、思い残すことは……ない。……いや、一つだけ……心残りが……あるかもな」

 富樫は、介抱するカリネを見詰めた。感謝の気持ちを伝えたかったのだろう。心残りは、ここで客死する無念さに違いない。

 富樫の呼吸も荒くなってきた。別れの時が近付いてきた、と覚悟が胸内で湧き上がる。

「圭太……なんで日本へ……戻らなかったんだ?」

 別に批判・叱責(しっせき)する意図はない。ただ、身を案じてくれているだけだ。むしろ、自らの死の場面を看取る感謝が伝わってくる。

「先輩が果たそうとした、《ノア》や《AD》の策略の公表を、成し遂げようとしたまでです。俺も、フォンも、ジャーナリストなんで」

 富樫は、寂しそうな笑顔を天城に向けた。

「一旦、決めた……ことを、……諦めるような……タマじゃ……ないからな……お前は」

 天城は、カリネに代わって富樫を引き受けた。(あえ)ぐ肩をしっかりと支えてやる。

「先輩だって、何事も、途中で投げ出さなかったですよ。早くケリを付けて、日本に帰りましょう。また、『十四代』で乾杯しましょう」

 フォンが富樫の手を強く握った。カリネも、目の前の現実をどう受け取るか、困惑している。

「今回は、流石に……無理そうだ。……ちょっと……相手が悪かった……かな」

 富樫が深く目を閉じた。もう、富樫の命の灯が消えようとしている。肩を抱く手に力

が籠った。

「……もし……このヤマを……終わらせたいなら……大スクープを……挙げたいなら、アンタキヤ郊外の……アンティオキア考古資料館に……行け。そこに……カヤも……いる」

 富樫の最期の掠れ声が、胸の奥底から吐き出された。

 次の瞬間、富樫の体が急に弛緩し、天城の手からずり落ちた。フォンが無言のまま慟哭(どうこく)し、カリネが富樫に覆い被さって泣き声を立てた。

 天城を空虚な泥沼の生活から救い、物心両面で支えてくれた富樫が死んだ。もう、間違えようのない、逃れようのない死だった。

 天城にとってのヒーローであり、完全無欠のスーパーマンだった富樫が、今度こそ本当に、天城の目の前で、逝った。支えを失ったように感じ、涙が自然と溢れてきた。

 ふと、富樫の手に、何かが握られていると気付いた。楕円形をした小型のロケットだった。マクラウドの臨終の際、富樫に手渡された形見の品だ。マクラウドの血で、黒く変色している。

 天城は、マクラウドと富樫の遺志が重なってカヤに託されたように感じられた。そっと取り上げる。

 よく見ると、細かな彫刻のある高価そうな真鍮(しんちゅう)製のロケットだった。細い精緻な鎖共々、光り輝いていたと想像できる。若干の敬意を持って開けてみた。

 古い写真には、三人の人物が並んで映っていた。真ん中には、マクラウド本人の面影がある若い人物。右側には美しい金髪の女性、左側には禿頭(とくとう)の老人だ。

 マクラウドの大切な人なのだろうか? 妻と父親か? それとも老人がカヤなのか? どの笑顔も眩しかった。

 マクラウドの〝カヤを頼れ〟という遺言は、マクラウドの最後の切り札でもあろう。富樫の最期の時に、掌に握られていた事実からして、富樫も、天城に手渡そうとしたのだろう。つまり、このロケットが、天城たちを導く重要な鍵になる、と。

 ロケットの三人に見返されると、なぜか、天城の心がすーっと落ち着いてきた。幸せな頃のマクラウドの思い出は、何を天城たちに齎そうというのだろう?

 富樫の死は、本来は、信じられないほど哀しい状況である。それでも、まだ、これからやるべきことは、残されている。ここで屈するわけにはいかない。天城は、冷静になろうと努めた。

 天を見上げて立ち尽くすフォンに同情を覚えた。また、富樫の体に泣いて(すが)るカリネを見て、富樫の遺体をどう葬るかを考えた。

 ここで天城までが感情に飲まれて正気を失っては、敵の思う壺だ。心をできるだけ空にして、ここからの針路を誤らないように、注意を払うべきだ。今度は天城がロケットをポケットに仕舞いこんで、自他に対して、心を鬼にする。

「……先輩は、一連の事件の解決を望んでました。解決したいなら、次のステージに行け、と」

 心とは裏腹に、意外と声は顫えていた。

 天城は、富樫の遺体をその場に横たえた。まるで眠っているだけにも見える。

「……そうね。ここからは、私たち自身の戦いでもあるのよね」

 フォンが自身を鼓舞するように呟いた。

「アンタキヤ郊外の考古資料館って、言ってたよね? そこに行けば、カヤもいる、って」

 応じて、カリネも前を向いた。富樫の最期の言葉を繰り返す。

 恐らく、富樫は、生前のマクラウドから、カヤに関する何がしかの、確実で重大な情報を伝えられていたと見ていい。

「アンタキヤって、どこにあるの?」

 カリネは、潤んだ目を大きく瞠って、二人に訊ねた。

「私が知っているアンタキヤは、トルコ南部の町よ」

「昔はラテン語で、〝アンティオキア〟って呼ばれてた」

「じゃあ、そこへ行って、カヤって人に会えば、どうにかなるのね?」

 三人の心は、冷静に一つになっていた。富樫の死に対する《AD》への復讐というよりは、一連の事件の解明を、望んでいた。

 富樫の出題した、最後の宿題のような気もした。アンタキヤで、全てを包括する謎解きの鍵が待ち受けていると、天城は確信した。それを解けるか否かは、天城たち三人の双肩に掛かっている。

「ところで、カリネは、先輩がここまで来た経緯を、訊いたかい?」

 本当は、富樫が《ホテル・エレガンティア・マカオ》での銃弾から逃れて、《ノア》の共同墓地まで来た経緯と理由を知りたかった。

 カリネは、唇を大きく突き出して、首を横に振った。瞳の蛍光色が、涙に濡れてか、またちょっと濃くなっている気がした。

「モアイ男の隙を窺って逃げ出して、共同墓地まで来たの。そしたら、銃声が聞こえて……」

「例のグルグって奴に、三郎が撃たれていたっていうのね?」

 モアイ男ではなく、グルグが突然、現れた点も、天城には納得がいかなかった。別働していたとしても、なぜ、墓地にやって来たのだろうか?

 グルグが共同墓地に現れた理由は、一旦は逃した富樫をどこかで見掛けて、それを追跡してきたから、というシンプルな理由からだろうか?

「その答も、アンタキヤに行きさえすれば、導き出されると思うの」

 フォンの言葉で、三人は、すぐに立ち去る必要性を感じた。

 立ち去る前に、富樫の遺体を運んで、弔わなければならなかった。マカオでアンナとマクラウドを弔えなかっただけに、今回は何としても成し遂げたかった。

 幸いにも、ここは墓地だ。埋葬するには事欠かず、すぐ脇のスペースに穴を掘り、簡易な石標を立てるなどして、埋葬の儀式を滞りなく終えた。

 よく見ると、隣の墓はタテフ、もう一つ隣はレ・バー・フンの墓だった。細かなレリーフが彫り込まれたタテフのハチュカルには、〝祖国の功労者、ここに眠る〟と刻まれていた。造られたばかりの墓なので、ハチュカルも埋葬土も真新しい。

「タテフは、やっぱり〝功労者〟として葬られたのね。……本当は〝犠牲者〟なのに」

 カリネがぼそっと呟いた。明日は我が身、を感じたのだろうか? 言葉には、これから向かう道の意思表示が込められている気がした。

 レ・バー・フンの墓にも、同様に言葉が刻まれていた。〝祖国を救いしヴェトナムの英雄〟とある。フォンは、ハチュカルを慈しむように撫で、父親との無言の再会を果たした。しばし、心の中で会話を楽しんでいるようだった。埋葬がきちんとされていて、さぞ、安心しただろう。

 しかし、あまり、ゆっくりしている時間はなかった。《ノア》全体が封鎖されると、次の行動に支障を来す。

「さあ、消防や警察が来る前に、ここを脱出しましょう」

 天城は、もう一度しっかり富樫の墓に(ぬか)づくと、事件の解決を改めて誓った。


                       ⑤へ続く

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