第八話「この空間は、魔法を『無効化』している」
報告を受けたグレイスは、しばらく無言で地図を見つめていた。
「魔力吸収機構、か。文献の中の話だと思っていたが」
「セイラの見立てでは、間違いないそうだ」
「分かった。今度は人数と装備を整えて、正式な再調査隊を組む。お前たちには、続けて同行を頼みたい」
「報酬は変わらないのか」
「危険度が上がる分、上乗せする。これは正式な依頼として扱う」
涼介に異論はなかった。
あの通路の先に何があるのか、確かめないままにしておく方が、よほど危険だという感覚があった。
二日後、再調査隊は、前回より装備を増やして枯れ谷の最深部へ向かった。
照明用の油、非常食、補強された縄。魔力に頼らない道具を、涼介自身が選び直していた。
セイラの他に、もう一人、年配の魔導士が同行することになっていた。
「私はベルナルドだ。魔力反応の精密測定を担当する」
口数は少ないが、目つきには確かな経験が見えた。
涼介はその様子だけで、十分な実力者だと判断した。
遺跡の入口をくぐり、前回引き返した分岐まで進むと、ベルナルドが足を止めた。
「ここから先、計測器の反応が止まっている」
「故障か?」
「いや。魔力供給そのものが、外から断たれているような反応だ」
セイラが、持っていた小型の灯りを掲げる。
それは魔石を使った魔導具で、これまでずっと安定して灯っていたはずだった。
その光が、ふっと弱まり、やがて完全に消えた。
「セイラ!」
「大丈夫です……でも、おかしい。枯れ谷では魔力が『使えない』だけで、すでに込められた魔力が消えることはないはずなんです」
涼介は、すぐに自分のランプに切り替えた。
普通の油と火打石を使う、魔力に頼らない灯りだ。
それだけは、変わらず燃え続けていた。
「魔力が使えないのと、魔力そのものを奪われるのは、別の現象だということか」
「はい……枯れ谷は、いわば『魔力が薄い』場所です。でも、ここは違う。明確に、込められた魔力ごと、吸い取られている」
ベルナルドが、壁の文様に手を当てたまま、低い声で言った。
「これは、ただの枯れ谷の延長ではない。何者かが意図的に作り上げた、魔力を無効化するための施設だ」
「意図的、というのは」
「自然現象に、これほど精緻な紋様は刻まれない。誰かが、目的を持って設計したものだ」
その言葉が、洞窟の中で重く響いた。
涼介は、灯りを掲げながら、さらに奥への通路を見据えた。
ここまでの規模で魔力を無効化する施設を、誰が、何のために作ったのか。
その答えは、今の段階では誰にも分からなかった。
さらに奥へ進むと、通路は一つの広間に出た。
中央には、これまで見たどの遺物よりも複雑な紋様の彫られた、石の台座があった。
その上に、一枚の石板が、静かに置かれていた。
セイラが慎重に近づき、灯りを当てる。
「文字が……これ、どの言語の記録とも一致しません」
涼介は、その石板に視線を向けた。
これまでこの世界の文字は、不思議と意味が頭に流れ込んできていた。
だが、その石板に刻まれた文字だけは、何の意味も伝わってこなかった。
「読めないのか、お前にも」
ベルナルドの問いに、涼介はただ頷くことしかできなかった。
「妙だな。この世界に来てから、文字や言葉に困った記憶は一度もない。それなのに、これだけは何も伝わってこない」
「だとすれば、この石板は……この世界の言葉ですら、ないのかもしれません」
セイラの声は、わずかに震えていた。
枯れ谷の正体に繋がる、もっとも重要な手がかりが、今、目の前にある。
それなのに、誰一人、その言葉を理解できない。
「持ち帰ろう。魔導院なら、解読の手段があるかもしれない」
涼介の提案に、セイラとベルナルドは無言で頷いた。
灯りの中、石板の表面が、わずかに光を反射した気がした。
それが、ただの錯覚なのか、それとも何かの予兆なのか――その答えは、まだ誰にも分からなかった。
―― 第九話「誰も読めない石板」へ続く ――
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