第四話「魔法が効かない場所での生き方を教える」
依頼を三件続けてこなした頃、グレイスから少し違う種類の話を持ちかけられた。
「お前に、頼みたいことがある。座学というか、講習だ」
「講習?」
「ノルドの一件で、ギルド内でも話題になっている。枯れ谷に入る予定のある冒険者向けに、基本的な対処法を教えてやってくれないか。一回分の依頼料は出す」
涼介としては、断る理由はなかった。
元の世界でも、登山初心者向けの講習は何度も担当してきた。やることは大きく変わらない。
講習の日、ギルドの裏手にある訓練場に集まったのは、十数人の冒険者だった。
その中に、見覚えのある四人の姿があった。
「黒崎さん! また会えましたね」
アレンが嬉しそうに手を振る。
隣でミラも小さく頭を下げ、フィーナは興味深そうに周囲を見回していた。ガロは、相変わらず腕を組んだまま、わずかに目を逸らしている。
「お前らも来てたのか」
「黒崎さんの講習だって聞いて、すぐに申し込みました」
涼介は集まった面々を一通り見渡し、口を開いた。
「今日教えるのは、魔力なしで動くための基本だけだ。難しいことはしない。重心、呼吸、視線の使い方。それだけで、枯れ谷の中での生存率は大きく変わる」
「魔法を使わずに戦う方法、ってことですか?」
「いや、戦うことより先に、動けることだ。動けなければ、何も始まらない」
涼介は一人を前に出し、普段通りに歩かせてから、同じ動きを重心を落とした状態でやらせた。
最初は誰もが戸惑った様子だったが、何度か繰り返すうちに、明らかに足の運びが安定していくのが分かった。
「魔力で強化された体は、自分の本当の限界を知らないまま動いている。枯れ谷では、その強化が外れる。だからこそ、まず自分の素の体がどこまで動けるか、知っておく必要がある」
ガロが、苦々しい顔で重心を落とす練習をしていた。
明らかに、他の誰よりも苦戦している。
「……俺だけ、やたら下手だな」
「お前は普段、力をかなり魔力に頼ってるんだろう。基礎を作り直す分、最初は苦労する。だが、伸びる余地は誰よりもある」
ガロは何も言わなかったが、その後の練習では、誰よりも長く同じ動きを繰り返していた。
別の一角では、フィーナが目を閉じたまま、何かに苦戦していた。
「フィーナ、何をしてるんだ?」
「普段は、近くに何があるか、気配の魔力で感じ取ってるんです。でも、それが使えないと、何も分からなくて……」
「目を開けていい。視覚と、足音、風の動き。普段使っていない感覚の方を、意識的に使ってみろ」
涼介は近くで小さく物音を立て、フィーナに方向を当てさせる練習を繰り返させた。
最初はほとんど分からなかったが、十回ほど繰り返すうちに、徐々に正答率が上がっていった。
「……すごい。今までこんな感覚、意識したことなかったです」
「誰でも持ってる感覚だ。使ってこなかっただけで」
ミラも、少し離れた場所で杖を構えたまま、苦笑いを浮かべていた。
「わたしは魔法専門なので、正直、今日の内容、ほとんど使う場面がないかもって思ってたんですけど……」
「そう思うなら、聞かなくてもよかったんじゃないか」
「でも、お兄ちゃんたちが枯れ谷に入る時、足を引っ張りたくなくて。もし自分が動けなくなったら、皆を危険に晒すことになるので」
涼介は、その言葉に少し意外そうな顔をした。
魔法を使えない場面を想定して、あえて備えようとする発想は、思った以上に的を射ている。
「悪くない考えだ。自分の専門外を、最低限でも押さえておく。それができる人間は、現場でも信頼される」
ミラは、少し照れたように頷くと、それまでよりわずかに真剣な表情で重心移動の練習に戻った。
休憩の合間、アレンが涼介の隣に来て、小さく声をかけた。
「あの、黒崎さん。僕ら、まだ魔導院に届ける遺跡の記録を渡せてないんです。あの依頼、本当はもっと早く片付けないといけなかったのに」
「気にする必要はない。優先すべきことを優先しただけだ」
「黒崎さんがいなかったら、僕ら、あの依頼自体を完了できていませんでしたから」
「あの石板、結局何だったんだ」
「分かりません。僕らも読めなくて。でも、魔導院の人なら何か分かるかもしれないって、グレイスさんが言ってました」
涼介は短く頷くだけにした。
あの遺跡の記録がどういうものか、まだ自分には判断できる材料がない。だが、いつかそれが自分にも関わってくる予感だけは、なんとなく感じていた。
講習が終わる頃には、参加者全員の動きが、明らかに最初より安定していた。
グレイスが、遠くからその様子を見ていたことに、涼介は気づいていた。
「思った以上の成果だな。次も頼みたい」
「悪い話じゃない。だが――」
涼介は、ふと言葉を切った。
一回の講習だけで、こうも反応が早いことに、わずかな違和感を覚えていた。ただの好待遇な専属契約というだけでは、説明がつかない手際の良さがある気がした。
「だが、何だ?」
「いや。今は何でもない」
その日はそれ以上、深く考えることはしなかった。だが、頭の隅に残ったその引っかかりは、しばらく消えることはなかった。
訓練場を出たアレンたちが、涼介に駆け寄ってきた。
「黒崎さん、今度の遺跡調査、僕らと一緒にどうですか? 報酬は僕らの取り分から出します」
「考えておく」
涼介の返事はそれだけだったが、アレンたちは満足そうに笑い合っていた。
こうして、最初に助けた四人は、ただの依頼人から、少しずつ仲間に近い存在へと変わっていった。
宿への道を歩きながら、涼介はふと、今日一日のことを振り返った。
元の世界では、人に何かを教えるという行為に、こんな手応えを感じたことは、あまりなかった気がする。山岳ガイドの仕事は、基本的に一対一か、せいぜい数人の客との関わりに限られていたからだ。
ここでは、もう少し違う形で、自分の経験が誰かの役に立っている。
それが良いことなのか、何かに利用されているだけなのか、まだ判断はつかない。だが少なくとも、今日教えた人間たちが、これで一人でも多く生き延びる可能性が上がるなら、悪い一日ではなかった。
―― 第五話「待遇が良すぎる契約には、理由がある」へ続く ――
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