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六月

放課後、僕はいつもの通り囲碁将棋部の部室のドアを開けた。

いつも通り杉宮が将棋盤を前にあぐらをかいて……その日杉宮が目の間にしているのは、ピコピコ光っている、ボタンがたくさんついた何だかよくわからない機械。

新手のゲーム機だろうか。


「杉宮、何してんの?」

声をかけたのだが、杉宮は、

「持田」

と顔を上げずに神妙な声を上げるだけで、顔は上げない。

「うん、その持田だよ。どうしたんだよ? それ何? ゲーム?」


ううむ……と唸る杉宮、やっと顔を上げて

「持田、お前、ドラム楽しいか?」

と聞いてきた。しかし、

「ドラムは楽しいが、将棋を超えたというわけじゃないよ。将棋も相変わらず楽しい」

こういうことを言うのは、杉宮が囲碁将棋部内で孤立しているんじゃないかという心配があるからだ。


「俺はさー……」

杉宮が漫才で鳴き声の演技でしていたような声を出したら、僕はちょっと慌てた。

「すまん! ドラムばかりやって最近お前との対局の時間が減ってるのは確かだ!」

僕は、いきなり頭を下げる。


機嫌をとっているわけじゃなく、これは本心だ。

さっきも言った通り将棋も相変わらず楽しい。

気にかけてはいたが、杉宮はむしろやれやれとけしかける方だったから、まさか泣きそうになる程寂しかったなんて……と罪悪感が一気に襲ってきた。

京子ちゃんの楽器に囲碁将棋部から出資したのも、気のいい杉宮だったら絶対に断らないだろう、むしろ喜ぶだろう、と僕が考えていたのも、実は思い込みだったのかもしれない。


ところが、

「俺もさー、ドラム楽しいぞ!」

杉宮が発した言葉は僕の予想もつかないものだった。

「へ?」


ドラム? いつ叩いていたんだ?

「杉宮も叩いてるのか?」

僕の声はちょっと嫌な感じになった。もしかしたら畑中は杉宮も練習スタジオに連れていって叩かせたのだろうか。


僕の顔は訝しげに眉が寄っていたらしい。

「いや、違うんだ。お前と畑中の間を引き裂くようなことはしてない」

慌てて杉宮が弁解したが、いや別に引き裂くも何も、と僕の顔はさらに訝しげになったらしい。


「これを聴いてくれ」

と言って杉宮が差し出してくれたのは、先ほどのピコピコ光る厚みのある平たい板だった。

光る板からはイヤフォンのケーブルが伸びていて、そのイヤフォンは杉宮の耳に入っている。

イヤフォンの片方を僕に差し出す杉宮……いやそれは男二人でやることなのか?と思いながらも、そのイヤフォンを耳に入れると、まるで電気じかけのドラムのような音が聴こえてきた。

短いフレーズを何度もなんども繰り返してる。


「これ、誰かの録音か? それにしちゃ音が酷いアナログ盤みたいな……」

そこでやっと気づく。

「これってドラムマシンってやつか?」

イヤフォンを外しながら僕は杉宮に聴く。

LEDが光る現代的な見た目だが、これは七十年代の挑戦的なクロスオーバーロックでも使われたドラムマシンという機械の音だ。


恥ずかしながらそっちのジャンルは僕はよく知らなかった。

それでもビートルズの、アナログ録音テープをトリッキーに使った実験的な音楽から始まるループ系、音響系とも言えるようなロックも知らないわけじゃない。

ピンクフロイドの一枚目は、わりとお気に入りだ。


「おうよ」

杉宮は得意気だった。

「俺は持田や畑中と違って、音楽のオッサン趣味はないんだ」

それは、囲碁将棋部二年生三人の中じゃ一番顔立ちが大人びている……いや、老けている杉宮が、常日頃強く主張していることの繰り返しだった。


「でも音楽は好きだからな。むしろ持田や畑中よりも、今時の曲はたくさん聴いていると言っていい」

「それは認めるけどさ」

それは悔しいことでもある。いや別に悔しくないけど。


「お前らみたいに楽器をやりたい欲みたいなものは全然なかったんだ。楽器というとお前らみたいな、オッサンじみた古いロックのイメージが強くてな」

杉宮の中の俺や畑中のイメージは相当オッサンらしい。


「そこで渉に聴いてみたんだよ。俺でも楽しめる楽器じゃない何かはないか?ってな」

「それがドラムマシンなのか?」

「いやちょっとまて、そこにたどり着くまではもっと説明が必要だ」

「何だよ?」


「最初はな、パソコンでな、DJをやるのを勧められたんだ」

「……は!?」

なんかすごい言葉を聞いた。


柔道家にしか見えない囲碁将棋部長が、DJというのは全く想像がつかない。

「お前の言うDJって、クラブに集まるような奴らの音楽で、レコードを大量に持ち込んでキュッキュ回す……」

僕のDJに対してできる想像はそのぐらいだ。

全く知らないわけじゃないけど、ほとんど知らないといってもいいだろう。


「いやいや、お前の音楽はやっぱり古いよ」

杉宮はとことん、僕の音楽趣味を古いとディスってくる。


「俺たち棋士にとってはパソコンは必須スキルだろ?」

実際、将棋でも棋譜の研究のデータベースやネット対戦なんかのツールは必須である。僕だって自分用のパソコンは持っている。

スマホだと特に棋譜データベースの使い勝手が悪いので、パソコンに頼るのだ。


畑中には以前「なぜそんなところだけ現代的なの?私を置いて先へ行ってしまったのね……」と空々しく泣かれたが、スマホよりも古いし、僕にとっては将棋のアプリを使うためのパソコンであって、それ以外にできることと言ったら基本操作ぐらいだ。だから畑中と大してレベルは変わらない。


杉宮は続ける。

「パソコンを使うとレコードなんか使わずに普段聴いている音楽ファイルでDJができるんだ」

「あー……」

僕の想像は追いついていかない。

「で、四月に渉に教えてもらってから、ずっと家ではパソコンでDJをやりながら音楽を楽しんでいたんだが……今はテンポシンクがあるから、割と簡単だ」

「ふむ?」


六十年代七十年代のロックしか頭にない僕には、ついていけない世界だ。

曲と曲の間を演奏で繋ぐ……どういうことなんだ。

ロックは世界標準の若者音楽じゃなかったのだろうか。

古典的なロックを知っていれば、大体のポピュラー音楽に対応できるんじゃなかったのか。

僕みたいなロックマスターが理解できない音楽の世界があっていいのだろうか?


「で、曲と曲を繋ぐのはできるようになった。だが、ただ繋ぐだけだとつまらん。そこで渉に相談したら、昨日これをくれた」

杉宮は、ピコピコ光る箱をぽんと叩いた。


「サンプラーも兼ねたグルーヴボックスだ」

「ドラムマシンじゃないのか?」

「渉によると、ドラムマシンの親戚みたいなものらしい」

「おお、なるほど、親戚なのか」

さっき言ったとおり、それなら分かる。

分かるということにしておきたい僕である。


でも、

「なんで渉君はそんなものを余らせてるんだよ」

思わず、ここにはいない渉君に突っ込んだ。


「ドラムだけじゃなく、シンセも鳴るし、短い音も録れるらしい」

「何でもありじゃないか」

「俺はまだドラムの音しか出してないがな」

「つまり?」

そこが分からない。


「演って見せたほうが早い」

杉宮はスマートフォンを取り出して、何かのアプリを起動した。

「DJはパソコンだけじゃなくスマホでもできるんだ」


スマホから充電用に見えるケーブルを伸ばし、自分が持っている板に突っ込む。

さらにそこから、こっちはよく見るオーディオ用ケーブルで、部室の古いオーディオにつないだ。

オーディオは池田電機の息子であるところの渉君が持ち込んだものだ。

お客さんからの引き取り品らしい。


「渉がケーブルで繋いで、設定してくれた」

「そういう設定」

「俺も詳しくは分からん。だが、連動してくれる」

「……渉君、何者なんだよ」

「池田電機の次男坊だ」


曲が流れ出した。

誰がどう聴いてもJ-POPな曲だ。

アップテンポでキャッチーな、サビ前の部分っぽい。


聴いたことがあるような気もする。

おそらく最近の流行りの曲なんだろう。

歌っている人数から想像するに、四十八とか四十六とか、そういう数字がつく娘たちのどれかだろう。

はっきり言って、最近の曲はサビじゃないとよくわからない。


杉宮が小さい画面を指で操作し始める。


杉宮の見た目は、ごつい。

高校生にしちゃ大人びた、いや老けた顔立ちの、がっちりとした体つきの、どこからどう見ても柔道家の体格だ。

指も結構ごつい。そのごつい指がスマホを覗いてなんか弄りつつ……。

Bメロからサビに入ったところで、杉宮は僕が忘れかけていたドラムマシンに手を伸ばし、弄り始める。

サビが終わって間奏に入った瞬間、杉宮がそのドラムマシン……いやグルーヴボックスをスタートさせた。


元の曲のビートの上に、機械のドラムがぴたりと重なる。

聴いている分には、確かに繋がっている。

スマホの曲と、この箱のリズムが、同じ速さで走っているのだ。


「これが、『繋ぐ』ってことか?」

「まぁ待て」


杉宮は言いながら、グルーヴボックスをいじる。

いつの間にか元のJ-POPは消えて、機械のドラムだけが残っていた。


音量が少しずつ落ちる。

音数も減っていく。

最後にはバスドラだけになった。


そのバスドラも、だんだん遠くなる。


かと思った瞬間、短いフィルインが入った。

そのフィルの最後にぴたりと乗るように、別の曲の歌い出しが入ってきた。


今度はバラードだった。

しかも、いきなりサビだ。


今度はバラードだからその効果は絶大。

しかもアウフタクトの入りだからタイミングを合わせてボタンを押せばいい、ってだけじゃないことは想像がつく。

驚いたことに、二つのJ-POPが、まるで最初からそういうメドレーだったみたいに繋がってしまった。


「これ、杉宮が今やったの?」

この曲は僕でも知っている。

確かソウルとかR&Bとか言われている人だけど、僕の耳には、ほとんど演歌みたいな情念で歌っているように聞こえるMISIAとかいう歌手だ。


「おう、どうだった?」

杉宮が得意げに僕を見る。

「正直、初めてDJというものを理解できた」

これは本心だった。

感動した。


ドラムマシンなんて、ロックでは実験的な曲か、ドラムがいない時に使うものだと思っていた。

でも杉宮はそれを使って、曲と曲の間にある何もない場所を、自分の手で埋めてみせた。


それは、ドラムでもギターでもベースでもない。

でも、確かに演奏だった。


「これ、バラードの曲の方のテンポ違うような」

「おお、微妙な違いなのによくわかったな。テンポをほんのちょっと早くしているんだ。サビから繋いでバスドラだけにしただろ、アレに合うように実はちょっとずつテンポを遅くして、逆に次の曲をちょっと早めに……」

杉宮が何を言ってるのか、正直よくわからない。CDの曲ってテンポ変えられるのか?




「部長にはもっとやってもらいます」

後ろからいきなりボソッと声がかかった。感動の余韻に浸っていた僕の心臓はキュっと縮み上がった。

ギターケースを背負った渉君が部室に来たのだ。

部室のドアは僕が開けっ放しだったから、気づかなかった。

「渉君、そういう心臓に悪いことはやめてくれ」


「おう、渉、どうだ?」

杉宮は得意げに、だけど嬉しそうに渉君に訊いていた。

「素晴らしいです。さすがに二カ月もJ-POPでPCDJをやりつづけた部長、たった一日でここまでやれるとは」

「このグルーヴボックス、いくらだ? すっかり気に入ってしまった。買い取るぞ。いや買わせてくれ」

「いえ、これは姉貴が一時期やろうとして挫折して今は見もしない機材なんで、とりあえず使っててください」

「悪いな。こんなに楽しいものを教えてもらった上に」

「いえ、部長には将棋も相当鍛えてもらってますし。DJの練習メニュー組み立てますから、どんどんDJ練習してくださいよ」


「えーとそれは、杉宮もバンドに入るってこと? こいつは合気道の道場が」

「わかってます。バンドに加入してもらうんじゃなく、部長には外からDJとしてパフォーマンスに組み込んで欲しいな、と」

「DJとして?」

いまいちわかんないな。


「えー、なになに!」

ちょうどよく畑中が入ってくる。

「アキラさん、部長がPCDJとグルーヴボックスで、パフォーマンス系DJをやってくれることになった」

「おおー!」

と歓声を上げた畑中だが、

「PCDJって何? パフォーマンス系DJって何やるの?」

畑中も僕と同レベルだった。


畑中が一番いい将棋盤を中央に置いた畳に腰を下ろす。

渉君はひとつため息をついてから、解説を始めた。

「この囲碁将棋部バンドの目的の一つは、ポップでキッチュでキュートなラブソングをやること」

「うん」

「でも今までやってきたのは、ギター、ベース、ドラムだけのシンプルなガールズロックです」

「うん」

「それだけだと、曲の色が狭い。シンセが入った曲も欲しい」

「えーと……つまりキーボーディストが必要ってこと?」

「違う。打ち込みます」

「打ち込み」

「その打ち込みを曲に合わせて『ポチッとな』する人が必要です。ついでに、曲と曲の間を繋ぐ人も」

「それ渉君も古くない?」

思わず口に出してしまった僕だが、

「それは認めます。でも俺は今の曲も知ってるので」

「うん……」

渉君に黙らせられる。


畑中が、渉君に訊いた。

「それが杉宮君?」

「はい。部長ならできます」


『はい!』と小学校の授業中のように手を上げる畑中。

「打ち込みだったら、MTRに入れておいて再生ボタン押すのとは違うの?」

「今はあんまり流行んない、そういうの。オッサンバンドしか見てないアキラさんは知らないと思うけど」

「がーん……」

「がーん……」

と口を揃えて言った僕と畑中、効果音のセンスも古いらしい。


「SE……シンセ系の効果音とかも含めてちゃんとパフォーマンスしたほうがいいです。それと持田先輩へのクリックとか……今は打ち込みをライブで使う場合テンポ一定じゃなくテンポをその場でいじれるので、テンポ可変のバークォンタイズに載せて、DJがコントロールできるようにします。SEなんかもちゃんとバークォンタイズで載せる所とDJのパフォーマンス部分と分けて……」

渉君が、次々と未知の言葉を出してくる。

「え、何言ってるかわかんない……」

畑中がやっぱり僕と同じレベルなので、安心した僕である。


渉君はやっぱりため息をもう一度ついて、

「あとで教える。部長は間違いなく今の音楽を聴いていて、今の音楽に対するセンスは、アキラさんや持田先輩よりも絶対にある」

「がちょーん」

畑中の効果音は、もはや僕ですらリアルタイムでは知らないところへ突入していた。


「で、俺の練習はどうする?バンド練には参加できんぞ」

「話がそこに戻ってよかったです。部長には俺が作ったトラックや、その後録音して作ったトラックを渡して練習してもらいます。囲碁将棋部バンドの曲だけじゃなく、普通のメジャーなJ-POPの曲とも繋いでもらいたいから」


「あ、囲碁将棋部バンドって正式名称なんだ?」

また口を挟む畑中。しかし誰も答えない。

「正式名称なの?」

……誰も答えない。




「それともう一つの目的は、端的に言えば、囲碁将棋部の部員勧誘」

「なんでこれが部員勧誘に繋がるんだ?」

僕の疑問は当然だと思うんだけど、

「九月の文化祭メインステージを、囲碁将棋部で染める計画を打ち出そうと」

なんか大それたことを言い出したぞこいつ。

「あの……渉君?」

僕が恐る恐る訊くと、

「言い方は大げさだが、要するに去年のような細切れの穴埋めではなく、もっと俺たちが目立とう、ということだ」

杉宮が補足してくれた。


「しかも……これはまだ、俺と次期部長の渉が計画している段階だが、他の文化部にも話を持っていこうかと考えている」

「他の文化部?」

「軽音部みたいに、最初から外のステージに出ることが分かっている部ばかりじゃない。吹奏楽部や演劇部みたいに、普段は講堂で発表する部もある。さらに言えば、去年の俺たちみたいに、出し物はあるが、見せ方が分からない部もある」

杉宮がそこまで言うと、渉君がぼそっと続けた。

「そういう地味な文化部を、外ステージにも少し出すんです。軽音部をないがしろにするわけじゃないけど、文化祭全体を盛り上げるために」

「……なんか、渉君、急に生徒会っぽいこと言い出したな」

「ぽいだけですね」

渉君は涼しい顔で答えた。

ぽいだけ、と言うわりには、たぶんもう何か動いている。

そう思ったけれど、詳しく訊くと面倒なことになりそうなので、僕は追及しなかった。


でも、話の中で無視できない話があったので、杉宮に訊く。

「それより、いつ渉君が次期部長になったんだ」

「俺と渉の間では、ほぼ内定している」

「本人の意思は」

「あります」

渉君がぼそっと言った。


また僕の知らないところで、囲碁将棋部の歴史が進んでいたらしい。


「うん、バンドで出るのはいいけどさ」

畑中が言い出す。

「去年、囲碁将棋部のステージは、めちゃくちゃ寒かったでしょ?」

畑中、お前見てたのか。

「ああ、棋譜コントをやって、来校していたお年寄りにしか受けなかったとか」

その場にいなかった渉君からも言われるとは、ちょっとショックである。


「地味な文化部って、そうなりがちなんじゃないかな?」

その畑中の疑問ももっともだ。


「なので、俺も目一杯知恵を絞ってます。やっぱり、知ってる曲のDJプレイは盛り上がるから」

「つまり俺がそこを担当するわけだな」

杉宮が、どこか嬉しそうに胸を張る。

「その通りです。部長が外ステージ全体空気を作って、文化部の間を上手くつなぐ。そこで囲碁将棋部バンドを入れる。美土里さんの歌うポップでキッチュでキュートなラブソングを聴かせれば、イケると踏んでます」

「えっ……」

ちょうど部室入り口に来ていたらしい京子ちゃんが絶句した。


「美土里さん、そういうことだから」

涼しい顔で渉君が、京子ちゃんに言う。

「でも私、初心者だよ?」

「初心者用に曲を書いてる。美土里さんが歌えるように」

渉君は、当然のように言った。

「だから大丈夫」


「京子ちゃーん、そこは自信持っていいと思うよ! 楽しんで歌えるのがいちばんウケるよ?」

畑中が、両手を握って京子ちゃんを励ます。


すると杉宮が、そこで腕を組んだまま、重々しく付け加えた。

「もちろん、棋譜コントもやるぞ」

「やるのかよ!」

思わず僕は叫んでしまった。

「当然だ。囲碁将棋部だからな」

杉宮は真顔だった。

渉君も、特に否定しなかった。


どうやら今年の文化祭は、僕の知らないところで、かなりおかしな方向へ進み始めているらしい。





杉宮が道場に向かったその後,部室に残された僕らは練習に入って、その休憩中。

京子ちゃんが、ポツリと言った。

「それで……私,自信持っていいって言われましたけど」

「うん?」

「私、見ちゃったんです」

「何を?」

「当方ボーカル、全パート募集、初心者ですがやる気はあります、って女、最悪だよね、ってネットのまとめ記事」

「……あー」

畑中が顔を引きつったように歪める。

渉君は畑中とは対照的に口元をニヤリとさせていた。

この二人の表情は、何か経験に基づくものなんだろうか?


「何の話?」

ついていけない僕は畑中に訊く。

「バンドのメンバー募集とかで、『当方初心者ボーカル、全パート募集』って書いてるのがあるの」

「そりゃ誰だって最初は初心者だろう?」

「そうじゃなくて、要するに『私は楽器を練習する気もないけど、カラオケ上手だしー。バンド経験してみたいから私専用のバックバンドが欲しい』って言ってる様なもんなのよね」

「そりゃ悪意がありすぎる解釈じゃないのか?」

「バンドが初めての持田君にはわからないんだよ」


「そうですよ!」

京子ちゃんが声を上げた。

「私実際それじゃないですか。入部した直後に、楽器ができる先輩たちの中に入れてもらって、あっという間に自分が歌うための曲が用意されて、アレンジも全部やってもらえて……私、歌ってるだけで」

「京子ちゃん、ギタボじゃん。Fで泣きそうになりながら毎日練習してるじゃん。当方ボーカルとは全然違うよ」

畑中が強く主張した。

「それにアレンジにも色々意見くれたじゃん」

「そ、それはそうですけど……アレンジの時には私の声に合わせて移調までしてくれて……まるで『バンドをカラオケ扱い』……」

カラオケでいうところのピッチを上げ下げというヤツか。

でも移調が関係あるのはギターとベースで、つまり移調が関係するのは畑中と渉君なので、ドラムの僕には関係なくて、だから二人とも余裕なんだろうと思う。


「美土里さん、ポップでキッチュでキュートなラブソングをやりたかったのはアキラさんだから」

ボソボソっと渉君がフォローに入る.

「そうそう、むしろ私の方が京子ちゃんに歌わせてるんだよ」

畑中も同意した。


僕も、それは京子ちゃんに勘違いしてほしくなった。

「京子ちゃんはひとつ間違ってるよ」

「何ですか?」

「僕らがやってるのは、京子ちゃん用の曲じゃない。京子ちゃんの声が必要な、僕らのバンドの曲だ」


言ってから、自分で少し驚いた。

僕は今、確かに「僕らのバンド」と言った。

バンドを組んだ覚えはない、と言っていた僕である。

その僕が、いつの間にか、そういう言い方をしてしまっていた。




畑中が思い出したように言った。

「一時期ファッションモデルタレントがミカバンドで歌ってたでしょ」

「子供番組やってた人?」

渉君が訊き返す。

「それ! んで、その人の曲で、ギターとベースとドラムが全部絡み合ったかっこいいリフの曲あるじゃん。しかもイイ感じでポップなの」

「Real Life, Real Heart?」

渉君は何でも知っている。

「曲のタイトル忘れたけど、多分そう」

「でもアキラさん、それも相当古いよ」

「うるさい。大事なのは古いか新しいかじゃなくて、ボーカルが入った瞬間にバンドの意味が変わるって話」

畑中が、強い調子で断言した。


「ああいう自分の作詞で、自分を徹底的に出した曲をやったから、そのあとミカバンドに入って、もう出来上がってた曲まで、歌った瞬間に自分のものにしちゃったじゃん」

畑中は、京子ちゃんの方を見る。

「その人がギター弾けるかどうかとか、ベースが弾けるかどうかとか、そんなの関係ないんだよ。歌が入ったら、曲はその声のものになる」

「声のもの……」

京子ちゃんが、小さく繰り返した。

「そう。バンドって、楽器隊が偉くてボーカルが乗っかってるんじゃない。ボーカルが入って初めて、みんなの音がどこへ向かうか決まるの」

これは、ちょっと分かる気がした。


ドラムだけで叩いている時と、畑中のベースが入った時では、音楽の意味が変わった。

そこへ京子ちゃんの声が入ると、また違う。

同じエイトビートを叩いているはずなのに、京子ちゃんが歌うと、僕のスネアは京子ちゃんの言葉を前へ押し出すものになる。


僕は、京子ちゃんに言った。

「京子ちゃんが歌ってるだけっていうなら、僕なんか叩いてるだけだよ」

「え?」

「僕はメロディもコードも分からない。歌詞も書けない。だけど叩いてる。それで曲に参加してるつもりでいる。だから、京子ちゃんが歌ってるだけっていうなら、僕も叩いてるだけだ」

「持田君、それはちょっと極端だけど、いいこと言ってる!」

畑中がなぜか得意げに頷いた。

君が得意げになる理由は分からない。


「ドラムの話なら、森高千里もそうじゃん」

畑中が、さらに古い名前を出した。

「森高千里?」

京子ちゃんが首を傾げる。

「私がオバさんになっても、の人?」


「そそ、ただのアイドルだった人が、後々ドラムを叩くようになった」

畑中が言う。

歌う人がドラムを叩く。

それは、いまの僕にとっては聞き捨てならない話である。


「そう。しかも、ただ叩けますって話じゃないんだよ」

畑中が、京子ちゃんの方へ体を向けた。

「最初はアイドル歌手として見られてた人が、後々ドラムを叩くようになって、自分の音楽をどんどん自分で組み立てるようになった」

「アイドル歌手なのに?」

京子ちゃんが訊く。

「アイドル歌手から、自分の音楽を持ってる歌手になったんじゃないかな」

畑中は即答した。


「ボーカルってさ、前に立って歌うだけの人みたいに見えるけど、本当は一番、曲全体の責任を持てる場所にいるんだよ。自分の声がどこで入るか、自分の言葉がどう聞こえるか、自分の身体がどのリズムに乗るか。それを分かってくると、楽器隊の音まで変わる」

京子ちゃんは黙って聞いていた。

僕は、少しだけ分かる気がした。


京子ちゃんが歌うと、僕のスネアの意味は変わる。

同じように二拍目と四拍目を叩いているだけでも、それはただのタン、ではなくなる。

京子ちゃんの言葉を前に押し出すタンになる。


叩いているだけの僕である。

しかし、歌が入ると、その「叩いているだけ」も、勝手に歌の側へ引っ張られるのである。


渉君が、歌詞カードを指で押さえた。

「美土里さんは、もう少しそれをやっていいと思う」

「それ?」

「歌い方だけじゃなくて、言葉も」

京子ちゃんが、少し困った顔をする。


「でも、歌詞は池田君が書いてくれてるし」

「俺が書いてるのは、仮の詞だよ」

渉君はあっさり言った。

「曲を作るために、俺が置いた言葉。美土里さんが歌うなら、美土里さんの言葉にした方がいい」

「私の言葉……」


「全部書けとは言ってない。一行ずつでいい。ここは自分ならこう言う、ってところを置き換えて」

「でも、変だったら?」

「曲に乗るようには直す」

「直されるんだ」

「直す。でも、美土里さんの言葉じゃないと出ない感じがあると思う」

渉君は涼しい顔だった。


畑中が、にっと笑った。

「いいじゃん。京子ちゃん、作詞家デビューだ」

「さ、作詞家ってほどじゃ」

「最初は仮詞の上書きでいいんだよ。森高千里だって、いきなり全部できたわけじゃないでしょ、多分」

「多分なんだ」

僕が突っ込む。


「でもさ」

畑中は、今度は僕を見た。


「持田君も分かるでしょ。ドラム叩けるようになると、曲全体の聴こえ方が変わるじゃん」


「それは……まあ、分かる」

嫌だが分かる。

ドラムを始めてから、僕は曲を聴く時に、前よりもハイハットやスネアやバスドラを聴くようになっている。

歌だけでも、ギターだけでもなく、その下で何が曲を前へ進めているのかを考えるようになってしまった。


なってしまった僕である。


「京子ちゃんも同じだよ」

畑中は言った。

「歌って、ギター弾いて、ちょっとずつ歌詞も変えていけば、曲全体が京子ちゃんの方へ寄ってくる。歌わせてもらってるんじゃなくて、京子ちゃんが曲を引っ張る側になる」


京子ちゃんは、歌詞カードを両手で持ったまま、小さく息を吸った。

「私が、ですか?」

「そう」

渉君が畑中よりも先に答えた。

「だから、詞を置き換えるのになれたら、詞を先に書いてもらうのもありだと思ってる」

「えっ」

京子ちゃんだけでなく、僕も畑中も声を上げた。


「詞が先?」

「曲が先だと、美土里さんはどうしても俺の言葉に合わせることになる。逆に、美土里さんの言葉から曲を作った方がいいものもあると思う」

「それ、難しくない?」

畑中が訊く。


「難しいと思う。でも、その方が美土里さんは楽しい」

渉君は、いつものぼそぼそした声で、でも妙にはっきり言った。


京子ちゃんは、しばらく歌詞カードを見ていた。

それから、小さく、けれどさっきより少しだけ強い声で言った。

「……やってみたいです」

畑中が満面の笑みになる。


「よし。じゃあ京子ちゃんはもう、当方ボーカルじゃないね」

「当方ボーカルじゃないなら、何ですか?」

「美土里京子、ボーカル、ギター、作詞予定」

「予定なんですね」

「予定は書いたもん勝ち!」

なぜか得意気に断言した畑中である。

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