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四月

「持田、この間の棋王戦はどう思った?」

「ん?」

放課後の囲碁将棋部の部室である。

僕は将棋盤を前に棋譜の参考書を見ながら手の勉強をしていた。もう一人の部員である杉宮の声に顔を上げる。

「ああ……まだビデオ見てないや」

このためにケーブルテレビを契約することを親に懇願したと言ってもいい。僕の対局ビデオコレクションには加わったのだが、ここのところ、あまりそれを消化できてないのだ。


「なんで?」

「いやぁ最近暇があると、とある場所に引っ張られるんだよ」

渋い声で僕が言えば、

「ああ……そりゃ御愁傷様だな」

杉宮が本当に気の毒そうな言葉をかけてくれた。


杉宮は囲碁将棋部の部長である。

ただし、見た目だけなら絶対に柔道部だ。

身長百八十センチ超え、筋肉ガッチリ、短髪の角刈り。実際、中学では柔道で全国まで行ったらしい。

腰を悪くしてからは「真理を悟った」とか言って合気道に転向し、学校では趣味の囲碁将棋部に落ち着いている。


うちの学校に合気道部はないから、週に三度、中央線で一駅先の道場に通っている。

その分、学校の部活は、『趣味』である囲碁将棋部に入ったらしい。


去年入学した時から、囲碁将棋部は僕と杉宮の二人だけ。

杉宮が街の道場に通っているという話を聞いて、それなら毎日一時間だけ部活をやろう、それなら杉宮も遅くならないうちに道場に通えるだろう?と提案したのは僕だった。

そんなに勤勉ではない僕としても、早めに部活が終わるのは悪くなかったし、杉宮と僕の二人だけのあまりにも都合が良い気楽な部活は、二年目に突入していた……はずだった。

幸い僕も杉宮も、囲碁より将棋の方が好きだったから、うまい具合にマッチしたともいえる。


「全然御愁傷様じゃないよ。おめでとうでしょ」

当の本人、畑中は全然悪びれた様子を見せない。


なぜか畑中は、囲碁将棋部にしょっちゅう顔を出しては居座っているのだ。

杉宮との一時間の部活が終わり帰る時になっては、帰宅がてらバスに一緒に乗って、例のスタジオの前のバス停で降りて、セッションをする。

そのセッションは結局夜遅くまで続くから、このところ僕は全然対局ビデオを見る暇がない。


既に四月は二週目、僕らは二年生になって新学年が始まり桜もあらかた散ってしまった.

畑中と知り合って、ひと月ちょい、理系と文系に分かれた今年度は、違うクラスになったけれど、畑中と僕のよく分からないロックな関係は続いている。




「お前がドラムを叩いてバンドを組むとはなぁ」

「いや、バンド組んだ覚えはないんだけどな」

感慨深く言った杉宮の言葉を、僕は即座に否定した。

「そうなのか?」

杉宮は不思議そうに、畑中に声をかけて確認する。

「うーん……認めたくないけど、そうなんだよね」

畑中も認めざるを得ないらしい.


「バンドっていうのは、ドラムとベースだけじゃ成り立たないからね。ボーカルとギターは必要だし」

「ふむ……将棋は二人居れば対局が出来るが、バンドってのはそういうわけにはいかないのか」

そりゃそうである、その代わり対局相手バンドなんてものは必要ない……いや「対バン」ってもしかして対局相手バンドの略なんじゃないかな。


「ボーカルとギターも居ればいいんだけど、残念ながら私や持田君みたいなオッサン音楽趣味を持ってる高校生なんてそうはいないし、プロ指向の人たちとは一緒にできないし」

畑中は残念そうに肩をすくめた。


「そこだよそこ!」

「どこだよ?」

杉宮がいきなり大きな声を上げたものだから、僕は思わず突っ込んでしまった。

ガタイがいい杉宮の朗々たる声が狭い部室に響き渡るが、体格が貧弱な僕のツッコミはそうではない。


「いやさな、お前ら最近オッサン化の進行速度が速すぎだ」

「は?」

思わず声が出る僕である。

「オッサン趣味が二人合わさって加速したんだろう。そのうち行動も容姿もオッサンそのものにならないか、俺は不安だ」

「……」

「……」

思わず畑中と顔を見合わせてしまった。


わからないでもない。


例えばクラスの連中が男女連れ立ってカラオケに行ったとしよう。多分僕が知らない今時のJ-POP曲を次々繰り出してくるに違いない。

それに対して僕と畑中はどうだ。

畑中と二人でカラオケに行ったとしても、自分達が生まれてもいない八十年代までに限定した洋楽ロック縛りになりそうなことは、容易に想像がつく。

なにせ毎日オッサンロックの修行に余念がないのだ。


若者のコンテンツについていくことを放棄したら、そりゃオッサン化も進行しようというものだ。


「それは困るね」

少しばかりの恐怖を顔に張り付かせながら、畑中はポツリとつぶやいた。

「ああ、困るな」

同意する僕だ。やはり今の僕の顔には少しばかり恐怖の色が浮かんでいただろう。

「持田はまぁいいとしてても」

「よくねぇよ」

「畑中は一応花の女子高生だ。これ以上オッサン化したら周りが悲しむ」

「私だけじゃなく、持田君もオッサン化したら私が嫌だ。私フケ専じゃないから」

なぜか強硬に主張する畑中である。オッサン女子高生に言われる筋合いはない。


「それと持田お前」

「なんだよ?」

「お前今、『ビデオ』って言っただろう?」

「言ったよ、それがどうした?」

「ビデオってオッサンにしか通じない言葉なんだぞ。知っていたか?」

神妙な顔つきで杉宮がとんでもないことを言い出す。

え、いや、ビデオって普通じゃないの?



杉宮は少しの間天井を仰ぐと、おもむろに発言した。

「なぁ、オッサン音楽以外のものをやってみたらどうだ? 普通の高校生が喜ぶような……」

「喜ぶような、何だ?」

「……」

そこで沈黙するな。

「そうだ!」

杉宮の頭上にぴかっと光った電球が登場したような錯覚を受けた。


「なんだよ?」

「ポップでキッチュでキュートなラブソングを歌うようなバンドをやればいい!」

「なんだそりゃ!?」

杉宮の発した言葉は意味不明である。

僕は叫んだのだけれど、

「それいい!」

顔を赤くして興奮した畑中が、椅子から立ち上がって肯定に回った。メガネにひっつめ髪の地味子がキラキラしている。


「ちょ、畑中、待てよ」

慌てて静止するも、畑中は止まらない。

「そうだよ、持田君と私に足りないのはポップでキッチュでキュートなラブソングだ!」

「いや、足りないんじゃなくて元々必要ないはずだ」

「キュートなラブソングを本職にして、オッサンロックは余暇でやればいいんだよ!」

本職と余暇って何だ! 僕は囲碁将棋部員だよ。ドラム自体が余暇なんだよ。


当然畑中は僕のツッコミには乗ってこない。

「すごいよ杉宮君! よくアドバイスしてくれた!」

そう言い残すと,畑中は勢い良く囲碁部の外へ駆け出していった.


「あいつ、どうしたんだ?」

「さぁ?」

僕達二人は首をひねったが、畑中の駆け出していった先の目標に思い至ることはできなかった。

結局また目の前の将棋盤の世界に没入していくのだ。



しかし、畑中の行動は三十分後には形となって僕達の前に突きつけられた。

「これ、校内中に掲示してきたから。正確には、掲示板に貼れる分だけ。残りは明日」

「は?」

行動が早すぎる。


「生徒会に、囲碁将棋部のものって了解とってきたから、はがされることはないよ」

「生徒会の許可印貰うだけでも時間かかるんじゃ?」

「生徒会室に行ったら、ちょうど掲示許可のハンコ持ってる人がいた」

畑中はそう言って、僕達の眼前に一枚のコピー用紙を突きつけた。


部員募集のチラシにありがちな絵なんかはない。

本当に、太い黒マジックでの書きなぐりだった。


「……青春のラブソングを一緒に歌う仲間を募集ぅう? ボーカルとギター一人ずつぅう? 囲碁将棋部・畑中までぇえ?」

僕は棒読みするつもりだったのだけれど、各文の最後はこらえきれずにピッチが上がってしまう。

何だこのうさん臭さは。


「なるほど、そうきたか」

杉宮はふむと納得顔だ。

「ちょと待て、なんでお前納得してる?」

僕が突っ込みを入れると、

「いや……自分で言っといてなんだが、アリだなぁと思ったんだ」

つまり畑中は杉宮の言葉をすぐに実行したというわけだ。


しかし納得できないのは最後の一文である。

「お前いつ囲碁将棋部に入ったんだ?」


「え?」

「え?」

畑中と杉宮の四つの目が僕の方を見た。

「持田、お前知らなかったのか?」

信じられないと言った感じの杉宮だ。


「何をだ?」

「言ってなかったか? 畑中は今年度から囲碁将棋部に入部したんだぞ?」

それはちょっと衝撃の事実だ。

「聞いてない」

「そうか……俺は部長なんでな。持田が忘れているようなこともちゃんと覚えている」

目を細めながら腕を組んで顎を撫でる杉宮。

ガタイがよく、かつ非常に大人びて見える……端的に言えば老けて見える杉宮がそんな格好をするのは非常に様になっている。

合気道の道着と袴を着ているのを見たこともあるが、達人にしか見えないヤツだ。


「僕が忘れているって何を?」

「去年は、卒業生部員と入れ替わりで入学したばかりの俺達だけで特例で許されていたが、本来学校の公認の部活であるためには、すなわちこの部室を使うためには、三人以上の部員が必要だったろう」

「……おお!」

思い出して、思わず頷いてしまった。


二月に畑中と会ってからのゴタゴタですっかり忘れていたが、その前は、囲碁将棋部に誰かを引き摺り込もうと杉宮と相談していて、文化祭でも呼びかけを行なっていたのだ。

「つまり、本来ならば今年度はこの部は取り潰しになっていたはずなんだ。畑中がそれを救ってくれたんだぞ。感謝しろよ」

それは確かに感謝せざるを得ない。しかしだ。

「でも畑中は将棋も囲碁も知らないんだろ?」

「そうだよ?」

あっけらかんとした畑中である。


「これから覚えるよう頑張ればいい。部が潰れなかっただけでも、畑中がこの部に入ってくれたことは俺は大歓迎だぞ」

「う……」

たとえ将棋を指さなくても、毎日部室にくる部員、しかもこれから学ぼうとする初心者が増えることは,囲碁将棋部にとってメリットである。

「そうそう、それにあとボーカルの子とギターの子、二人部員が増えるでしょ! 万々歳じゃん!」

ニコニコ顔で畑中はそう言うのだけれど、

「だけど、ここは軽音部じゃねぇ」

と僕はつぶやいたのだった。



で、畑中が囲碁将棋部の名前を借りた部員?募集の張り紙の効果は次の日に早速現れた。


「ここ、囲碁将棋部ですか?」

ギターを背中に背負った男子生徒が、開けてあった引き戸をノックしたのだ。

見ない顔だ。ということはこの春に入ってきた一年生だろうか。


「わおー、ワタル君じゃない! 来てくれたんだ!」

畑中が嬉しそうな声を上げて立ち上がった。


ワタルと呼ばれた男子生徒は、畑中に軽く手を挙げて挨拶をする。

「……アキラさん、ここ場所が悪いよ。迷っちゃった」

その子は畑中のハイテンションとは正反対のぼそぼそと小さい声で畑中に聞く.

「うん、まぁ色々あってさ……ささ、こっちがドラムの持田君ね」

椅子を用意しながら僕を紹介しようとするのだけれど、さすがに事情が飲み込めない僕にはちょっと説明をして欲しいところだ。


「おい、勝手に紹介するな。まず説明しろ」


「うん、そうだね。この子はうちの近くの団地の高齢者向けの小規模電機店、池田電機の次男坊、池田渉君。今年からこの高校の一年生」

「よろしく」

ボソボソと挨拶をされ軽く頭を下げられた.

「ああ、よろしく。知り合いなのか?」

「えとね、電機屋バンドの関係で」

またそれか!


「でも渉君はホントすごいよ。ギター上手いしアレンジも上手いし」


となると、心配なことがある。

「君、いいのかい? ここは軽音部じゃなくて囲碁将棋部なんだけど」

畑中にそれだけ言わせるほど上手いのなら、軽音部の方が待遇もいいだろうし、何よりここにいたら将棋か囲碁を勉強しなきゃいけない。一応囲碁将棋部としてのけじめだ。

「……話は聞いてます。軽音部だと、たぶん普通にコピーして終わりそうだから。アレンジの勉強には、こっちの方が面白そうだし」

本当にボソボソ話す子である。


「いや、僕は初心者なんだけど?」

「アキラさんが保証するなら大丈夫だと思う……」

僕は思わず畑中をにらんでしまう。

でもその畑中は渉君が来てくれたことが嬉しいのか興奮して……なんで踊ってるんだ? 踊りだした畑中である。


「おい畑中!」

「うんうん,私が見初めた持田君ならダイジョブ。渉君いいこと言うねー」

さすがに大声を出した僕に対してニッコニコで応えてくれるのだが、いったい何が大丈夫なのかはっきりしない。




そしてもう一人。

「あのぉ、ここ囲碁将棋部でいいんですか?」

入り口の引き戸から女の子の声が聞こえるなり、

「やったー!」

今度は声を出してガッツポーズした畑中である。ダメだこいつ。


「うん、囲碁将棋部なんだけど……バンドのだよね?」

僕が渋い顔をしながら入り口まで歩いていって、一応確認する。

やっぱりこちらも見ない顔だから、新入生らしい。


まだ新しい制服になれていないのだろう、ちょっと糊が効きすぎた固い制服に身を包んだ、ショートカットの優しそうな顔をした女の子だ。


その子が不安げな顔になった。

「え、バンドですか?」

「違うの!? よっしゃ!」

その女の子が訊き返してきたものだから、今度は僕が、畑中のチラシとは全く関係なく囲碁将棋部に入部しに来た子がいるよ!と小躍りした。

ただし畑中とは違って心の中だけだけど。


「あの、バンドじゃなくて、青春ラブソングとか……」

不安そうなのに、最後の『青春ラブソング』だけは、少しはっきり言った。


僕の心の踊りは止まった。

すっかり意気消沈してしまった僕の後ろから、畑中が声を上げる。

「そうそう、ここでいいんだよー!」

がっくりした僕である。




「あの、私歌が好きで弾き語りとかしたくて」

とりあえずそこら辺に転がっていた椅子に座らせると、女の子からそんな言葉が出てきた。

音量は控えめなのに、語尾がちゃんとこちらまで届く声だった。


「お、いいねいいねー。ギターボーカルにぴったりじゃん」

畑中が嬉しそうに声を上げる。

「それなら軽音部……」

僕が口をはさむも、

「あそこの人達、なんか怖いです……ロックって怖そうだし」


僕も畑中も「ロックの人」のはずなんだけど、軽音部にいるような、頭を逆立てて金属アクセサリを着けたような連中と同じだとは見られていないようだ。

これは喜ぶべきなのだ。それともオッサン臭いということで悲しむべきなのか。


もちろん、軽音部はそんな生徒ばかりではない。どっちかって言うと見た目も真面目な子が多い。

ただ、入学式の後の講堂での部活紹介。アレが悪かったに違いない。


「なるほどねー。うんダイジョブダイジョブ。ここも一応バンドだけど、ああいう風にはならないから」

「私の好きそうなのできますか?」

「今ね、ポップでキッチュでキュートなラブソングやりたいと思ってるのよ」

「うわぁぴったり! あ、私は美土里京子といいます」

「京子ちゃんねー。私は二年の畑中アキラ。アキラで良いよ」

そう言って、畑中は振り返る。


「あっちのギター弾いてるのが渉君、京子ちゃんと同じ一年生」

既に奥の椅子に陣取って、ギターを取り出して生音でアルペジオを弾き出していた、渉君を紹介する。


「こっちは私と同じ二年の持田君。このバンドのリーダーだよ。でもって囲碁将棋部のエース」

「うわぁすごいですねぇ。将棋とか囲碁ってかっこいい」

「でしょでしょ。将棋やってるなんてポイント高いよねー」

まだ将棋を指せないはずの畑中が得意気に言う。


「で、将棋ができる女子高生なんてかっこいいじゃない!」

「いいですね。私達もやりましょう!」


いつ僕がリーダーになったのかはわからない.だけど,女二人の会話が延々と続くと話に割り込みようもない.

それでも畑中がちゃんと将棋をやることを勧めてくれたのは、ちょっと意外だった。


そして将棋を格好いいと言ってくれる女の子がいるということに、ちょっと感動した。


女の子二人の会話にあてられどうにも所在がなかった僕は、男の仲間を探そうと部屋を見回した。

その渉君は、アルペジオを止めて、脇の机の上に広げた何かメモみたいなものを取っていた。

コードらしきアルファベットと、矢印と、よく分からない記号が並んでいる。


「渉君、改めてよろしく。何やってるんだ?」

そしたら渉君はこっちをみないで、ぼそっと返事をしてくれた。


「……ポップでキッチュでキュートなラブソングを作ってます」


「え、もう? ていうか作曲できるの?」

「もう一人は初心者みたいですし、とりあえずの練習するにも初心者向けの曲は必要でしょう」

「すごいな、君」


よくもまぁ、そんなに簡単に作曲なんて、できるもんである。


それにしても男子高校生であるところの渉君に、果たして畑中や京子ちゃんが望むような、えーと……ポップでキッチュでキュートなラブソング……とやらが作曲できるのだろうか。


渉君は作曲作業のようなものに没頭しているので、邪魔してもいけないだろう。やっぱり所在がない僕である。


そんな僕を救うように、

「じゃあとりあえずこれに記入してくれ」

結構ドスのきいた声が入り口から聞こえてきた。


いきなりぬっと入ってきた杉宮が、何かが記入された紙を二枚突き出す。

「え?」

京子ちゃんが杉宮を見て固まってしまった。

声も顔もガタイも怖いからしょうがない。


でも中身はフレンドリーなやつだから、あまり悪い印象を持って欲しくはない。


「ああ,こっちは囲碁将棋部の部長の杉宮。バンドはやらないけど一応囲碁将棋部の中で一番えらいということで」

僕が説明して、ついでに、杉宮にも確認を取る。

「杉宮、話はわかってる?」

「入ってくる時に聞こえた。君らは一応囲碁将棋部の部員ということでいいんだな?」

京子ちゃんが、ちょっと不安げな顔ではあるが頷いた。

渉君は、こちらは普通に頷く。


そしたら、杉宮は、ガタイのイイ男のニッコリ顔を京子ちゃんに見せた。

「じゃあ囲碁将棋部へようこそ。よろしく。バンドもいいが一応将棋もやってもらうぞ」


「はい」

素直に頷く京子ちゃんと渉君。


「でもまぁ今日は初日だしいいだろう。別に囲碁将棋部には守らなきゃならないような決まりはないしな。がんばって高校生活を充実させてくれ」

杉宮は朗らかだ。


「ほんとに決まりはないんですか?」

恐る恐る京子ちゃんが訊くけど、杉宮の回答はあっさりである。


「一応、部活は毎日一時間、というのは決まりかもしれんな」

おい、いいのかよそれで。

「はい!」

「はい!」

畑中が元気に声を上げる。

京子ちゃんもそれにつられて声を出した。


渉君は……しらけてないことを祈りたい.


僕は嬉しそうな畑中に一年生のお守りを頼む。

「ま、そっちは畑中にまかせるよ。僕と杉宮は毎日恒例の対局だ」

「わかってるよ持田君。ファイトでど根性で勝利を掴むのだ」

と文化系部活動にあるまじき応援をしてくれた。





書き込まれた入部届を横において,しばし将棋盤の世界に没頭する.

ドラムを叩いているのもすごく楽しいが、やっぱり将棋を指すのも最高に楽しい.

たぶん質の違う面白さなんだろう。

究極に思考を加速させていける将棋、リズムにたゆたうようなドラムの演奏。どちらも楽しいものだ。


でも……。

「お前、なまってるな」

杉宮がちょっと眉をひそめながら言った。


こちらの玉には、どう見ても詰めがかかっている。

受けなければ負ける。

なのに、その受けが見えない。


「うーん、確かになまってるかも。でもちょっと待ってくれ。あと一分くれれば……」

なまっていることを認めざるを得ない僕である。


ふと、隣から手が伸びてきた。

渉君が、僕の駒台から一枚、駒をつまみ上げる。


「いや、対局中に横から打つなよ」

そう言いかけた瞬間、その駒が盤上にぱちりと置かれた。


「……うぁ!」

「……おぉ!?」


その一手で、こちらの玉の詰めろが消えた。

それどころか、次にこっちから杉宮の玉へ手が伸びる筋まで見える。


僕と杉宮は一斉に声を上げてしまった。


「渉君……指せるの?」

「……指せるってほどじゃないです。爺さんと親父の相手で、受けだけ仕込まれたんで」

相変わらずボソボソと喋るが、それでもちょっと嬉しそうだった。

「でも初心者ですよ。多分持田先輩がなまってるだけかと」

……がっくりうなだれてしまう。下級生にまでなまってるとか言われた。


でも渉君が指せるというのは、囲碁将棋部的にもメンツが立つ。

「渉と言ったな。将棋も指せるとはナイスだ」

ぐっと親指を立てて、ウィンクしてみせる、ガタイのいい武術家、杉宮である。


「………嫌いじゃないです。だから囲碁将棋部は願ったりかなったりです」

ボソボソと応えた渉君は囲碁将棋部であることを、本当に残念に思っておらず、むしろ歓迎している様子。

こちらとしてもそれは嬉しい。


「そりゃ良かった、で?」

介入してきたということは、なんか用事があるのだろうか?


「一曲できたので、ミーティングやりませんか?」

「え? もうできたの?」

僕は驚くけど、渉君は何でもないことのように後ろを向けて部室の中央にあるテーブルに向かっていった。


そちらから嬉しそうな畑中の声が飛んでくる。

「ねぇ持田クーン、すごくいい曲だよ。もうらぶらぶー」

なにがどうらぶらぶなのか。


しかし今は対局中である。いいのか? と杉宮を見る。


とはいえ、今のは実質僕の負けだった。

渉君の一手で盤面は助かったけれど、対局としてはもう終わっている。杉宮もそれを理解しているらしい。


「うむ、今のはお前の負けでいいだろう。俺も、この入部届を生徒会執行部に回してこなけりゃならんしな」

杉宮はそう言って、傍らの入部届二枚を掴んで立ち上がった。

部長である杉宮にとって、部員が増えるというのは、単に仲間が増えるだけではない。

全生徒組織としての生徒会に、囲碁将棋部は今年もちゃんと活動しています、と届け出るための案件でもあるのだ。



杉宮が部室を出ていくと、僕らは中央のテーブルに集まった。

渉君が作ったばかりの譜面を広げ、畑中がギターを借りて、つっかえながら歌ってみせる。

そして、畑中が歌い終わる。


「……この歌詞も渉君が書いたの?」

「ええ」

渉君の何とはない肯定の返事に、僕の方は思わず絶句である。

一度読んだはずの京子ちゃんも、顔をうっとりさせながら、もう一度その歌詞のノートを読んでいた。

つっかえながら歌っていた畑中も、うっとりしている。


歯が浮くような、少女漫画のような歌詞である。

それが渉君がさっき弾き語ってくれた可愛らしいメロディに載るというのだ。

そりゃあ女の子二人はうっとりもするだろう。

たとえ中身がロック好きのオッサンであるところの畑中でも、その根っこが女の子である限り。


既に職員室の脇にある印刷室で、人数分コピーされてきた五線譜と歌詞。

楽譜は歌のメロディ・コードと決めパターンのみが記された非常にラフなものだけど、畑中や渉君に言わせると、これが普通なのだそうだ。


とはいえ、京子ちゃんと僕は初心者な訳で、その程度の楽譜も読めない。それで畑中に弾き語ってもらったのだ.

「とてもいい曲ですよ!」

京子ちゃんは手放しで褒める。

ギターボーカル志望で入ってきて、いきなり自分のためのオリジナル曲を作ってくれたんだから、そりゃ感動もするだろう。

でも、その後、

「こういうの、私が歌っていいんですか?」

歌詞の紙を両手で持ったまま、少し信じられないような顔をしていた。


「とてもいい曲……チャットモンチー的な?」

畑中が名前を口にしたバンドには記憶がある。

それって今時のバンドだよね?と確認をしたら、もう十年以上も前に解散してるよ、って畑中に教えられてしまった。


「うーん、どっちかっていうと、もっとストレートなビートだから、初期のししゃもかな」

渉君が、説明する

「初心者二人なんで、ポップでキッチュでキュートなラブソングを目指すにせよ、基礎の習得のためにシンプルなガールズロックから始めようかと」


「ししゃもって何?」

「アキラさん知らないの?」

ししゃもというのもバンド名らしいけど、僕も知らなかった。


「これだからおっさんロックしか知らない年寄りは……」

と渉君がボソッと言った。


「だ、だから、ポップでキッチュでキュートなラブソングをやろうとしてるんじゃない!」

畑中が言い返すも、今時のバンドを知らないのは事実なんで、強くは言えない。僕も。


気を取り直せば、

ここに記された決めパターンをベースにして、これから各パートのアレンジをしていくらしい。

「でも、僕は初心者だからアレンジとかは」

「ダイジョブ、ドラムについては私も一緒に考えるから。なんたってベースはドラムの女房役だからー」

不安に思って言い出した僕に、畑中が協力を約束してくれた。

なんかやたら嬉しそうである。


「で,やっぱり京子ちゃんは弾き語りの方がいいと思うんだよねー」

「はい、私ギター弾きながら歌いたいです!」

京子ちゃんが嬉しそうに乗っかってきた。


「ボーカルはまぁ何とかなると思うから……渉君、京子ちゃんにギター教えてくれる?」

渉君が、畑中の方を見た。

「私の持ってる中で軽くて弾きやすいテレを一本貸すから。京子ちゃんのパートも考えてくれたらいいかな。ストロークのリズムが簡単なの」

渉君が頷く。

「とりあえずローコードから始めて、合わせられるようになってから、エレキのハイコードへの響きのアレンジ……そういう練習のための曲でしょ?」

確信があるように、畑中が渉君に確認をしていた。


どうやら僕と京子ちゃんの練習のためだけに、この曲を作ったらしい。

それでこれだけいい練習曲、エチュードなんだから、渉君は凄い。


「それじゃ当面の予定は、渉君京子ちゃんペアが京子ちゃんのギターの練習。私と持田君ペアが持田君の練習とリズム隊のアレンジって感じで決まり!」

パチパチと手を叩く畑中。京子ちゃんもつられて手を叩いていた。


おい、僕がリーダーと言っていたのはどこのどいつだ。

ぼかぁ、なんも決めてないぞ。

とはいえ、ことバンドに関して、僕が決められることなど何もないのであった。


こうして、囲碁将棋部は、将棋を指す部活でありながら、ポップでキッチュでキュートなラブソングを練習する部活にもなってしまった。

何を言っているのか自分でも分からないが、事実だから仕方ない。

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