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九月・昼

合唱部有志のゴスペルグループが終わった後、杉宮のDJタイム。

軽音部のスタッフが、合唱部が使ったマイクスタンドと、伴奏に入った電子ピアノを、ステージ奥に捌けている。


ステージの上手袖から僕と畑中はそれを見ていた。


十一時半を回って、模擬店目当てに近所の人たちが昼飯がてら校門から入ってくる時間帯だ。

つまり、校門の目の前にあるこのメインステージには、人が集まりやすい。


そして次は僕たち、囲碁将棋部バンドだった。


大トリには、軽音部のメインバンド? レギュラーバンド? 要するに一番上手いバンドを置くことは、文化部連合では一致していたらしい。

じゃあ次に目立つ所は……大トリの前、そこに……そう、囲碁将棋部のバンドではなく棋譜コントが入った。


となると次に良い場所は、やっぱりこの人が入ってくる時間帯だろうということで、まとめ役をやっていた渉君が囲碁将棋部バンドをぶち込んだのだ。




杉宮は、僕たちに繋ぐ最後の盛り上げに入っていた。


渉君と京子ちゃんは、渉君の主導で杉宮のDJブースにある機材にヘッドフォンを繋いで、何かを確かめている。

ステージ下からは見えないようにかがみこんだ渉君がヘッドフォンを頭から半分外し、同じくかがんでいる京子ちゃんにマイクを渡したのが見えた。


だから、今、ここにいるのは、畑中と僕だけだった。


「持田君」

横に立っていた畑中の手が、僕の手に触れる。

「なに?」

「あのさ」

一瞬、手を握られるかと思春期男子っぽい想像をしたのだけれど、そうではなかった。


畑中は、小指だけを、僕の小指に絡ませてきた。

「……」

畑中は黙っているけれど、僕の頭の中には、


――私のための持田君になって


畑中が前に言っていた言葉が響く。

だから、この今、畑中が小指だけ絡ませてきたのが、何の意味か、僕には分かった。


『ちゃんと終わらせて、その後はロック』、それをもう一度約束したい。

そういうことなんだろう。


畑中の小指が、僕の小指をひっかけるように曲がる。僕もほどかずに、小指を軽く曲げた。

それはちゃんと畑中に伝わったような気がした。


しばらくそのままでいた後、畑中が、絡ませた小指同士を、軽く、ゆすった。


『指切りげんまん』……針千本……

そんなフレーズが頭の中でリズムを刻む。

畑中にしては、ずいぶん色っぽい『指切りげんまん』だと思った。


畑中は、小指を、パッと離す。

その顔の口角が、ちょっと上がったのが、横にいて同じくステージの方向を見ている僕にも、なんとなく、ではなく、分かった。




身をかがめたまま、渉君と京子ちゃんが上手袖に戻ってきた。


「何だったの?」

と畑中が訊くと、

「マイクとモニタの確認……美土里さんの耳」

渉君が自分の耳を指さして見せた。


僕もクリックを聴くのにイヤフォンを使っているけれど、それよりも遥かに上等そうに見えるものを、もう両耳に着けていた。

渉君が言っていた、どんな状況でも確実に自分の歌が聴こえる仕組み.

こういう野外ステージで、しかも初心者には、とても重要らしい。


その上等そうなカナル型イヤフォンを、渉君は『イヤモニ代わり』と呼んでいた。

本物のプロ用みたいに耳型を取るものではなく、中古で五千円ぐらいだったらしい。

それでも、普通のイヤフォンより耳にしっかり入って、こういう野外ステージではずいぶん違うのだという。


京子ちゃん、この四月からギターは買うわ、マイクは買うわ、イヤフォンは買うわ……このバンドのために散財しっぱなしなんじゃないだろうか。

でも、それだけ楽しいってことなんだろう。

そう思ってもらえたなら、何より。




その時、杉宮が仕上げとばかりに、曲の終わりへ向かってフィンガードラムの高速フレーズを叩き始めた。

客席の熱がひとつ上がる。

それを見て、渉君が僕たちを振り返った。


「行きましょう」


一応学年が上のはずの僕と畑中が、それに頷く形になった。


その直前、京子ちゃんが畑中とちらっと視線を交わしたのが見えた。

畑中は、京子ちゃんにも少しだけ笑ってみせる。

京子ちゃんは、そんな畑中を見て、にっこりした。


僕らがこそこそステージに上がって準備を始めた間も、杉宮のフィンガードラムは途切れない。

場を持たせている、というより、このまま次の曲へ客の耳を引っぱっていく叩き方だった。


その裏で、僕らはできるだけ音を立てずに動く。

京子ちゃんはマイクの位置を確かめ、渉君はケーブルを見て、僕はスローンの位置を最後に半歩だけ直した。


客席から見れば、まだ杉宮のパフォーマンスの途中だろう。

ステージの上で何人かが動いているのが見えても、せいぜい「次の出演者がなんか準備してるな」くらいのものだ。


でも、こっちではもう始まっていた。

杉宮が詰めているビートの隙間に、京子ちゃんの歌が入る位置。

その頭で僕が落とす一発。

そのさらに奥で、畑中のベースがどう滑り込むか。


畑中の小指の感触は、もうとっくに離れている。

それでも、さっきの無言の約束だけは、妙にリズムみたいに残っていた。


今は、まずこっちだ。

杉宮が作ってくれた流れを切らずに、京子ちゃんを前へ出して、渉君の曲をちゃんとバンドの形にする。

その先のことは、そのあとでいい。

いや、あとでやるからこそ、今はきっちりやる。


杉宮がこちらを見ないまま、右手の刻みだけ、ほんの少しだけ緩めた。

合図だった。


そして、二拍三連符でしっかり置かれた電気的なスネアの最後の音が、宙に消えた。


その直後。


「さぁぁぁぁぁぁぁ」


京子ちゃんの最初の声が、子音だけ鋭くスピーカーを掠めた。

そのあとに続く音は細く、少しかすれていて、でも不思議なくらいまっすぐ前に伸びた。


ステージの周りが、一瞬だけ静まる。

渉君が考えた演出だった。


万が一にもマイクがオフになっていたら、この演出ができなくなる。

だから最後に、イヤモニだけじゃなくマイクのチェックもしたんだろう。

そのぐらいには、僕は冷静だった……熱くなるな、と自分に言い聞かせる。




静まった会場に、京子ちゃんの澄んだロングトーンが、伸びる。

そして、細くほどける所で、僕の左耳にクリックが入った。

これは杉宮から僕へのパスだ。


なぜか、ワンツースリーフォーという杉宮の声のカウントが入っていた。クリックの音に仕込んでいたらしい。

お前な。


でも、杉宮の声の導きに合わせて、僕はクラッシュを思いきり叩いた。

キックを踏み込み、スネアを返す。

たった一発で、さっきまで杉宮が繋いでいた空気の主役が入れ替わる。


ここからは、僕たちの曲だ。

僕の一小節のドラムフィルをカウント代わりにして、畑中のベースが滑り込む。


渉君の細かい粒度の歪ギターが、その上を速く刻み始める。

畑中の粗い歪とは違う、均一で、少し冷たい光みたいな音だ。

でも、その一見冷たそうな刻みは、渉君がプログラミングしたシンセと重なると、なぜかポップになった。

そういう計算は、僕も畑中もできないから、渉君の独壇場だ。


僕も右手を、左足を踏み込んだハイハットに戻した。

響かせるのではなく、短くタイトに刻む。


速い。けど、走らない。

ちゃんと前へ進む速さを保つ。


京子ちゃんの声から始まって京子ちゃんの歌に渡すこの曲のイントロは、派手にやってはマズい。

歌いやすいリズムを、きちんと整える。

渉君が作ったタイトなリズムの上に、載せる。


それでいて、いい歌が出てくるように、煽らなきゃいけない。

この曲の畑中のベースの動きは、あらかじめ作ったものなのに、練習の時と、その煽り具合が全然違っていた。

『京子ちゃん、おいで』、そう言っていた。


四小節目の終わりにはもう、誰が前に立っていて、誰がそれを支えるのかが、はっきり見えていた。

もう一度四小節を繰り返して、京子ちゃんが半拍食って、歌い出した。




――始めよう 一限目のチャイムより早く 胸の奥が鳴っている


その声は、文化祭の昼に似合っていた。

まず、キャッチーな曲で掴む。渉君の演出プラン。


まだ何も終わっていないよ。

まだ何だって始められるよ。

そういう、高校生らしい無責任さで、だからこそ可愛い歌だった。


Bメロに入ってからは、京子ちゃんが歌い続けながら、ゆっくりとしたシンコペーションの単音バッキングを弾き始める。

刻みは渉君に任せて、その上をゆっくりと動く。

こんなバッキングを歌いながらよくできるなぁと僕は思うんだけれど、京子ちゃんにとっては、こういうギターの伴奏は歌と一体化したものなのかもしれない。


そのシンコペーションを聴きながら、二拍目と四拍目にスネアを置くたび、京子ちゃんの声が少しずつ前へ出てくる。

畑中のベースはその下で、跳ねすぎない程度に弾む。

渉君のギターは、歌の後ろで光る線みたいに細かく残る。




サビ、京子ちゃんのギターが二拍のパワーコードに変わる。

それだけで曲全体が、Bメロのちょっと立ち止まった感じから、再び前へ走るイメージに移る。


――きらきら、走れ

風を追い越して

スカートのすそが跳ねるくらい


今すぐ、走れ

名前のない気持ち

ポケットの中で光ってる




『歌詞は、自分に正直なだけじゃダメのような気がする』とは、畑中が京子ちゃんにアドバイスを求められた時に言っていたことだ。

畑中は『私は歌のことはよく分からないけど』と前置きしつつ、『聴いてる人が持ってる願望を引き出すのも、アリなんじゃないかな』と続けていた。


この一曲目は、渉君がひたすらポップを念頭に置いて書いた曲だと言っていた。

歌詞はキッチュかもしれない。もしかしたらキッチュすぎるかもしれない。

でも、それが、高校の文化祭という場にいるお客さんの、願望かもしれない。


この歌詞を書いて歌っている京子ちゃんは、その願望を少しだけ見せている。

そんなことを、僕は考える。




一曲目は、あっという間にエンディングだった。


渉君のギターが裏拍を短く刻む。

畑中のベースがそれにユニゾンする。

僕は、表拍にバスドラ、裏拍にスネアを入れる。

京子ちゃんが、踊るように跳ねながら、ストロークをする。


四小節の後、渉君のギターが、上からグリスダウンしてきて、最後の音を鳴らした。

一曲目なので、しつこくはしたくない。

歌詞にふさわしく、明るく、さっと前に駆け出していくように終わりたい。


ダダッとスネアを短く連打して終わった。


間髪を入れず、ちょっとテンポが遅い、電気仕掛けのバスドラだけの四つ打ちフレーズを、杉宮が入れてきた。

そのバスドラに乗って、京子ちゃんが、明るい声でMCを始めた。




「囲碁将棋部バンドでーす!」

やっぱり、囲碁将棋部バンドは正式名称だったらしい。


「囲碁将棋部は、夕方の大トリの軽音部メインバンドの前に将棋コントやるんですが、その前に出てきちゃいました!」


ステージの周囲の模擬店や校舎の窓から見ている生徒達から、どよめきが上がった。

てっきり軽音部の中のバンドだと思っていたようだ。


「今日のメインステージのDJを紹介します!」


打ち合わせには出てこなかったMCが入って、ちょっと驚く。


「囲碁将棋部の敬愛すべき部長、二年、杉宮先輩!」

おおおお、とメインステージの周りが沸いた。

「今日は朝から、ずっとステージを盛り上げてくれてます!」

歓声を受けて、僕が一曲目の終わりに叩いた、スネアの『ダダッ』というフレーズを、今度は杉宮が電気仕掛けスネアのフィンガードラムで鳴らした。

野郎、パクりやがったな……そう心の中で笑う僕である。


そして、杉宮は笑いながら、右手の握りこぶしを、青空に高く上げた。


「杉宮、かっこいいぞ!」

模擬店の方から上がったその声は、女の子だったら良かったんだけど、実際は野太い男の声。

そちらを見ると、柔道着を着ている男ども……多分柔道部だった。

朝からはメインステージの設営と、開場してからは渉君のサポートにかかりきりで、まだゆっくり見てはなかったけど、その後ろにある看板を見れば、柔道部はかき揚げ餅を売ってるらしい。

渋い趣味だ。

多分衛生的に許可が出やすいからなんだろうけど。


そして、四つ打ちのビートが鳴り続けたまま、

「えー、業務連絡です」

いきなり京子ちゃんが言い始めたものだから、DJ紹介以上に僕は驚いた。畑中も呆気にとられている。

見れば、京子ちゃんは、下手袖から何かのメモを渡されていた。


「生徒会書記の下倉さん」

ダダッ!

「至急生徒会室に戻れとのことです」

ズンダダダダ!

「生徒会長がお怒りのようです!」

ズダダラズダダラ、カコーン!


京子ちゃんの言葉に対して、律儀に杉宮がフィンガードラムを入れていく。一見コミカルなフレーズだったけど、ちゃんとしっかり四つ打ちの上に乗っている。

京子ちゃんの『怒ってますよ』って感じの声真似も相まって、とても楽しい。

大きな笑いが起こった。


もしかしたらこれも、杉宮を格好良く見せるためだったり、ウケを狙うための仕込みだったのかもしれない。

メモに本当に書いてあったのか、渉君の演出なのか、はたまた京子ちゃんと杉宮の即興なのか、僕には分からない。

ただ、生徒会長が怒っていそうなのは、妙に説得力があった。


もちろん、囲碁将棋部の部員募集のための宣伝でもある。

でも、そういう風に、紹介されて格好をつける杉宮が、とても眩しかった。

角刈り頭に胴着に袴。晴れ舞台だ。


「そして、今日のメインステージは文化部連合でお送りしています!」

京子ちゃん、そんなことまで言うのか。

「合唱部副部長、三年佐藤さんがリーダー、囲碁将棋部の一年池田がサブリーダーを務めています!」

思わず僕も渉君を見れば、渉君も驚いている。


京子ちゃんが渉君を出し抜いて、演出に盛り込んでしまったらしい。


「夕方までお楽しみください! では二曲目」


四つ打ちのテンポのまま、シンセピアノのバッキングフレーズを、杉宮がスタートさせた。

同時に僕の左耳にも、クリックが走り始めた。

それに合わせて、僕はペダルハイハットを、踵だけ上げて落とす感じのキレを大事にして、二拍目と四拍目に入れていく。





一曲目が走り出す曲なら、二曲目は少し歩く曲だった。

ただし、ただ遅くなるわけではない。

足元のビートは残ったまま、上だけ少し夜に近づく。


オケのシンセピアノが『付点四分、付点四分、四分』のシンコペーションバッキングを複雑なコードで刻む中、渉君がギターの音を甘いクリーントーンに変えて、イントロのソロを弾き始めた。

スタッカート気味にルートだけを弾く畑中が支える。

京子ちゃんのこちらもクリーントーンに変わったギターは、遅めのストロークの白玉だけ。


『やっぱりネオソウルとかジャズっぽいのも必要でしょう。流行だから』

という渉君の提案で入ったこの曲は、いわゆる八十年代のシティポップに近い。

だけど、あの時代っぽい、スウィングが少し揺れるシックスティーンビートではなく、渉君はイーブンのエイトビートに拘った。


『女子高生ギタボが歌って、女子高生が聴くんですよ!?』

普段ボソボソと喋る渉君が、そこだけは強く主張した。

歌が難しいとかではなく、純粋に『オッサン趣味は排除したい』ようだ。


なので、畑中と一緒に頭をひねった結果、基本はスネアだけでフレーズを作り、二拍四拍にペダルハイハット、要所要所だけライドシンバルをピアニッシモで入れる、というジャズやブルースのビートを、無理やりエイトビートに直したドラムアレンジになった。

それが、京子ちゃんの歌がいきなり上手くなったことで、活きることになった。


でも、一か月前の録音からこっち、特にスネアは本当に大変だった。

京子ちゃんの歌の抑揚を全部スネアに反映させる。細かいフレーズなのに一音一音タッチを変える。

そのレベルが必要だった。


――まずは練習パッドの音だけで『聴ける演奏』を作って。


という畑中の要求に応えるために、ひたすら京子ちゃんの歌の録音を聴きながら練習パッドと格闘した。


京子ちゃんがマイクに近づいて、吐息と共に声が流れ始めた。

一曲目より、低くて、近くて、ノイジーな声だった。


――信号が変わるまで

きみの横顔を見ていた

夏の終わりにはまだ早いのに

風だけ少し大人びていた


『大人への憧れはあるんですけど、根っこでは女子高生的な感覚を大事にしたいんです』という京子ちゃんの詞。

その歌い方に合わせて、僕のスネアも歌わせようと、丁寧に気を遣って、一音一音置いていく。


畑中がこっちを振り返って、ニヤリとしたのが分かった。

僕のドラムはなんとか、間に合ったようだ。


スネアのフレーズを丁寧に叩こうと思うと、どうしてもテンポが遅れてしまう。この曲は重くなってバラードに近づいてはいけない。

だから、渉君の『バスドラはオケに任せましょう』には飛びついた。

左耳のクリックと、ステージ前の転がしから届く杉宮の手元で鳴らされている電気的なバスドラム。

その二つが、僕の足元を代わりに支えてくれる。


だから僕は、スネアだけを少し自由にできた。

自由に、でも静かに、遅れずに。京子ちゃんの歌を全部受け止めて。

夏休み中の物理の復習が多少おざなりになってしまったものの、そんなことを考えながら叩けるようになった僕である。




Cメロの盛り上がりを経て、三回目のサビの終わり。

京子ちゃんが吐息交じりのロングトーンを、高いところで伸ばす。

エンディングに入る。


畑中のベースソロが、スライドを盛り込んだ、ゆったりとしたフレーズで入ってくる。ゆったりとしているけどちゃんとタイト。変に揺らさない。

下の音域から上まで、階段をゆっくり上るように盛り上げていく。

それをサポートするように、ライドシンバルをピアニッシモで四分で刻む。


「ベースかっこいい……」

どこからかは分からないけど、そんな女子生徒の声が、この音の中でなぜか聞こえた。

うん、畑中はかっこいい。かっこいいぞ。


そしたら、畑中は調子に乗ったのか、スライドだけじゃなく高音域でチョーキングまで始めた。

それはさすがにやりすぎかもしれない。

せっかく女子がかっこいいって言ってくれたのに。


ベースソロ八小節の最後の一小節、杉宮がゆっくりオケとクリックのテンポを落としたのが分かった。それに合わせて慎重に、最後のライドシンバルに短いロールを入れる。


ふぅ……何とか一番難しい曲を終えることができた。


「ありがとうございました。ギター、一年生、池田君! ベース、二年生、アキラ先輩! ドラム、二年生、持田先輩!」

京子ちゃんのMCが入る。

全員の見せ場が入っているこの曲の後にメンバー紹介をする、それは決めていたけど、内容は京子ちゃんにお任せしていた。


そしたら京子ちゃんは、名簿的に名前を紹介するのではなく、あくまで囲碁将棋部のメンバーとして、京子ちゃんの視点で紹介してくれた。

それはちょっと嬉しかった。


すぐに、ゆったりとしたシンセストリングスを、杉宮が入れる。

イントロのコード進行を、ゆったりとストリングスだけが、繰り返し続ける。




「私たち、今日は全部オリジナル曲なんですけど……三曲目は、とても大事な曲になりました」

ストリングスの静かな進行を聴かせながら、京子ちゃんがそのままMCに入った。

「初めて、私が先に詞を書いて、池田君に曲をつけてもらいました」

京子ちゃんは、そこで少しだけ息を吸った。

「ちゃんと終わらせるための曲です」


それを言ってから、京子ちゃんが明るい声に戻った。

「あ、実はこの囲碁将棋部バンド、この文化祭のためだけの期間限定バンドなんですよ」

僕たちの雰囲気がしんみりして、観客がついてこれなくならないように、明るく。


「今年のメインステージは、囲碁将棋部がちょっとだけ音頭を取らせてもらったので、来年は美術部と書道部にお願いしたいですね!」

えー、と声が上がったけど、

「美術部・書道部スペシャルバンドも込みで!」

京子ちゃんが無茶ぶりをする。


客席から笑いが起きた。

その笑いが、シンセストリングスの上にふわっと乗って、少しずつ静かになっていく。


なるほど、そういう風に高校の文化祭の伝統を作っていく、というのも面白そうだ。

もちろんクラスの出し物や模擬店も盛り上がるだろう。でも運動部とは違って普段目立たない地味な文化部の、晴れ舞台でもある。

『このバンドは、そういう文化部連合を盛り上げるためのものだった』とは、完全に後付けではあるけれど、でも良い後付けだとも思った。


京子ちゃんは、笑わせた。

そのうえで、ちゃんと自分の歌へ戻ってくるつもりだった。


「では、『手を振る歌』……」

一曲目と二曲目は曲名を言わなかったのに、この曲に関しては京子ちゃんがちゃんと曲名を言った。


――これは曲名も入れて、京子ちゃんの歌の世界なんじゃない?


畑中がそう言ったからだ。


クリックが左耳に入ってきたけど、最初はドラムは入らない。

京子ちゃんの耳にも、クリックは行っているはずだ。


――近くにいるほど

遠くが見えた

あなたの耳は

私の声を聴いてくれたけど


ストリングスだけで京子ちゃんが歌い出す。


――あなたの奥で

鳴っている音は

私じゃなくて

隣で笑う誰かのリズム



ここで一度ストリングスが止まる。クリックも止まる。

静寂がステージを支配する。


『ここでどのぐらい引き延ばすのかは、その場に任せたいんです』とは渉君の弁。

『どこで進むかは持田君が決めて。杉宮君は持田君の顔色を読んで』とは畑中の弁。


京子ちゃんの歌の余韻を十分に感じてから、クラッシュシンバルをピアニッシモで、ほとんど空気だけを揺らすようにロールする。

杉宮がBメロに向かうクリックを出してきて。

最後の四拍目だけ、畑中と渉君にちゃんと分かるように、でも静かなスネアとタムのフィルを入れた。


Bメロ頭、最初の拍、僕がクラッシュを綺麗に鳴らしたのと同時に、畑中と渉君が、静かに、でもはっきりと入ってきてくれた。

よし、上手くいった。


――それでもよかった

少しだけでよかった

同じステージの 光の中で

名前を呼ばれたなら


京子ちゃんの歌が、上へ伸びる。


Bメロの終わり、サビに向けての一小節のブレイク。

ブレイクの頭を一拍空けて、畑中のベースが下からグリッサンド、そして、京子ちゃん自身がギターをジャジャッとかき鳴らした。



――手を振るよ

ちゃんと笑って

この歌が終わる前に

泣かないように


手を振るよ

届かない場所へ

ありがとうも好きも言わずに

私は私の声で行く




京子ちゃんがサビを歌いきる。

間奏に入ってストリングスが盛り上がる。


京子ちゃんは、大きく息を吸って、吐いた。

そして二番に入る。




ゆったりしたストリングの上に載る、切ない歌詞、吐息、そして歌。

マイクとスピーカを通して、この広場だけじゃなく、校舎にまで届く。


エンディング……最後の音。


――ドラム、サビの最後は、しっかり切りましょう

――この歌詞なら、サビの最後は伸ばさない方がいいです。手を振る歌なので。伸ばすと、未練が残る


渉君の言葉がよみがえる。

すごくいい曲だった。渉君は歌詞を見た時に、この最後が思い浮かんだんだろう。

それだけ京子ちゃんの歌詞には力があった。

そして京子ちゃんは、その歌詞の力を、見事に歌の力に変えてみせた。


なら僕も、ちゃんと最後を演ろう。


自然に、畑中の方に視線が向いた。

畑中も、僕の方を見て笑っていた。


二人でタイミングを合わせて、ピアニッシモでジャッと短く出して、ミュートする。


生徒たちの吐息が聴こえるぐらいの静寂があって、渉君がプログラミングした静かなストリングだけが再び鳴り、そして散った。




杉宮が四つ打ちビートを始める。

生徒たちの緊張が一気にゆるんだように、声が上がった。


「ありがとうございましたー! 囲碁将棋部バンド、ギターボーカルは一年の美土里京子でした! 次で最後の曲です」

今しんみり歌い上げたはずの京子ちゃんのMCが、とても元気だった。


四つ打ちビートに合わせて渉君のダンサブルな裏拍カッティングが始まった。

僕もストレートでシンプルなエイトビートのパターンを続ける。


――手を叩こう


そのフレーズを歌った後に、京子ちゃんが頭の上で手拍子をして見せた。

ずっと同じコードのまま。お客さんがノッてくるのを待つ、そういう作戦。

自然に会場からも手拍子が上がり始めた。


また京子ちゃんは、


――手を叩こう


を繰り返す。

渉君と僕と、そして杉宮が鳴らすループのグルーヴに、畑中が我慢しきれないとばかりに、低音域でのソロを入れ始める。

想定外だけど……多分みんな想定内だった。


京子ちゃんはギターで入らず、畑中を前に出して、会場に高く掲げた手拍子を続けている。


畑中のソロは、ちゃんとタイトなエイトビートなのに、こういうダンサブルな曲にぴったりの跳ね方をしている。

さて、普通は八小節を一回とかだけど、どのぐらい続くか……心配しながら畑中を見る。

畑中の顔は、本当に楽しそうだ。


長引きそうだな……と思いながら、杉宮がいるDJブースを見ると、杉宮がサムズアップをしてくれた。

こいつのおかげで、今年は楽しかった。そう思う。


もちろん渉君のおかげでもあるし、京子ちゃんのおかげでもある。

一年生二人が入ってくれたおかげで、実現したステージ。

僕や畑中が二人でいくら頑張ってもこんなことはできなかったし、杉宮がDJに興味を持つこともなかっただろう。


畑中のソロは長かったけど、やっと顔が上がって京子ちゃんの方を見た。

京子ちゃんが、にこやかに、でも力強く、頷いた。


「いきまーす!!」

京子ちゃんのその掛け声に合わせて、僕はAメロの入口へのフィルインを叩いた。




そういう風に、囲碁将棋部バンドは、終わった。

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