九月・夕方
昼前のステージが終わってから、僕と畑中は、ちゃんと文化祭を回った。
演奏中に気になっていた、柔道部のかき揚げ餅を食べた。
美術部の展示を見て、畑中が「私には分からないけど、これは多分すごいんだよ」と雑な感想を言った。
書道部の大きな作品の前では、杉宮がなぜか真面目に頷いていた。
クラスの模擬店で買った紙コップのジュースは、氷が多すぎた。
もちろん、クラスの方のシフトもこなした。
楽しかった。
しっかり、高校の文化祭だった。
その楽しかった時間が少し落ち着いた頃、囲碁将棋部の棋譜コントの時間が来て、杉宮に確認を取って屋上に上がってきたのだ。
僕と畑中は、二人で並んで手すりに寄りかかって、メインステージの方を見ている。
杉宮の声が、屋上まで少し遅れて届いた。
「ここで先手、三六金」
続いて、渉君の声。
「逃げましたね」
京子ちゃんが、少し芝居がかった声で割り込む。
「金ですか? 金って、普通そんなところに行くんですか?」
メインステージの周りで笑いが起きた。
「美土里女流王将から、もっともなコメントが出ましたが……池田五段、いかがでしょう?」
「逃げの手だとは思いますが」
「この状況での逃げというのは、どういう意図なんでしょう?」
そこで京子ちゃんが、妙に深刻な声を作った。
「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」
どっと笑いが出る。
「美土里女流王将、作品名は出さないように」
杉宮が笑いに追い打ちをかける。
「逃げてばかりだと、あと何手かで詰みますよね」
渉君が冷静ぶって言う。
「つまり、人生、逃げてばかりではいけない」
「美土里女流王将から、人生訓が出ました!」
「これ、対局の実況ですよね?」
渉君の突っ込みが入り、また笑いが起きた。
僕らのバンドは終わった。
でも、囲碁将棋部はまだメインステージにいて、京子ちゃんがちゃんと笑いを取っている。
渉君も、杉宮も、それを受けている。
「終わっちゃったね」
畑中がステージの方をみたまま、ぽつりと言った。
「終わらせたんでしょ?」
僕は、批難するつもりもなく、ただ事実だけを言った。
「そうだね……でも、さ。持田君も楽しかったでしょ?」
その確認の声は、いつものワクワクした畑中のものではなく、やっぱり寂しげな声だった。
「ああ、楽しかった」
僕は頷く。
「本当に、楽しかった」
繰り返して、しっかりと言葉にした。
「よかった」
畑中は安心したようだった。
「あの、さ……」
畑中が言うもんだから、僕はステージから、隣の畑中のほうに視線をやる。
そうしたら、畑中が左手を上げて、小指を伸ばしてみせた。
「これ、約束」
「うん」
バンドのステージ前のことを言っているのは、すぐ分かった。
「どうやって、約束、守ってくれるの?」
おずおずと口にする畑中。
「僕たち、受験生だよね?」
「持田君、いきなり厳しいね」
畑中が口を尖らせる。
「文化部の引退って来年のこの時期でしょ? みんなあと一年は毎日部活やるんだよ」
引き下がらない畑中。
「三年生になっても毎日やってる文化部なんて、コンクールがある吹奏楽部と合唱部だけなんじゃないの? 他は大体、週一回とか、隔週とか」
それは今回のメインステージでの集まりで他の部から聞いていたから、事実だ。
「えー!? それってさ、週イチもなしってこと? ほどんどレスじゃん」
いつもの畑中のアレだ。
だから僕は、二月以来、初めて反撃してみせた。
「演らないとは言ってない。というか、僕も演りたい」
畑中が、一気に真っ赤になった。
「……持田君、今の、どっちの意味?」
「畑中が先にそういう話にしたんでしょ」
言うのは平気なのに、自分が言われるのはダメなのか。
「あの……やっぱりよくない、こういうの」
先に白旗を上げたのは、畑中の方だった。
よし、と、僕は心の中でガッツボーズする。初勝利。
「うん、そうだと思うよ」
その勝利を隠して、流す。
「持田君、優しいのもズルいなぁ……」
畑中はそういって、もう一度ステージの方に顔を向けた。
――私のための持田君になって
畑中が囲碁将棋部バンドを終わらせると決めた時に、僕に言った言葉だ。
それは、決して、悩みと決意の果ての言葉ではなくて。
自然に出たものだった。
少なくとも僕はそう感じた。
だから、メインステージの方を見ながら、僕は続ける。
「畑中、そんなに急がなくていいよ」
「急いではいないけど」
「僕はずっと畑中とロックを続ける」
「……え?」
畑中が息を呑んだのが分かった。
僕は努めて軽く言う。
「さっき、『指切りげんまん』までしたでしょ」
「そうだけど」
「ハリセンボンは呑みたくないなぁ」
「そうじゃなくて」
畑中は、何かを言おうとしているけど、言葉が出てこないみたいで、しばらく黙っていた。
でも結局諦めたように、
「持田君、意地悪すぎる……」
とぽつりと言った。
「そう?」
「そのくせ、イイ男すぎる」
「そう?」
そんなに高く評価してくれるとは思ってなかった。
その瞬間、ぐいと両頬をつかまれて、強制的に畑中の方を向かされた。
「ありがと」
畑中が言う。
「こちらこそ」
と思わず出てしまった僕の口を、畑中が、その柔らかい唇でふさいだ。
「おおっとぉ、これは詰みだぁ!」
メインステージから聞こえてくる棋譜コントが、いつの間にかプロレス実況になっていた。




