【tp33】正直者たちの二十(はち)時過ぎ。目覚めと約束
――No reception but Epilogue――
額に載せられている、生温い重みが離れた瞬間、俺の意識が戻っていた。
まるで蓋を外されたみたいに。
直ぐには口を開けない。口先から、喉の奥底まで干上がって、痛むなんてものじゃなかった。
「気が付かれたようね。具合、相当よくないのよ。⋯⋯水は飲める?」
探るような、硬い声がした。薄暗くても、わかる。ペギーだ。
それと同時に、冷たく滴っていたタオルが、顔を拭ってくる。心地よすぎて、ようやく瞬きを返す。
それを肯定とみなされたらしい。起き上がりかけた背中を、ペギーの右手で以て、そっと支えられる。
彼女の左腕が差し出してくれた、持ち手のある白いカップを、丸い指で掴む。小さな手のひらに籠もっていた熱が、白磁の焼き物をいっぱいにしていた冷たさと入れ違いになり、そのまま喉の奥へと落ちていく。
「⋯⋯今、何時」
「夜の八時。少し過ぎたところよ」
はちじ。まだまだ回っているとは言い難い頭に、ゆっくりとしたペギーの返事が巡る。
レベッカのなりをした俺が、ぼんやりしすぎているのが、不安に思われたのかもしれない。包帯を巻いた指が、両手と器の支えに入ってきた。
「⋯⋯よせよ、おとさないから、」
「大丈夫とでも? 見えないからね、ずっと高い熱のままでいたんだし」
「でも、起きれたし。俺、子供じゃない」
幼女扱いされたくない。そんな一念で、ひび割れまくりの囁きで反論すると、呆れた風な言葉が、即時で手渡される。
「だから質が悪いのよ。水を飲んだら休んでなさいよ。お嬢様も、あなたも、まだ寝ているべきなんだから。⋯⋯私もだけどね。鋏でつけた傷、責任を取ってもらいますから」
はさみ⋯⋯? なんの? 数秒経っても追いつけなかった思考が、険しい顔になったペギーによって、睨まれる。
「⋯⋯あっきれた。二人して、すごい剣幕だったのに。ポーリャ殿は、覚えてないの? レベッカ様も?」
棘付きのセリフ。俺の手から掻っ攫った、中身が半分以上残る茶器を、側机にカチンと置くと、部屋の明かりを改めて灯した彼女が、振り向きざまに、襟元の生地を引いた。
日焼けしていないペギーの首筋が露わになるかわりに、巻かれていた包帯が、視界に飛び込んでくる。どこか色めきだった予兆とともに、頭に上りかけていた血が、一息に落ちたのが、自分でも分かった。
彼女のか細い首に、《鋏》を突きつけた手触りをようやく思い出して、ツイ。どうすべきなのか掴みきれないまま、俺は視線を泳がせる。
「――ごめん」「謝罪は要らないよ。痕が残るほどじゃなかったから」
「⋯⋯⋯⋯」
「包帯だって、兄様がうるさく言うから巻いただけ。手当なんて、本当はなくても、平気なくらいなんだもの。――ポーリャ殿は、どのあたりまで覚えてる?」
「⋯⋯レベッカ様が、泣き出したくらいまでは」
「なら、ほとんど大体、か。どうして逃げ出そうとしたの?」
「どうしてって、それはあんたが」
「私が?」
あっけらかんとした口調が反転した、冷や水としか思えない口ぶりを、浴びせ掛けられて、俺は押し黙る。
いくつもの行き違いがあったことを、今から、きちんと解きほぐして、過不足なく伝えられるだろうか。
自問自答するまでもなく、できそうな自信なんて、まるきり欠けていた。そんなひと刹那を経て、最後に呼び起こされた口籠りを、どうにも処理しあぐねている俺に、お仕着せの襟を整え直した少女は、あからさまなため息を零してみせた。
いずれにしても、こうなった発端は彼女の方からなのだ。だからこそ、ペギーだって、いくらかは弱っていたに違いない。少しだけ拡がりかけた、菫色の瞳孔と、その目の中から、なにかを探り当てようとしていた俺の視線が絡まる。
「統のことも、《鋏》のことだって、俺の独断。だから、レベッカ様を叱らないでやって。それと、次にこの子が起きてきたら」
「私からも謝ってほしい?」
「うん。レベッカ様は全然割り切れてないみたいだしね。彼女の夢、小さい子が見るにしてはさ、結構、酷かったんだ」
俺のほうは夢ってわかってたから、わりかし、なんとも無かったけどね。
荒れた喉の奥で、引っかかっていた、譲歩のためのそら言を、どうにか舌の上まで引き上げ、転がしてやりながら、続ける。
胸中に詭弁を忍ばせたまま、落ち窪んだ目元の上に苦笑いを浮かべた俺へあわせてか、今度こそ完全に毒気を抜かれた声で、ペギーが応じてきた。
「いやだって言ったら?」
「言うの? それ、想定外なんだけど」
「ポーリャ殿自体が想定外よ、私としてはね」
「ひでえ言い草。⋯⋯あ。レベッカ様が、起きそう。水、おかわりしても――」
むず痒く震え始めている、口元。産毛と変わらぬくらいに不確かなその感覚を指し示そうと、頼りなさ気な指先を、まだ乾いたままの唇に匍わせると、俺は、尋ねた。
「――いい?」
「いいに決まってる。⋯⋯レベッカ様、お加減はいかがですか?」
恐る恐るを体現したかのような、絞り込まれた声と共に、レベッカの侍女が、眉根を寄せながら、俺の正面までにじり寄ってくる。
額が触れ合いかねない距離に、渡してもらったばかりのカップを口にしかけた格好で、馬鹿正直に固まってしまった、お嬢様姿の俺の鶸色の瞳が、ペギーの菫色の虹彩の中で、上目遣いのまま、大きく一度だけ、瞬いた。瞬きをさせたのは、俺じゃない。レベッカだ。
「へいきよ、ペギー。あたま、すごくいたいけど」
俺といっしょくたになって、ひとしきり呻ったあとで、案外しゃんとした口調を示したレベッカに向かい、ペギーが覗かせたのは、明らかな安堵のように、俺には思えた。
「熱がありますからね、雨に打たれて、冷え過ぎて仕舞われたんです。でも、じきによくなるはずですから」
「⋯⋯なら、リベ、起きててもいい? 笙真君に会いたい」
侍女が羽織らせてくれた、若草色カーデの袖口を、銅色の髪と同じように、肩先から垂らしたまま、お嬢様が呟く。
聞かん気だけで出来ている、大層な頑固者に違いない、口振りだった。
「――それは明日の朝にしましょうか」
「いやよ。どうして?」
言い淀む少女に、噛みつくような勢いで、レベッカが言葉を被せた。いかにも苦り切った体で、ペギーが言葉を探り探り、応えてくる。
「宮代笙真はまだ、起きれてもいないんです。レベッカ様。出水先生がついていますから、心配は要らないと思いますけれど」
「おきれても⋯⋯? でも、ポーリャは起こしてあげてって」
「ペギー。俺にも説明、させてもらえる? 『明かし』や夢の中のことなら、あんたより、俺のほうがきちんと伝えられるはずだし」
「どうぞ」
一向にギアの合いそうにない、女の子二人のやり取り。レベッカの苛立ちと魔力を、押し付けられそうになって、たまらず割り込んだ俺に、ペギーがほとんど即答する形で、乗っかってきた。すぐさま謝意を表す。
「サンキュー、ペギー。⋯⋯あんな、レベッカ様。笙真は、起きれるようになるまで、少し時間がかかるんだ」
「少し? それっていつ? 今日はだめってこと?」
レベッカからダイレクトに届く内圧を、頭痛といっしょに感じ取りつつ、俺は彼女が爆発することなしに、理解できるよう、後退りするような心持ちで、とにかく、言葉を組み立てることにした。
「うん、早くても明日、かな。『読み』が勝手に突っ走ってっちゃうだろうから――。笙真が落ち着けるようにして、あいつが自分で起きられるまで、できるだけ、部屋を暗くして、そうっとしてやるしかないんだ。魔力切れと両方だから、目が覚めるとしても、そうだな。一日二日か、三日は要るだろうしね」「三日も!? そんなにまてないよ! リベ、笙真君が心配だもん⋯⋯!」
「俺だって心配。でも、レベッカ様が騒ぐのは、今の笙真には、ちょっとばかし、厳⋯⋯キツイと思う。今、俺たち、頭、痛いだろ? それよりもずうっと苦しい思いを、笙真にさせちまうんだ。だから、だめ。⋯⋯静かにできるなら、明日の朝かそのあと、少し顔を見るくらいは平気だと思うけどね」
強く口走りながら、魔法の《鋏》を無理やり呼びつけにかかる、レベッカ。彼女に巻き込まれて、頭痛が二段ほど激しさを増した。
俺たちの目に、涙の膜を張らせた痛み。酷すぎるそいつを引き合いに、俺は、彼女が安心出来るよう、可能な限り落ち着いた言い回しを、ほとんど歯噛みがてらに、連ねてやる。
「嘘じゃない?」
「ないよ。俺の思ってること、レベッカ様には、ちゃんと、わかるでしょ?」
「⋯⋯⋯⋯わかる。でも、リベ」
揺らぐ息遣いで、短く尋ねた彼女の眼前に、仕上げとばかりに、右手の小指を差し出して、俺は聞き直す。
納得しきっては、まだ、いないのだろう。お嬢様は、俺とシェアせざるをえない呼吸を、詰まらせながら、今度はおずおずと、左手とともに言い返してくる。
「⋯⋯約束だからね? 明日は絶対に笙真君と会えるよって」
「もちろん」
返事は、一瞬。
少々不器用そうなハートに似た形に絡み合う、自らの小指同士を、笙真を抱えていたときと同じくらいまじまじと見つめたあとで、彼女は、左右の手のひらごと俺との指切りを、そっと握りしめた。
次回から新章です。先が気になったら、是非お気軽にブクマや感想お願いいたします⭐️




