姫様、出立
「マリイさんは手芸がお上手ね。
上達が早いわ」
「ゾフィに習ったの。
ゾフィは教えるのが、とっても上手なのよ」
ラオの家での三週間は、あっという間だった。
一日の大半を、マリイはラオ婆からレース編みや刺繍を教わって過ごした。
一週間のうち二日は、ラオ爺が商用から戻ってきて、旅の話を面白おかしく話してくれる。
あまりにも楽しくて、この小屋を出た後はどうするのか、それを決めていないことに気づいたのは、
「ああ、明日はもう孫娘が帰ってくる日ね。
工房まで迎えに行かなくちゃならないの。
王都に行くなら、マリイさんも馬車に乗っていく?」
と聞かれた時だった。
「……!」
今までの、のんきな気分が一変した。
そうだ、あたしはお孫さんが帰ってくるまでの居候で、明日には、この小屋を出て行かなくちゃいけなかったんだ!
突如、不安に襲われる。
ここを出て、どこに行こう?
このまま置いてもらうわけにはいかないだろうか?
いや、ダメ。
この狭い家でお孫さんが戻ってくるのだから、ベッドを明け渡さなくてはいけない。
ゾフィの手紙に、ここからの指示はなかった。
これからは、自分で決めて、自分で動かなければならないのだ――――。
あたしが、決める?
マリイは生まれてから十四になるこの日まで、一度もそんなことをしたことがない。
「あたし――」
「あらあら、不安になったのね」
ラオ婆の優しい手が、マリイの頭をそっとなでてくれた。
思わず涙がこぼれる。
「大丈夫よ、マリイさん。
きっと何とかなるわ。
あなたは手先が器用だから、孫娘みたいにどこかの工房で働いてはどうかしら?」
「工房?」
「ええ。
工房は常に人手不足と聞くわ。
刺繍も、編み物も得意なんですから、きっとすぐに働き口が見つかるわよ」
「あたしに……できるかしら?」
「そりゃあ!
そうだわ。
お部屋に飾ってある、あの素敵なドレスを着て行ったらどう?
センス良く見えるし、あなたに勇気を与えてくれるのではなくて?」
「あのドレス……。
そうね。
あれを着たら、あたし、頑張れるかも知れない」
マリイは、すんと鼻をすする。
ラオ爺が商用から戻ってきた。
「いい鶏肉が手に入った。
今日はマリイさんの最後の日だろ?
送別会をしよう」
「おいしそうなお肉だこと。
焼こうかしら、それとも、煮物?」
ラオ婆が、マリイの顔を見る。
「……あたしが来た日に作ってくれたシチュー……。
あれ、おいしかった」
「じゃあ、今夜はシチューで送別会ね。
さっそく、煮込むわよ!」
ラオの家の、最後の夜。
ラベンダーとレースが所狭しと飾られた家で、マリイは、湯気があがるシチューを食べる。
作るのは3時間もかかったのに、あっという間にお鍋は空になり、その後は、あっという間に夜が更けて、夜明けが訪れて――……。
朝早くから馬車に揺られた三人は、あっという間に王都の中心街、市場のある噴水広場に着いた。
「いつもは朝市じゃが、今日は月に一度の昼市だ。
まだ早いから、ここで人が集まるのを待つといい」
「爺さん、ドレスを汚さないよう気をつけてあげて」
「うむ」
ラオ爺は、ドレスの裾に気を使いながらマリイを抱き上げ、馬車から下ろしてくれた。
昨日のアドバイス通りに、マリイはゾフィが持たせてくれた白いドレスを着ている。
「とても可愛らしいわよ。
すぐにドレス工房の人の目に留まるわ」
ラオ爺の手を借りて、ラオ婆も馬車から降りる。
「お名残惜しいわね、マリイさん。
これを持ってらっしゃい」
「ラオ婆?」
ラオ婆は、手に持っていた小さめの籐かごをマリイに渡した。
「差し上げるわ。
あなたが使っていた編み針とレース玉、それと刺繍の道具を入れておきました。
ここで、手芸をして見せてはどう?
あなたの腕は確かだから、必ず工房の目にとまるわ」
「ありがとう、ラオ婆……!
あたし、頑張る。
誰かが声をかけてくれるまで、何日でもここで粘るわ!」
「マリイさんくらい可愛くて器用なら、すぐに決まるわい」
「ありがとう、ラオ爺……!」
これで、ラオ爺とラオ婆とは最後になる。
マリイは何かお礼をしたくなって、斜めがけにしているバッグを開け、小さな革袋を取り出した。
中から、コインを一枚出す。
「これ――、受け取ってください」
差し出す。
「とんでもない!
気遣いなんか、無用じゃて!」
固辞されたが、マリイは退かない。
「あたし、とってもお世話になったわ。
お孫さんが戻ってくるのだから、おいしいごちそうを用意してあげて」
「そんな、気を使わんでも――」
「爺さん、—―—―受け取りましょうよ。
せっかくですもの」
ラオ婆は、すっとコインを受け取ってくれた。
「ありがとう。
孫も喜びますよ」
「お二人とも、お元気で……!」
去りゆく馬車を、マリイは見送る。
ラオ婆が、いつまでも手を振ってくれた。
(ラオ爺は手綱を握っているので、手は振れない)
マリイも、見えなくなるまで手を振り続け…………。
そして、ポツンと、取り残された。
噴水の水音だけがジャボジャボ響く。
「ああ……」
マリイは縁に腰掛ける。
「気落ちしてちゃダメ、マリイ!」
頑張って顔を上げた。
このドレスを着て、頑張ると決めたのだ。
そう。
ドレスはマリイに勇気を与えてくれる。
大好きなゾフィが用意してくれたドレスだ!
「頑張る!」
声に出して自分を励まし、籐かごから編み針を出して、マリイはレース編みを始めた。




