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姫様、お逃げください!!  作者: 一本松
2 ラオの家
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姫様、到着

「ここが、ラオ爺さんの家……」


 肩で息をしながらその家、というよりちょっと大きめの小屋のような建物を見上げる。

 田舎道を、町から更に歩いて三十分。

 馬車での移動に慣れているマリイは、さすがに疲れていた。




 姫様、町に着いたのですね。

 お疲れ様です。

 でも、ここで立ち止まってはなりません。

 町にはすぐに城の追っ手がかかるでしょう。


 どこにも寄らずに町を抜けて、東へ東へお進みください。

(東は太陽の昇る方角です。日の出に向かって歩き続けてください。)


 道沿いに、ラオという老夫婦の家があります。

 ラオ爺とラオ婆は、わたくしの古い知り合いで、彼らにはわたくしの姪だと姫様を紹介します。

 もう1通の手紙を、彼らに渡してください。

 きっと、姫様に良くしてくれるでしょう。


 どうぞ、うまく取り繕って、逃げおおせることができますように。


 ゾフィより




 別れ際にもらった手紙の通りに、マリイは薄明るい方角を目指して歩いてきたのだ。


「あたし、永遠に太陽を目指し続けて歩くのかと思ったわ……。

 そういったお話、読んだことあるもの」


 連日に及ぶワルツのレッスンで、体力はある方だと自負してきたが、実は大したことなかったようだ。


「たぶん、ステップよりも、ドレスの広がりを気にしていたのが敗因ね」


 レッスン中は、動き回るより、鏡の前でポーズをきめる時間の方が長かった。


 白んでいた東の空に、とうとう眩しい太陽が顔を出す。

 さあ、マリイはそのドアをノックするのか、しないのか。



 『老夫婦』……っていうからには、お年寄りよね。

 まだ、寝てるんじゃないかしら?

 その辺で時間をつぶして出直そうかしら?


 ゾフィの手紙を両手で握り、マリイが迷っていると、


「じゃあ、婆さん、行ってくるよ」


 木の板で出来たドアがガタンと開き、老人が出てきた。


「おや?」


 驚いているマリイに、驚いた様子。

 お爺さんは、顔の上半分が白髪頭、下半分が白いひげで覆われ、毛むくじゃらのシロクマが、二足歩行しているような老人だった。


「あの……!」


 マリイは言葉の代わりにゾフィからの手紙を差し出す。


「これは?」


 ラオ爺がふんふんと手紙を読んでいる間、マリイは後悔でいたたまれなかった。


『初めまして。

 わたくし、ゾフィさんの姪で、マリイです』


 と、まあ、こんな上品な挨拶をする予定だったのに、実践できなかったのだ。


 あたしの、バカバカバカバカバカ!!!


「――なるほど。

 あんたがゾフィの姪か。

 名前は何ていうんだい?」


「マリイです」


「ほう。マリイ」


 言ってしまってから、マリイはまた、「しまった!」と思う。

 こういう時って、偽名を使うものではない?

 

 バカバカバカバカバカ!


 『間違えました。自分の名前を間違えました』なんて、訂正できるワケがない。


 失敗だわ、大失敗。

 次から気をつけよう。

 いえ、今から気をつけるのよ!


「おい、婆さんや、ゾフィの姪が来た。

 マリイさんだと!」


 ラオ爺は、家の中のラオ婆さんを呼ぶ。


「ゾフィの姪?」


 白髪頭を後頭部にまとめた、小柄な、かわいらしいお婆さんが顔を出す。


「初めまして。

 マリイと申します」


 上品に綿のスカートの裾を持ち上げ、マリイは可愛らしくお辞儀した。

 ようやく正しい挨拶ができた。


「初めまして、マリイさん。

 みんな、わたしのことをラオ婆って呼びますよ」


「あたしも、そうお呼びしていいかしら?」


「もちろん。

 お茶を入れますから、中にお入りなさい」


「お邪魔します」


 中に入ると、ふわっといい匂いがした。


「わあ、素敵……!」


 マリイは歓声を上げる。

 いたる所に、白いレースと花が飾られているのだ。


 棚の上にレースとドライフラワー。

 梁から吊してドライフラワー。

 片隅の壺にドライフラワー。

 丸いテーブルの上にレースとドライフラワー!


「この紫の花は何かしら?

 白いのはかすみ草よね。

 紫のもあるの?

 いい香りだわ!」


「ホホホ」


 ラオ爺とラオ婆は、顔を見合わせて笑う。


「珍しいでしょう?

 ラベンダーという北の国の花よ」


「ラベンダー?

 聞いたことないわ」


「ラオ爺は商人なの。 

 私の作った手芸品を売って、いろんな珍しいものを仕入れてくる」


「では、このレースはラオ婆がお作りに?

 あたしもレース編みは得意だけど、ここまで細かい模様は編めないわ」


「ホホホホホ。まあ、お座りなさい。

 お茶を入れますから。

 爺さんも、お茶を飲んでからお行きなさい」


「そうさの。急ぐこともないからの」


 ラオ爺は(たぶん)自分の席に着き、マリイにも座るよう促す。

 テーブルには、これまた見事に編まれたテーブル掛けがかかっていた。

 マリイはイスの脇にリュックを下ろし、その上にバッグを置いて、椅子に手をかけた。


「あら、素敵な彫刻」


 がっしりと丈夫そうなイスの背もたれに、可愛らしい小鳥の浮彫。


「なかなかの出来じゃろ?

 わしは商人だが、木工も得意なんじゃ」


 手先の器用な夫婦のようで、家の中は、可愛らしい小物や細工であふれている。

 マリイはキョロキョロ眺めながら席に着いた。


「さあ、熱いから気を付けてね」


 ラオ婆が、お花模様のカップにお茶を注いでくれる。

 立ち上る湯気。


「紅茶ね!

 いい香り!」


「アールグレイですって。

 若いお客様なんて久しぶり。

 お砂糖は必要?」


「このままいただきます」


 マリイはふうふうと、一口飲んだ。


「おいしい!

 本当にいい匂いだわ」


「ベルガモットという、南の国の果物よ」


「まあ、南の国!」


 なんと国際色豊かな小屋だろう。

 でも、喜々として飲み干すマリイと対照的に、ラオ爺は苦い顔。


「わしは、この匂いが好かん」


「好き嫌いはダメですよ」


「婆さんだって、納豆は苦手じゃろ」


「あれは、腐ってますから」


 紅茶の湯気のような暖かい笑いに包まれ、マリイはようやく一安心した自分に気づいた。



 ああ、あたし、ちゃんと逃げおおせたんだわ……。



「マリイさんや」


「あ、はい!」


 我に返る。


「手紙には、三週間ほど泊めてくれと書いとったが、こんな家でいいのかい?

 わしは商用でほとんどおらんから、婆さんと二人っきりじゃぞい?」


「置いていただけると、助かります!」


 お願いします!と、マリイは頭を下げた。


「あらあら、嬉しいわあ」


 ラオ婆さん。


「ちょっと前まで孫も一緒に住んでたんだけど、王都で働き始めて、あと三週間は帰って来ないの。

 爺さんの仕事も始まるし、わたし一人で寂しくなるところだったわ」


「そうさの。

 孫が帰ってくるまで、マリイさんにいてもらった方がわしも安心だ」


 ラオ爺は紅茶を一口飲もうとしたが、やはり香りが強すぎるのかカップを戻し、立ち上がった。


「そろそろ、行くよ」


 ラオ婆の顔を見る。


「お任せくださいな」


 うなづくラオ婆。


「マリイさん、次に会うのは一週間後だな」

 

 マリイはガタンと立つ。


「突然お邪魔したあたしを受け入れてくださって、本当にありがとう。

 お気を付けて」


 ラオ爺は「婆さんを頼むよ」と笑いながら、旅立っていった。


「さて、と。

 うるさいのも居なくなりましたし」


 ラオ婆はカチャカチャとカップを片付ける。


「孫の部屋に案内しましょうかね。

 マリイさん、荷物を持っていらっしゃい」


「はい」


 マリイは鞄とリュックを持ち上げる。

 案内、といってもすぐ目の前で、右と左しかないドアの、左の部屋だった。


「あら、ここも!」

 

 素敵な部屋だった。

 ベッドと鏡台がギュウギュウに押し込まれた狭い部屋だけど、東側に窓があり、白いレースのベッドカバーに朝日が反射して、部屋全体が明るくてまぶしい。

 壁にかけてある赤くふんわりとしたワンピースが、部屋のワンポイントになっていた。


「お孫さんは、お嬢さんなのね」


 三週間も戻ってこないというから、勝手に商人の男を想像していた。


「お針子の見習いよ。

 ドレスの工房で修行中」


 貴婦人のドレスは、デザイナーの工房で作られる。

 ひょっとしたら、マリイのドレス工房で、ラオ夫婦のお孫さんが修行しているのかもしれない。


「そこの赤い服は失敗作でね、型紙をとる時に縫い代を忘れて、一回り小さく出来ちゃったんですって。

 あなたにちょうど良さそうだから、あとで着てちょうだい」


「いいのかしら?

 お孫さんに断りもしないで……」


「構わないわ。

 自分では着られないし、かといって、売ることもできない服ですもの」


「じゃあ……」


 マリイは嬉しかった。

 絹のドレスであれ、綿のワンピースであれ、新しい服は嬉しい。

 しかも、地味な灰色から明るい赤に変わるのだ。


「少し、お休みなさいな。

 わたしも、隣の部屋で寝直しますから」


「そうするわ」


 日の出直後で、まだ朝早いのだ。

 ラオ婆は「朝食は二時間後に」と、部屋を出ていった。

 隣の部屋からドアが開く音が聞こえ、また、閉まる音がする。


 マリイは、ベッドに腰掛けた。


「ゾフィ、あたし、ちゃんとここまで来たわ」


 自分も、やればちゃんとできるのだ。

 達成感が嬉しい。

 早速、赤いワンピースを着てみようと立ち上がり、ふと、ゾフィが持たせてくれた荷物が気になった。


「何が入ってるのかしら?」


 リュックを開ける。


「これ……!」


 中には、マリイが一番好きなドレス。

 白いレースを基調に、黄緑や薄ピンクの小花が刺繍であしらわれていて可愛らしく、ウエストの赤いリボンで全体の甘さを引き締めてくれる。


「そうね。

 こんな素敵なドレス、二度と手に入らないかもしれない。

 ゾフィ、ありがとう……」


 何もかかっていないハンガーがあったので、マリイは赤いワンピースの隣にこのドレスを掛けた。


「見てるだけで幸せ……。

 ん?」


 余計なことを思い出してしまった。

 このドレスは、リヨク王子に送る肖像画用に作らせたドレスだった。


「ああ、せっかくの気分が台無しだわ!」


 でも、まんまと結婚から逃げ出してやった。

 ざまーみろ。


 マリイは気を取り直し、赤いワンピースに着替えた。

 いくらお気に入りでも、山小屋にこの白ドレスは不似合いだ。

 赤いワンピースは袖丈良し。裾丈良し。

 鏡で確認してみた。


「すごい!

 よく似合ってる!」


 まるで、ゾフィが見立ててくれたドレスのようだ。

 服一枚で、マリイのテンションはグンと上がる。

 リヨク王子のことはすでに忘れた。

 ベッドに寝転ぶと、先ほどの紫の花、ラベンダーの香りがする。


 ああ、自由だ……。


 ふと、父を思う。

 マリイの家出を知って、父王は悲しんでくれるだろうか。

 それとも激怒するだろうか。


「父様、ごめんなさい……」


 夜明け前から歩き続けていたマリイは、すうっと眠りに落ちた。

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