姫様、到着
「ここが、ラオ爺さんの家……」
肩で息をしながらその家、というよりちょっと大きめの小屋のような建物を見上げる。
田舎道を、町から更に歩いて三十分。
馬車での移動に慣れているマリイは、さすがに疲れていた。
姫様、町に着いたのですね。
お疲れ様です。
でも、ここで立ち止まってはなりません。
町にはすぐに城の追っ手がかかるでしょう。
どこにも寄らずに町を抜けて、東へ東へお進みください。
(東は太陽の昇る方角です。日の出に向かって歩き続けてください。)
道沿いに、ラオという老夫婦の家があります。
ラオ爺とラオ婆は、わたくしの古い知り合いで、彼らにはわたくしの姪だと姫様を紹介します。
もう1通の手紙を、彼らに渡してください。
きっと、姫様に良くしてくれるでしょう。
どうぞ、うまく取り繕って、逃げおおせることができますように。
ゾフィより
別れ際にもらった手紙の通りに、マリイは薄明るい方角を目指して歩いてきたのだ。
「あたし、永遠に太陽を目指し続けて歩くのかと思ったわ……。
そういったお話、読んだことあるもの」
連日に及ぶワルツのレッスンで、体力はある方だと自負してきたが、実は大したことなかったようだ。
「たぶん、ステップよりも、ドレスの広がりを気にしていたのが敗因ね」
レッスン中は、動き回るより、鏡の前でポーズをきめる時間の方が長かった。
白んでいた東の空に、とうとう眩しい太陽が顔を出す。
さあ、マリイはそのドアをノックするのか、しないのか。
『老夫婦』……っていうからには、お年寄りよね。
まだ、寝てるんじゃないかしら?
その辺で時間をつぶして出直そうかしら?
ゾフィの手紙を両手で握り、マリイが迷っていると、
「じゃあ、婆さん、行ってくるよ」
木の板で出来たドアがガタンと開き、老人が出てきた。
「おや?」
驚いているマリイに、驚いた様子。
お爺さんは、顔の上半分が白髪頭、下半分が白いひげで覆われ、毛むくじゃらのシロクマが、二足歩行しているような老人だった。
「あの……!」
マリイは言葉の代わりにゾフィからの手紙を差し出す。
「これは?」
ラオ爺がふんふんと手紙を読んでいる間、マリイは後悔でいたたまれなかった。
『初めまして。
わたくし、ゾフィさんの姪で、マリイです』
と、まあ、こんな上品な挨拶をする予定だったのに、実践できなかったのだ。
あたしの、バカバカバカバカバカ!!!
「――なるほど。
あんたがゾフィの姪か。
名前は何ていうんだい?」
「マリイです」
「ほう。マリイ」
言ってしまってから、マリイはまた、「しまった!」と思う。
こういう時って、偽名を使うものではない?
バカバカバカバカバカ!
『間違えました。自分の名前を間違えました』なんて、訂正できるワケがない。
失敗だわ、大失敗。
次から気をつけよう。
いえ、今から気をつけるのよ!
「おい、婆さんや、ゾフィの姪が来た。
マリイさんだと!」
ラオ爺は、家の中のラオ婆さんを呼ぶ。
「ゾフィの姪?」
白髪頭を後頭部にまとめた、小柄な、かわいらしいお婆さんが顔を出す。
「初めまして。
マリイと申します」
上品に綿のスカートの裾を持ち上げ、マリイは可愛らしくお辞儀した。
ようやく正しい挨拶ができた。
「初めまして、マリイさん。
みんな、わたしのことをラオ婆って呼びますよ」
「あたしも、そうお呼びしていいかしら?」
「もちろん。
お茶を入れますから、中にお入りなさい」
「お邪魔します」
中に入ると、ふわっといい匂いがした。
「わあ、素敵……!」
マリイは歓声を上げる。
いたる所に、白いレースと花が飾られているのだ。
棚の上にレースとドライフラワー。
梁から吊してドライフラワー。
片隅の壺にドライフラワー。
丸いテーブルの上にレースとドライフラワー!
「この紫の花は何かしら?
白いのはかすみ草よね。
紫のもあるの?
いい香りだわ!」
「ホホホ」
ラオ爺とラオ婆は、顔を見合わせて笑う。
「珍しいでしょう?
ラベンダーという北の国の花よ」
「ラベンダー?
聞いたことないわ」
「ラオ爺は商人なの。
私の作った手芸品を売って、いろんな珍しいものを仕入れてくる」
「では、このレースはラオ婆がお作りに?
あたしもレース編みは得意だけど、ここまで細かい模様は編めないわ」
「ホホホホホ。まあ、お座りなさい。
お茶を入れますから。
爺さんも、お茶を飲んでからお行きなさい」
「そうさの。急ぐこともないからの」
ラオ爺は(たぶん)自分の席に着き、マリイにも座るよう促す。
テーブルには、これまた見事に編まれたテーブル掛けがかかっていた。
マリイはイスの脇にリュックを下ろし、その上にバッグを置いて、椅子に手をかけた。
「あら、素敵な彫刻」
がっしりと丈夫そうなイスの背もたれに、可愛らしい小鳥の浮彫。
「なかなかの出来じゃろ?
わしは商人だが、木工も得意なんじゃ」
手先の器用な夫婦のようで、家の中は、可愛らしい小物や細工であふれている。
マリイはキョロキョロ眺めながら席に着いた。
「さあ、熱いから気を付けてね」
ラオ婆が、お花模様のカップにお茶を注いでくれる。
立ち上る湯気。
「紅茶ね!
いい香り!」
「アールグレイですって。
若いお客様なんて久しぶり。
お砂糖は必要?」
「このままいただきます」
マリイはふうふうと、一口飲んだ。
「おいしい!
本当にいい匂いだわ」
「ベルガモットという、南の国の果物よ」
「まあ、南の国!」
なんと国際色豊かな小屋だろう。
でも、喜々として飲み干すマリイと対照的に、ラオ爺は苦い顔。
「わしは、この匂いが好かん」
「好き嫌いはダメですよ」
「婆さんだって、納豆は苦手じゃろ」
「あれは、腐ってますから」
紅茶の湯気のような暖かい笑いに包まれ、マリイはようやく一安心した自分に気づいた。
ああ、あたし、ちゃんと逃げおおせたんだわ……。
「マリイさんや」
「あ、はい!」
我に返る。
「手紙には、三週間ほど泊めてくれと書いとったが、こんな家でいいのかい?
わしは商用でほとんどおらんから、婆さんと二人っきりじゃぞい?」
「置いていただけると、助かります!」
お願いします!と、マリイは頭を下げた。
「あらあら、嬉しいわあ」
ラオ婆さん。
「ちょっと前まで孫も一緒に住んでたんだけど、王都で働き始めて、あと三週間は帰って来ないの。
爺さんの仕事も始まるし、わたし一人で寂しくなるところだったわ」
「そうさの。
孫が帰ってくるまで、マリイさんにいてもらった方がわしも安心だ」
ラオ爺は紅茶を一口飲もうとしたが、やはり香りが強すぎるのかカップを戻し、立ち上がった。
「そろそろ、行くよ」
ラオ婆の顔を見る。
「お任せくださいな」
うなづくラオ婆。
「マリイさん、次に会うのは一週間後だな」
マリイはガタンと立つ。
「突然お邪魔したあたしを受け入れてくださって、本当にありがとう。
お気を付けて」
ラオ爺は「婆さんを頼むよ」と笑いながら、旅立っていった。
「さて、と。
うるさいのも居なくなりましたし」
ラオ婆はカチャカチャとカップを片付ける。
「孫の部屋に案内しましょうかね。
マリイさん、荷物を持っていらっしゃい」
「はい」
マリイは鞄とリュックを持ち上げる。
案内、といってもすぐ目の前で、右と左しかないドアの、左の部屋だった。
「あら、ここも!」
素敵な部屋だった。
ベッドと鏡台がギュウギュウに押し込まれた狭い部屋だけど、東側に窓があり、白いレースのベッドカバーに朝日が反射して、部屋全体が明るくてまぶしい。
壁にかけてある赤くふんわりとしたワンピースが、部屋のワンポイントになっていた。
「お孫さんは、お嬢さんなのね」
三週間も戻ってこないというから、勝手に商人の男を想像していた。
「お針子の見習いよ。
ドレスの工房で修行中」
貴婦人のドレスは、デザイナーの工房で作られる。
ひょっとしたら、マリイのドレス工房で、ラオ夫婦のお孫さんが修行しているのかもしれない。
「そこの赤い服は失敗作でね、型紙をとる時に縫い代を忘れて、一回り小さく出来ちゃったんですって。
あなたにちょうど良さそうだから、あとで着てちょうだい」
「いいのかしら?
お孫さんに断りもしないで……」
「構わないわ。
自分では着られないし、かといって、売ることもできない服ですもの」
「じゃあ……」
マリイは嬉しかった。
絹のドレスであれ、綿のワンピースであれ、新しい服は嬉しい。
しかも、地味な灰色から明るい赤に変わるのだ。
「少し、お休みなさいな。
わたしも、隣の部屋で寝直しますから」
「そうするわ」
日の出直後で、まだ朝早いのだ。
ラオ婆は「朝食は二時間後に」と、部屋を出ていった。
隣の部屋からドアが開く音が聞こえ、また、閉まる音がする。
マリイは、ベッドに腰掛けた。
「ゾフィ、あたし、ちゃんとここまで来たわ」
自分も、やればちゃんとできるのだ。
達成感が嬉しい。
早速、赤いワンピースを着てみようと立ち上がり、ふと、ゾフィが持たせてくれた荷物が気になった。
「何が入ってるのかしら?」
リュックを開ける。
「これ……!」
中には、マリイが一番好きなドレス。
白いレースを基調に、黄緑や薄ピンクの小花が刺繍であしらわれていて可愛らしく、ウエストの赤いリボンで全体の甘さを引き締めてくれる。
「そうね。
こんな素敵なドレス、二度と手に入らないかもしれない。
ゾフィ、ありがとう……」
何もかかっていないハンガーがあったので、マリイは赤いワンピースの隣にこのドレスを掛けた。
「見てるだけで幸せ……。
ん?」
余計なことを思い出してしまった。
このドレスは、リヨク王子に送る肖像画用に作らせたドレスだった。
「ああ、せっかくの気分が台無しだわ!」
でも、まんまと結婚から逃げ出してやった。
ざまーみろ。
マリイは気を取り直し、赤いワンピースに着替えた。
いくらお気に入りでも、山小屋にこの白ドレスは不似合いだ。
赤いワンピースは袖丈良し。裾丈良し。
鏡で確認してみた。
「すごい!
よく似合ってる!」
まるで、ゾフィが見立ててくれたドレスのようだ。
服一枚で、マリイのテンションはグンと上がる。
リヨク王子のことはすでに忘れた。
ベッドに寝転ぶと、先ほどの紫の花、ラベンダーの香りがする。
ああ、自由だ……。
ふと、父を思う。
マリイの家出を知って、父王は悲しんでくれるだろうか。
それとも激怒するだろうか。
「父様、ごめんなさい……」
夜明け前から歩き続けていたマリイは、すうっと眠りに落ちた。




