王子様、お父様に会う
バルロックの、35歳の誕生日のこと。
このパーティーは王妃が取り仕切っていた。
来月に第一王子の12歳の誕生会を控えており、有力貴族達が集まるこのパーティーは大事な前哨戦となるのだ。
順調に事を進め、王子がいかに素晴らしいかを吹聴しておかねばならない。
諸外国からの贈り物が紹介される中、王妃は、フウレン近衛兵団長が長い箱を持ってくるのを見た。
あれは、誰からの贈り物であろう?
大した箱ではないが、兵団長自らが持ってくるのは珍しい。
兵団長は王の御前に跪き、
「お確かめ下さい」
とだけ言って、箱も開けずに直接手渡した。
無礼な……。
王妃は顔をしかめた。
王に自ら開けよと申すか。
王は何も言わずに箱を受け取る。
兵団長がこのような行動を取っていること自体おかしいのだ。
何かを感じ取ったのだろう。
箱を開け、中の物を取り出す。
剣。
なんの変哲も無い、ただの古い兵士の剣。
「これは……!」
王の手が、震えているのが分かる。
そして直後、泣き崩れた。
「これを母の物だという少年が参りました。
お連れしてもよろしいですか?」
「なんと……! すぐに……!」
「お連れせよ!」
兵団長の言葉で、会場の外で待たされていたらしい少年が招き入れられた。
金髪の、顔の整った愛らしい少年。
庶民の服装だった。
戸惑う彼は、王の前に案内される。
王は玉座を下り、少年に歩み寄った。
「リルカさんは――、母君はお元気ですか?」
「母は――、亡くなりました。
一昨年の流行病で、祖父と一緒に」
「まさか、お二人が……!?」
「あの……、あなたは――?」
少年は、目の前の男が誰か、知らないらしい。
王は答えた。
王妃の前で、並み居る権力者達の前で。
「私はバルロ=リロク=カイソク。
あなたの父親です」
王妃は、凍り付いた。
王は、少年を連れてそのまま会場を後にする。
主役の抜けたパーティーは騒然とした。
「王の隠し子だと?」
「王妃が来る前の子か?」
「年はいくつだ?」
王妃は、ハッとする。
嫁ぐ前、すでに第一夫人が居ることは聞かされていた。
が、あの時以来、第一夫人の話題が上がることはなかったから、居ないものと考えてきた。
カイソク王家は長子相続である。
現カイソク王は第四王子であり、即位の際は第六王子とその座を争い揉めたと聞くが、原則は維持され、バルロ=リロクが王となった。
あの少年の年齢は!?
――彼は、14歳であった。
王妃が産んだバルロ=セキ王子は来月、12歳となる。
あのように公衆の面前で父と認められては、もはや隠すこともできない。
セキ王子の王位継承権は、第二位に降格される。
「セキに、なんの落ち度が……!
このような仕打ちは受け入れられぬ……!」
王妃のどす黒い感情を知ってか知らずしてか、成人に満たない王子は慣例通り、後宮に預けられることとなる。
王妃が頂点に立つ、後宮に――。
「あなたの名をどうしましょう?」
バルロックの感情は忙しかった。
リルカと親父殿の死を悼んでは悲しみ、リルカと自分の息子を見ては喜びに打ち震える。
これまでの悪夢から、ようやく現実に戻った気がした。
「俺――、リヨク=グリーンでいいです。
名前が変わるのは落ち着きません」
「身分が王子となると、そうも行かないのです。
血統の『バルロ』を付けて、バルロ=リヨク=カイソクと皆に呼ばせますか?」
「バルロ=リヨク=カイソク……」
気に食わなそうだ。
「バルロは取りましょうか?」
「バルロもそうですけど、名前に国の名が入るのは変な感じです」
「申し訳ありませんが、それは取る訳に行かないのです。
リヨク=カイソクでいきましょう」
「はい……」
返事はしてくれたものの、顔はまだ不満げだった。
その表情が愛らしい。
口をとがらせた時のリルカによく似ている。
「リヨクの名は、リルカさんがお付けになったのですか?」
「はい。由来を教えてもらったんですが――、」
「由来?」
「枝とか鳥とか言って、よく分かりませんでした。
母は、説明がヘタクソなんです。
仲が良いものの例えらしいのですが……」
連リの枝、比ヨクの鳥……!
「ああ……!」
王はまた泣き崩れた。
リルカさんは、その言葉を息子に付けたのですね……!
リヨク王子が戸惑っている。
「すみません……。
私は涙もろくなっているようです」
「いえ――。あの、意外です」
「そうですね。
いい年した男が泣くのはみっともない」
「違うんです。
その――、王様はもっと威厳がある人だと思っていたので」
「いげん」
「ああっ、その、王様に威厳がないという訳ではなくて、その……」
困っている様子も可愛らしい。
「陛下――、国民は陛下を大王とか、改革王とお呼びしておりますゆえ、」
見かねたフウレンが、助け船を出した。
「決断力のある、厳しい王とのイメージがあったのではないでしょうか?」
「それです!
そのイメージがあったんです!」
「リヨク王子、陛下はもちろん決断力があり、厳しい面もお持ちですが、本当はとっても穏やかな人なのです」
そう語る彼もまた、嬉しそうだ。
自らの共謀で王となり、悲しくも難しい顔をしているバルロ=リロクをずっと見てきた。
リヨク王子の登場で、バルロックは本来の彼に戻ったかのように微笑みを浮かべている。
「王様ってなんか――、母さんと爺ちゃんが言ってた通りの人ですね。
優しい話し方をする紳士だと言ってました」
「それは嬉しい」
「母さんによく、汚い言葉を使うなとか、紳士な言葉遣いをしろと言われてたんです。
でも、俺の周りにきれいな言葉を使う人なんかいなくて、聞いたこともない言葉を喋れなんて無理です!」
「そうでしょうね。
リルカさんも親父殿も、猛々しく話し合いをする人でした」
笑うバルロック。
あの親子の、罵り合う日々が懐かしい。
「あの、陛下」
フウレンがまた口を挟んだ。
「リヨク王子は、剣の稽古をするお時間ですゆえ――」
「剣の?」
「そうだ、剣を取ってこなきゃ!
王妃様が誘ってくれたんです。
セキ王子の先生が一緒に見てくれるって!」
「セキと習うのですか?」
バルロックは嫌な昔を思い出した。
他の王子に華を持たせるために、どうやって負けるかを考えていた昔だ。
「王子を集めて練習させるのは、止めさせたはずですが?」
「陛下、それゆえ先生は各王子を回って稽古を付けています。
新たに予定を組むのが難しいので、当分の間、年の近いセキ王子と一緒に見ることにしたそうです」
「……」
「俺、行ってきます!
遅れると、セキ王子に悪いし!」
「ああ――。気をつけていってらっしゃい」
バルロックは心配だったが、リヨクがあまりにも楽しそうなので、そのまま行かせることにした。
「フウレン、ついて行きなさい。
そして、何かあったら教えて下さい」
「畏まりました」
一人、執務室に残る。
仕事に取りかかろうと机に向かい、手紙やら書類やらを手に取るが、落ち着かない。
「――後宮に行きます。
リヨクの部屋に案内しなさい」
諦めて、様子を見に行くことにした。
一昨日、ここに来たばかりの日は客室に案内されていた。
王妃はどの部屋を用意してくれただろう。
意外。
案内されたリヨクの部屋は、王妃の部屋だった。
「ここをリヨクに――?」
家具などはすでに新しいものに入れ替えてある。
書棚には、年相応の本まで並べられていた。
「――いらしてたのですね」
振り返ると、王妃だった。
「まだ数着ですが、頼んでおいた服ができあがったので、持ってきました」
王妃はタンスを開け、新しい服をしまう。
「リヨク王子は王子たちの中で一番背がお高くていらっしゃるから、サイズの合う服がなかったのです。
急いで作らせておりますゆえ、時期、不自由しなくなるでしょう」
「気を使ってくださったのですね。
ありがとうございます」
「わたくしの仕事です」
「まさか、部屋を明け渡して下さるとは思いませんでした」
「空いている部屋がなかったものですから。
下の階で、第五王子よりも狭い部屋に住まわせる訳にはいきませんし。
セキはもう母と離れても大丈夫な年ですので、わたくしが東に移りました」
「太后様のお部屋だったところですか?
遠くて不便でしょうに」
「構いません。
それよりも――」
王妃は窓辺に立ち、バルロックを誘った。
「この窓から、王子たちの様子が見られます」
「どれ」
2人並んで、窓辺から庭を見下ろす。
「父上ー、母上ー!」
セキ王子が気づいて手を振った。
リヨクも照れくさそうにこちらを見上げている。
「—―誕生会の準備は進んでいますか?」
「招待客の席順に苦労しております」
「では、一緒に考えましょう。
あとでお部屋に伺います」
「……。――あ、」
2人が剣を合わせ、リヨクが剣を跳ね飛ばされた。
痛そうに衝撃を受けた手首を押さえるリヨク。
「セキに――、手加減するよう言い聞かせますか?」
「必要ありません。
それでは、セキの練習にならないでしょう」
「――」
やがて、稽古を終えた王子たちが部屋に駆け込んでくる。
「父上、どうでしたか、僕の剣は!」
「セキはお強くなりましたね」
「王様、セキ王子、めっちゃくちゃ強いよ!
やっぱ、構えがきれいだと効率が良いのかな?」
「リヨク王子は、力任せに振り回しすぎだから!」
「セキ」
王妃がセキ王子をたしなめた。
「そろそろ勉強の時間でしょう。
部屋にお戻りなさい」
「えー、リヨク王子は?」
「リヨク王子の先生も、近日中に見つけます。
わたくしと戻りましょう」
「はあい……」
セキ王子は、王妃と一緒に部屋を出て行った。
「王妃様は良い方ですね。
とても親切にしてくれます」
「そのようで、私も安心しました」
リヨクがテーブルに剣を置く。
「その剣ですが――」
リヨクは、
「あ、父の形見です」
と答えた。
「――あれ?
父は王様だから、母の形見?」
「そうですね。
あなたの父は生きています」
バルロックは笑う。
「だって、母さんにずっと『これは父さんの形見だ』って言われてきたんですよ?
母さんの名前と並んで彫られている『バルロック』とは、王様のことですか?」
「ええ。私はそう呼ばれていました」
そういえば、バルロックは剣にリルカの名前だけ刻んだ。
その横にバルロックの名を入れたのはリルカか。
「母さんはこの剣を大事にしてました。
いつも腰に下げて」
「え?
リルカさんが身につけてたのですか?
売り上げが落ちるから、大きな剣は嫌だと言ってらしたのに」
「『男除け』だそうです。
母さん、ガサツだったけど、美人で愛想が良かったから、モテてました」
「そうですね。
リルカさんは美人でした」
バルロックはずっと気になっていたことを聞いてみた。
「リルカさんは――、再婚しなかったのでしょうか?」
バルロックには今、5人の夫人がいる。
リルカに夫がいても責められる立場にない――。
「父さんより良い男が来たら再婚するって言ってたけど、結局一人でした」
「そうでしたか……」
テーブルに置かれた剣を手に取る。
リルカが刻んだ『バルロック』の文字が愛しい――。
「すみません。
私は多くの妻を娶りました」
「王様だから仕方ない、って言ってました」
「え?」
「新しいお妃様の話を聞く度に、母さんが言ってたんです。
なんのことか分からなかったけど、ようやく分かりました」
「そう、ですか……」
バルロックの心が、少しだけ軽くなった。
罪悪感が消えた訳ではないが、隠し事が一つ無くなった。
「俺――」
リヨクが気まずそうに告白する。
「母さんは捨てられたんだと思ってました」
「なぜです?」
バルロックは戸惑った。
「だって、父さんは死んだと聞かされてたんですよ?
それなのに、死ぬ間際になって、実は生きているって――。
しかも、困ったらこの剣を持って城のフウレンさんを訪ねろ、なんて言われたら、誰だって、フウレンさんに遊ばれて捨てられたって思うじゃないですか?」
「私に、ですかっ!?」
入り口で控えていたフウレンは慌てて口を挟んだ。
「フウレンさん、バルロック=フウレンって名前かと思ってた」
「違いますよ、フウ=レンです!
笑わないで下さい、陛下……」
「2人には2年間も汚名を着せてしまいましたね。
ところで、あなたはその2年間をどうしてたのです?」
「店、守ってました」
「店、ですか?
グリーン家は定住されたのですか?」
「3年前、爺ちゃんがあちこち痛がるようになって、ラヌカに店を開いたんです」
「一人で大変だったでしょう?
早く訪ねて下されば良かったのに……」
「大もうけはしなかったけど、食うには困りませんでしたから!」
頼もしい子である。
バルロックは剣をテーブルに戻した。
「形見の品となれば、返してもらう訳にいきませんね」
「すみません。
それは勘弁して下さい。
――ああ、王様も母さんの形見、なんか欲しいんですか?」
「欲しいですね」
「実は、母さんは指輪をしてたんです。
男物だったんで、火葬の前にもらっとこうかと思ったんだけど、あんまり大事にしてたんで指から外せませんでした。
あれ、取っておけば良かったな……」
「それは――――、この指輪と同じものですか?」
バルロックは、左手の薬指にはまった指輪をリヨクに見せる。
「石の色が違いますが、同じ指輪です。
母さんのは緑の石で――。
……って、2人とも薬指ってことは、ひょとして結婚指輪ですか!?」
リヨクが呆れたように眉根を歪ませた。
「私のセンスを疑いましたね?」
「いえ――。
だって、男物だし、ファッションリングだし――」
正直な子だ。
バルロックは、あれはリルカが選んだものだと弁明しようか迷ったが、あえて不名誉を被ることにした。
石の色が違う理由を尋ねられたら、照れくさくて答えられない。
「……リルカさんの指輪を外さないでくれて、ありがとう。
あれは、一緒に燃やされるべき石だったのです。
形見は諦めましょう」
バルロックはまた泣きそうになったのを堪えた。
そう何度も、息子の前で泣く訳にはいかない。
「私は仕事に戻ります。
フウレン、後を頼みますよ」
「畏まりました」
長い廊下を歩きながら、バルロックは決心する。
指にはまっている青い石に、リヨクの成長を見せてあげよう。
リルカさんや親父さんの分も、私はリヨクを幸せにしなくてはならない――。
王妃の苛立ちは頂点に達していた。
王は、どのようなお考えをお持ちなのか。
意図的にセキを第二王子とは呼ばず、リヨクを第一王子と呼んでいない。
臣下も察して、その言葉を控えているのが現状だ。
それは長子相続を無視して、セキに王位を継がせたいからだと考えてよいのか?
となると、王妃は余計なことをしてはいけないのだ。
セキ王子の母親は、平等に愛情を降り注ぐ素晴らしき王妃でなくてはならない。
――最初は良かったのだ。
彼は言葉遣いも怪しく、礼儀作法のなっていない庶民の子どもで、何をさせてもセキ王子の優秀を際立たせてくれた。
が、それが3ヶ月を経てどうだろう。
恐ろしいほどの吸収力でセキの勉学を追い抜き、セキよりも剣の腕を上げている。
長年修練を積んできたセキ王子の方が凡庸とさえ思えるほどだ。
何よりも、あの見た目が気にくわない。
王と同じ、金の髪に緑の瞳。
その上、ひときわ整った美しい顔立ち。
第一夫人の美貌をうかがわせて癪に障るし、セキ王子の誕生会に招いた令嬢たちが、主役ではなく、リヨクに見惚れたことが許せない。
彼奴など、捨ておけば良かった!
いや、王妃としてそれをすることはできない――。
王妃は葛藤の渦から抜け出せずにいた。
事故にでも遭えば良いと考えるが、奴の隣にはいつもフウレン兵団長がいる。
王を守るべき近衛兵が、なぜ、王子の侍従のようなことをしているのか。
何もかも、全てが気にくわない!!
「ああ……!」
王妃は立っていられなくなるほどの目眩を感じ、イスにもたれる。
わたくしは、どう出るべきか。
王の評価を得るために、彼奴を助けて伸ばすのか。
セキの母親として、早々に潰すか――――。
サンリクとの平和会談は輪番で2年に1度、春に国境の町で開かれる。
第7回目の今年はカイソクの主催で、バルロックはマベツの町に来ていた。
「マベツは大きく発展しましたね」
「大陸コインが定着しまして、サンリクからの買い物客が増えました。
陛下のおかげでございます」
マベツ町長の挨拶を早々に切り上げさせ、バルロックは離宮入りする。
昼過ぎにサンリク王ダンギが到着するのだ。
議題をもう一度確認しておかなければならない。
「サンリク王の奥方が亡くなったのは、4年も前のことでしたか?」
突然問われ、フウレンは慌てて数えた。
「えーと、そうですね。
前の前の会議の時ですから、4年前です」
「もう、明るい話題を出しても大丈夫ですね」
両国の王であるバルロックとダンギは、仲が良い。
バルロックが2つだけ上と、年が近いせいもあり、気が合うのだ。
初めて会ったのは第1回の平和会議。
その時のサンリク王は先代のジン王で、年若いバルロックを気遣って、王子のダンギを同行してくれた。
ダンギ王子はメアリ王子妃と結婚したばかりで、バルロックは彼らのロマンスを一方的にたっぷりと聞かされた。
リルカに去られ、政略による王妃を迎えたばかりで、それはそれは羨ましく、そして辛い思いをしたのを覚えている。
第2回の平和会議では、ダンギは即位して王であった。
お互いに父となっていたが、彼のように子の誕生に浮かれることができない自分を虚しく情けなく思った。
忘れられないのは、第5回の平和会議。
メアリ王妃が亡くなった後の会談で、ダンギはやつれ、顔つきが変わっていたが、精一杯明るく振る舞っていた。
それがあまりに痛々しかったので、バルロックは初めてリルカとの思い出を語った。
結婚したが、離ればなれになったこと。
今、どうしているのかも分からないこと。
2人は一晩、泣き明かした。
2年に一度会うだけの仲だが、バルロックはダンギを親友のように思っている。
ダンギの到着は、予定通りだった。
「マベツは年々大きくなっていくな。
客の半数はサンリク人じゃないか?」
「おかげで賑わってますよ」
早々に議題を片付け、酒を飲むのが慣例となっている。
ソファに腰掛け、まずは乾杯。
「カイソクとの外交は、親戚と食事するより気楽でいい」
サンリク王はだらしなく姿勢を崩した。
よっぽど疲れているらしい。
「また再婚を迫られたのですか?」
「1週間に1枚は姿絵が届いてるよ。
みんな、マリイが可哀想だろと、口々に言う」
「マリイ嬢は幾つでしたっけ?」
「12だ。年頃なのか、ろくに口も聞いてくれない。
可哀想なのは、私の方だ」
「私の娘達は年頃になっても別段、変わりませんけどね」
「それは、バルロックの関心が薄いからだ。
気をつけて見ていれば、絶対、反抗期に入っているはず」
ダンギはバルロ=リロクをバルロックと呼ぶ。
お互いが愚痴をこぼし合える唯一の相手だ。
「ところでですが、ダンギ」
バルロックは、誰かに言いたくて堪らなかったことを口にした。
「私に息子が増えました」
「なんだ、また王子が産まれたのか。
第何夫人の子だ?」
「リルカさんの子です」
「――!」
一瞬、口を開けたままフリーズする。
「リルカさん、見つかったのか!?」
リルカの話題はバルロックにとって最大の弱点であったので、ここ数年はダンギでさえも口にするのがためらわれていた。
「見つかりましたが、亡くなっていました。
息子が訪ねてきてくれたんです」
「よ……、良かったじゃないか!
亡くなっていたのは残念だけど、リルカさんとの子なんて、本当に――!」
ダンギは鼻をすすり、自分のことのように喜んでくれた。
「今、幾つなんだ?
バルロックが即位する前の子なら、10――」
計算しようとして、やはり気づいた。
「……セキ王子よりも、年上か?」
「当たり前です。15です」
「第一王子か。
――揉めるだろうな」
「揉めるでしょうねえ」
「王妃はなんと言ってる?」
「みんな怖くて、誰も何も言いません」
「この……!」
ダンギはバルロックの肩をドカッと突いた。
「おまえ、ひどいヤツだな!
こんな状況なのに、嬉しいんだろ!」
「ははは!」
高らかに笑う。
「嬉しいですよ!
だって、私とリルカさんの子ですよ?
顔が、リルカさんにそっくりなんです!
でも、瞳の色は私と同じ緑で、それはそれは美しい子なんです!」
話し出したら止まらない。
「頑張って敬語を使おうとしている姿が、また愛らしい!
優秀な子なんです!
さぞ勉学が遅れてるだろうと思いきや、たった数ヶ月で高等教育も中盤です。
運動神経も良くて、剣も馬も、あっという間にこなすようになりました!」
「それ……、妬まれるだろうなあ」
「そうでしょうか?」
「王妃は気が気じゃないと思うぞ。
ちゃんと気をつけてみてやれよ?」
「今のところ、うまくやっているようですが」
「息子の継承順位を下げられて、まともでいられる母親はいない」
「それは、一般論でしょう?」
「バカ。誰にでも当てはまるから一般論なんだよ」
ダンギはよっぽど心配なのか、翌日の去り際も、
「いいか、王子から絶対、目を離すな!」
と念を押して帰っていった。
今、まさにこの時が、目を離していた時である――――。
城に戻り、バルロックは取り乱した。
リヨクが階段を転げ落ち、腕の骨を折ったのだ。
階段の絨毯が少しめくれており、そこに足を取られたのではないかとの報告を受けた。
「関係者を集めなさい!」
常に温厚だったバルロックが、責任者を怒鳴りつけた。
「すみません。
俺が落っこちたせいで……」
「心臓が止まるかと思いました」
リヨクが来るまでは、いつ死んでもいいと思っていたが、今になって死ぬ訳にはいかない。
「それよりも、謝るのはこちらの方です。
絨毯は全て張り替えさせました」
ダンギの言葉が気になって、確認する。
「誰かに押されたとかではないのですか?」
「それはないです。
俺、一人だったし」
「そうですか」
良かったとは思えないが、とりあえずホッとする。
誰かに狙われた訳でないのなら、今はそれでいい。
「すみません、王様……」
バルロックを心配するかように、リヨクはもう一度謝った。
ふと、気になる。
「――リヨクは、私を『王様』と呼ぶのですね」
「え? あ、だって――。
他になんて呼んだらいいか――」
「リルカさんは、父君のことを『親父』と呼んでいましたが?」
「無理です。
王様は爺ちゃんみたいに『親父』っぽくないから」
「そうですか?
私は『親父』に憧れていたのですが……」
「無理です」
ハッキリと断られてしまった。
残念である。
「他の王子や王女は、『父上』と呼びますよ?」
「そんな、上品に育ってません……」
これも却下され、悲しくなってきた。
バルロックがあまりにシュンとしたからか、今度はリヨクの方から提案してくれる。
「あの――、俺、母さんを『母さん』と呼んでたので、『父さん』ではダメですか?」
「とうさん?」
これは嬉しい。
リルカが『母さん』で、バルロックが『父さん』。
喜びが、顔に出たらしい。
リヨクがすぐに、
「父さん」
と呼んでくれた。
顔がほころぶ。
「照れますね」
「父さん」
からかうように、もう一度呼ばれた。
「もう止めて下さい。
顔が元に戻らなくなります」
「父さん。ねえ、父さん?」
リヨクは意地が悪い。
バルロックは本当に、その日一日、顔が元に戻らなかった。
王子のケガで激怒していたというのに、何をしててもニタニタと笑ってしまい、周囲を戸惑わせた。
が、この喜びは長く続かない。
リヨクの不慮の事故は、この後も続いた。
「申し訳ありません……!」
第四王子と第五王子、そして、第五夫人が床に手を着いて謝っている。
王子たちは2人とも、第五夫人の子だ。
バルロックは居並ぶ3人に目を落としながら、言葉を発しなかった。
王妃もやってきて3人の横に並び、同じように頭を下げる。
「わたくしの、監督不行届にございます」
「……」
やはり言葉が出ない。
信じられないのだ。
リヨクの散歩中、5歳のヤン王子がケンカ越しに彼を呼び止め、7歳のルイ王子が後ろから剣で切りつけたのだという。
リヨクは背中に傷を負い、止めに入ったフウレンは肩から胸を正面から切られた。
今、ルイ王子が泣きながら腹を押さえているのは、フウレンは王子に手を上げることができないのだと気づいたリヨクが、思いっきりその腹を蹴飛ばして遠ざけたからだ。
やがて、侍従がやってきて報告する。
「リヨク王子は全治2週間、フウレン兵団長は2ヶ月です。
共に命に別状はありません」
「……」
もはや、命に別状はないという状況は安心をもたらさない。
事の詳細を、誰に聞けば正しい答えを得られるだろう。
バルロックは4人を見回し、
「――ヤン。こちらにいらっしゃい」
5歳のヤン王子を呼んだ。
「うえ……、うう……」
ヤンもずっと泣いている。
「泣かなくていいのですよ。
私の膝にお座りなさい」
「父上……!」
ヤンはヒックヒックさせながらやってきて、抱き上げられてバルロックの膝に座った。
「ヤンは、どこか痛くしていませんか?」
「わたしは平気です。
でも、兄上がおなかを蹴られました」
「リヨク王子も大けがを負っています。
どんなご用事があったのです?」
「わたしと兄上は……、兄弟の中で一番お強いリヨク王子に勝ってみたかったのです。
不意打ちなら勝てるでしょうって、王妃様が――」
「ヤン!!」
第五夫人が、悲鳴を上げるように王子の言葉を止めた。
「陛下……!
申し訳ありません!
わたくしの責任なのです。
ルイとヤンはまだ幼く、何も分かっていないのです!
わたくしが、全ての責任を……!」
蒼白の夫人はガタガタと震えている。
「母上……!」
ルイ王子が心配してしがみつき、ヤン王子もバルロックの膝から飛び降りて母に駆け寄った。
「――もういいです。
2人を連れて下がりなさい。
叱る必要はありませんが、やって良いことと悪いことは教えておくように」
「は……はい……!
申し訳ありませんでした。
王子たちをお許しください……!」
一人では歩くことが出来ず、第五夫人は衛兵の手を借りながら、王子たちを連れて出て行く。
残されたのは、王妃。
「あなたにも――、やって良いことと悪いことから教えねばなりませんか?」
「――」
王妃は顔色一つ変えない。
「両王子に、リヨク王子に勝つにはどうしたらよいかと尋ねられましたゆえ、不意打ちでもしない限り勝てないだろうと答えました。
浅はかでした」
「リヨクの食事に毒を盛ったのはあなたですか?」
「あれは食中毒です。
厨房の至らなさもまた、わたくしの責任……」
「狩りでリヨクを貫いた流れ矢は、本当に流れ矢ですか?」
「わたくしに、矢を操る力はございません」
「……」
ダンギの言葉を思い出す。
継承順位を下げられてまともでいられる母親はいない。
王妃もまた、ただの母親であったか――。
バルロックは立ち上がる。
「リヨクを後宮から引き上げます」
「陛下!?」
「私の部屋に住まわせます。
王妃は一切、手伝ってはなりません」
「陛下!
成人に満たない王子は、後宮でわたくしが育てることが慣例――!」
「私の後宮です。
私が決めます。
このままでは、あなたのあずかり知らぬ所でリヨクが死んでしまう!」
バルロックはまっすぐにリヨクの部屋に向かった。
果たして負傷したリヨクは――。
「あ、父さん。
また心配させちゃいましたね。
ごめんなさい」
申し訳なさそうに首をすくめた。
思いのほか軽傷なのか、ベッドではなくイスに座ってフウレンとボードゲームをしている。
「謝らないで下さい……。
背中は痛みますか?」
「痛いですよ。
ルイ王子のお腹は大丈夫でしたか?」
「そう言えば……。
聞いてませんでした。
確認させましょう」
バルロックは控えている侍従に「行ってこい」と手で合図する。
「さすがに手加減する余裕がなかったんです。
あ、蹴りだから、足加減?」
「リヨク様の体術は、大変素早くていらっしゃいます。
私はビックリしました」
いつもなら、バルロックの登場とともに入り口に下がるフウレンが、まだ座ったままである。
「2人とも、寝ていなくて大丈夫なんですか?」
「俺は平気です。
っていうか、痛いのが背中なので、起きてた方が楽です」
「私も大したことありません」
「不幸中の幸いでしょうか。
――ところで、リヨクに頼み事なのですが、今日から私の仕事を手伝ってもらえませんか?」
バルロックは部屋を移る理由をでっち上げた。
「父さんの仕事?
――って、王様の仕事ですか?」
「そうです。
これでいて、けっこう忙しい身なんです。
手伝ってもらえると助かります」
「俺にできることなら――」
「良かった。
さっそくで申し訳ないのですが、私の部屋に移ってきて下さい。
その方が何かと都合が良いですから」
「今ですか?」
「今です。
輿を用意させましょう」
「歩けます。
ちょっと図書室から剣を取ってきていいですか?」
「図書室で、剣、ですか?」
「実は、さっきから見当たらないんです。
散歩に出る前、図書室で本を読んでたから、多分、そこにあります」
「形見の品だというのに、あなたはあっちこっちで置きっぱなしにしてますね……」
「持ち歩く習慣がないんです。
でも、良いこともありますよ。
さっき、俺が剣を持ってたら、大惨事になってました!」
「……」
それはともかくとして、図書室はこの部屋の向かいである。
「取っていらっしゃい。
おまえたち、リヨクについて行きなさい」
バルロックは、2人の衛兵をリヨクに付けて出した。
さっきの今で王妃が手を出してくることはないだろうが、もう手抜かりは許されない。
本当はバルロック自身がついて行きたいのだが、
「――フウレン、輿が必要なのはあなたの方ですね?」
フウレンの様子がおかしいのだ。
「すみません。
立ち上がったら倒れそうなのです。
でも、輿は必要ありません……」
「全治2ヶ月と聞きました。
寝ているべきでしょう?」
ひどく出血したのか、顔色が白い。
「リヨク王子は気を使うお方です。
私が寝込んだりしたら、お心を痛めましょう……」
「……」
バルロックはそれでも休めと言うべきか。
フウレンは続ける。
「陛下、リヨク王子がこの城で気を許せるのは、陛下と私だけです。
私は、元気であらねばなりません……」
相談できる人を減らさないで欲しいと言うことだ。
「…………ありがとう」
バルロックは、フウレンに甘えることにした。
リヨクをこの城に連れてきたのはフウレンだ。
この状況に、彼なりの責任を感じているのかも知れない。
「バルロ=リロク様――」
ふと、フウレンが懐かしい呼び方をした。
「私はずっと後悔しているのです……。
リロク様が無事であることを大臣達に報告したこと。
奥方様を残して、リロク様だけを城にお連れしたこと…………。
お2人を引き離したことをずっとずっと後悔してきました。
リヨク王子に、これ以上の何かがあってはなりません……。
バルロ=リロク様は、もう二度と、愛するものを失ってはいけない――」
朦朧としたフウレンは、ぐらりと揺れ、後ろに倒れそうになった。
やはり、相当悪いのだ。
リヨクたちがの声がして、バルロックはフウレンの耳元に口を近づけた。
「もう少し、起きていられますか?
リヨクが来ます」
「だい、じょうぶです……」
リヨクが戻ってきた。
「父さん、剣、ありました」
「この部屋から持ち出したい物はありますか?」
「本と着替え」
「後で運ばせましょう。
フウレン、この部屋を片付けておいて下さい」
「畏まりました」
フウレンは座ったまま、にこりと笑う。
リヨクを連れて、バルロックは後宮を後にした。
もっと早くこうするべきだった。
リヨクの食事に毒が盛られた時に。
いや、リヨクが階段から落ちた時に――――。
王が後宮を訪れなくなって数週間。
王妃の威勢に陰りが見えてきた。
リヨク王子が切りつけられた事件は表沙汰にならなかったが、王子が後宮を出た事件は大騒ぎになった。
この件に絡めて、王妃が他の王子を使って暗殺を企んだという噂が広まる。
子どもを利用されることを恐れた側室達は王妃との付き合いを減らし、ただでさえ、他の部屋から離れているこの部屋が、なおさら寂しく感じられるようになった。
元の部屋に戻ろうか……。
セキ王子の隣の部屋は、今、空き部屋だ。
――いや。わたくしが戻れば、奴の戻る部屋がなくなる。
いつまでも王の部屋に住まわせる訳にはいかぬのだ――。
非常識にもリヨク王子は今、王の私室にベッドを運び込み寝泊まりしている。
執務中でも視察先でも、いつだって王の隣にはリヨク王子がいて、まるで、次期国王を教育しているかのような扱いを受けている。
王は、リヨク王子を跡継ぎとお決めになったか!?
許さぬ……。許されぬ……。
王妃は機会をうかがっていた。
王子が、王の隣から離れるその時。
どこかに機会があるはず……!
バルロックの幸せな日々。
夕食後は夜が更けるまで、語らうことが日課となってきた。
「へー。学校の単位制導入って、父さんの仕事だったんですか!」
「ええ。旅商人とか旅芸人の子は、なかなか学校に通えませんからね。
教科を細かく分けて、習得した分だけ単位を与えることにしたんです。
これだと、旅先のどこの学校に行ってもどこまで学んだか分かりますし、冬期などにまとめて履修することができます。
一斉指導の生徒と個別指導の生徒を一緒に見なくてはならない教師の難点が出てきましたが、そこは学校と教師の数を増やすことで、なんとかなっているようです」
「土地を移る度に母さんが学校を捜してきて、俺、せっせと通わされました。
すっごい教育ママだったんですよ、母さん」
「リルカさんは学校に通うのに苦労したそうですからね」
その話を思い出して、この制度を作ったのだ。
結果、バルロックは息子のために学校制度を変えたことになる。
「俺、けっこう優秀でした。
卒業まで、5年もかからなかった」
「それはすごい!」
バルロックは、リルカが卒業に12年かかったことを思い出したが、故人の名誉のため黙っていることにした。
「母さんも爺ちゃんも、父さんに感謝してました。
賢い血が入ったおかげで、グリーン家のバカが打ち止めになったって」
「…………返答に困りますが、どうやら褒めていただいたようで……」
「2人とも、いつも父さんを褒めてましたよ?
宿屋に馬車ごと泊まれるようにしたのも、父さんなんでしょう?」
2年間の構想を得て、13年前に実施できた事業だ。
「旅商人の馬車は盗賊の格好の餌食ですからね。
最初は補助金を出して、宿屋に車庫を建てさせ、馬車を守る用心棒を置かせたんです。
好評だったようで、今ではサンリクやセツゲンにまで広がっているようです」
「昔に比べて、ずっと安全に旅が出来るようになったって言ってました。
2人が王様をボロカスに言うのは、宿代に税金を上乗せして払う時だけです。
2割は取り過ぎですよ!」
「それは……、すみません。
補助金には財源が必要なんです」
リヨクがあくびをした。
「今日はこれくらいにして、もう寝なさい」
「そうします。
お休みなさい、父さん」
机の上に資料を置いて、リヨクは部屋の向こう側に置かせたベッドに入る。
リヨクの家具が増えた分、部屋は狭くなった。
が、別段不便はない。
息子が近くで眠っていることに安心感を覚える。
そういえば山小屋で暮らしている時、あそこは狭かったが、いつだって家族を感じられる温かい家だった。
バルロックにとって、家とは、後宮とは何だろう……?
リヨク、16歳の秋。
彼は城から消えた。
父さん、突然いなくなることをお許し下さい。
母さんと爺ちゃんが死んだ後、俺は金を貯めて旅商人になることを決めました。
14の冬に金は貯まりました。
春には旅立つ予定でした。
その前に、ちょっとだけ、父親に会っておこうと思いました。
一人が長かったので、誰かと、母さんや爺ちゃんの思い出話がしたかったんです。
父さんが王様だったことに驚きましたが、それで色々なことに納得しました。
俺は当初の予定通り、旅に出ます。
どうか、いつまでもお元気で。
リヨク=グリーン
「リヨク……!!!」
バルロックは手紙を抱きしめ、泣き崩れた。
リルカとの別れも手紙一枚だった。
息子もまた、手紙一枚でバルロックから離れて行った……!!
「陛下、私が捜しに参ります!
私に行かせて下さい!」
フウレンが願い出た。
バルロックは返事をしない。
「お願いします、陛下……!
私に連れ戻させて下さい。
王子の無事を確認するまで、私は居ても立っても居られない……!!」
フウレンのリヨクに対する思いも、また格別なのだ。
「――」
少し経ってから、バルロックは言った。
「分かりました――。
リヨクを捜して下さい」
そして、付け加える。
「でも、見つけた先でリヨクが楽しそうなら、連れ戻さないで下さい。
報告だけで十分です――」
「はい…………」
涙を堪えながら、フウレンは出立した。
バルロックは見送る。
リヨク……。
私の大切なリヨク……。
戻ってこなければいい。
どこかで、幸せな日々を過ごして欲しい……!
リヨク王子は、1週間で戻ってきた。
致命傷となる傷はなかったが、全身に傷を負っていた。
ぐったりと熱を出して毛布にくるまれ、フウレンに抱きかかえられて戻ってきた。
「何があった!?」
バルロックは悲愴な声を上げ駆け寄る。
フウレンの姿も汚れていた。
着替える余裕もなく戻ってきたのだと思われる。
「山中で……、剣を拾ったのです。
道の脇に、剣が落ちていて……。
辺りには、格闘の跡があって――」
声が震えている。
「周辺を捜索したら、川の下流に、リヨク様が、浮いて…………!」
フウレンが震えをとめることができないほど恐ろしいのは、道の端で草に埋もれている剣の光を見逃していたら、今頃はどうなっていたのか、ということだ。
見当違いの町や宿を捜し続け、リヨクは溺れ死んでいたかも知れない――!
そして、震えの止まらぬ手で胸元のポケットから一枚の紙を取り出した。
「ご覧、下さい……!」
「これは……?」
リヨクの顔が描かれている。
長身、金髪、緑の瞳。
生死を問わず。
「裏で、手配書が出回っています。
誰かがリヨク様に懸賞金を掛けました。
それゆえ、町医者には診せず、そのまま城にお連れしました……」
「リヨク……!」
バルロックは、うなされたリヨクの手を取った。
傷だらけで痛々しい。
「この子は……、もう城から逃げることすら叶わぬ……」
バルロックはその足で後宮に向かう。
王妃に対峙した。
手配書を投げつけた。
「あなたの仕業かっ!?」
いつもの涼しい顔で座っている王妃。
「――なんのことやら」
「セキに、王位を継がせると言えば気が済みますか?
それとも、文書に残せば?
今すぐ私が王位を降りて、セキに継がせれば満足ですかっ!?」
怒声に、仕える者たちは慌てて部屋の外に出た。
普段は穏やかな王なのだ。
尋常ならざる怒気は、それほどまでに恐ろしい。
「かねてより――」
王妃は立ち上がり、口を開く。
その声は、やはり落ち着いていた。
「わたくしの望みはただ二つだけ。
王妃になることと、息子を王位につけること。
それ以外の全てを諦めて、わたくしはここにおります」
王妃の表情は崩れない。
バルロックは、それはすでに諦めの境地にあるからだということを、今、知った。
バルロックが野望を抱いて王妃との結婚を決めた時、王妃には、年頃の娘なりの希望があったのだろう。
バルロックはその娘に「愛情は望みません」と言わせた。
夫からの愛を諦めて、息子を王位に全てを賭けさせたのは――――――。
「私は――――、リヨクを愛するのと同じく、セキのことも愛しています。
セキに重荷を背負わせたくないし、王位簒奪の汚名も着せたくない。
だから、私は…………」
王妃が言う。
「同じなんて、嘘。
あなたは、わたくしの子より、第一夫人の子を愛している」
バルロックはよろめき一歩下がった。
そしてそのまま、部屋を出た。
心配する従者を払いのけ、自室に戻ると、手当を受けたリヨクが寝ている。
熱が下がったのか。
呼吸が落ち着いている。
ベッド脇に膝をつき、ひとまずは安堵した。
リルカによく似た、整った顔のリヨク。
――リルカさん。
私はこの子を守れない――。
バルロックは左手にはまった指輪にすがった。
守ることができたとしても、この子は幸せになれない……!
回復したリヨクは荒れた。
これまで、常に明るく振る舞っていたのは、いつだって出て行けると思っていたからだろう。
手配書は回収させたが、まだどこかに残っているかも知れないし、いつまた、新たに出回るかも知れない。
彼はもう、旅商人にはなれないのだ――。
「大陸コインが導入された時、母さんと爺ちゃんとで、セツゲンまで旅をした。
コインは本当に三国で使えた。
両替がいらなくて、すっごい便利だった。
俺はまた必ず、セツゲンまで旅をする」
ふとした瞬間に、リヨクは希望を語る。
父には、それを叶えてやる力がない――。
第8回の平和会議はサンリクの主催で、サンリク側の国境の町、オウマで開かれた。
「――バルロック、まずは飲もう」
出迎えの挨拶もそこそこに、サンリク王ダンギは酒に誘った。
「そんなにひどい顔をしてますか?」
「鏡を見る余裕も無かったか」
「今この瞬間も、リヨクを残してきたことが気がかりで――」
今回はフウレンを置いてきた。
少なくとも前回のように、戻ったらケガが増えているようなことはないだろう。
「一般論は、やはり誰にでも当てはまりますね」
バルロックは前回からの2年間を話した。
「王妃を責めるのは、筋違いなのです。
全て、私が悪い……」
うんうんと、ずっと、頷いて話を聞いていたがダンギが、ここである提案を持ち出す。
「――なあ。
前に、マリイの婿に、おまえの王子をくれって話をしたことがあっただろ?」
「—―ありましたね。
……マリイ嬢は今、14ですか?
第三王子のカルが同い年ですが、あなたの娘なのですから、恋愛結婚するのでは?」
「城に引きこもってばかりの娘だから、誰とも出会わんかもしれん。
だったら、親が決めても良かろう?」
「乱暴ですねえ。
マリイ嬢がいいとおっしゃるなら、私は構いませんよ。
カルの母親はあなたのいとこですから、喜んでサンリクに行くかもしれません」
「いや。リヨク王子をくれ」
「は?」
「リヨク王子が欲しい」
「――」
バルロックは一瞬、理解ができなかった。
リヨクを、サンリクに出す――?
「王位に興味が無い子なんだろ?
秘蔵なのは分かっているが、おまえの元にいても城で飼い殺しだ。
サンリクに来た方が、よっぽど幸せになれると思わんか?」
「……」
ダンギの言葉は胸に刺さった。
「旅に出たがってるなら、一度、サンリク城に来て、マリイと顔合わせをすればいい。
少しでも難色を示すようなら物見遊山させて帰すし、嫌がる様子がなかったら、そのまま婚約してもらう」
「それは――、当人がそれで良いとなったら、私は――」
「よし。じゃあ、決まりだな。
早速、日取りを決めよう。
文武両道の美形王子なんて、マリイが嫌がるはずがない。
あいつ、父様に感謝するぞ!」
サンリク王は、実に嬉しそうだ。
先ほどの仕返しというわけではないが、バルロックは言ってやった。
「娘のご機嫌取りに、リヨクを使う気ですね?」
「そんな風に言わないでくれ。
あいつ、まともに私と口をきいてくれないんだ。
お気に入りの世話係と引きこもってる。
そろそろ外にも目を向けて欲しい!」
ダンギもまた、悩める親の一人なのだ。
二人は、顔合わせを2週間後に決めて、それぞれの城に戻った。
リヨクをサンリク王家に婿入りさせる――。
悪い話ではない。
サンリク王の人柄は分かっているし、少なくとも、カイソクにいるよりは自由になれるはず――。
「話って何?」
リヨクは無事、自分の部屋でもある王の私室でふてくされていた。
とりあえず、ケガも病気もなく過ごしてくれたことが有難い。
「サンリク王から申し出があったのです。
先に伝えておきますが、これは断っていい話です」
「だから、何だよ?」
彼から無駄な愛想と頑張っていた敬語が消えて久しい。
多分、こっちが本来のリヨクだろう。
本性をさらけ出してくれたのは、気兼ねがなくなったからなのか、何かを諦めたからなのか――……。
「サンリク王から、マリイ王女との縁談が持ち上がりました」
「は?」
意外という顔をしている。
17は縁談が湧いて出る年齢だと知らないのだ。
「マリイ王女は14歳で、サンリクの第一王位継承者です。
この申し出を受けると、あなたはサンリクに婿として入ることになります」
「……」
理解できていないようだ。
「難しく考えることありません。
とりあえず、サンリク城に行ってみませんか?
マリイ王女が気に入らなければ、この話は立ち消えになりますし、気に入ったら即婚約です」
「――サンリク城?」
予想通り、マリイ王女ではなく、サンリク城までの旅路に飛びついてきた。
「私は一緒に行けませんが、フウレンが同行します。
国境まではうちの近衛兵団が警護し、国境を越えたらサンリク兵が引き継ぎます」
「旅を目的に行くことは、マリイ王女に失礼に当たらないかな……?」
「大丈夫でしょう。
あなたが王女にフラれる可能性だってありますし。
破談になったら、そのまま観光して帰ってらっしゃい」
「観光?」
「サンリク王が自ら案内してくれるそうです。
お土産も持たせると言ってました」
「破談なのに?」
「私の息子と遊びたいのでしょうね。
サンリクには王子がいませんから。
とりあえず、顔合わせを承諾してくれるとサンリク王が喜びますし、私の面子も保たれます」
「じゃあ……行く!」
縁談なんか二の次だろうが、リヨクは快諾した。
久しぶりに嬉しそうな顔をしている。
この縁談がうまくいけば、リヨクはサンリクに行き、もう命を狙われることはない。
第二王子のセキが誰の反対もなく王位を継ぎ、王妃の望みも叶えられる。
でも――――。
「――リヨク……」
バルロックはリヨクを抱きしめた。
会った時にバルロックの胸までしかなかった身長が、今、肩を越している。
「父さん?」
驚き、戸惑っている。
「聞いてください。
リルカさんと別れた後、私には何もなかった――」
バルロックは懺悔しなくてはならない。
「全てを諦めて、一人、この城に居ました。
しばらくして、この国を、どこかで生きているリルカさんと親父殿の住みよいものに変えたいと思ったのです。
でも、後見人のいない私には、何の力もなかった。
私は――、王妃と取引をしたのです」
リヨクは黙って聞いている。
「私は彼女の実家の権力を望み、彼女は王妃の身分と息子を王にすることを望みました。
彼女が愛情も欲しがっていることは分かってましたが、私は、気づかないふりをした。
私が愛するのはリルカさんだけだったので、王妃との結婚は取引だと思いたかった。
王妃が、セキの継承順位に固執する原因は、私にある――――」
かつての自分の非道が、すべてリヨクに降りかかっているのだ。
息子に、同じ道を歩ませてはならない!
「こんな所ですが――、マリイ王女に愛情が持てないと思ったら、帰ってきて下さい。
この城を出るために、結婚を利用するようなことは、決してしないで下さい――」
「……分かったよ、父さん――」
1週間後、サンリクからマリイ王女の姿絵が届いた。
黒目、黒髪の少女で、可憐な白いドレスを着て微笑んでいる。
「愛らしいお姫様ですね」
「よく分からない……」
リヨクはいまいち、ピンときていないようだ。
「マリイ王女も今頃、首を傾げながら、あなたの姿絵を見てますよ」
「あれは、すでに俺じゃない!
ひどいよ、父さん!」
「あなたがちゃんと笑わないからです」
姿絵を描かせている間中、リヨクは照れくさいのか、ムスッとしたまま笑わなかった。
困り果てた絵描きは気を利かせて、そのままの姿と笑った姿の想像図、2枚の絵を描き、バルロックは想像図の方をサンリクに送っていた。
「偽物を送るなんて、詐欺じゃないか!」
「ニコリともしない姿絵を送ったら、サンリクとの友好にヒビが入ります」
更に2日後。
リヨクはちゃんと、父に声をかけた。
「無理そうだったら、戻ってくる。
約束する。
結婚を利用しない」
「楽しんでらっしゃい」
リヨクは一人馬車に乗り、フウレンが馬で併走する。
前後を護衛兵で囲んでの出立だ。
「この馬車は中から鍵がかかります。
いざという時は外がどんなことになってても、閉じこもって出てこないで下さい」
「分かった」
フウレンが中に入らないということは、何かの時には身を挺して馬車を守り、あるいは御者となってリヨクを逃がす考えなのだろう。
長旅で一人は退屈だろうが、それでも城の中に閉じこもっているよりはいい。
「父さん、行ってきます」
リヨクは馬車に乗り込んだ。




