王子様、逃げ出す
カイソクの第四王子、バルロ=リロク=カイソクの唯一の楽しみは、城を抜けすことだった。
母は、王子を産んですぐに亡くなった。
身分の低い側室だったから、有力な後見人も面倒を見てくれる親戚もいない。
更に言うと、第三王子、第五王子の母親は有力貴族の娘で、持てる者に挟まれた持たざる者の彼は、いまいちパッとしない、忘れられた王子であった。
「バルロ=リロク様、やっぱりコートを着てくれば良かったですね。
春とは言っても、まだ気温は低いです」
「駅馬車が通りかかったら、すぐに乗りましょう。
それよりもフウレン、何度も言ってますが、城から出た時はバルロックと呼んでください」
お忍び時の服装は、兵士の支給品と決まっている。
城内で簡単に手に入るし、町での自己紹介も簡単で済む。
お付きのフウレンも、同じ服装をしていた。
ただ、階級章だけはフウレンが強く辞退して、バルロックより1つ下の物を付けていた。
「そろそろラヌカの町に行けそうですね」
「え、今日行くつもりなんですか?
隣町とはいえ、山の向こうですよ?」
「日帰りは無理でしょうから、2、3泊して戻りましょう」
悲しいことに、彼が数日消えたところで、誰も騒ぎはしない。
これを幸いと、バルロックは冬の間できずにいた山越えに挑戦する気なのだ。
「この兵士の制服、私に似合うと思いませんか?
私は、こういう身分で生まれた方が幸せだったのかも知れません」
「王子の服装だって、とてもよくお似合いです」
バルロ=リロクは流れる金髪以外、これといって特徴の無い平凡な顔立ちをしている。
が、血統と育ちの良さは極上なのだから、それなりの服装をすれば、それなりに見栄えがする。
悲しいのは、彼をパーティーに誘ってくれる身内や友人が誰一人としていなく、その良さをアピールするチャンスが他の王子達に比べて、圧倒的に少ないということだ。
王子の境遇を理解しつつ、励ましながら支えるのが、フウレンの役目であった。
「リロク様、ラヌカヘ行く馬車が来ました。
あれに乗りましょう」
「バルロックです」
「バルロック様、停めますね」
フウレンが挙げた手に馭者が気づき、馬車は2人の前で止まった。
「あれ? 客は僕たちだけ?」
「一昨日、大雪が降ったからな。
昨日は一日中天気が良かっただろ?
雪が溶けた上に、今朝は冷え込んだもんだから、みんな怖じ気づいちまってんだ」
「ああ、路面が凍っていそうですね。
バルロック様、僕たちも今日はやめておいた方が――」
「おいおい、俺の腕は確かだよ!
この道、二十年だ。
さあ、乗った乗った!」
ここで客を乗せなければ、この馭者に今日の収入はないのだ。
彼は、バルロック達を安心させるべく自信満々に誘った。
「まあ、客が私たちだけというのも気楽でいいかもしれません。
フウレン、乗りましょう」
「えー……」
この後、フウレンの悪い予感は的中する。
馬車は山道を滑落し、バルロックは一人、行方知れずとなった――――。
バルロックは小さな山小屋で目覚める。
「ここは――?」
「あたしん家」
答えてくれたのは、バルロックと同じくらいの年の、きれいな女の人だった。
金色に輝く髪を無造作に後ろでまとめ、澄んだブルーの瞳をしている。
「あんた、誰なの?」
「私ですか? 私は――」
思い出せない。
バルロックは狼狽えた。
バルロックは、自分がバルロックであることを思い出せなかった。
やたらと体格の良い中年男が、様子を見にきた。
「あんた、山ん中で木に引っかかってたんだよ。
どれ?」
彼は、バルロックの金髪をわさわさとかき分けた。
「後頭部に大きなこぶがあるな。
どこぞに打ちつけたんだろ」
「頭打って記憶をなくすなんて話、本当にあるんだな」
彼女は納得したようだった。
そして、
「ま、いずれ、思い出すだろ」
と言い、
「ちょうど男手が欲しかったんだ。
思い出すまでここに居ていいから、手伝ってくれ」
と、バルロックをここに置いてくれた。
全てを思い出したのは、それから1週間後である。
「私は、崖から落ちた」
凍結路面をスリップして馬車が横滑りした時、バルロックとフウレンは片側にギュッと押しつけられた。
弾みで開くドア。
滑落中の馬車から、バルロックだけが飛び出すように外へ投げ出された。
フウレンは無事でしょうか……。
私が、山越えを急いだばかりに……
「バルロック、ちょっと来てくれー」
呼ばれて、バルロックは外に出る。
「親父が屋根を直すって言ってるんだ。
おまえ、高いところは平気か?」
彼女は名をリルカ=グリーンといった。
リルカは可愛らしいその名や美しい外見に似合わず、言葉遣いも振る舞いも乱雑な娘だった。
「高いところは平気ですが、屋根を直したことはありません」
「平気なら、とりあえず上がって手伝ってくれ」
ハシゴを登って、バルロックは屋根に上がる。
「おう、来たか。
傷んだ屋根を張り替えるから、そっちを押さえてくれ」
「こうですか?」
「しっかり力を入れてろよ」
彼はヤウシュ=グリーン。
リルカの父親だ。
見事な体つきをしていて、力持ちの上、手先も器用である。
母親はとうに亡くなっていて、親子で二人暮らしという。
旅商人をしていて、冬の間だけ、この山小屋に住んでいるそうだ。
「これから長いこと留守をするからな。
しっかり直しておかんと、戻ってきた時に大変なことになってる」
「ここ――、いつごろ発ちますか?」
「2日後の昼だな。
明日の雨で、雪は全て消える。
明後日は、いい天気になりそうだ」
彼の予測は、予言といえる程によく当たる。
記憶は戻ったが、バルロックは本名の『バルロ=リロク=カイソク』を名乗らなかった。
第四王子であることも伝えていない。
カイソク城に仕える兵士で、休暇中に事故に遭ったと作り話をした。
「バルロックはいつ、ここを発つ?」
「私は――」
迷っていた。
記憶が戻るまでの約束でここに置いてもらっているのだから、本来ならば、もう出て行くべきなのだ。
馬車から投げ出された時、必死で手を伸ばし、悲鳴のようにリロクの名を叫んでいたフウレン。
彼を安心させてやらなくてはいけない。
「あの……、」
なのに、口から出た言葉は違っていた。
「私も、ついて行ってはダメでしょうか?」
「は?
俺たちと行くのか?
だっておまえ、城の兵士なんだろ?」
「兵士ですが――」
王子ですが――。
「私には向いていないようなのです」
そう。
カイソクの第四王子は、バルロックに向いていない。
やりがいも、夢も、希望も感じられない!
「私も、旅商人になりたい!
お願いします!
一緒に連れて行ってください!!」
興奮しながら頭を下げるバルロックに、親父殿はたじろぐ。
「せっかく兵士になれたのに、もったいない!
安定してるし、給料も良いと聞くぞ」
とは言うものの、
「まあ、でも、リルカが良いと言うなら、俺はそれでいい」
まんざらでもなさそうな、顔つきだった。
リルカ嬢も、
「ついてくる?
いいよ。
あんた、おっとりしてて、兵士に向いてなさそうだもんね」
あっさり許可してくれた。
「でも、旅商人って、けっこう危ない目に遭うよ?
親父は兵士の腕を見込んだのかも知れないけど、あんた、強そうには見えないなあ」
バルロックは正直に答える。
「剣技は――、一度も勝ったことがありません。
際どいところで負けるのが得意でした」
毎朝、王子達が一堂に会して行われる剣の稽古。
対戦の時は反感を買わないよう、手抜きだと思われないよう、ギリギリのところを狙って負けるのが常だった。
自分が強いか、弱いかなんて分からない。
「……まあ、3人いれば、2人よりかは襲われにくくなるだろ。
格好良く構えていれば、敵がビビって逃げ出すかもしんないし」
「構えは得意です!
賊に勝つのは難しいかも知れませんが、お2人を守れるよう、精一杯頑張ります!!」
「え?」
「—―え?」
聞き返されて、戸惑うバルロック。
なぜ、リルカは赤くなったのだろう?
翌日は、親父殿が言った通り、雨だった。
しかも暴風雨である。
本当に明日は晴れるのだろうか?
「屋根を直しといて良かったな。
相変わらず、親父の予報は正確だ」
親子は明日の晴れを疑っていないようで、せっせと身の回りの品を箱詰めしている。
「残りの食材は食べきっていくよ」
とのことで、バルロックは黙々とスープを煮込んだ。
昼近くになって、ドンドンドンと山小屋のドアが叩かれ、強風と共に中年男が1人、飛び込んできた。
「すまない!
しばらく雨宿りさせてくれないか!?」
道中、あまりの土砂降りに馬を進められなくなったのだろう。
「リルカ、拭くものを。
あんた、馬は?」
「外に繋がせてもらった」
「どれ、小屋に入れてやるか」
親父殿は外へと出て行き、リルカは詰めたばかりの袋から、タオルを出してやる。
バルロックはスープをついで、男に渡してやった。
「恩に着る。
大したことないと油断してたんだ」
「とりあえず、温まれ」
かいがいしく持て成され、男はホッとスープを飲む。
まるで、数週間前の自分みたいだ――と、バルロックは思う。
この親子が旅人に優しいのは、自分たちも旅商人だからだろう。
旅をする者同士、当たり前に助け合うのだ。
見つけてくれたのが彼らで、本当に自分は幸運だった。
来訪者は、ラヌカの町で布屋を営んでいる店主だった。
カイソク城に品物を納めに行く道中、雨に降られたらしい。
バルロックは手紙を書き、この店主に託す。
我が友、フウレンへ。
あの事故で、君は無事だっただろうか?
私は頭を打ち記憶を失っていたが、酷いケガもなくピンピンしている。
先日、記憶を取り戻したが、元の場所に戻る気はない。
旅をしようと思う。
迷惑を掛けるかも知れないが、どうか、捜さないで欲しい。
君の友、バルロックより
翌朝はきれいに晴れた。
布屋の店主がお礼にと、白い生地を1反リルカに渡していた。
王室御用達の店だけあって、上等な布である。
バルロ=リロクのシャツにでもなる予定だっただろうか。
フウレンが手紙を受け取る頃、バルロックはここにいない。
布屋は城を目指し、バルロック達はラヌカを目指して左右に別れた。
意外。
バルロックの腕は確かだった。
山中で盗賊に襲われたが、次々と敵をはね除け、撃退した。
「稽古をしてて良かった……」
継続は力なり、とはこのことだったか。
サボることも許されず、実戦で使うあてもなく、無意味だと思いながら続けてきたが、ここで敵を追い払うために日々鍛錬していたようだ。
「バルロック、おまえ、強いな」
そういうリルカ嬢も、相当強い。
ポケットからジャックナイフを取り出すと、素早く敵を切りつけて回っていた。
「小さなナイフでは、心許なくないですか?
もう少し大きい、ダガーやレイピアの方があなたには合っていると思うのですが――」
「リルカはうちの看板娘だからな」
力任せに剣を振るい、敵をなぎ倒していた親父殿が言う。
「物騒な物を腰に下げてたら、客足が落ちちまう」
「か弱い女子は客受けがいいんだ。
あたしがいるだけで、売り上げが3割違うんだぞ!
ちなみに、親父が接客すると売り上げが3割落ちる」
バルロックは、ハハと笑った。
「私も頑張って接客します」
「俺の分も頑張れよな!」
……思った通り。
残念ながら、バルロックの接客はイマイチだった。
モノの名前が分からないし、そもそも金銭感覚が身についていない。
店を開いて早々、馬車での荷物整理に回された……。
バルロックが活躍し出したのは、仕入れを手伝うようになってからである。
2枚の白シャツを見比べて、
「この型の流行はすぐに終わります。
逆に、こっちは最先端のものに似てますから、来年も売れ続けるでしょう」
試しに先のシャツを値切って仕入れ、安く売りさばいた。
あとのシャツはほぼ言い値であるだけ仕入れ、もっと高く売った。
予想以上の利益を出した!
「すごい!
たいした目利きだよ、おまえ!」
「さすが城で仕えていただけあるな!」
質こそ違えど、先のシャツは物持ちの良い自分のシャツに似ているし、後のシャツは新し物好きな第一王子のシャツによく似ている。
流行の最先端は第一王子で、彼の逆鱗に触れないよう生きてきたバルロックは、彼の好みを熟知していた。
「この本は、古くから親しまれている物語の改訂版で、とても読みやすくなっています。
王室でも、古典の訳本として使われてるんですよ」
「そちらは、パレードで使われている音楽の楽譜です。
2年後に、第六王子の10歳のお祝いパレードが催されるのはご存じですか?
メインの楽器は貴族の子弟が独占しますが、太鼓や笛は一般募集があります。
曲を知っていると有利ですよ?」
好きな物を仕入れると、うまく接客できる。
客層が良く、言い値で売れるので、あっという間に目標を達成し、3ヶ月後には親父殿より多く売り上げるようになった。
ある日の夕方、馬車に荷物を片付けていると、
「城に仕えただけあって、おまえは博識だな」
と、リルカに褒められた。
「博識と言われるほどではありませんが、嬉しいです」
「売り上げ増のご褒美だ。
受け取れ」
「?」
渡された包みを開くと、白いシャツだった。
山小屋で助けた布屋がくれた、あの生地で作ってある。
「……良い生地なのですから、リルカさんの服を仕立てれば良かったのに……」
「だってあんた、王宮の制服と親父のお下がりしか持ってないだろ」
「今の私には、あの安く仕入れたシャツで十分です」
「そんなこと言わないで、着てみなよ!
あんた、品がいいから絶対似合うって!」
熱心に勧められ、バルロックは馬車の中で着替えることになった。
肌に馴染む生地。
城で着ていたシャツそのもので、今は嫌悪感すら覚える。
外に出て見せると、
「ほら、似合う!」
リルカは飛び跳ねて喜んだ。
バルロックとしては、新しいシャツというより昔のシャツを着せられているようで、気が沈むのだが――。
「プレゼントをもらって喜ばれるのは、初めてです」
贈り物とは、もらう側よりあげる側が嬉しいものなのか。
「なあ、ちょっと剣も下げてみろよ」
調子に乗ったリルカは、リクエストしてきた。
「せっかく、兵士の服を脱いだのに、剣ですか?」
「いいから、頼むよ!」
懇願されバルロックは、渋々、外したベルトを着け、剣を下げた。
これもまた、稽古に向かう数ヶ月前の自分のようで、気が萎える。
「親父、見てくれ!」
リルカに呼ばれ、親父殿までやってきた。
「ほう! 似合うな!」
「だろ?
その格好のまま宿に戻ろうぜ!」
「え?」
正直、嫌だ。
せっかく城を出たというのに、こんな格好はしたくない。
「あんた、腕っ節も強いし、騎士様みたいだ」
リルカが言う。
「騎士、ですか?」
「女を守って戦う者を、騎士って言うんだろ?」
「いいえ。馬に乗って戦う者を騎士と言いますよ?
私は騎乗しませんから、今、戦いに出るとしたら兵卒から――でしょうかね?」
「兵卒……」
ショックを受けたらしく、リルカはがっくり落ち込んだ。
兵卒に問題でもあるのだろうか。
「すみません、騎士ではなくて」
「いや……、おまえは騎士でなくても格好いい。
なあ、そのまま戻ろうぜ」
「……」
結局、着替えないまま戻ることにした。
いつも通り、リルカは馬車の幌に入り、バルロックと親父殿は馭者台に座る。
リルカから、この姿は見えない。
馬の手綱を握る親父殿が、
「すまないな、あいつのワガママに付き合わせて」
申し訳なさそうに言った。
「いえ――。
リルカ嬢は白シャツと剣がお好きなのですね」
「いや。
あいつはお姫サマ気分に浸りたいだけだ」
「?」
分からない。
仮にバルロックが騎士だとして、なぜリルカが『お姫サマ』気分になれるのか。
「か弱い自分を守ってくれる騎士様に憧れてるんだ、あいつは」
「リルカさんはか弱くないと思います。
十分にお強いですよ?」
「そうなんだよ。
不憫なヤツだ……」
哀れんでいるのか。
親父殿は肩を小刻みに震わせている。
「リルカのやつ、ヘタに腕っ節がいいから、守られる前に自分でやっつけちまう!
あいつがやりたいのは『助けて~』って叫んだ時に、『私がお守りします』って騎士が来る、アレだっつーのにな!」
ガハハハと大笑いしだした。
どうやら、吹き出すのをこらえていたらしい。
「……」
『助けて~』というからには、姫様は危機的状況にあるのだろう。
主を危険にさらすとは、ずいぶんと職務怠慢な騎士だ。
「リルカさん、失礼します」
バルロックは身を乗り出して、馭者台の後ろの幌を開けた。
「なんだ、腹でも減ったか?」
乾し肉が残っていたはず――と、リルカはその辺を捜し出す。
「いえ、お腹は空いてません」
バルロックは言った。
「リルカさんは騎士に助けられることをお望みのようですが、私が一緒にいるからには、そのような窮地に陥ることはありません。
残念ですが、安心してください」
「な……っ!」
リルカは真っ赤になった。そして、
「てめー、親父!
バルロックに何、言いやがった!?」
バルロックを押しのけて幌を飛び出し、運転中の親父殿に掴みかかる。
「リルカさん、危ない!」
「リルカ、良かったじゃないか!
バルロックが守ってくれるってよ!」
ガハハハハハハハ!と親父殿が豪快に笑う。
「黙れ、このクソ親父!」
その夜、リルカは機嫌を損ねたまま、誰とも口をきいてくれなかった。
ただバルロックは、白シャツはリルカ嬢を守られている気にさせるのかと、少しだけこの服装が好きになった。
馬に水を飲ませるために、リルカとバルロックは森の中を湖に向かう。
親父殿は一人、馬車を守るために山道に残った。
年だから疲れるんだと、最近は、二人で使いに出されることが多くなった。
「曇ってるせいか、ずいぶんと湖の青が濃いな」
「リルカさんの瞳の色ですね」
「ここまで青くはないだろ」
二人は草むらに腰を下ろし、馬と一緒に休憩をとる。
夏の終わりで、風が心地良い。
鳥の鳴く声がして探してみると、岸辺に一羽の水鳥を見つけた。
「昼のメインにしようぜ!」
リルカはポケットからナイフを出す。
「やめてあげましょう」
バルロックは止めた。
「陰にもう1羽います。
夫婦だったら、可哀想でしょう?」
「2羽とも仕留めれば、可哀想じゃない。
肉が増えて私も嬉しい」
「…………1羽を仕留める時に、もう1羽は逃げ出しますよ」
「そんな薄情な鳥は肉になれ」
リルカは食べる気満々なのだ。
バルロックは、言い方を変えた。
「比翼の鳥だったら、残された1羽が私たちに襲いかかります」
「ヒヨクの鳥?
あれは水鳥だろう?」
「ああ、違います。
比翼の鳥とは、仲良し夫婦のことです」
「? 2羽並んで飛ぶから?」
「ちょっと違いますが、似たようなものですね。
聞いたことありませんか?
比翼の鳥、連理の枝」
「枝? 知らないな。
枝も仲良し夫婦か?」
「ええ。木は離れたところで芽を出しても、成長につれて近づいて、枝が絡み合うようになるでしょう?」
バルロックは湖畔の木々を指さし、リルカは見上げる。
「そう言われると――、手をつないでいるように見えないこともない」
そうこうしているうちに、水鳥は飛び立ってしまった。
「あー、バルロックのせいで、おかずに逃げられた」
「すみません。
私のパンをお分けします」
「いいよ。メシが足りない訳じゃないし」
リルカは寝転び、再び木々を眺める。
「――あの葉っぱの緑、バルロックの目みたいだな」
「確かに私の瞳は緑ですが――、あんなに濃い色をしてますか?」
「ほらな!」
笑われて、バルロックは先ほどの会話を思い出した。
「私の瞳と、リルカさんの瞳の景色ですね」
「気持ち悪いな!」
「ひどい……」
二人は、声を上げて笑った。
雲の絶え間から太陽の光が漏れてくる。
リルカは眩しさに堪えきれず、起き上がった。
そして、
「わあ……!」
目の前に広がる景色に、声を上げた。
「見ろよ、バルロック! すごい……!」
「え?」
バルロックは振り返った。
「これは……!」
空から、幾筋もの光が降り注いでいる。
湖面に反射して、もやがかかったような幻想的な光景を織り成していた。
「すごい!
薄明光線ですね……!」
「光線?
それは違うだろ、バルロック」
リルカはチッチッチと指を振った。
「これは、『天使のはしご』というんだ。
あたしが前に行った町じゃ、そう呼ばれてた。
バルロックは博識だが、光線なんてつまらない!」
「!
確かに……!
この景色に『光線』では情緒が足りない。
天使の、はしご……」
うまいことを言うものだ、と思った。
今にも天使が下りてきて、祝福のラッパを吹き鳴らしそうな光景。
「――リルカさんは、私に色々なものを与えてくれる」
バルロックはつぶやいた。
「ん? 一つ物を覚えて利口になったか?」
リルカが、軽口を叩く。
「ええ」
バルロックは素直に認めた。
「リルカさんは、何もなかった私の過去を意味のあるものに変えてくれる。
あなたこそが、私の生きる価値……」
「どうした、バルロック?
なんか、大げさなこと言ってないか?」
「ちっとも大げさではありません。
リルカさん」
バルロックは、リルカの手を取った。
「私はあなたと一緒にいたい。
騎士ではありませんが、あなたを一生、お守りしたい!
私と、結婚してください」
「!?」
リルカは固まった。
今、求婚された気がする。
求婚とは、こんな突然にされるものか?
「あた――、あたしは、あの――」
動転して、うまく言葉を繋ぐことができない。
その様子を変に察して、バルロックは慌てた。
「すみません!
無理を言いました!
リルカさんは騎士の方がよろしいのですよね。
忘れてください!」
「違う……!
無理、じゃない……」
真っ赤になったリルカは顔も上げられず、精一杯頑張ってバルロックのシャツの裾を掴む。
「騎士様に憧れるけど、好きなのはバルロックだから、無理じゃない……。
あたしも――、バルロックと結婚したい――」
「リルカさん……!」
帰り道、二人は手を繋いで並んで歩いた。
「親父殿に、なんと報告しましょう?
よく聞く話ですが、やはり、殴られたりするのでしょうか?」
「バルロックが殴られたら、あたしが殴り返してやる!」
「そこは……、見守っていてください」
さて。
親父殿は馭者台に寝転んで、退屈そうに2人を待っていた。
「親父ー、話がある」
「なんだ?」
起き上がって振り返ると、リルカとバルロックは、まだ手を繋いでいる。
「なんだ、今日は仲良しだな。
バルロック、リルカを嫁にもらわないか?」
「はい、ぜひ」
「……」
終了。
「この……、クソ親父……!」
リルカがぶち切れて、親父殿に飛びかかった。
「せっかく、バルロックがいろいろ考えてくれてたのに!」
「なんだよ、俺が何したっていうんだ!
良かったじゃね―か、嫁にもらってくれるってよ?」
「くたばれ!!」
国境の町、マベツで二人は結婚届を提出した。
「こいつ、頭を打って名字が思い出せないんだ。
大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。
バルロックさんと、リルカ=グリーンさんですね。
おめでとうございます」
無事に受理され、バルロックはホッと胸をなで下ろした。
名字を書かないこともそうだが、本名すら名乗っていないことが不安だったからだ。
「これが結婚証明書です。
本日に限り商店街で使えますよ」
「?」
『この二人が夫婦であることを、マベツ町役場が認めます』と書かれている証明書。
商店街でどう使うというのだろう?
「これを持って行くと、指輪や家具が半額で買えるんですよ」
「なんと!」
親父殿を含めた三人は、そのまま商店街に向かった。
「雑な役所でしたね。
現住所や出生地を書けと言われたら、どうしようかと思ってました」
「国境の町だし、皆が皆、定住者じゃないからな。
というより、これはアレだ。
役場と商店街の陰謀だ」
「バルロック、指輪買おうぜ、指輪!」
リルカは一人、はしゃいで先をゆく。
親父殿は言った。
「おまえは、買う予定のなかった指輪を買わせられる」
「いえ、求婚の前に用意しておくべきでした。
リルカさんには申し訳ないことをしました」
「いいんだよ、バルロック」
リルカの目が、キラキラと輝いている。
「思い立ったが吉日って言うだろ?
指輪を用意してからの求婚じゃ、半額券がムダになるところだった!」
指輪はもちろんそうだが、半額というお得感が割増しで嬉しいのだろう。
「結婚指輪は、割引で買う物ではないと思いますが……」
「そこは安心しろ、バルロック」
親父殿はこそっと耳打ちする。
「店主は絶対、定価の倍の値を付けて待ち構えている」
「……」
三人は、宝飾店に入った。
「いらっしゃいませ~、結婚ホヤホヤのご夫婦様でいらっしゃいますね!」
店主は売る気満々だ。
「指輪を見せてくれ!」
「こちらのケースにたくさんあります!
どれも、一流品でございますよ」
「うわ、高いな」
「役場の証明書はお持ちですか?
どれも半額になりますから、この機会に良い物をお選びくださいませ。
このダイヤなんかいかがです?
付けてみてください」
「似合うかなあ?」
リルカは取っ替え引っ替え指輪を試し、楽しそうだ。
全く興味のない親父殿はソファに座って出された茶を飲んでいる。
バルロックは壁際の陳列ケースを眺めた。
宝飾品は、後宮の着飾った女達を思い出す。
ああいった労働をしない女人ならいいのだが、大きな石の付いた指輪など、リルカはどこでするつもりだろう?
日常生活の邪魔にならないだろうか?
バルロックは一つの指輪に目を留めた。
プラチナの平べったいリングで、小指の先くらいのサファイアが埋め込まれている。
その青が、リルカの瞳の色とおんなじだ。
「バルロックのはどれがいい?」
「え? 私も、ですか?」
「結婚指輪だから、おまえもだろ」
「そうだな。
バルロックも指輪をした方が良い」
親父殿が口を挟んだ。
「他の女に誘われると、リルカが怒るぞ」
「親父、黙れ!」
リルカはバルロックを引き寄せてショーケースを見せる。
「どれにする?」
「これなんかは、いかがでしょう~?」
店主には、見栄えの良い金の指輪を薦められた。
「――――でしたら、あちらのサファイアを見せてください」
バルロックは、後ろのケースを指さした。
「あの、あちらは結婚指輪にはちょっと物足りないかと――」
「石が気に入ったのです。
かぎ爪で留めているのではなく、埋め込まれているのもいい。
普段使いでも邪魔にならないデザインですし」
「おまえ、サファイアなんか好きだったのか」
リルカも、後ろのケースを見に行く。
「リルカさんの瞳と同じ色なんです」
「へー。
じゃあ、あたしはこっち緑の石にしようかな」
リルカは、エメラルドの指輪を指さした。
同じデザインで、一回り小さいものがちょうどある。
「付けてみたい!
二つとも、出してくれ!」
「え……、ええと、こちらは紳士の小指用ですし、サイズ調整のできないデザインですので、お合いになるかどうか……」
店主は明らかにテンションを落とし、それでも仕方なく指輪を二つ出した。
運悪くそれは、
「あたしの指に、ピッタリだ!」
「私もです」
二人の薬指にちょうどよくはまった。
「このまましていくから、包まなくていい。
箱もいらない。
半額でいいんだよな?」
「え? え、ええ。
ありがとうございます……。
お二人の未来に祝福がありますよう――」
三人は、さっさと金を払って店を出た。
リルカの指に、緑の石の指輪。
バルロックの指に、青い石の指輪。
「あー、良かった!
そっちのケースは半額じゃないって言われたら、どうしようかと思った」
「半額じゃなくても、買いました。
でも、いいんですか?
ダイヤの指輪を気に入ってらしたのでは?」
「あれは見て楽しむもので、付けてたら何もできない。
途中で気づいたよ」
リルカはご満悦だった。
「バルロックの目と同じ色。
きれいだなー」
親父殿は言った。
「おまえら、悪趣味だ。
お互いの目玉を指にはめるだなんて、怖くて浮気もできねえ」
「しませんよ、浮気なんて」
「親父、最低だな!」
一行はこの後国境を越えて、サンリクに入る。
カイソクの山の家に戻ってきたのは4ヶ月後、冬に入ってからだった。
「なぜ、町ではなく山に住んでいるのですか?」
暖炉に薪をくべながら、バルロックは聞いてみた。
「不便ではありませんか?」
「うーん」
夕飯の支度をしながら、リルカは答える。
「数年前までは、あたしらも町で冬を過ごしてたんだ。
あたしが学校に通ってたから」
「ああ、この辺では学ぶところがありませんからね」
「でも、学校を卒業したら、冬の3、4ヶ月だけ住むのに町の家賃は高すぎるんだ。
その点、ここはタダ同然だし」
ドアがバンッと開いて、親父殿が戻ってきた。
「食料、買ってきたぞ。
バルロック、野菜を運ぶのを手伝え」
「はい」
冬の間、食料は納屋で保存する。
雪で冷え込み、天然の冷蔵庫になるのだ。
「うー、冷えてくると足が痛むな。
俺も年を取った」
「荷物は私に任せてお休みください」
「何を言ってる。
まだまだ、俺の方が力持ちだ」
最近、親父殿は身体の痛みを訴え始めた。
もう、旅をする生活は辛いのだろうか。
「親父殿は――、町で店を開くことは考えていませんか?」
今度もバルロックは聞いてみた。
「店って、屋台じゃないほうの店だよな?
昔、王都のオーリンで経営してたよ」
彼の答えは意外だった。
「夫婦で旅商人をやってたんだが、リルカが生まれて定住したんだ。
まあ、定住つっても、女房が店、俺が仕入れで、ほとんど家には居なかったけどな」
「それは――、お互いお寂しかったでしょうね」
「まあな」
親父殿は白菜をどかどかと積み重ね、むしろを被せる。
バルロックはにんじんやジャガイモを運んだ。
「女房が死んで、3歳のリルカと二人になった時、もう旅はやめようって思った。
でも、3ヶ月ももたなかった。
じっと町に留まってるのに我慢できなくて、店を売って、リルカを連れて旅に出た」
「小さいリルカさんを連れて、ですか?」
「何とかなるもんだよ。
定住に、俺は向いてないんだ。
あの3ヶ月が限界だった」
どうやらこの親父殿、働き者と思いきや、じっとしているのが苦手なだけのようだ。
「リルカが学校に行く年齢になった時も、定住を考えた。
でも、リルカも家というものに向いてないんだ。
早々にあきらめて、冬の間だけ、学校に通わせることにした」
作業を終えて納屋から戻ると、テーブルにはすでに夕食の準備がされていた。
「おお!
早速、肉を焼いてくれたか!」
「コート脱げよ。
冷めないうちに食べようぜ」
頭の雪を払い、コートを脱いで、着席する。
買い物に出た日の食卓は豪勢だ。
親父殿は肉に食らいつきながら、
「バルロックは定住を考えてるのか?」
と聞いてきた。
「え?
なに、バルロック?
さっきの話はそういうこと?」
リルカがうろたえる。
「いえ、違うんです」
バルロックは慌てて否定した。
「私にも、定住するつもりはありません」
王都に住むのも、近隣に住むのも落ち着かない。
それでも、城の様子は気になるのだ。
旅を続け、年に1度帰ってくるこの暮らしがちょうどいい。
「ただ――、親父さんの身体が辛そうなので、旅を続けるのは限界なのかと――」
「なんだ、そんなことか」
リルカは言った。
「このクソ親父のために、考えなくていいよ。
定住して健康になるより、無茶してのたれ死ぬ方を選ぶバカ親父だ」
「なんだと?
おまえだってバカ娘じゃねーか。
せっかく町の学校に入れたのに、毎日抜け出しやがって!
卒業するのに12年もかかりやがった!」
「ずっと机に向かってると、飽きるんだよ!
あたしがバカなのは、バカ親父の血を引いてるからだ!
バカの根源っ!」
「バカ娘!」
二人は罵り合い続けたが、バルロックは一安心して先に食事を終わらせた。
「リルカさん、ナイフを貸してもらえますか?」
「何すんだ?」
バルロックはナイフを受け取ると剣を出し、暖炉の前に座った。
「教えろよ?」
リルカも食事を終わらせ、バルロックの隣に座る。
バルロックは剣の柄に、文字を彫り始めた。
「数年前、兵士たちの間で流行ったんです。
恋人の名前を刻むと、戦で死なないって。
興味深く見てたのをさっき思い出しました」
「数年前はやらなかったのか?」
「恋人がいませんでしたから」
「あ、そっか」
リルカは、自分の名前が刻まれていくのを満足げに眺める。
「おまえら、仲良いよなー」
一人、食卓に取り残された親父殿は冷やかす。
「そりゃ、夫婦だからな。
あたしらは比翼の鳥なんだ。
なあ、バルロック」
「連理の枝ですよね」
「なんだよ、トリとかエダとか。
教えてくれ」
「――申し訳ありません。
恥ずかしいので勘弁してください」
「仲間はずれはやめろ!」
親父殿は膨れたが、それでもリルカたちの幸せそうな姿に頬を緩ませた。
「――そうだ、おまえら」
「なんだよ、かまって欲しいのか?」
「違うわ! 聞け!」
バルロックとリルカは、素直に親父殿に向き直る。
「今日、山を下りる途中で旅人に聞いたんだ。
王都で変な病が流行ってるって」
「伝染病ですか?」
「多分、そうだな。
それで王都には行かず、ラヌカで買い物をした。
おまえら、当分、山を下りるなよ」
「ああ。
その予定もないしな」
「心配ですね。
王都では5、6年に一度は伝染病が蔓延しますから」
「大都市っていうのも善し悪しだな」
この不穏な病が、2ヶ月後に夫婦を引き裂く。




