虹の谷、長老
翌朝、朝食をとると、グリーンとマリイは谷の散策に出た。
湖畔の朝は素晴らしい。
透明度の高い水面に、湖畔の木々が映っている。
風がさわやかに吹き渡った。
「こんな素敵な場所なのに、あたしたちしか観光客がいないなんて、不思議ね」
「この時期だからな」
木陰にベンチを見つけて喜んでいるマリイを無視して、グリーンはセツゲンへと続く道を先にゆく。
「もう! 何か、面白いものでもあるの?」
「道が悪い」
グリーンが見ている地面はまだぬかるんでいて、ちっとも面白くない。
「忘れてたよ。
この地方は、この時期に雨が多いんだ。
そういえば、ウバクロでも雨で足止めくらったっけ」
「雨期があるのね。
あたし、雨、嫌いだわ。
馭者台でおしゃべりできないから、つまんない」
「おまえは幌に逃げればいいけど、俺はずっと手綱を握ってなきゃいけないから、つまらないどころか、辛い。
いつまで続くんだろうな、長雨……」
二人はセツゲンに続く道を更に行く。
「湖畔を離れると、すぐに道が険しくなるのか」
道の脇に、湖から流れ出ている川がある。
雨で増水した川が通路に溢れ出てて、道の真ん中にまで、細い川ができていた。
右に断崖、左に川で、道幅は馬車一台分。
しかも、下り坂が続くその先は、急カーブだ。
「ひどい道だな!」
「うちの馬車、通れそう?」
「水が引いてからじゃないと無理だ」
「滑って転んだら、川に落ちるわね。
こんなひどい道を通ってくるんですもの。小麦が高いわけだわ」
「セツゲンから戻ってくる時は、時期を選ばないとな」
宿に戻り、二人は女将の用意してくれた昼食を取った。
焼き魚の定食だった。
「なに? この魚、すごくおいしい!」
「本当だ。赤いけど、鮭にしては小さいし。
なんだろう?」
「ヒメマスだよ」
女将が教えてくれた。
「湖で捕れる魚だ。
気に入ると思ってね」
「気に入ったわ!
初めて食べるお魚よ」
「マリイ、これ絶対、手で食べた方がうまい」
そう言うとグリーンは箸を置き、頭と尾っぽを持って、ガブッと噛みついた。
「やっぱり!
お前も手で食えよ」
「でも……」
グリーンがあまり旨そうに食べるのでマリイもやってみたくなったが、女将にどう思われるか気になった。
この谷で何かをしでかすと、母の名誉まで傷つけてしまう。
「好きに食べなよ」
そう言ってもらえたので、マリイはさっそく箸を置き、魚にかぶりついた。
「本当! この方が美味しい!」
女将が、「ブハッ」と吹き出した。
「………お行儀が悪かったかしら?」
マリイは落ち込む。
「違うよ、ゴメンゴメン」
女将は笑いを抑えようと努力しながら謝った。
「その魚は、そうやって食べるのが一番旨い。
あんたがお姫様だから、皿に乗せて箸を添えただけ」
「気を使ってくれたのね。
このまま食べていいかしら?」
「どうぞ、ご自由に」
マリイはハグハグと魚を食べ進める。
「マリイ、魚ばっか食べてると、ご飯が残るぞ」
「お漬け物で食べるから、大丈夫」
「この漬け物もうまいな。
いぶした大根だ」
「ご飯と合わせても美味しいけど、お茶との相性も抜群ね。
ねえ、女将さん、お茶のおかわりを――」
「あはははははは!」
女将が大笑いした。
昨夜、グリーンは彼女から笑顔が消えたことを心配したが、今日はいったいどうしたことだろう。
「あたし、何かした……?」
さすがに不愉快になるマリイ。
「いや、すまない。そのごはんはね、」
ヒーヒーと、止まらぬ笑いを押さえながら、彼女は言う。
「メアリの好物だったんだ」
「え?」
「私たちは年に数回ここに来てたけど、メアリはそればっかり食べてた。
魚、漬け物、おにぎりの三点セット。
ご飯をおにぎりしてあげたかったけど、私は米を握るのがヘタでね」
「確かに、このセットだとおにぎりがいいな。
そしたら、全部手で食べられる!」
グリーンは茶碗と箸を見ながらうなづいた。
マリイはもう、ご飯どころではない。
「女将さんは母様を知ってるの!?」
「メアリはね、私の幼なじみだ。
嫁ぐまでずっと一緒にいた。
親友だったんだ」
「!」
立ち上がるマリイ。
母を知っている人が、目の前にいた!
「あたし……、母様のことよく知らないの。
誰に聞いても教えてもらえなくて……。
教えてもらえると、嬉しいわ……!」
「メアリは、」
彼女は懐かしそうな顔をした。
「とりあえず、あんたみたいに上品なお譲さんではなかった。
魚を箸で食べるような、町のお行儀は知らない」
「城ではみんな、母様は美しくて上品な王妃だったって言うけど――」
「私の知っているメアリからは、想像もできない。
すごい特訓でもして、生まれ変わったのかな」
そう言えば、長老もそのようなことを言っていた。
「あたしの笑いが止まらなくなったのはね、」
女将はマリイを見る。
「メアリも漬け物でお茶を飲むのが好きだった。
お代わりを欲しがるところまで、あんたはメアリにそっくりだよ」
「……!」
言葉にならないくらいに嬉しい。
美しく、賢く、上品で、勇敢だという王妃にちっとも似ていないのが、マリイの長年のコンプレックスだった。
この谷では、みんながマリイを母にそっくりだと言ってくれる。
「女将さん、あの――」
「ああ、悪い」
彼女は言った。
「私は、本物の女将じゃないんだ。
本物が料理人として迎賓館に出向いてるから、代わりに留守番してるだけ。
この時期に客は来ないと思ってたのに、あんたたちが来て焦ったよ。
しかも、それがメアリの娘だなんてな」
「女将さん――じゃないなら、なんてお呼びしようかしら?」
「それが――、」
彼女は言いにくそうに口籠もった。
「わたしは、マリイっていうんだ」
「マリイ?」
「メアリから、娘に私の名前を付けたと知らされた時は照れくさかった。
小さい頃、娘が生まれたら、お互いの名前を付けようって約束したのを覚えてたんだな」
「女友達って、そんな約束するのか」
グリーンに女心は分からない。
「私は娘に違う名前を付けたから、後ろめたい。
約束は覚えてたけど、メアリが嫁いでから生まれた子で、さすがに王妃の名前は恐れ多かった」
「娘さんがいるのね」
「私と同じ騎馬戦士だよ。
今回は新参者がうろちょろ出来るような会合じゃないから、おいてきた。
会わせてみたかったなあ。
親子2代で友達になったら、最高に面白い」
グリーンは娘よりも、それほど大事な長老会議の内容が気になった。
尋ねてみようとした時、
「マリイ隊長はどちらかしら?」
玄関から、大人のマリイを呼ぶ声がした。
先ほど騎馬戦士だと聞いたが、彼女は隊長をしているらしい。
「あれが、本物の女将だ」
マリイ隊長は、「食堂にいるよ」と声をかける。
本物の女将が顔を出した。
隊長よりちょっと年上らしきまあるい女性。
「あら、はじめまして、お姫様。
そして、グリーンさんね?」
柔らかな物腰は、まさしく接客業人で、代理の者とは大違いだ。
「お二人に、長老から伝言です。
会議が始まるのでお越しください、って」
「私が送っていこう」
「よろしく、マリイさん。
――あら?」
女将は、テーブルの食事あとで気がついた。
「まあまあまあ!
ひょっとして、昼食は焼き魚とご飯とお漬け物?」
焼くだけ、よそうだけ、切るだけ、である。
ちなみに朝食は、ご飯と佃煮ときゅうりの漬物とみそ汁で、よそうだけ、切るだけ、温めるだけ、だった
「お鍋の煮物、どうしてお出ししないの?
副菜の和え物は?」
「時間がなくて出せなかった!
姫さん、グリーンさん、急ごうっ!」
大人のマリイは2人を急かし、玄関へと促した。
「おかずが少ないなんて、宿としての評判に関わるわ!」
本物の女将が、文句を言いながら皿を下げているのが聞こえてくる。
その後に、厨房から、
「きゃあ、お鍋が黒焦げ!
お菜がひっくり返ってる!
それになあに、この米粒!?」
悲鳴があがった。
どことなく漂う焦げ臭は、焼き魚ではなくそれだったのか。
大人のマリイさんは、鍋料理もおにぎりも、振る舞ってくれようとはしたらしい……。
昨日と同じ湖畔の小道を3人は行く。
途中、マリイが彼女に尋ねた。
「今日も部族長が集まってるの?
あたし、何すればいいのかしら?」
「さあ……。
私にもどうなるか分からない」
グリーンは、少なくとも「今、どうなっているか」は知っている訳か、と解釈する。
「昨日は皆さんにちゃんとご挨拶できなかったから、今日はちゃんとしないと!」
挨拶は王女としての基本なのか。
マリイは歩きながらも何度かシミュレーションし、一行は迎賓館に辿り着いた。
昨日と同じく扉が開かれ、2人はホールに通される。
「よく来ましたね、二人とも」
今日はグリーンも円坐に招かれた。
落ち着かないが、指示されるがままにマリイの隣に座る。
「さて、本題に入りましょう」
残念ながら、マリイに挨拶をやり直す機会は与えられなかった。
長老は、昨日の祖母の顔ではなく、厳しい顔つきで「マリイ」と名を呼んだ。
そして、
「我々はね、おまえは死んだと聞かされていたのです」
と続けた。
「え?」
「5日前の話です。
サンリク城から使いが来て、家出したおまえが賞金稼ぎに殺されたと聞きました」
「それは――」
ウバクロでの、トノイ兄弟の件だろうか。
でも、あれは5日前ではなく、3日前のことだ。
無事に解決したはずだし、そもそも役人は取り合ってくれなかったのだから、事件になってもいないはず――。
「マリイ、違う」
グリーンは、マリイの思考を読み当てるかのように否定した。
「使いがサンリク城から来てるなら、トノイ兄弟のことじゃない。
ウバクロから王都に情報が伝わるまで、3日かかる。
さらに王都からここまで連絡が伝わるのに4日。
つまり俺たちがウバクロに着く前に、サンリク城では、おまえは死んだことになってたんだ」
「……?」
マリイは首を傾げる。
「なんで?」
「なんでって――」
グリーンも首を傾げる。
なんでだろう?
3日前、ウバクロの役人や軍人達は、まだ『マリイ王女捜索』の召集から戻っていなかった。
マリイ王女の死亡が確認されていたなら、彼らは帰されていたはずだ。
マリイが生きているにも関わらず死亡を発表し、死亡を発表したのにも関わらず、北方の役人や軍人を帰さない理由……。
「我々を怒らせるため――、でしょうね」
代わりに、長老が答えてくれた。
「?」「?」
それでも分からない。
2人は、反対側に首を傾げた。
「虹の谷を怒らせて、サンリクになんの得が?」
「サンリクの他に、得をするヤツらがいるのでしょう」
「他?
って、開戦が噂されているカイソクですか?
まさか! それはないよ!」
サンリクとカイソクは同盟国である。
何の戦う理由があるというのか?
長老は、つぶやく。
「—―—―セツゲン」
「セツ――?」
その国名は予想外すぎて、グリーンの口が開いたまんまになった。
「いや……!
さすがに、マリイとセツゲンは関係ないんじゃ……」
「長雨が明けて地面が乾いたら、セツゲンがサンリクに攻めてきます」
「へ?」
「お祖母様、それはあり得ません!」
マリイが口をはさんだ。
「だって、セツゲンとサンリクの間には、虹の谷があるもの!
いくらセツゲンがだって、そんな虹の谷を軽んじるようなマネ――」
「今回、虹の谷はセツゲンを素通りさせます。
我々はここを放棄し、草原で独立する」
「!」「!」
グリーンは、セツゲンの市場が慌ただしかったという、旅商人カク氏の言葉を思い出した。
セツゲンの主食であるイモや小麦が値上がりしていることも――――。
「お祖母様、どうして――」
「私の孫を殺されたからです」
長老は続ける。
「グリーンさんはさっき、マリイとセツゲンは関係ないと言いましたね。
虹の谷にはあります。
我々は早くにメアリを亡くしたことで、すでにサンリクに不信感を抱いていた。
いつ、サンリクを見捨てても良かったのです。
そして、今回の件。
メアリだけでなく、孫まで殺されたと言ってきた!」
「あた――、あたしは生きてます!」
マリイは立ち上がった。
「それに、お母様がお亡くなりになったのは、サンリクのせいじゃないわ!
もともと病弱だったんですもの。
あたしを産んだことで早くに亡くなってしまったのは、あたしの――」
「マリイ」
長老は遮った。
「うちの一番隊マリイ隊長をどう思います?」
「マリイさん?」
大人のマリイのことだ。
マリイは意味が分からずに、とりあえずの感想を口にした。
「美しい方――だと思います。
お母様の親友だったとお聞きしました。
騎馬戦士だそうだし、体つきも強そうで――――」
「そう。マリイ隊長は強い。
メアリはね、マリイよりもずっと強かったんです。
嫁に行ったのは20歳の時でしたが、その時はもう先発隊を率いて戦っていました」
「…………?」
マリイは、何かおかしいとひっかかってはいたが、その原因が分からずにいた。
「マリイ隊長を見て、病弱そうだと思う?」
「それはないです。
とても丈夫そうに見えるわ」
「そうね。病弱な騎馬戦士なんかいない」
「!」
ようやく、分かった。
「メアリはとても丈夫で、頑強な戦士でした。
――マリイ」
長老は改めて問う。
「おまえに、メアリは病弱だと教えたのは誰?
その者は、お前を城から追い出したのと、同一人物ですか?」
「――」
マリイは、ある人物の顔がすぐ頭に浮かんだが、それを口にすることはできなかった。
「その者が、今回の騒動の原因です。
虹の谷をたきつけ、サンリクを陥れた。
セツゲンに踊らされているのかもしれない」
「…………」
信じられない。
どうして信じられよう。
彼女はマリイの母親代わりだった。
辛い時、悲しい時、いつもそばに居てくれた。
「ゾフィは……、そんなことしない……」
「ゾフィ、というのですか」
「長老、マリイを家出させたのもそいつだ」
グリーンが口を挟む。
「目印に、サンリク金貨を5枚も持たせていた」
「昨夜、あなたは金貨の出所が怪しいと言いましたね」
「一介の使用人に用意できる額じゃないからな」
「それについては、心当たりがあります」
長老は苦い顔をした。
「ガルドという男。
メアリが嫁ぐ時、谷とサンリクとの連絡係として、一緒に付いていきました。
今回、マリイが殺されたと早馬をよこしたのがこの男です」
「ガルドは独立派だったな」
族長の一人がつぶやき、
「そうだ」と、族長の一人が答えた。
「うちの部族から出た者で、当時、独立派の中心人物だった」
「あいつなら、メアリが死んだ時に帰ってくると思ってたんだがな」
「サンリクで出世でもしたんじゃないか?」
「ガルドは……」
震える声で、マリイは答えた。
「サンリクの、外務大臣です。
あたしが城を出る前、セツゲンの大使が頻繁に会いに来てた。
あたし、リヨク王子との婚約を控えてたから、お客さんをチェックしてたの……!」
そう。
マリイはリヨク王子の情報が欲しくて、しょっちゅうゾフィをガルドの元に通わせていた。
彼女が裏切っていたとするなら、いつから?
マリイが『王妃は病弱』と教えられたのは、母が亡くなってすぐの時だった。
その時から、すでにマリイを欺いていたのだろうか。
「――マリイ」
長老の声は、「お祖母様」だった。
「あなたは戻っていらっしゃい」
「え……?」
「私と一緒に、草原で暮らしましょう。
メアリが育った場所です。
サンリク城に戻る必要はありません」
「……」
マリイはグリーンを見る。
これから先の予定は、グリーンと共にあった。
一緒にセツゲンを回って小麦粉を仕入れ、ウバクロでトノイ兄弟にお菓子を焼かせて二人で売る……。
「いいよ、マリイ。
好きな方を選べ」
グリーンは言ってくれた。
「一度指名手配されたら、この先もずっと狙われる。
手配を広める役人は多いが、手配解除を広める役人はいないからな。
一族に守られるなら安心だ」
「…………」
お祖母様と草原で暮らす?
それはいいかもしれない。
ここには母を知る人がたくさんいる。
母の思い出話を聞きながら、マリイ隊長の娘と仲良くなれたらどんなに楽しいだろう。
でも――。
マリイの傍らで、族長たちは発言を重ねている。
「マリイ嬢のことはともかく、今後、虹の谷はどうする?」
「策に乗せられてセツゲンを素通りさせるのは癪だな」
「セツゲンを叩いてもいいが、サンリクを儲けさせるだけだ。
踊らされた挙げ句、タダ働きさせられるようなものでは?」
「この期に独立というのは続行か?
どうせするなら、セツゲンに虹の谷とウバクロをくれてやることはない。
我々がウバクロを落として、領土を広げれば良い」
「そもそも、これがガルドの策略だとしたら、独立案は白紙だろう?
長老と族長を騙して独立をたきつけるなんて、やりすぎにも程がある」
「いや、独立はガルドの発想ではなく、昔からある派閥の考えだ。
この機に乗じてもいいのでは?」
長老も口を出した。
「ガルドにはマリイの件で個人的な恨みがありますが、谷の将来を考えてやっていることは間違いないでしょう。
独立案も含めて再考します」
「お……お祖母様――」
マリイは青ざめた。
「虹の谷は……、サンリクを見捨てるのですか?」
「違いますよ、マリイ。
サンリクが長いこと虹の谷を捨て置いてきたのです」
長老は続ける。
「メアリが死んだ時、サンリクがなんと伝えてきたと思います?
あの者たちは、よりによって落馬による事故死と伝えてきたのです。
メアリに限ってはあり得ない。
ガルドは謎の突然死と言うし、おまえは衰弱死と言う。
サンリクはメアリのことを何か隠しています。
私が詳細を求めて送った書簡も、長いこと放ったらかしのようですしね」
そして、付け加えた。
「おまえも、サンリク城が嫌でここまで逃げてきたのでしょう?
私は、娘も孫も居ないサンリクなど、どうなっても構わない」
「……!」
長老からは、強い怒りが伝わってくる。
マリイの目に涙が浮かんだ。
なぜだろう。
父とは折り合いが悪かった。
ゾフィには欺かれていた。
城に思い残すことはない。
なのになぜ、胸が痛むのか。
「サ……サンリク国民が、巻き込まれます……」
マリイの想いは、城の外にあった。
「虹の谷が見限ったとなると、サンリクが侮られます……。
セツゲンの侵攻が、現実のものになる……!」
「そうでしょうね。
サンリクは虹の谷を当てにして、北方の軍備をおろそかにしてきました。
ウバクロなど、あっという間に侵略されるでしょう。
セツゲンはウバクロの石炭を喉から手が出るほど欲しがっていますから」
「石炭?」
グリーンが聞き返した。
「ヤツらの狙いは、炭坑か!」
「セツゲンは北国ですからね。
夏ですら冷え込む時期があるそうですよ。
あちらにも炭坑はあるのでしょうが、ウバクロのものは良質で採掘量も多い。
まあ、温暖なサンリクには宝の持ち腐れですけど」
長老はマリイの肩に、手をかけた。
「マリイ、カイソクの王子とは結婚しないのでしょう?
この先の同盟もどうなるか分かりませんし、サンリクを見限る時が来たのでは?」
「…………」
マリイの目から涙があふれ出す。
「ダメです……。お祖母様、サンリクを助けてください……。
私の国なんです。
旅をして、大事な人がいっぱい増えました。
馬車を譲ってくれたシュウとビビ、アシリのダイアナ、ウバクロのトノイ兄弟……」
手芸店のおばちゃんや、食堂で仲良くなった旅商人、通行許可証をくれた役人の隊長、旅先で会った人たちが次々とマリイの頭に浮かぶ。
「あの人たちを、戦争に巻き込むことなんてできません。
サンリクの非礼は、私がお詫びします。
城に戻って、父様に謝罪させますから……」
「逃げ出して来た城に、戻れるのですか?」
「戻って――」
マリイはグリーンを見た。
マリイの発言に、ちょっと驚いている。
「グリーン……」
彼はマリイを助けてくれた。
彼がいたから、マリイはこの虹の谷まで来られたのだ。
一人だったら、きっと王都を出ることすらできずに捕らえられていただろう。
グリーンを見るのが辛くて、マリイはギュッと目を閉じた。
だから、涙がボロボロこぼれた。
頑張って、声を振り絞る。
「あたし……、城に戻ってカイソクの王子と結婚します……!」
「マリイ!」
グリーンが呼び止めた。
「何、言ってんだよ!
結婚したくなくて、ここまで来たんだろ!?」
マリイは、うっうっと嗚咽を漏らした。
もう、洗いざらいしゃべってしまった方が楽になる。
「あたし……、本当はカイソクの王子に逃げられたの。
王子は、最初っからこの結婚に乗り気じゃなかったのよ。
手紙も、姿絵も、何一つ寄こさなかった。
あたしは、王子に逃げられた事実を受け入れたくなくて、逃げ出したの……!」
「そんな――」
「でも……、もう、大丈夫……!」
マリイは濡れた顔を上げ、まっすぐに祖母を見た。
「父様はこの結婚を諦めていません。リヨク王子を捜しています。
王子が見つかったら、あたしが、王子を説得します。
サンリクとカイソクの同盟は崩れません。
お願いします。
虹の谷は、サンリクを捨てないでください……!」
「マリイ――」
しばらくの間、マリイがヒックヒックとしゃくりあげる声だけがホールに響き、やがて、族長の一人が言ってくれた。
「マリイ嬢に応える訳じゃないが、サンリクとカイソクの同盟が続くなら、独立なんぞしないで、これまで通り、多額の軍備費をいただいた方が良いのでは?
ヘタに独立して、背後にセツゲン、前に連合軍では長期戦になる」
違う族長が反論する。
「今が絶好のチャンスだというのに、また独立を諦めるのですか?
当初の予定通り、セツゲン侵攻の混乱に乗じましょうよ!」
もう一人の族長が異を唱える。
「わしは最初からこの戦に反対だった。
草原の民は、すぐに湖畔の町を切り捨てると言い出すが、ここにはケガや病気で遊牧できなくなった者たちが大勢暮らしとる。
簡単に捨てちゃいかんだろう」
「――マリイ」
長老はマリイに向き直った。
「もう一度、おまえの立場を聞きましょう。
私の孫として虹の谷に残るか、それとも、サンリクの王女として城に帰るのか」
マリイは手を硬く握りしめた。
泣いちゃいけない。
泣かずに、前を見るんだ、マリイ!
「あたしは、サンリクの王女です。
城に戻ってリヨク王子と結婚し、カイソクとの同盟を維持します」
「そうですか――」
長老は、残念そうな顔をしなかった。
「でしたらマリイ、この場にいてもらうことはできません。
宿で待っていなさい」
「はい……」
一族であることを切り捨てた今、族長会議の場にいることはできないのだ。
もう、外で結果を待つしかない。
マリイは、その場で深く頭を下げた。
「サンリクは……、王妃の故郷をとても大切に思っています。
皆さん、どうかサンリクを見捨てないでください……」
もう、お願いすることしかできない。
さらに深く頭を下げてから、マリイは立ち上がった。
「俺も、失礼します」
グリーンも立ち上がり、2人は一緒に迎賓館を出る。
外が眩しい。
今日も天気が良かった。長雨の時期は終わったらしい。
これから増水した水が引き、地面が乾いたらセツゲンが攻めてくる……。
覚悟を、決めよう。
「――ごめんなさい、グリーン」
マリイは声を振り絞って、グリーンを呼び止めた。
涙が落ちないように、できるだけ目を見開いて、唇をキュッと噛んだ。
「なんで?」
振り向いたグリーンが、聞き返してくる。
「俺、マリイに好きな方を選べって言った。
……そりゃあ、俺とセツゲンに行くか、虹の谷に残るのかを選ぶと思ってたから、リヨク王子を選んだのには驚いたけど……」
「グリーン……」
グリーンは、つぶやいたのだ。
「一緒に……、セツゲンに行きたかったな……」
「……!」
マリイはもっともっと目を見開いた。
あふれそうな涙を、早く乾かしてしまいたい。
「グ……、グリーン」
頑張って、言葉にした。
「あたしは――、グリーンと行くよりも、お祖母様よりも、サンリクが大事……!」
泣かない。泣くな、マリイ!
必至でこらえているその最中なのに、マリイはふと、視線をあげて見てしまった。
グリーンの、寂しげな顔……!
途端、マリイは居たたまれなくなった。
「ごめんなさい……!
ごめんなさい。本当にごめんなさい」
何度謝っても、許される気がしない。
「ごめんなさい、グリーン……!」
「謝らないでくれ」
グリーンは言う。
「……すごいよな、生まれながらの王女ってのは。
土壇場で国を選ぶんだ。
マリイは本物の王女様だ」
「!」
グリーンが、あたしを認めてくれた……?
そう思った途端、もう、どこにも力を入れられなくなった。
マリイの涙腺が決壊する。
「うっ……。うわああああああん!」
マリイは、大声で泣き出した。
「あたし、あたし、あたし、あたし、」
ひどくしゃくりあげて、言葉が続かない。
グリーンがマリイの肩を抱き、代わりに言ってくれた。
「マリイは……、お祖母さんとここで暮らしたいんだよな」
「うん! うん!」
必死に肯く。
「マリイ隊長の娘と友達になりたいんだろ?」
「うん!」
「俺と――、旅を続けたかったんだろ?」
「うん……!」
マリイは悲鳴を上げるようにわーわー泣いた。
「あたし、あたし、ウバクロでトノイ兄弟に捕まった時、『マリイ王女か』って聞かれて、違うって言えなかった!
あたし、王女だもの!
王の娘だもの!
国民を守るのは、あたしの義務だもの……!」
「おまえは、すごい……!」
グリーンは、マリイを抱く腕に力を入れる。
今、マリイはひどい顔をしている。
涙と鼻水でグショグショだ。
こんなにも、こんなにも外の世界に未練があるのに、それでも城に戻ることを選んだのだ。
「――マリイ」
グリーンも、覚悟を決めた。
「俺、おまえをサンリク城まで送る」
「……!?」
「俺の旅は後回しでいい。
城まで送ってやる。
おまえ一人じゃ、王都どころか、ウバクロにだってたどり着けないからな」
「!」
一瞬、マリイは嬉しかったが、すぐにグリーンの手配書を思い出した。
「だめ……。
だってあたし、グリーンに懸賞金がかかってること、知ってる……」
「!」
さぞかし意外だったのだろう。
グリーンは言葉を発しなかった。
「ウバクロで見たの。
トノイ兄弟が、高額の手配書を集めてた。
その中にグリーンのもあった。
あたしよりも、ずっと大きな額だった……!」
「――」
「何があったかなんて、どうでもいい。
でも、王都に戻るなんて、ダメ。
あたしのことより、自分を守って……」
マリイは再びハラハラと涙を落とす。
グリーンは目を閉じて考えた。
やがて目を開ける。
「――心配するな」
グリーンを見上げるマリイを見る。
「余計なことを考えないで、俺に、ついてこい」
「……」
マリイは、トノイ兄弟に連れて行かれた倉庫で、グリーンの背中に守られたことを思い出した。
あんなに安堵したことはない。
「あたし…………、またグリーンを巻き込むの……?」
「気にするな。乗り掛かった船だ」
「でも――」
「最後まで見届けてやる」
グリーンが頼もしく笑ってくれ、気がつくと、マリイの嗚咽は収まっていた。
「いいのかしら……?」
つぶやく。
「大丈夫だ。
おまえがちゃん俺のと後ろに隠れていれば、なんの危険もない。
ウバクロみたいな軽率な行動は慎んでくれよな」
「あたし――、もう二度と勝手に動いたりしない。
ウバクロで決心したの」
「お菓子屋さんがあっても、一人で行くなよ?」
「グリーンに聞いてからにするわ」
「手芸屋でセールやってても飛びつくな?」
「グリーンと一緒に行く」
「アイス売りがチリンチリン鐘を鳴らしながら来ても、ちゃんと俺を待ってろよ?」
「…………」
さすがにちょっと考えた。
「アイス屋さん、行ってしまわないかしら……?」
「そういう時は諦めろ」
「あたし、鐘を鳴らしながら売りに来るアイス屋なんて、初めて聞いたわ。
食べてみたい」
「普通のアイスだよ。
城で食べるような、高級な牛乳のアイスじゃない」
「牛乳以外でもアイスが作れるの?
シャーベット?」
間違いなく、マリイは元気になった。
でも、グリーンは変なところに食いつかせてしまったな、と後悔した。
「王都に戻る途中、あったら食わせてやる」
「本当? あたし、まだお金持ってるわ!
新しい旅の目的ができた!」
マリイに、ようやく笑顔が出た。
「目的は、サンリク城に戻ることだろ?」
「戻るまでの目的があってもいいじゃない。
どうせなら、楽しく戻ることにする」
「—―――そうだな。おまえの言う通りだ」
グリーンが笑ってくれ、マリイも笑う。
2人で宿に向かって歩き出した。
どうせなら、楽しく行こう。
せっかく、まだ旅の途中なのだから――。




