姫様、さらわれる
昨夜からの大雨は今朝も降り続き、グリーンは出立を一日延ばすことに決めた。
「……退屈だわ」
マリイはルームサービスのメニュー表で顔を仰ぐ。
気晴らしにおやつでも頼もうと思ったが、クッキーとお茶のセットが銀貨1枚。
カップケーキとお茶のセットは銀貨2枚というとんでもない値が付いている。
「なんて高いの!」
焼き菓子が安い町だと聞いていたのに、ちっとも安くない。
支払いはどうせグリーンがするのだが、クッキーなんて露店で買えば銅貨5枚ですむし、カップケーキは前ホダン商店で銅貨8枚だった。
「ぼったくりもいいところじゃない!
安全代って、こんなにするもの?」
あまりの高値に食欲が失せたマリイは、天井を仰いでベッドに転がった。
グリーンは今、情報を集めに行ってていない。
「つまんない……」
その上、寂しい。
最近のマリイは、食堂で知らない人と話したり、市場でお客さんとやりとりするのが楽しい。
そして、そのことをグリーンに話すのが何よりも楽しい。
一人になるのが寂しいなんて、思ったこともなかった……。
城では、一人の時間はたいてい手芸をして過ごしていた。
この世に退屈な時間などは存在しなく、むしろ時間が足りなくて困っていた。
「そのあたしが、手芸かご忘れるなんて――」
昨日、マリイは馬車に手芸かごを忘れた。
ちょっと前のマリイでは考えられない。
「あたし、もう、手芸がなくても生きていけるんだ……」
実際、売り物のハンカチがまだまだ足りないというのに、こうしてゴロゴロ暇を持て余している。
「グリーン、早く帰ってこないかなー」
マリイは起き上がり、窓から町を見下ろした。
雨は止んでいた。
「あら?」
昨日は雨で気づかなかったが、宿の向かいは焼き菓子屋だった。
美味しそうなマフィンを手にした子どもが、家まで我慢できずに店の前でパクついている。
「お金!」
マリイは手芸かごから財布を取り出して確認した。
銀貨が3枚、銅貨が6枚入っている。
この町で買い食いするために貯めたのだ。
「決めた!
お昼はマフィンにしよう。
グリーンの分も買ってこよう!」
マリイはかごに財布を戻し、部屋を飛び出した。
宿を出ると、晴れ間から射す陽が、濡れた道に反射して眩しい。
マリイは馬車が来ないのを確認して、大通りを渡ろうとした。
「キャン!」
足下から鳴き声。
「あら、犬?」
小さくてみすぼらしい、ヒョロヒョロの犬がマリイの足にじゃれている。
「雨で濡れちゃったのね。
お腹がすいてるのかしら?」
マリイはひょいと抱き上げ、ハンカチで頭を拭いてあげた。
「お菓子を買ったら、あなたにも分けて――」
その瞬間である。
マリイの前に、ナイフを持った男が現れた。
「サリイ王女だな!」
「!?」
キャンキャンキャン!
犬が鳴き、男は一瞬ひるんだ。
「何やってんだ、バカ!」
もう一人の男が突進してきて、犬ごとマリイを肩に抱える。
「グリ……っ!」
マリイはグリーンを呼ぼうとしたが、
「行くぞ!」
「お、おう!」
白昼堂々、連れ去られてしまった。
グリーンが戻ってきたのは、この少し後である。
「――なんだ、騒がしいな」
宿の前に、すごい人だかりができていた。
イベントでもやってるのかな、と人を避け、宿に入る。と、
「ホダン様、大変です!
お連れ様がさらわれました!」
「は――? マリイが?」
何のことだ?
「あいつなら、部屋に居るはずだけど?
まさか、押し込み強盗……!?」
「落ち着いてください!
とにかく、落ち着いて聞いてください!
ほんの少し前なのですが、」
宿の主人は説明してくれた。
マリイがお菓子を買いに行くと言って、フロントに鍵を預けて外に出たこと。
幸か不幸か、ここは大通りに面した宿屋で、連れ去られた時に目撃者がたくさんいたこと。
犯人は男の2人組で、1人はナイフを持ていたこと。
「マリイ!!」
グリーンは奪うように鍵を受け取り、部屋に駆けつけた。
当然ながらそこにマリイの姿はなく、手芸かごもなかった。
「あいつ――!」
窓から外を見下ろすと、向かいに焼き菓子屋がある。
マリイはこれを見て、買い物に走ったのだろう。
ここは物騒な町だからと、あれだけ念を押したのに……!
言い聞かせが足りなかったのか。
いや、そもそも菓子屋の向かいに宿を取ったのが間違いだったのか。
「――ホダン氏ですね?」
声をかけられて振り向くと、中年の役人の姿があった。
「妹さんが連れ去られたそうで」
「あ、ああ……」
役人にはあまり近づきたくない。
マリイは探して欲しいが、詮索されては困る。
「『サリイ王女』とは、どなたのことか、ご存じですか?」
「サリイ王女?」
「誘拐犯が『サリイ王女だな』と声を掛けたのを、目撃者が聞いています」
サリイ王女。
誰だ、それは?
「うちのは『マリイ』だし、王女でも何でもない。
ひょっとして、『マリイ王女』の聞き間違いじゃないのか?
名前が同じで年格好が似てるから、しょっちゅう間違われて迷惑している」
「宿の主人から聞きました。
アシリでも間違われて大変だったとか」
宿の主人には、ヘタに通報されないように前もって話してあった。
「しまった!」
グリーンは思い出す。
「どうされました?」
「マリイの通行許可証、俺が持ってる――」
その通行許可証は、別人証明書でもある。
主人に説明する際にマリイから預かってそれを見せ、そのまま返していなかった。
「王女と間違えられてるなら、あいつは今、別人を証明できない……!」
グリーンから血の気が失せた。
役人が、追い打ちを掛ける一言を漏らす。
「……王女には、生死を問わずで賞金が掛けられていますからな……」
役人も、裏手配書の存在を知っているようだ。
その上で彼は言う。
「私も、『サリイ王女』は『マリイ王女』の聞き間違いだと思っています。
でもそうなると、」
続ける。
「妹さんは生きていないでしょう」
「!?」
「賞金稼ぎの思考回路は、恐ろしく単純です。
生きてても死んでても同じ金額なら、運搬に便利な死体を選ぶでしょう」
ガクンと、グリーンは膝をついた。
誘拐犯の1人はナイフを持っていたと聞いたばかりなのだ。
役人はグリーンを気の毒そうに見て、口惜しそうに少しの間黙り、やがて、意を決して話しだした。
「ホダン氏……、大変申し訳ないのですが、この件で動ける役人はいません」
「――――は?」
理解できない。
役人を見上げる。
「本来なら、チームを組んで当たるべき事件ですが、今、軍人も役人も、ほとんどの者がマリイ王女の捜索で王都に召集されています。
人手が足りなくて、私もこの後、役所に戻らねればなりません。
『マリイ王女』の誘拐ともなれば捜索できるのですが、犯人が口にしたのは『サリイ王女』ですし、更に、妹さんはアシリでマリイ王女とは別人であることが証明されています」
「ちょっと待て!
つまり――、役人は、犯人もマリイも捜さない……?」
それはあまりにも『一般市民のマリイ』をないがしろにしていないか?
「王女の件が片付きましたら、必ずやお捜しします!」
「ふざけるな!
それまで、どうしてろって言うんだ!?」
グリーンは立ち上がれずに、そのまま拳で床を突いた。
役人は、「本当に、申し訳ありません……」と、もう一度悔しそうに言い残し、部屋から出て行った。
『マリイはマリイ王女ではない』
この証明書が今、マリイ王女であるマリイを窮地に立たせている。
俺一人で、どうやってマリイを捜せばいい――?




