第016話 トランスセクシャル
「キャンッ」
黒い大きな犬が叫び声を上げて吹き飛び、その間にミーシャは駆けて建物の裏へと飛び込んだ。
「チッ、テメェのペットを使って逃げるとはな。畜生以下ってのはそういうことを言うんだぜ?」
「油断するなスズキ。あれは影犬だ。高密度の魔力体の塊、物理現象では倒せぬ相手だぞ」
もう一人の男からの言葉に、スズキと呼ばれた男が舌打ちする。吹き飛ばしたはずの黒犬がまるでダメージを受けてない様子で立ち上がったのが見えたのだ。
「ああ、そういうことですかい。あれを倒せるような術式弾はエルフの専売特許っすからねえ。うちじゃあ簡易術式弾ぐらいしか製造できないってのに」
そう言ってスズキの右腕がさらに変形し、魔力光に包まれたブレードが姿を現した。それを見たミーシャが刃に描かれた紋様を見て眉をひそめる。
「エンチェント済みの魔法具か」
それは確かにジャックを切り裂くことも可能な刃であった。
「ワンちゃんよぉ。こっちはどうかな?」
そのままスズキが機械化した足から炎を噴かせて一気に飛びかかり、ジャックに向かって刃を振り下ろす。だが、今度はミーシャがジャックの前に飛び出していった。
「馬鹿か、テメェは。ジャックだけじゃねえだろ」
同時にミーシャは自動拳銃を撃ち放つ。
「チッ、縮こまってろよ飼い主はよ」
それをスズキが刃を盾にして避けるが、飛びかかったジャックがスズキの腕に噛みついた。
「いってぇぞ、クソ。デカブツ、こいつを殺れッ!」
「ギャンッ」
スズキの指示にサンドロスが岩石弾を放って、ジャックの横腹へと直撃させる。そのサンドロスを見たミーシャが目を細める。
「ありゃあ、完全に喰われた目だな」
『ケッ。金目の吸血鬼にやられたな、ありゃあ』
ミーシャが自動拳銃を続けて撃ってスズキを退ける。そこにすれ違い様にサンドロスが突撃して拳を振るうと、ミーシャはそれを背負っていた十字架で受け止めた。
「グッ!?」
金属音が響き渡り、ミーシャの足下の地面がひび割れる。サンドロスの自重を載せたパンチがミーシャの全身に響き渡る。
『預かりもんだろ?』
「知るかよ。くそっ」
リボルバーにそう返しながらミーシャは至近距離で銃弾を三発叩き込んだ。さすがのオリハルコンで固めたゴーレムも術式弾から発せられる着弾時の衝撃波によってよろめいた。
「ほぉ、良い術師の弾だ」
「感心してる場合かタナカさん」
スズキの言葉に、タナカと呼ばれた男が「まあ、そうだな」と口にして背から四角い金属製の筒を取り出した。
『ヤベエ。指を喰わせろ』
「間に合うか、馬鹿!」
それに気付いたミーシャが逃げ出すが間に合わない。
筒の先には碁盤の目のように並んだ四角いフタがあり、それが一斉に開いて無数のミサイルが発射されたのが見えた。それは小型の多弾式ミサイルランチャーだった。
「相手は不死病感染者だ。まあ、やりすぎという事はないだろう」
そう口にするタナカの前で、着弾による爆発が次々と起こる。その中でミーシャが吹き飛び、ボロ切れのように宙を舞った。
「ックショォ」
空中でミーシャが悪態をつく。
逃げきれないと判断したミーシャは十字架でミサイルを受けていた。だがミサイルのダメージをすべて十字架で受けきる……などという芸当はミーシャにもできない。
ミサイルが直撃した右腕が吹き飛び、地面に落ちた弾頭の爆発で飛び散った石片によりミーシャはツナギの上から散弾を喰らったようなダメージを受けた。
十字架に直撃したミサイルの衝撃でミーシャの身体は吹き飛ばされ、左腕が折れてねじ曲がり、十メートルほど飛んで落ちてから字面を転げていく。
『相棒ッ!?』
その衝撃で、リボルバーのホルスターのベルトが壊れて地面に投げ出されていた。
遠ざかるリボルバーを見ながら逆転の切り札がなくなった……とミーシャは理解しながらも、どうすることもできず壁に激突して崩れ落ちた。
(やっべぇな。こりゃ)
状況は最悪そのものだ。十字架の情報がどこからか漏れ、サンドロスが金目の吸血鬼に支配された。そこに機人も加わってミーシャに襲いかかってきたのだ。
(とりあえずは逃げねえと……けど、これじゃあ)
右腕が千切れてどこかに転がっている。全身のダメージがひどく、内蔵はイかれて、骨もどれだけ折れているかも分からない。喉が潰れて声が出せないし、右の方の目も見えていない。そもそも今のミーシャに痛みはない。であれば、或いは剥き出しだった頭部もえらいことになっているのかも知れないと……ミーシャは半分崩れた頭で考える。そして、意識が朦朧としている中でミーシャは『ソレ』を見た。
(なん……だ?)
そこにあったのは先ほどまで背負っていた十字架だ。未だに破壊されていないのだから恐ろしく頑丈なようだが、問題なのはその十字架の表面が開いて、中から何かが出てきた……ということだった。
(十字架の……中から少女だと?)
ズルリと、十字架の中から少女の姿をした何かが這い出てくるのが見えた。よく観察すればそれには手足などにつなぎ目があるのが分かる。それが少女の形をした人形であった。
そんな異様な存在が、機械的な動きでミーシャの元へとカサカサと這いながらやってくる。身体は動かないのだから逃げることもできない。そして、ミーシャの前に近付いた人形が嗤ったかと思えば、その口元が裂けて開いた。
(化け物!?)
ミーシャが目を見開く。
まるで昔見たホラー映画のように、その愛らしいと言ってもいい顔の半分が裂けて、蜘蛛のようにギチギチと動く奇怪な口へと変わったのだ。
そこからは無数の注射器のような器具が飛び出ていて、動けないミーシャは言い様のない恐怖を感じた。
だが、どうすることもできない。身体は壊れている。機能しているのはわずかな思考と、潰れていない眼球のみ。
そして、ミーシャが逃げようと身体を震わせているところにその化け物は襲いかかり、喉元へといくつもの注射針を突き刺すと、ズルズルとミーシャの体液を吸い始めた。
続けて身体の半分ほどが崩れているサンドロスと、機人ふたりが近付いてくるのも見えたが、今のミーシャにはもうどうすることもできない。
ただミーシャは己の身体の体液や肉片が物理的に吸い出されていくのを感じながら、同時に精神の奥底から湧き出てくるドス黒い食欲の衝動に侵食されていくのも感じていた。つまり、『食事の時間』が始まったのだ。
**********
『つう……』
そして、先ほどの状態からどれほど経ったのか。その感覚がないものの、ひとまずミーシャの意識は覚醒していた。
それから「ウォン」というジャックの鳴き声が聞こえてきて、己の意識が戻ったことを確信する。
『意識が……周りが血塗れってことは……なっちまったのか。捕食形態になったのか』
ミーシャがそう口にしながら、体を起こした。
捕食形態とは、不死病感染者が緊急時に再生の魔力を補うために変じる姿であった。
己がその姿に変異したのをミーシャは周囲の状況から悟っていた。それから目の前で倒れている血塗れの男へと視線を向ける。
『こりゃ、さっきの連中じゃないな。てことは、また関係のないヤツを喰っちまったか』
ミーシャが後悔の混じった『愛らしい』声で呟く。
捕食形態は、ミーシャの意志とは関係なく、魔力不足で肉体の再生が不可能になったときに自動発動する姿なのだ。
捕食対象はその場の『生物』すべてであり、食欲に支配されている捕食形態に敵味方などという区別は存在しない。それをミーシャは過去の経験から理解していた。
『いや、違うか』
だからミーシャは、目の前の男も捕食形態になった己に食われた犠牲者なのだろうと考えたのだが、すぐさまそれが間違いだと気付いた。
『喰われたんなら姿が残るはずもない。というか、こいつって……』
よく見れば、ミーシャには倒れている男に見覚えがあった。
ボロボロではあるが、革ジャンと魔獣の革で造られたツナギを来ているその男の顔は、朝に鏡で見る顔と同じだった。違う点は目を閉じていて、血塗れで、ボロボロで、顔色も良くないというところぐらいだろうか。
『こいつ……俺だな』
そして、ミーシャらしき男のそばにミーシャが近付くと、男の隣にいたジャックがミーシャの姿を見て、うなり声を上げた。
『どうした、ジャック?』
その状況にミーシャが首を傾げる。訳が分からない。ジャックはミーシャの使い魔である。それどころか本質的には同じ存在でもあるためにジャックがミーシャに反抗することは基本あり得ない。
それからジャックは地面に倒れているミーシャらしき男と、『今のミーシャ』を交互に見て戸惑った顔を見せた。ジャックには今のミーシャと倒れているミーシャ、どちらが本物なのかの区別が付かないようである。
その様子からミーシャは、とあることに気が付いた。
(身体が……裸? というかこれって……まさか?)
ようやく己の身に起こっている変化にミーシャは気付いた。よく見れば髪は銀色をしていて、ひどく長かった。また視界も低い。何も着ていないようだし、あるべきところにあるべきものが付いていないのを下腹部を見下ろしてミーシャは理解する。
それからわずかばかりの胸の膨らみを己の手で掴んで、何が起きているかは分からないまでも、己の身に起きている状況をミーシャは断片的に理解した。故に、確実な証拠を得るべくミーシャは周囲を見回した。
この場に鏡はない。だがガラス窓はあったのだ。近付いたミーシャはそこに映る姿を見て『やっぱり』と口にしながら気付いてしまう。
『まさか俺が女になっちまった?』
『ちげーよ相棒』
すぐさま後ろから声がかかる。その声に、まるで年頃の少女の愛らしさを凝縮させたかのような可憐な少女が裸身をさらしたまま後ろを向いた。
そこに転がっていたのは古ぼけたリボルバーだ。ジョニー・マッドという名の魔銃がそこにはあった。
『そいつは人形だ。お前の意識が、そっちに移っちまったんだよ相棒』
そして、そのリボルバーの言葉に少女の口から絹の裂かれたような声が上がる。その日、ミーシャは少女になったのだ。




