5 最初の終わり、そして二度目の始まり
痛みは、最初だけだった。あとは何も感じなかった。
遠くで誰かが叫んでいた。マリアの声かもしれなかったし、シェリルの笑い声かもしれなかった。だけど確認しようにも、起き上がるどころか顔も手も、なにも動かすことすらできなかった。
アイリスは灰色の空を見上げたまま、思った。
——ああ。
やっぱり私は。
最初から、必要なかったんだ。
霧が出ていた。召喚試験の朝と同じ、白い霧が。
視界が暗転する。
やがて、顔になにか冷たいものを感じた。
雨だったのか、それとも自分の涙だったのか。
そこで意識が途切れ、確かめることはできなかったけれど――。
――
――――
――――――
「――…!!」
息を吹き返すように目を覚ます。激しい動悸がする。
視界には空ではなく天井が見えていた。
アイリスはしばらく動けなかった。仰向けのまま、石造りの天井を見上げて、息を切らせるように呼吸をしていた。
知っている天井だった。入学してすぐの頃、寮の自室でよく見上げていた天井。染みの形まで同じだった。左上の隅に、雫が垂れたような茶色い染み。
恐る恐る体を起こした。
鏡を見るまでもなかった。栗色の髪が肩に落ちる。
傷跡が、ない。三年間で刻まれたはずの傷が、どこにもなかった。
(夢……?いや、あれはたしかに現実だった)
窓の外を見るが、霧で覆われていてなにも見えない。
召喚試験の朝は、いつも霧が出る。
◇ ◇ ◇
着替えて廊下に出ると、見慣れた寮の廊下だった。
アイリスは記憶を辿る。
体を貫いた雷の痛み。意識が遠のいていく中で聞こえたシェリルの声。
『ありがとう、お姉様。おかげで、こんなに素敵な精霊が手に入ったわ』
吐き気がした。
思わず壁に手をつく。しばらくそのままの体勢で目を閉じる。
鮮明に蘇る。シェリルの笑顔。ライガルドの冷たい黄金の目。
そして……『邪魔だ』という、感情のない声。
(三年間……)
傷だらけになりながら素材を集めた。
魔域の奥で一人で戦ったこともある。傷が癒えないまま次の依頼に出た。
それを全部、ライガルドのために。あの精霊の成長のために……。
(私は馬鹿だった)
怒りとも悲しみとも違う、どろりとした感情が胸の底に沈んでいた。自分に向けた感情だった。
なぜ気づかなかった。なぜ疑わなかった。ライガルドはずっとシェリルを見ていたのに。シェリルはずっと笑っていたのに。
それでも信じようとして、信じるしかないと思って、消耗して、死んだ。
(二度と、ごめんだわ)
これは神様が与えてくれたやり直しのチャンスなのかもしれない。
ライガルドとは関わらない。シェリルとも関わらない。あの二人に近づいた瞬間から、運命は狂い始めていたのだろう。
(やり直せるのなら、今度は間違わないようにしないと……)
手の震えが収まるまで、アイリスは壁に手をついたまま俯いていた。




