22 二度目の最終試験
人型試験の日。
学院の演習場に全校生徒と教師が集まった。空は高く、風が穏やかで、春の気配が石畳の隙間から覗いていた。
パートナー精霊が人型を取っていることを公式に確認し、セイレンとしての資格を授与される。六年間の締め括り。アイリスにとっては三年目だが、ここで問題なくパートナー精霊が人型を取れることと、筆記試験をクリアしていれば飛び級で卒業できる。アイリスは筆記試験に合格していたので、あとはこの人型試験のみ。こちらもすでにクリアしているようなものなので、気負わず試験に挑める。
ヴェルドが隣に立っている。
翡翠色の髪が、春の光の中で揺れていた。
「緊張しているか」
「していないよ」
「そうか……、私は少し、している」
アイリスはヴェルドを見た。その横顔は穏やかだったが、金色の瞳が演習場をゆっくりと見渡していた。用心深い目だった。
「何かある?」
「……いや。ただ、気を抜く場所ではないと思って」
アイリスも演習場を見渡した。生徒たちが思い思いの場所に集まっていた。
その中に——シェリルがいた。
◇ ◇ ◇
試験は先に、三年目の生徒たちから行われる。ここで人型試験をクリアできれば、残り三年はパートナー精霊と学ぶもよし、アイリスのように卒業するもよしとされる。クリアできなければ残りの三年で再びパートナー精霊の人型を目指すこととなる。
組ずつ名前を呼ばれ、演習場の中心で精霊との状態を確認する。すでに人型を得ている精霊は改めて人型を示し、まだの場合はその理由を報告する。それだけのことだった。
成績上位組の生徒からは、人型を得た精霊が姿を現し、歓声と拍手が続いた。
アイリスの名前が呼ばれた。
演習場の中心に立ち、ヴェルドも隣に立った。
教師陣の視線が集まる。生徒たちがざわめいた——ヴェルドの姿を見て。
「アイリス・ヴェルナー。パートナー精霊の確認を」
「はい」
アイリスはヴェルドを見た。ヴェルドが頷いた。
風が吹いて、翡翠色の光が散る。それはあの時ほど激しくはなかったが、それでも演習場の空気を一瞬変えるには十分だった。
光が収まると、そこにヴェルドが立っていた。人型で、まっすぐに。
演習場が静まり返った。
教師陣の一人が、声を張り上げた。
「確認した。アイリス・ヴェルナー、パートナー精霊——風竜ヴェルド、人型確認。卒業試験、合格!」
拍手が起きる。アイリスは一礼した。ヴェルドは隣で静かに立っていた。
問題は、その後だった。
◇ ◇ ◇
間もなく、シェリルの名前が呼ばれた。
シェリルが演習場の中心に進む。金色の巻き毛が春の光を受けて輝いていた。
その後ろから、ライガルドがついてきた。銀色の毛並みが光を帯びていた——人型ではなく、獣の姿のまま。
三年間で、ライガルドは大きくなっていた。前の運命よりも、ずっと大きかった。
ただ、人型にはなっていなかった。
「シェリル・ヴェルナー。パートナー精霊の確認を」
シェリルが硬い表情で頷く。
「ライガルド!」
ライガルドは動かなかった。
シェリルの表情がさらに固まった。
「ライガルド?」
『……嫌だ』
低い声が演習場に響いた。ライガルドの声だった。
シェリルの顔色が変わった。
「な、なんで……いいかげんにしてよ!今日は試験なのよ」
『知っている、それでも、嫌だ』
「ライガルド!」
シェリルが声を荒げた。
演習場が静まり返る。
ライガルドの黄金の目が、シェリルを見ていた。
三年前の召喚試験の日と同じ目だったが——温度が違った。あの日は熱があった。今は、それがなかった。
『お前は俺に礼を言ったことがあるか』
「え?」
『俺が素材を集めてきたとき。戦ったとき。そばにいたとき。お前は一度でも礼を言ったか』
シェリルが口を開いた。
「ない」
『俺が何かするのは当然だと思っていた。俺がそばにいるのは当然だと。俺はお前のものだから、お前のために動くのは当然だと』
「だって精霊は——」
『俺はお前のものではない』
ライガルドの声は静かだった。怒っているというより——疲れているように聞こえた。
『俺はシェリルを美しいと思った。それは今でも変わらない。だが美しいということと、一緒にいたいということは、違った。俺はそれを、三年かけて学んだ』
シェリルが、唇を震わせた。
「じゃあ、どうしろっていうの」
『どうもしなくていい』
『ただ——俺はもう、お前の精霊ではない』
ライガルドの体が光を帯びた。
契約解除の光だった。
白く、静かな光が、ライガルドとシェリルの間に走り、シェリルが短い悲鳴を上げた。ライガルドは動じなかった。
光が消えると、シェリルの手首にあった契約の紋様が——消えていた。
シェリルが手首を押さえて、顔を上げた。
「ライガルド!愛してるって言ってくれたじゃない……!」
ライガルドはなにも答えなかった。
ただ一度だけ、演習場を見渡した。アイリスのところで、その目が止まった。
何かを言いかけた。
何も言わずに、目を逸らした。
それから、光の中に消えた。
◇ ◇ ◇
演習場が、しんと静まり返った。
シェリルは呆然と立っていた。手首を押さえたまま、ライガルドが消えた場所を見ていた。
やがて、現実が追いついてきたのだろう。シェリルの顔が歪んだ。
「お姉様のせいよ」
声が、震えていた。
シェリルがアイリスを見た。碧い目が、濡れていた。怒りと悲しみと、それから——醜いと呼ぶほかない感情が、その顔に滲んでいた。
「お姉様が最初にヴェルドと契約しなければ……!ライガルドと契約して育成してくれれば……!」
「シェリル」
アイリスは静かに言った。
シェリルが止まった。
「ライガルドは、私が召喚したけれど、あなたを選んで契約を結んだ精霊よ。あなたのそばに三年間いた。それでも人型にならなかったのは——私の責任じゃない」
「っ……!」
「あの精霊が人型にならなかった理由、わからない?」
シェリルが黙った。
「私はヴェルドを捨てなかった。それだけのことよ」
それ以上、言わなかった。
言い負かしたかったわけではなかった。
ただ——前の運命から、ずっと言えなかったことを、今日だけは言いたかったから……。
シェリルが泣き崩れ、友人たちが駆け寄った。教師が対応に当たった。演習場がざわついた。
アイリスはその騒ぎを、少し離れた場所から見ていた。
(前の運命では、あの雷の中で私が死んだ)
今この場所で泣いているシェリルを見ていると、不思議と何も感じなかった。憐れみも、怒りも、嫌悪も。
ただ——遠いものを見るような気持ちだけがあった。
「アイリス」
「なに」
「視線が、少し遠い」
「そう?」
「前の運命を、思い出していたか」
「……少し」
「そうか」
ヴェルドはそれ以上聞かなかった。ただ、アイリスの隣に立っていた。
シェリルが友人に支えられながら演習場を出ていくのを、アイリスは見届けた。
(やっと……、終わったのね……)
そう思った。前の運命から続いていた何かが、今日ここで終わった。




