14 不穏な気配
その翌週、教師陣からも動きがあった。
担任のカーター先生に呼び出されて、放課後に職員室へ向かった。
「アイリス・ヴェルナー。精霊の件だが」
カーター先生は書類を手にしながら言った。生真面目な初老の教師で、普段は感情をあまり顔に出さない人だった。
「先週の測定結果を受けて、上位の先生方も注目している。良ければ、特別研究の対象として——」
「結構です」
「まだ最後まで聞いていないが」
「研究対象にはなりたくありません。ヴェルドも、おそらく嫌がります」
カーター先生が少し間を置いた。
「……君の精霊の成長は、学術的に非常に興味深い事例だ。記録するだけでもいい。強制はしない」
「ありがとうございます。でも、遠慮します」
カーター先生はアイリスを見た。何かを言いかけて、やめた。
「わかった。ただ——何か異変があれば、すぐに報告しなさい。精霊の急激な成長には、予期せぬ影響が出ることもある」
「はい」
「それと」
カーター先生の声が、少し低くなった。
「君の精霊に、外部から接触しようとする者が出てくるかもしれない。気をつけなさい」
アイリスは少し眉を動かした。
「外部から?」
「……いや、こちらの話だ。気にしないでいい」
教師はそこで話を切り上げた。アイリスは礼を言って職員室を出た。
廊下を歩きながら、カーター先生の最後の言葉を反芻した。
(外部から、接触)
何のことかはわからなかった。ただ、その言葉が胸の隅に小さく引っかかった。
◇ ◇ ◇
十二月に入ると、ライガルドとシェリルの仲が学院中の話題になっていた。
演習の授業でライガルドが言うことを聞かない、という話はアイリスの耳にも入っていた。シェリルが廊下でライガルドに何かを言い、ライガルドが鼻を鳴らして背を向ける——そんな光景が目撃されているらしかった。
前の運命でも、似たようなことはあった。ライガルドは誇り高い精霊だ。シェリルの気まぐれな扱いには、いつか限界が来ることは予想できていた。
だが、アイリスには関係のないこと。
関係ないと思っていた。
ある昼、食堂で昼食を取っていると、シェリルが友人たちと入ってきた。シェリルたちはアイリスに気付かない様子で、こちらを見ることもなく二つ隣のテーブルに座った。
だから、聞こうとしていたわけではなかった。
ただ、近かったので声が届いたのだ。
「ライガルドって、本当に難しいよね」
「シェリルのこと、好きなんじゃないの?」
「好きなのはわかるんだけど、私の言うこと全然聞いてくれなくて。なんか最近、むすっとしてて」
「高位精霊ってそういうものじゃないの? プライド高いって言うし」
「うーん……」
シェリルの声が、少し沈んだ。
「ねえ、正直に言っていい? 最近、お姉様のトカゲの方が羨ましくて。あの子、シェリルのいうことちゃんと聞くじゃない。おとなしいし」
「確かに。なんか最近、別格感出てきたよね、あのトカゲ」
「うん。なんで私、あんなのと交換しちゃったんだろうって、ちょっと思ってる」
アイリスは食事を続けた。表情を変えなかった。
ヴェルドが、膝の上でじっとしていた。
『……聞こえていた』
意識に声が届いた。
「気にしなくていい」
『君が気にしていないなら、私も気にしない』
「気にしていない」
『……そうか』
食事を終えて、静かに席を立った。最後までシェリルはこちらに気付いていない様子だった。
その夜、アイリスは記録帳に今日の出来事を書き留めながら、思った。
騒がしくなってきた。ヴェルドのランクが知れ渡り、シェリルが欲しがり、教師陣が注目し、カーター先生は何かを匂わせた。前の運命では経験しなかった種類の騒がしさだった。
(面倒なことになってきたな……)
でも、それだけ。
前の運命では、ライガルドのために走り続けることで頭がいっぱいだったけど、今は違う。
この穏やかな日常を気に入っている。
ヴェルドが、隣で丸まって眠っていた。
翡翠色の鱗が、燭台の灯りの中でかすかに輝いていた。
アイリスは記録帳を閉じた。
窓の外は静かだった。でも——カーター先生の言葉が、また浮かんだ。
(外部から、接触しようとする者……)
何かが来るかもしれない。穏やかな日常を脅かす何かが。
そんな予感があった。根拠はない。ただ、前の運命から合わせての、長年の経験が積み重なった勘というものが、アイリスにはあった。
(穏やかな日々が続いてほしいと願うのは、贅沢なことなのかしら……)
燭台の火を吹き消した。
暗くなった部屋で、ヴェルドの鱗だけがかすかに光っていた。




