11 意思疎通
七月の末、突然ヴェルドが言葉を発した。
夕暮れの寮の部屋だった。
アイリスが窓を開けて外の空気を入れていると、膝の上のヴェルドが顔を上げた。そして——
『アイリス』
アイリスは動きが止まった。
窓の外で鳥が鳴いた。夕風が入ってきた。それ以外は、静かだった。
「……今、喋った?」
『ずっと、言いたかった』
頭の中に直接届く声だった。精霊の声はそういうものだと知っている。でもヴェルドがこんなに明瞭に、言葉として——。
『ありがとう』
アイリスはしばらく、何も言えなかった。
精霊の意思疎通能力はランクに比例する。下位では身振りのみ。中位で単語程度。上位になって初めて、言葉による会話が可能になる。
つまりヴェルドは今——上位の、精霊になっている。
入学時、手のひらサイズの傷だらけのトカゲだったのに。シェリルに「汚い」と言われて震えていたのに。
(あなた、こんなに……)
「どういたしまして」
アイリスは静かに言った。声が少し、掠れた。
「こちらこそ、いっぱい助けてもらったわ」
『それは……当然のことだ』
少し間があった。言葉を探しているような間だった。
『君が、私を助けてくれたから』
アイリスは窓の外に目をやった。夕暮れの空が、橙と紫に染まっていた。
前の運命で、ライガルドに礼を言われたことは一度もなかった。
三年間、傷だらけで素材を集めて帰っても、ライガルドはただそこにいるだけだった。
それが普通だと思っていた。精霊とはそういうものだと。
(やっぱり違うのかもしれない)
「ヴェルド」
『なんだ』
「これからも、よろしく」
少しの間があった。
『……ああ』
ヴェルドが、アイリスの膝の上で小さく丸まった。いつもと同じように。でも今日は、少しだけ違って見えた。
橙色の夕暮れの中で、その鱗がかすかに輝いていた。




