第2話 灯改め
鏡が、色を読み上げた。
「萌黄」
鈴の三人前に立っていた子の肩から、ふっと力が抜けるのが見えた。萌黄なら、工の郷へ行く。畑か、織り場か。上へは、連れていかれない。生きて、帰れる。
改め所の床は、磨いた石だった。天井は高く、煤けた梁の下に、香の煙が薄くたなびいている。窓は小さく、光は乏しい。その薄暗がりの中で、聖鏡の水面だけが、ひとりでに、ぼんやりと明るかった。
灰郷の子は、十六になると、この石の上に立たされる。地方を巡る鏡守が、聖鏡で魂火の色を読み、行き先を決める。色は、生まれたときから決まっている。みんな、そう言う。だから鈴も、自分の色は鈍色だと思ってきた。郷の色。小夜と、同じ色。
列が、一つ進んだ。
鈴の二つ前は、井戸端でよく顔を合わせる子だった。聖鏡の前に立つと、肩が、はっきりと震えていた。
水面が、迷いなく灯る。
「鈍色」
老鏡守が告げると、子は、くずおれそうになって、役人に支えられた。泣いていた。助かった、という涙だ。鈍色は、この郷の色。どこへも行かない。井戸端へ、帰れる。
うらやましい、と鈴は思った。あんなふうに泣けるほど、安心できるということが。
列の進みは、遅かった。一人読むのに、長いときと、短いときがある。短いのは、色がすぐ決まる子だ。長いのは……鈴は、その先を考えないことにした。
前の前の子が、藍を告げられて、農の側へ寄せられた。萌黄と藍は、畑の色。郷は変わっても、土の上で生きていける。次の子は、鈍色。その次も、鈍色。色は、ほんとうに、生まれたときから決まっているのかもしれない。この郷に生まれた子は、この郷の色をしている。それで、いい。それが、いちばんいい。
列の外の壁ぎわには、親たちが、並ばされていた。
声を出すことは、許されない。ただ、見ていることだけが、許されている。誰かの母親が、列を離れる間際の子の襟を、何度も、直していた。直すところなど、もう、ないのに。手が、そうせずにいられないのだ。鈴の側の壁に、鈴の親は、いない。十六年、ずっと、いなかった。壁ぎわの手たちを、鈴は、見ないようにした。
一人だけ、朱が出た。
炭焼きの家の、体の大きい子だった。守人の色だ。役人たちが、その子の肩を、初めて人に対するように叩いた。母親が、列の外で、誇らしさと心細さの混じった顔をしていた。朱は、栄達の色。けれど、守人になった郷の子が、次に郷へ来るときは、棒を持って来る。井戸端の誰も、そのことを口にしない。
それから、列の半ばで、鏡が、灯らなかった。
瘦せた、おとなしい子だった。聖鏡の水面が、いつまでも、暗いままだった。老鏡守が、二度、布で鏡を拭いた。三度目は、なかった。
「無名」
短い言葉だった。それだけで、改め所の空気が、変わった。役人が、木の札を持って進み出る。子の首に、それが掛けられる。札のまんなかに、青白い光が、音もなく灯った。蕗の首にあった、あの冷たい灯。名前のあった場所に、番号が点る瞬間を、鈴は、生まれて初めて、最初から最後まで、見た。
子の母親が、声を、出さなかった。出さない、ということに、全部の力を使っていた。手の甲に、爪が食い込んでいた。声を出せば、自分の番号も灯る。だからこの郷の別れは、いつも、無言だ。
子は、連れられて、脇の戸から消えた。外に、荷車が待っているのだ。月に一度の、空へ向かう荷車が。
列は、また、進んだ。何事もなかったように。何事もなかったことにする以外、列に残る者にできることは、なかった。
今朝のことを、ふいに、思い出した。
家を出るとき、小夜は、まだ眠っていた。汁を温めなおして、薬の残りを、枕元の椀に置いた。起こそうかと、一度だけ、迷った。やめた。熱の引いた朝の眠りは、薬より効く。それに、行ってきます、と言えば、小夜は、いってらっしゃい、と言う。あの声を聞いたら、足が重くなる気がした。
だから、言いそびれたのではない。言わなかったのだ。昼には、戻るのだから。
自分の番が、すぐそこまで来ていた。手のひらが、汗で湿っている。鈴は、それを野良着の裾で、そっとぬぐった。
鏡守は、二人いた。
一人は、白髪の老人。背を丸めて、読み上げた色を脇の役人に告げている。声に抑揚がない。何百、何千と読んできた声だ。
もう一人は、若かった。
老人の半歩うしろに、影のように立っている。鈴と、いくつも違わないだろう。けれど、まとう空気が、灰郷の誰とも違った。袖が、澄んだ縹の色をしている。鈍色も褐もない、冷たく晴れた、上の色だ。
その若いほうは、列を、見ていなかった。読み上げにも、泣く子にも、目を向けない。ただ、立っていた。退屈している、のとも違う。狩りで言えば、待ち伏せの構えに近かった。何も見ていないようでいて、何かが来たら、最初に動く者の静けさ。老鏡守ですら、ときどき、読みのあとで、ちらりとその若いほうを窺った。歳の上下と、別のものが、二人のあいだにあるらしかった。
その色を、鈴は昨夜、見た気がした。
囲炉裏の熾火に、ひとすじよぎった、あの色。
考えるのを、やめた。気のせいだ。順番が来る。鈍色だと、自分に言い聞かせる。息を浅く、視線を低く。土の色になる。いつもの狩りと、同じだ。鏡に、何も読ませない。何も、燃やさない。
列が、また進んだ。
◆
「次」
老鏡守の声に、鈴は石の上へ進んだ。
石は、思ったより冷たかった。素足の裏から、冷えが上ってくる。脇の卓で、書役が帳面を開いて、筆を構えていた。神名簿の写し。そこに、これから、鈴の名と色が書き込まれる。生まれてから十六年、鈴の名は、灰郷の帳面の隅にしかなかった。今日から、上の帳面に載る。載るということが、何を意味するのか、昨日までの鈴は、考えたこともなかった。
聖鏡の前に立つ。水面の奥が、ぼうっと灯りはじめた。
鏡の光は、まっすぐ当たるのではなかった。指のように、来た。襟元から、胸の奥へ。誰かの冷たい手が、肋骨の内側を、ゆっくり探っていく感じだった。見られている、というより、開けられている。鈴は、その感じを、生涯、忘れないだろうと思った。
鈴は、まっすぐ前を見た。鏡を見ない。心を、灰郷の井戸の底みたいに、暗く、静かにする。鈍色。土の色。何もない。何も燃えていない。あたしは、ここにいてはいけない者ではない。
水面の色が、決まらなかった。
灯りかけた鈍色が、ふいに藍へ滑った。藍が、萌黄へ。萌黄が、朱へ。朱が、見たこともない縹へ。鏡の中で、色という色が、止まらずに回りはじめた。
止めて。鈴は、心の中で、火に言った。お願いだから、鈍色になって。
火は、聞かなかった。
縹が、銀へ。銀が、緋へ。緋が、紫へ。鏡の水面が、見たこともない色まで湧かせて、燃え盛っていく。美しかった。改め所の薄暗がりの中で、その色だけが、生きていた。だからこそ、恐ろしかった。鈍色の郷に、こんな色は、あってはならない。
老鏡守の手が、止まった。
「……もう一度」
鏡が、布で拭われ、また鈴を映す。同じだった。同じどころか、速くなっていた。色が、鏡の水面で、燃えながら入れ替わっていく。鈴の胸の奥が、それに合わせて、熱くなった。火に触れてもいないのに指先が熱かった、あの夜の感じ。あの熱が、いま、体のいちばん真ん中にある。
息を殺せ。ばあさまの言葉が、遠くでした。火は、見られていると思うと、見られたいように燃えちまう。
殺せなかった。
見られている。鏡に、奥の奥まで、覗き込まれている。覗かれたぶんだけ、内側の火が、応えるように燃え盛る。抑えようとするほど、色が増える。鈴の意思の、外で。手のひらに、爪を食い込ませた。痛みで、火を止めようとした。止まらなかった。
近くで、誰かが息を呑んだ。役人が一人、後ずさる。聖鏡を支える台が、かたかたと鳴っていた。鈴の火が、鏡を通り越して、改め所そのものを灼こうとしているみたいに。
「下がりなさい」
老鏡守の声が、低くなった。抑揚が、初めて消えた。
役人が二人、石の縁に寄ってくる。腰の棒の先に、青白い灯がともっていた。蕗の首にあったのと、同じ灯だ。
「あらゆる色を、移ろう炎」老鏡守が、誰にともなく言った。「移ろい火。——禍だ」
改め所のざわめきが、波の引くように、消えた。
その静けさが、何より怖かった。誰も、鈴を見ていなかった。見ないように、している。さっき泣いていた子も、母親の陰に隠れて、こちらへ背を向けていた。昨日まで井戸端で水を分けていた者たちの背中が、ぜんぶ、壁になっていた。
昨日の鈴も、あの壁の、一枚だった。蕗が連れていかれるとき、鈴も、ああやって背を向けた。見なかった。関わらなかった。今日は、自分が、見られない側に立っている。
たった一日で、立つ場所が、入れ替わっていた。
「列を、外へ」
役人の声が飛んで、まだ読まれていない子らが、戸口へ追い立てられていった。禍の火は、見るだけで障る。そう信じられている。誰も逆らわなかった。急かされる必要も、なかった。みな、自分から、転がるように出ていった。
広い石の床に、鈴と、鏡守たちと、棒を持った役人だけが残った。さっきまで列の体温で生ぬるかった改め所が、急に冷えた。香の煙だけが、何も知らずに、梁の下をたなびいている。鈴は、その広さの真ん中に、ひとりで立っていた。生まれてからずっと、目立たないことだけが取り柄だった者が、郷でただひとつの火に、なっていた。
◆
「数代に一度の禍にございます」老鏡守が、脇の役人へ告げた。「直送の手配を。白き読み手のもとへ。要石の儀は、待ったがきかぬ」
要石。
その言葉を、鈴は知らない。けれど、役人たちの顔が、聞いた途端にこわばった。知っている者の、顔だった。棒の灯が、ひとつ、また鈴のほうへ寄る。
逃げ場を、目が探した。狩りの癖だ。戸口、窓、人の隙間。体が勝手に、いちばん細い隙間を測っている。心の臓が、肋骨を内側から叩いていた。
小夜。
汁が、囲炉裏にかかったままだ。熱を下げる草を、まだ煎じていない。昼には帰ると言った。汁を作っておくから寝ていなさいと、あの薄い肩に毛布をかけ直して、そう言った。
帰れない。
体が、勝手に動いた。鈴は石を蹴って、戸口へ走った。慎重さも、土の色も、どこかへ飛んでいた。残っていたのは、ただ一つ。帰る。小夜のところへ。それだけ。
腕を、つかまれた。
縹の袖だった。
若い鏡守が、いつのまにか、鈴のすぐ横にいた。つかむ力は、強くなかった。それなのに、動けなかった。その目が、鈴を、見ていたからだ。聖鏡のように。
「お待ちを」
縹は、老鏡守へ向き直った。声が、澄んでいた。袖の色と、同じ温度の声だ。
「深度を、検めなおします」
「久遠どの。読みは出た。移ろい火だ」
「燃え盛りが、過ぎます」縹は、鈴から目を離さずに言った。「これは生の火だ。読み切れぬほど、浅い。このまま白き読み手のもとへ送れば、要石の縛めに、火が耐えきれず砕けましょう。砕けた火は、結界の繋ぎになりませぬ」
老鏡守が、眉を寄せた。
「……ならば、どうせよと」
「選へ」縹は言った。「斎庭で試練に掛け、火を熟させる。縛めに耐える火に育ててから、繋ぐ。そのほうが、理にかないましょう」
縹は、鈴の腕を持ったまま、聖鏡のほうへ、ほんのわずかに体を傾けた。
その一瞬、鏡の水面の色が、ふっと、鈍くなった。
回り続けていた色が、嘘のように、おとなしい藍へ沈んでいく。誰かが内側から、その火を、一色に握りつぶしたかのように。
鈴の胸の奥で、それは、起きた。
燃え盛っていた火に、何かが、触れた。鏡の光の、あの探る指とは、違った。押さえつけるのでも、覗くのでもない。冷たい手のひらが、暴れる火を、外側から、そっと包んだ。包まれた火が、不思議と、静かになる。狩りで、罠にかかって暴れる兎を、押さえつけずに、布で目だけ覆ってやると、ふっとおとなしくなる。あれに、似ていた。
鈴には、何が起きたのか、分からなかった。
ただ、縹の指が、つかんだ腕の上で、ほんの少しだけ、力を変えたのが分かった。握るのでも、放すのでもない。何かを、確かめるような。それとも、何かを、こちらへ伝えようとするような。
役人たちが、顔を見合わせた。
地方の改め所で、巡回の若い鏡守が、老鏡守の読みを差し戻す。それが、どれほど異例のことなのか、鈴には分からなかった。ただ、老鏡守の顎のあたりに、力が入るのが見えた。読みは、鏡守の命のはずだ。それを、目の前で、半分否定された。
「久遠どのは」老鏡守の声が、低くなった。「白き読み手の、お弟子であられたな」
「は」
「……あの方なら、生の火と熟れた火の別を、何より重んじられよう」
老鏡守は、しばらく、鏡の中の藍を見ていた。さっきまで、燃え盛っていた水面を。それから、書役のほうへ、顎をしゃくった。
「……禍。選へ回す」老鏡守が、息を吐いた。「久遠どのの読みに、従おう」
書役の筆が、動いた。
縹が、その帳面を、横から覗き込んだ。確かめるように。禍、深度浅し、選へ——書かれていく文字を、何の色もない目が、追っていた。鈴の行き先が、墨の細い線で、決まっていく。鈴自身は、石の上に立たされたまま、その帳面に、触れることもできなかった。読まれ、書かれ、回される。自分のことなのに、自分の手の届かないところで、全部が進んだ。
役人の棒の灯が、鈴から、半歩、退いた。
縹が、鈴の腕を放した。
放しぎわに、一度だけ、目が合った。何の色もない目だった。憐れみも、企みも、読めない。鏡がこちらを覗いているようで、その奥に、誰がいるのか分からない。鈴はその目から、自分が何を読み取られたのか、ついに分からなかった。助けられたのか、それとも、もっと悪いところへ、回されたのか。
分かったのは、一つだけだ。あの若い鏡守が口を開くまで、自分は、棒の灯の先へ連れていかれるところだった。直送、と老人は言った。白き読み手のもとへ。それが何を意味するのか、鈴は知らない。ただ、役人たちがその名を聞いて見せた顔が、忘れられなかった。あれは、人が、自分よりずっと恐ろしいものの名を聞いたときの顔だった。
その行き先から、縹という名の鏡守が、鈴を、選へと逸らした。
なぜ。
考えても、答えは出なかった。鏡の奥に誰がいるのか分からないのと、同じだった。ただ、腕をつかまれたあの一瞬、縹の指の力が、確かに、何かを言っていた気がした。逃げるな、と。あるいは、案ずるな、と。鈴は、その触れかたを、なぜか、もう忘れられなくなっていた。
◆
灯都へは、荷車で運ばれた。
聖山へ昇る索の駅まで、半日。そこから先は、巨きな籠が、太い索を伝って、空へ昇るのだという。地に足のつく暮らししか知らない鈴には、空へ吊り上げられるというのが、どういうことなのか、うまく像を結ばなかった。
鈴は手首をゆるく縛られて、荷台の隅にうずくまっていた。逃げる気力は、もう湧かない。逃げても、帰る家には、式神が張りつくだけだ。小夜を巻き添えにする。それだけは、できない。
膝を抱えて、鈴は灰郷のほうを、見ないようにした。見れば、戻りたくなる。
熱を下げる草は、枯れ野の北の縁にしか生えていない。場所は、鈴しか知らない。小夜の熱は、これから誰が下げるのだろう。煮詰まった汁は、誰が温めなおすのだろう。姉が昼に帰ってこないと知ったら、あの子は、どんな顔をするだろう。きっと、泣かない。泣かないで、毛布の縁を撫でながら、戸口のほうを、見ているだろう。いつまでも。
御者台のほうで、役人が二人、低く話していた。聞くつもりはなかった。けれど、狩りで育った耳は、勝手に拾う。
「……選に回るだけ、ましさ。直送なら、おれは御免だ。白き読み手の前まで運ぶ役は、な」
「噂だろう、あれは」
「噂なもんか。前に運んだやつが言ってた。あの方の前に立つとな、読まれる前に、自分がもう、終わってる気がするんだと。歳も、顔も、分からん。白いだけだ。白いだけの人が、座って、こっちを見てる。それだけで、汗が、氷になる」
「……禍の小娘ひとりに、ご大層なことだ」
「小娘だから運べるのさ。これが本物の、燃え盛りの禍なら——」
声が、そこで止んだ。役人の一人が、振り向いて、荷台の鈴を見た。鈴は、目を伏せて、聞こえていないふりをした。聞こえないふりは、得意だ。十六年、それで生きてきた。ただ、手首の縄の内側で、手のひらが、また少し、熱くなっていた。
荷車が、灰郷の外れを通った。
見知った坂。見知った鈍色の屋根。井戸端に、人が何人か立って、こちらを見ていた。
鈴は、顔を上げた。
知った顔ばかりだった。水を分け合った女たち。一緒に、枯れ野の話をした老人。
その誰もが、鈴と目が合うと、すっと、目を伏せた。
昨日の鈴が、蕗にしたのと、同じだった。見ない。関わらない。それが、ここで生きるということだ。鈴は、それを責められない。責める資格が、どこにもなかった。
人垣のいちばん端、五軒先の家の前に、蕗の母親が立っていた。
目は、伏せなかった。荷台の鈴を、まっすぐ見ていた。憎んでいる目でも、憐れんでいる目でもなかった。月に一度の荷車が、また一人、郷の子を乗せていく。それを、最後まで見届ける目だった。自分の子のときに、誰にもしてもらえなかったことを、している目だった。
鈴は、その目から、顔を逸らせなかった。
ただ一人、ばあさまだけが、目を伏せる前に、口を、かすかに動かした。声は、聞こえなかった。けれど、形で分かった。
——だから、言ったろう。
水面に映った鈴の顔ごと、鈍色の空が、遠ざかっていく。
荷車が坂を登りきると、視界の正面に、それが立っていた。
大灯。
昼の光の中でも、白く、燃えている。近づくほどに、大きい。空を半分、白く灼いて、その下で、聖山の都が、宝石のように光っていた。きれいだった。子どもの頃、胸が高鳴った、あの光。それが、いま、鈴の真正面にある。
遠くから見ていたときは、ただ、きれいだった。守ってくれる火だと思っていた。八洲を、毒の潮から守ってくれる火だと。
近くで見上げると、その白さは、何ひとつ赦していない色だった。
あれが、名前を焚べて燃えている。
蕗の番号も、いつか、あの白さの中へ消える。自分は、その白い火のそばへ運ばれていく。焼かれるためですら、ない。縛めるための、何か。要石、とかいう、まだ知らない言葉のために。
鈴は、縛られた手のひらを、そっと開いてみた。
熱は、もう引いていた。けれど、消えてはいなかった。手のひらの真ん中で、見えない火が、まだ、かすかに息をしている。鏡の前で、あれだけ燃え盛った火。鈴の意思の外で、見られたいように燃えた、あの火が。
これが、あたしの色。
鈍色でありますように、と願った火が、あらゆる色だった。
鈴は手を握りなおし、膝に額をうずめた。荷車の振動が、骨に響く。上へ、上へと、運ばれていく。下から、空へ。帰り道とは、反対の方へ。
囲炉裏の汁は、もう、とうに煮詰まってしまっただろう。




