第5話 ふたりグラシ
翌日――
高校の授業を終えた、放課後のこと。
主良は行きつけのカードショップの
デュエルスペースで、机に突っ伏していた。
「……なぁ、法人」
「何だい、主良」
向かいに座る青年――風宮法人は、形よく整えた薄いエメラルド色のショートヘアをかき上げながら、落ち着いた声で応じた。
モデルのような端正な顔立ちに、
近所にある名門校の制服という恰好。
王子様じみた法人の出で立ちは、ことカードショップという空間においては浮いている……主良も知り合ったばかりの頃は、恐れ多くて声をかけづらかったのを記憶している。
ふふっ、と法人は猫のように目を細めた。
「なにか、困ったことでもあったのかな?」
「困ったこと……ああ、困ってる。
いや、困ってるなんてもんじゃない」
主良は声を潜めてささやいた。
「たとえばの話、なんだけどな……法人は、カードゲームの女の子が実体化する、なんて話とか……聞いたこと、あるか?」
「あるよ」
法人は事も無げに答える。
「薄い本の話だろう?」
「お前でも、そういう本読むのかよ……」
「私をなんだと思っているんだい、主良」
「なにって」
「私とて、木の股から生まれたわけではないのだよ。無論、公序良俗に反するおこないはしていないよ……我々高校生は、未成年の身。全年齢対象の範疇に留めているとも」
法人は得意げな様子で、
カバンから電子ペーパーのタブレットを取り出す。
「しかしだね、”薄い本”というのも時代性を感じる呼称だと思わないかい、主良? かつては即売会で頒布されていた淫猥な同人誌を指す言葉だったと考察するが……企業のネットワークが星を覆い、電子や光が駆け巡っても、国家や民族が消えてなくなるほど情報化されていないこの現代において……二次創作の同人表現は主にソーシャル・ネットワーク・サービスで拡散されるものとなった。印刷代金という物理的制約から解放され、ムフフな続きは専用サイトで課金してください――とされる今となっては、もはや薄くもないし本でもないモノに対して、あくまで概念としてのウスイホンというスラングだけが残ることになる……いいや、本物の薄い本は滅んではいないか。そうさ、安心するといい。これはまだ、遠い遠い未来の話になるねぇ」
「全年齢に留めているって言わなかったか?」
「あくまで一般論さ」
ごく限られた世界の一般論だろ、たぶん。
よくわからないけど……。
「もういい。カードの女の子の実体化なんて、それこそ、二次創作の妄想みたいな話ってことがわかっただけでも収穫だ」
「一つ賢くなったようだね。
主良の役に立てたようで、何より」
そう、妄想。
普通に考えたら妄想のはずなのだけど……。
☆☆☆
ガチャリ。
「ただいまーっ」
主良が帰宅すると、出迎える人影があった。
二つ結びのツインテールを揺らす少女。
「おかえりなさい、マスター。
ご飯にする?
お風呂にする?
それともデ・ッ・キ・ビ・ル・ド?」
「語呂が悪すぎんだろ」
一人暮らしのマンションで主良を出迎えたのは、アナエルだった。サイバースーツの上から、主良が家庭科で使っていたエプロンを付けている。
「アナエル、
ご飯は食べないとか言ってなかったっけ?」
「肯定します。食べません。
不足分のエネルギーは、
大気中のネゲントロピーから確保可能です」
「仙人が霞を食べる、みたいな話かぁ……」
「肯定します。タケシと同じですね」
「俺の知らないポケモンの話をするな」
どいつもこいつも二次創作の話ばかり……。
とはいえ。
家に帰ったら待っている人がいる、というのは――
あいつが家にいた頃みたいで、楽しいかも。
「やっぱり、まだカードには戻れないの?」
「肯定します。わかりません、戻り方が」
「そうか……」
アナエルは申し訳なさそうに、うつむく。
「おかけします、ご迷惑を……」
「いやいや、別に迷惑じゃないって。ウチは父さんも母さんも海外で、しばらくは俺が家を預かってるからさ。ここにいていいよ。ちーは……」
「ちー?」
「あっ……千影は、
全寮制の高校に通ってるんだけど。俺の妹で」
「マスターの、妹」
アナエルはマンションの一室に目をやった。
そこはしばらく使っていない千影の部屋である。
「理解しました。
女性ものの服があったのは、そういう」
「あっ……そういや、アナエルも。
いつまでもその恰好ってわけにはいかないよね」
千影の服なら、たぶんアナエルも着れるだろうけど……
流石に勝手に着せるのはまずいか。
「明日にでも服を買いに行かないと」
「切札は問題ありませんが、この姿のままでも」
「いやいや、通報されちゃうって……!」
現代日本で、その全身スーツはイカツすぎる。
身体のラインも丸見えだし、ほとんど裸だ。
「そもそも、俺がアナエルと同居してることが父さんや母さん、千影にバレたりしたらマズいよな……事情を知らなかったら、こっそり女の子を連れ込んでるようにしか見えないし……」
アナエルは首をかしげた。
「疑問です。
バレることは無いのでは?
マスターの家族は家にいないので」
「父さんと母さんはね。
でも、千影はたまに帰ってくることがあるんだ。
あいつも俺と同じでカードゲ……」
ガチャリ。
その時――玄関のドアノブが、ひねられる音がした。




