第34話 失いし時
閑静な住宅街にある、綺麗な一軒家。
ちょうど、そこから親子連れが出てきた。
母親と手をつなぐ小さな男の子。
父親の方は、どこかと電話しているらしい。
「……はい。……はい。いえ、お気になさらず。盗難事件なんですから、そちらも被害者ですよ。……はい、わかりました。何か進展があったら連絡してください」
ピッ、とスマホの通話を切る父親。
「あなた、どうしたの?」
「うん。昨日、お店に預けたカードさ。どうやら強盗が入ってしまって、盗まれたそうなんだ」
「あら……せっかく臨時収入になるんじゃないかと思ってたけど、残念ね」
「リフォーム代の足しになってくれたら良かったんだけどね。お店の人も、ナラクの美品は珍しいって話してたんだよ。それに、ネットニュースでもまたナラクが使えるようになったって書いてあったし、ウチの押し入れで寝かしておくよりは……」
親子連れは主良とアナエルとすれ違う。
主良たちがそれとなく会釈すると、
「パパ、ハンバーグ♪ハンバーグ♪」
子供が歌い出したので、一同は自然と笑顔になった。
これから一家で夕食に出かけるようだ。
「……今のが、ナラクのマスター?」
親子連れが角を曲がって見えなくなってから、
主良はこっそりと声をかける。
透明になっていたナラクがそれに答えた。
「ボクのマスター……だった、人です。
売られちゃいましたので」
フフ、と力なくナラクは笑う。
「いえいえ、別に、恨み節なんて無いですよ! マスターはスピキャスのカードに精霊が宿ってるなんて知らなかったはずですしっ。スピキャスも引退して長いはずです。昨日、マスターの奥さんが掃除中に見つけるまで……ボクはずっと、押し入れの中にいました。フフフ、あの男の子、ボクといた頃のマスターにそっくりです」
「ナラクが住所を探したかったのは、
マスターさんにもう一度会いたかったから?」
「あのショップで目覚めて、何がなんだかわからなかったけど、とにかくマスターに迷惑をかけてはいけないと思って、カードを持って逃げ出して……マスターに会いに行ったけど、昔の住所から引っ越してたんです。だから、どうやったら会えるだろうと思って――名探偵になれば、警察ともマブのはずだから、事件捜査の名目でマスターの住所が手に入るのではないかと、そう推理したのです!」
アナエルは「肯定します」とうなずいた。
「暴力と退廃の都アルフィー・ヴィクトリアにおいて、竹馬の友なのです、名探偵と警察は。警察が情報を集めて、探偵が推理する。切札も真聞小説に書かれた探偵クランの活躍にワクワクしていました!」
「おお、アナエルも話せますねぇ。ボクも立場としては怪盗ですが、クランの探偵たちの一番のファンでもあるんですよ!」
――それで、名探偵・鹿の子か。
「ナラクが名探偵のフリをするためだけに潰されたカード強盗団もいたっけな。まぁ強盗団だから別にいいけど、どこまでも手間のかかることを」
だが、この世界の警察は名探偵の仲間ではない。
そこで次善の策として主良の協力を仰いだ、と。
「マスターともう一度会うことが、ナラクの目的だった。じゃあ――それを果たしたら、君はどうなる?」
Dステルスを解除し、姿を現すナラク。
だが――その姿は透けているようにも見える。
半透明になった身体に夕焼けの陽が刺さり、
ブロック塀に淡い色合いの影を落とす。
「御協力ありがとうございました、主良くん。見事に依頼を果たしてくれたので――信頼できる助手である主良くんに、名探偵だったボクからプレゼントです」
ナラクが取り出したのは、ストレージボックスに詰められたカード。その中から一枚のカードを取り出す――出されたのは《”死の怪盗”ナラク》。
精霊が抜け出した空白カードに、
うっすらと絵柄が戻ろうとしていた。
「これは……カードに戻る方法?」
「ボクは言いましたよね。協力してくれたら、アナエルがカードに戻る方法を教える、と――それがこれです。なんとなく、予感はしていました。マスターとボクの魂の絆が途切れようとしている……そのたびに、カードに戻ろうとする感覚がありました。マスターにとってもう、ボクは過去です。楽しくスピキャスを遊んだ時代は……人生の長い時間の中の、ほんの一瞬だけ。もう、マスターはその瞬間には生きていません。マスターとの絆が切れた今……この世界にボクが残ってる原因は、ボクの方からの未練だけです。それはマスターを一目見たら、満たされるんじゃないかと思ってました」
淡く白い光を放ちながら薄れていくナラク。
影そのものだった身体は、
光に溶けてカードへと流れていく。
「ナラク……っ!」
「うーん。奈落、だなんて。我ながら、あまり可愛くないですね。鹿の子さん、の方が良かったです。しかのこさん。良い響きですよね。ねぇ、主良くん?」
ナラクは影の手で主良の手を取る。
その指先は肌色となり、
丸みを帯びた人肌の温もりを伝えていく。
目を上げると、
形の良い鼻がすぐそばにある。
唇と唇が触れそうな距離――
ドキリ、と主良は息を呑んだ。
気づくと、目の前には鹿の子が立っている。
「鹿の子、さん……?」
黒髪の女性は指と指を絡めると、
一本一本の指を取り、
ほのかな体温を伝えながら、
主良の指をそっと開かせて――
ナラクのカードを丁寧に渡してきた。
「こんな思いするなら、実体化なんてしなきゃ良かったと思ったけど……主良くんと一緒にいた時間だけは、ちょっとだけ楽しかったですよ。それとアナエル」
表情を変えずに様子をうかがうアナエルに、
鹿の子は漆黒の瞳を向ける。
「……ボク、貴方のことが嫌いです」
「疑問です。なぜでしょうか?
切札はナラクに何もしていませんが」
「たしかに。アナエルは良い子だし、悪いことなんてしてないのに、なぜでしょうね? 自分でもわかりません。わかりたくもない。ボク、ホワイダニットは苦手ですので。あー、まぁいっか。……宿題として出しておきましょうか。貴方と答え合わせをする機会はありませんけど……フフフッ」
唐突に、光の奔流が途切れる。
手元が急に軽くなった気がして、
目を向けると――
空白は埋まり、
ナラクの絵柄は完全に復活していた。
住宅街を見回しても、どこにもナラクはいない。
「鹿の子さん――っ!
おい、鹿の子さん!!」
主良は手元のカードに呼びかける。
だが、返事が返ってくることはない。
「なんだよ、またDステルスなのか……!?
どこか、その辺にいるんだろ、
透明な姿になって……!
変な冗談は止めてくれよ……!」
アナエルは首を横に振った。
「否定します。
マスター、周囲に生体反応は確認できません」
「アナエル……!」
「ナラクは、消失しました」
カードの精霊がカードに戻る方法――
それは、互いの絆が消えること。
昼と夜の天秤は闇に傾き、
日没を告げるカーテンが町を覆っていく。
影に染まる景色の中で、一つの影が闇にまぎれた。




