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迷い道と目的地 ~藤咲水紀の日常~  作者: 糸東 甚九郎(しとう じんくろう)
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第二十三話  マチナカカレーの味が違う?

「・・・・・・――――そうかぁー・・・・・・。いよいよ、岡山岬青果の新支社に、かぁー・・・・・・」

「イノシシ店長には、ずっとお世話になりっぱなしで・・・・・・。今まで、ありがとうございました」

「おいおい、まだその挨拶は早いんじゃないか、ミズキちゃん? 明後日なんだろう、帰るの?」

「あ、はい。そうなんですけど・・・・・・なんか、つい」


 明後日、あたしは栃木の実家に戻る。

 これまでの人生で一番長く過ごしていたはずのところへ戻るというのに、何だかアウェイ感が微妙にあるのが不思議な感じ。

 今のあたしには、この街がホームになっているからだろうな。

 何だか今日は、どっちつかずな感じだ。いつもすごく落ち着く感じのこの席が、なぜか、妙に「よその店」のような感じなの。なんでかな。

 明日は引っ越し業者に家具を預けたり、部屋の掃除をしたりとかでバタバタだろうな。

 家具類は全てあたしの実家から持ってきたやつだから、理屈としては実家に戻してもそのまま入るはずなんだよね。兄貴や優味が、あたしの部屋へ好き勝手に物を置いたりしていなければの話だけど。

 今日は小物類や衣類を午前中のうちにまとめてたんだ。片付けをしている最中、テレビからはいろんなニュースが流れていた。

 あの鬼霧関が、横綱を倒しての全勝優勝をして三役昇進になったということ。

 元ボクシング世界チャンピオンのデミーさんが、大晦日の格闘技イベントで一夜だけ現役復活すること。

 「東南アジアの役満クイーン」という通り名で、チェンさんが留学生プロ雀士としてデビューしていたこと。

 原本ゆかりが企画した中高生向けのファッション誌がヒットし、ブームになっていること。

 そんなニュースを見てから、あたしは正午過ぎにマチナカを訪れたんだ。

 あたしが栃木に帰ることを伝えたら、少し間を置いて、イノシシ店長はにっこり笑った。「ここはいつでも変わらず開いてるから、東京来た時は食べにおいで」だって。

 ありがたいね。でも、その頃は、この店のこの席にはきっと、あたしじゃない別な常連さんがいるかもしれないよね。

 そんなことを考えてたら、いつの間にか、あたしの前にマチナカカレーが置かれてた。


「ミズキちゃん。それ、今日は僕からのサービスだ。お代はいいよ」

「え、でもー・・・・・・」

「わっはっは。いいから、いいから・・・・・・」


 イノシシ店長は、いつも通りに豪快な笑い声だ。でも、声のトーンは、どこかいつもと違う。

 あたしの目の前に置かれたカレーからは、いつもの美味しそうなスパイスの香りが立ち上っている。イノシシ店長が長年かかって独自に編み出した、絶妙な配合加減のスパイスなんだろうね。

 これが、あたしにとっては、この街の味そのものなんだ。


「・・・・・・マチナカカレー、か。・・・・・・あたし、何回食べたんだろう・・・・・・」


 お代はいいなんて言われちゃうと、ちょっと申し訳ない気もするけど、せっかくのご厚意だからいただきます。ありがとう、イノシシ店長。

 あたしは銀色のスプーンでご飯とカレーをたっぷりすくって、ぱくりと一口、食べた。


   ・・・・・・もぐ  ・・・・・・もぐ  ・・・・・・もぐ


「・・・・・・。・・・・・・。・・・・・・ん? んん?」


 あれ、何だろう。マチナカカレーなんだけど、これ、いつものマチナカカレーじゃない感じがする。もしかしてイノシシ店長が、隠し味に何か入れたとか、かな。

 基本的にはいつものカレーなのに、何というか、表現が難しいけどいつもと味が違うというか。


「・・・・・・見てよ、ミズキちゃん。・・・・・・昭和の名人がまた、いなくなっちゃったよ・・・・・・」

「え?」


 カウンターのイスに腰掛けたイノシシ店長は、店の隅に置かれたレトロな見た目のテレビを、眺めていた。その画面には、あの賤ヶ岳さんが、いつもの調子でウクレレを弾いて漫談をやっている姿が映っている。

 ただ、その画面の右上には「昭和の名人 賤ヶ岳鐘楼さん。ありがとう」と出ている。画面に映っている賤ヶ岳さんも、どこか、若い感じだ。


「・・・・・・え! イノシシ店長! 賤ヶ岳さん・・・・・・まさか!」

「つい、先月まで元気だったのになぁ。この店にも、たまに来てくれたんだけどなぁ・・・・・・」


 知らなかった。あたしは本当に、知らなかった。

 あたしが岡山に行っていた間に、賤ヶ岳さんは病に倒れ、闘病中だったんだって。

 入退院を繰り返していたらしく、もう、治る見込みがほぼ無い状態だった時、この店のカレーを食べに来たらしい。その時、イノシシ店長と雑談をした中で、あたしの話が出たんだってさ。

 賤ヶ岳さんは「あの子にもう一度漫談を聞かせてやりたかったが、東京にいないのか」と、あたしに会えないのを残念がってたそうだ。まさか、そんなことがあったなんて。

 あたしの手と口は、いつの間にか止まっていた。スプーンを持ったまま、止まっていた。

 テレビ画面には、どこかのスタジオで賤ヶ岳さんのウクレレ漫談を聞いて、涙を流して爆笑しているお客さんたちが映っている。


   ポンポロロ~♪  ポンポロポロロ~♪

   なーんだーろなー  なーんだーろなー なんだかなんだか なーんだろなー♪

   どうしてあれは、白鳥じゃないのかな なーんだろなー

   なぜならそれは、サギだから なーんだろなー なーんだろなー


「・・・・・・賤ヶ岳さん・・・・・・」

「ミズキちゃん。・・・・・・良い人に出会ったな。賤ヶ岳鐘楼と知り合いなんて、すごいことだぞぉ」


 イノシシ店長は、笑っていたけど泣いていた。あたしも、勝手に涙が流れてた。

 数秒後、あたしはカレーをまた一口食べた。

 味が違う。さっきよりまた、塩辛くなっていたよ。



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