第二十話 ゴートゥーオカヤマのイヴ
「〔・・・・・・――――そうかよ。行ったり来たりで大変だけど、式の出席、よろしくな〕」
「うん。ドタバタでごめんね、兄貴」
「〔気にすんなよ。良い地域の会社だといいな?〕」
「そうだね。・・・・・・行ったことないとこだから、けっこう、不安はあるけど・・・・・・」
「〔いろんな人に背中を押されたんだろ? だいじだ! 水紀なら、きちんと馴染めっから!〕」
「・・・・・・。・・・・・・そうだよね。とりあえず、ちょっとの間、行ってくるから」
「〔無理はすんなよな? どうする? 優味にもかわるか?〕」
「え? あ、うん。お願い」
明日、いよいよあたしは、岡山へ行く。
何だか急に、兄貴の声が聞きたくなった。だから、こんな時間だけど、電話した。
東京の夜は明るい。でも、栃木はどうなんだろう。きっと、こんなに明るくない。あたしがまだ実家にいた頃と、そうは変わっていないはず。うん、暗いだろうな、きっと。
「〔・・・・・・――――もしもし? 姉貴、どうしたのよ?〕」
「いや、どうしたこうした、ってことはないんだけどさ・・・・・・」
「〔明日、岡山行くんだって?〕」
「そう」
「〔変わったモノ見つけたら、買ってきて〕」
「何その、変わったモノってのは」
「〔何でもいいよ。食べ物でもインテリアでも犬でも猫でもさ〕」
「相変わらず、優味はわけわかんない表現するなぁ」
「〔あ、そうだ! アタシ、モミジ饅頭大好きだから、それがいっかなー〕」
「あのさぁ・・・・・・優味? あんたさぁ、お母さんと同じこと言ってっかんね?」
「〔あ、そう? お母さんも姉貴に、モミジ饅頭を頼んだんだ?〕」
「・・・・・・ってかさぁ、それは岡山じゃなく、広島なんだってば」
「〔そうだっけ?〕」
「そうだよ」
優味はこんなんで、彼氏とうまくやれてるんだろうか。相手は市役所職員らしいから、まぁ、適当にうまくやれてるんだろうとは思うけどさ。
それからあたしは、優味とも雑談をあれこれ続けた。
「・・・・・・――――ところで優味? 卒業要件の単位はきちんと取れてるんだろうね?」
「〔バッチリだよ。そこは心配しないで。あとは卒論だけー〕」
「それなら、いいんだけどね。・・・・・・じゃあ、とりあえず、明日から行ってくるから」
「〔はいはーい。いってらっしゃい! 姉貴も岡山で、いーぃオトコでも拾っておいで〕」
「あんたねぇ・・・・・・。そんな、犬や猫みたいに・・・・・・。ま、優味も元気でね。・・・・・・じゃ!」
「〔はいよー。・・・・・・じゃ!〕」
ピロン!
・・・・・・ツー ツー ツー ツー・・・・・・
実を言うと、あたしは電話があまり好きじゃない。人と話すのが苦手だからとかではないんだけど、この、通話を終えた後の音が、好きじゃない。
あたしと相手の時間や心を、何かこう、ハサミでバサッと切られたような、そんな感覚になっちゃうんだ。
だからあたしは、電話を終える時はいつもスマホを耳から離している。あの音が、ダメなんだ。
兄貴から電話で聞いた話では、父がニラとスイセンを間違えて摘んできて、しかもそれを玉子炒めにして食べようとしたらしい。
ニラの匂いがしないことに優味が気付いて大慌てになり、食べる直前に止めたから大事には至らなかったんだって。山菜だのキノコだのの知識はゼロに等しいくせに、採ってくるんだよなぁ、父は。
ニラは、普通にスーパーや直売所で買おうよ。そんなロシアンルーレットみたいな食事、あたしは嫌だ。
あと、骨董屋好きな親戚のおじさんが、ふらりと入った店で三百円の壺だか鉢だかを十個買ったんだって。
おじさんがダメ元で鑑定士に見てもらったところ、それが何と江戸中期の作で、一個で四十万円の値が付いたんだってさ。それが十個。「ちょっとした額の宝くじが当たったようなもんだよね」と、兄貴と笑っちゃったよ。そんなことも、あるもんなんだね。
そう言えば、優味と雑談をして盛り上がっていた中で、やたらと怒ってたことがあった。
母が、まとめ買いしたビールの箱を持ち上げようとしたところ、腰を痛めたんだって。あまりにも辛そうだから、地元の整骨院を優味がネットで調べて、口コミ評価が良かった整骨院へご新規さんとして行ってみたそうだ。
でも、腰を治してほしくて行ったのに、わけのわからないバカ高い健康器具を買わされたり、保険適用外の施術を勝手にされたり、肝心の腰は治してくれなかったりと、散々な目に遭ったらしい。
新しくできたばかりで、院内もキレイなとこだから期待してたらしいけど、優味は「とんでもねぇボッタクリだった!」と憤慨してた。そんな整骨院ばかりじゃないと思うんだけどね。あたしは腰も膝も痛いとこはないから、整骨院は縁が無いんだけどさ。
そういえば、あたしの母校である柏沼高校の後輩が通ってる整骨院は、先生が柔術のプロで、独特な施術をしてくれて、しかもすごく安いからいいところだって言ってた。母もそういうところに当たればよかったのにな。
「・・・・・・。荷物もまとめたし、岬副社長が既に会社の賃貸アパートも手配してくれたし・・・・・・」
岡山に行くにあたって、もう、準備は整ってる。荷物も、部屋も、三ヶ月分の資金も、バッチリ整ってる。何度も確認したから、大丈夫。あとは、行くだけ。
でも、あとは行くだけなんだけど、なんだか妙に落ち着かない。どうしたのさ、あたしったら。
これじゃまるで、初めての遠足を前にして浮き足立ってる小学生みたいじゃないか。イベントじゃないんだから、ちょっと落ち着け藤咲水紀。
妙にドキドキして、どうも気が落ち着かないな。何か、気を紛らわせることをして、今日はもう寝ちゃおうかな。
「・・・・・・。・・・・・・うーんっ・・・・・・。あ、これでも眺めてりゃ、いいかな?」
あたしは部屋の隅にある棚から、実家から一冊だけ持ってきているアルバムを引っ張り出した。
そこには、様々な「あたし」がいた。
ランドセルを背負ったあたし。紺色のブレザーに身を包んだあたし。しかも、その頃は今と違って髪が長く、二つのお下げ髪にしてた。
黒い制服に身を包んだあたしは、今と同じショートボブの髪型になっていた。ただ、髪先までしっかりと真っ黒だけど。
成人式のあたしは、まるでハリウッドスターみたいなスーツ姿。他の女友達は振り袖姿ばっかりなのに、女子でスーツはあたしだけ。地元に帰って式典に参列した時、御湯ノ水女子大ってだけで何だかエリートっぽく見られたのが嫌だった。
その時のあたしは黒スーツに艶のある革靴、そしてもこもこしたファーを首に巻き、顔にはサングラス。二十歳のあたしは、何でそうなったんだか。十年も経ってないけど、今見るとなかなか恥ずかしい。若気の至りにも程がある。
お盆に親戚が集まって、飲み会をしていた時の写真もある。この写真は確か、大学三年生の時かな。
思い出したけど、お盆で帰省する直前まで、雀荘で遊んでたなぁ。月曜日は「フリースイーツ」ってサービスがあの雀荘にはあって、無料でミニケーキが食べ放題だったの。あたしはそこの小さなチーズケーキが好きだった。だからよく、月曜日に雀荘へ遊びに行ってたんだ。
朝から夕方過ぎまで、ひたすら麻雀牌を触ってたから、当時のあたしの指にはうっすらと牌ダコができてたんだ。友達からは、ペンダコだと思われてたけどさ。その帰りに安い八百屋にもよく寄ってたっけなぁ。
アルバムの中のあたしは、様々な服を着て、様々な表情をしている。
笑顔の写真も多いけど、クールで冷ややかな表情の時もある。空手の試合においては全部、当然ながら気合いの入った顔をしてる。インターハイや国体の会場で買った自分の競技写真なんか、今のあたしとは別人のようだよ。
あたしは、その時その瞬間において、きちんと場に合った顔で過ごしてたんだね。岡山に行ったら、あたしはどんな顔で過ごすんだろう。栃木にいる時、東京にいる時、それらとは違う顔になるのかな。
「・・・・・・。・・・・・・こんなあたしを、岬副社長はどうしてそこまで・・・・・・」
岡山の地は、あたしの目的地になるのかな。迷い道の終着点になるのかな。わからないや。
そんなあたしに、アルバムの中の藤咲水紀たちは、「なるようにしか、ならないんだよ?」と言ってるような気がした。今のあたしを、過去のあたしが、そう励ましてる気がした。
「・・・・・・明日のことはわからない。だから未来、か。・・・・・・目を向けるべきは、未来だ」
あたしは、アルバムの中の自分たちにそう言って、そっとそれを棚へと戻し、布団へと潜った。




